1-6【Sound Of Heaven】

 

 混ざり合う唾液、混ざり合う血液、そして融け合う肌と肌。

 

 醜い二体の悪魔は互いを貪り合いながら、一つに重なり融けてゆく。

 

 それを礼拝するかのように、無数の死体達が周りを囲み伏し拝む。

 


 嗚呼、美しき混沌かな。地上に渦巻く怨嗟かな。

 

 阿鼻叫喚の甘美な聲に、股ぐら濡らす淫婦のしらべ。

 

 滴る蜜の盃を、受ける者には与えよう。

 

 裁きを免れ永遠とわを手に、権威と富とを授けよう。

 

 さあ伏し拝め。伏し拝め。

 

 高らかに叫べ。我が名は……

 

 


双頭の災いディディミ」「双頭の災いディディミ」「双頭の災いディディミ」「双頭の災いディディミ」「双頭の災いディディミ」「双頭の災いディディミ」「双頭の災いディディミ」「双頭の災いディディミ」「双頭の災いディディミ」「双頭の災いディディミ


 死体達は口々に悪魔の名を叫び、まぐわう二体に殺到した。


 二体が屍肉に呑まれると、ほんの一時の静寂がおとずれ、すぐにそれは地響きとともに掻き消されてしまった。

 

 

 無数の死体が寄り集まった身体の上には二本の首が生えている。

 

 その両方が口を開くと、ぴたりと重なる声で言った。

 

「キリストは死に、神はこの地を見棄てた……!! もはや人の子らには何も残されていない……!! 人は堕落し、闇に堕ち、母が子を喰らい、男はいたずらに嬲るばかり……!! 我に従え!! 我を伏し拝め……!! さすれば安らかな死をくれてやろう……」

 

 

 震える少年をぎゅ……と抱き寄せ神父は銀縁眼鏡の奥からディディミを睨んで叫んだ。

 

 

「黙れ悪魔サタン……例えこの世が絶望に支配され……多くの者が悪を選んでも…………!! 人間の中の光を、わたしは諦めない……!!」

 


 そう叫んで神父は銃口を悪魔に向け引き金を引き続けた。

 

 しかし超大で分厚い屍肉の身体は表面を爆ぜさせるばかりでその奥にある魂には届かなかった。

 

 

「非力非力。憐れみを覚えるほどに……非力……似非神父の祝福なぞが、我等の魂に触れるべくもない……!!」

 

 そう言って嗤うと、ディディミは強大な腕を振り上げ、目にも止まらぬ速さで神父と少年に振り下ろした。

 

 

「主の真実は大盾であり砦である……!!」

 

 神父は咄嗟に聖句を叫んだ。

 

 すると光の盾が現れ神父と少年を覆った。


 巨腕の一振りは光にぶつかると、その勢いを大きく衰えさせたが、同時に盾も粉々に砕け散ってしまった。

 

 直撃は免れたものの、その衝撃は神父を打つには十分過ぎる威力で、少年を抱きかかえて庇った神父は手毬のように弾き飛ばされた。

 

 

「ぐぅぅぅっ……」

 

 立ち上がろうとした神父の胸に激しい痛みが走った。


 ……肋をやられた……

 

 巨大な神輿を運ぶ奴隷のように、足元の死体達がずるずると巨体を運んで、こちらに向かってくる。

 

 神父は痛みを堪えて立ち上がり、隣で怯える少年に微笑んだ。

 

「怪我はありませんか?」

 

 少年は大きく首を左右に振った。

 

「よかった。あなたはこの世界の希望です。必ず守ります。わたしを……いえ。……神を信じなさい……!!」

 

 

「馬鹿め……! 貴様が神にとって何だというのだ? 取るに足らん罪人の一人に過ぎぬではないか!?」

 

「黙れ……愚か者め……!! 神はその罪人を救わんと、一人子であらせられる御子をも惜しまずに十字架にお付けになったのだ……!!」

 

 その言葉でディディミの目に憎悪の炎が燃え上がった。

 

 悪魔はぎりぎりと歯を擦り合わせ再び巨腕を振り上げた。

 

「黙れ……!! 穢れた祓魔師エクソシスト風情が……!! まずはそのを挽肉にしてくれる……!!」


 神父はその言葉を聞くなり、聖句を大声で暗唱する。


「また我を信ずるの小さき者の一人をつまずかする者は、むしろ大なる石臼をくびけられ、海に投げ入れられんかたまされり……!!」


 すると光の鎖が悪魔の頸に姿を現し、重い石臼がその動きを封じた。


「小癪な……いくら貴様が祈ったところで、穢れた人間の祈りの力なぞは知れている……!!」


 そう言ってディディミは石臼を引きずりながら神父に迫った。



 ……捧げなさい……


 打つ手の無くなった神父の耳に囁くような声が響く。

 

「これ以上、わたしは何を捧げればよいのですか!?」


 神父は天に向かって大声で叫んだ。

 


 ……あなたの握る不信仰を捧げなさい……

  

 ……自分の為に取っておいた、その弾丸を捧げなさい……

 


 神父の顔が強張った。

 

 二発残った弾丸の一つは、襲い来る敵を撃つためのものだった。

 

 そしてもう一発の弾丸は、自決の為に、残したものだった。

 

 

 ……主よ。わたしは、あの時死のうと思いました……

 

 ……瓦礫と暴力が支配する街を彷徨った挙げ句、人に、自分自身に絶望し、死のうとしました……

 

 ……しかし、わたしは……

 

 ……そこで再びあなたに出会いました……

 

 

 神父の目に、瓦礫の中に佇む、真っ白な十字架がありありと思い出された。

 

 その光景に再び涙が溢れ、二本の筋となって神父の頬を流れ落ちる。



 神父は泣きながら、自分の足元に跪いて必死に祈る少年に目をやった。

 

 神父の言葉を信じ、おそらく知りもしない神に向かって必死に助けを願う少年の姿はまさに、目に見えないものを信ずる信仰のあるべき姿のように感ぜられる。




「わたしは、不信仰と死を手放します……どうぞこの開いた手の中に、神の奇蹟を授けてください……」

 


 すると天から声が聞こえた。 


 ……その弾丸を銃に込め、あれを撃ちなさい……

 

 

 神父は弾丸の一つをポケットから取り出すと、シリンダーを開いて弾を込めた。


 銃口を真っ直ぐに悪魔に向け、少年を抱く手に力を込め、言った。


 

大聖堂の鐘ブラガヴェストニク

 


 そう呟き放った銃弾は、ガラン、ゴロンと鳴り響く天上の調べを伴いながら、巨大な光となり、醜い悪魔の身体と魂とを消し飛ばした。

 

 

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