第49話 英語で言うとタイガーホース
どこまでも続く暗い階段──それこそ奈落にまで続いていそうな地下までの長い通路を、カケルは一人淡々と下りていた。
「ここに来るのも久しぶりだな……」
過去の苦々しいあれこれを想起しながら、カケルは自嘲気味に苦笑して呟く。
前に来た時はルトの妊娠が発覚したばかりというのもあって、先代魔王──ルトの実母でもあるフレイヤに呼び出された時は生きた心地がしなかったものだが、呼び出された理由がわからないまま赴くというのも、これはこれで精神的にキツいものがあった。
「フレイヤさん、一体なんの用でオレを呼んだんだろ……? やべぇよ。超怖ぇよ。めっちゃガクブルだよお……」
泣き言を漏らしつつ、それでもカケルは歩みを止めず、フレイヤのいる地下最深部まで向かう。
正直、帰れるものなら今すぐにでも帰りたいところなのだが、後々の事を考えるなら、ここで逃げ帰るのは悪手でしかない。
それほどまでに、カケルにとってフレイヤという女性は、とてつもなく恐ろしい存在なのだ。
未だに過去のトラウマが消えないくらいに。
「いや、結局悪いのはオレだったんだけど、ヘタレチキンだったんだオレが一番悪いんだけど、それを差し引いても、容赦が無さ過ぎるんだよなあ、あの人」
あれから数ヶ月も経過しているが、こうして思い返すだけでも怖気が走って仕方がない。フレイヤと比べたら、呪いのビデオテープだとか呪われた家だなんて可愛らしいものだ。いっそ怨霊も悲鳴を上げて逃げ出すレベルだと思う。
というか。
「ミランの奴も、どうせならフレイヤさんに用くらい聞いてからオレを呼びに来たらよかったのに。結局あいつ、悪ふざけに来ただけって感じだったし」
今になってミランに対する不満をグチグチとぼやきつつ、カケルはミランとのやり取りを思い出していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「は? 今なんて……?」
と。
言っている意味がわからず、間抜けにもポカンとした表情で聞き返したカケルに、ミランは「デスから」と呆れたように嘆息を吐きながら、
「あなたに用があるから、地下まで来てほしいんデスって。先代様が」
先代様。つまりは先代魔王。
そしてルトの母親にして、現在カケルが最も苦手としている人物。
その証拠に、フレイヤが話題に上がっただけでブワッと手に汗が滲んできた。とても嫌な汗だ。
「……フレイヤさんが? なんで?」
「さあ。そこまでは知りませんヨ。ワタシは伝言を伝えに来ただけデスから」
「伝えに来ただけって……」
突然そんな事を言われても、こっちも困惑してしまうのだが。
「いや、今からルトと昼飯を食べに行くつもりだったんだけど、もしかして急な用事なのか?」
「そこまで急かしている口振りではなかったので、別に昼食を取ってからでも問題無いと思いますヨ。もっとも、胃の内容物を吐き出さない自信があればの話ではありますが」
「うぉい! 怖い事言うなよ! 行きづらくなるだろうが!」
ただでさえ苦手意識の強い人なのに、そんな事を言われたら余計尻込みしてしまう。なんなら今にも気絶してしまいそうだ。
「カケル。今から母様の所に行くのか?」
と、少し残念そうに眉尻を下げるルトに、カケルは苦笑を浮かべて、
「いや、お前との約束の方が先だし、フレイヤさんに会うのは昼飯を食べてからにするよ」
「そ、そうか……」
安堵したように、ほにゃっと和らいだ笑顔を向けるルト。トニカクカワイイ。
「あ、でも一応フレイヤさんに昼飯を食べてから行くって伝えておかなきゃな。頼めるかミラン?」
「三千ペリカで手を打ちましょウ」
「ねぇよ。そんな某地下でしか流通していないような通貨なんて」
「どのみち、地下で延々と働かせられるのにデスか?」
「いや、なんでギャンブルに負けて破産してもいないのに地下労働が決定してるんだよ!?」
理不尽にもほどがある。
「別にいいだろ伝言くらい。最近お前の治療室に、通信ができる魔法アイテムだって設置されたんだろ?」
少し前──アレス達勇者一行が魔王城を襲撃しに来た際、伝達手段の乏しさに色々と苦労を強いられた経験を生かして、各所に通信が可能である魔法アイテムを設置するようになったのだが、ミランのいる治療室にも最近になって通信ができるようになったのである。
もっとも、通信用の魔法アイテムがそもそも希少というせいもあって、まだ十全に行き渡っていなかったりもするが。
「あるにはありますし、事実今回の伝言も先代様のいる地下から通信用の魔法アイテムを通じて来たものデスけれど、しかしあの方、自分から発信する事はあっても、向こうからきた通信は基本的に受け取りませんヨ? 割と物ぐさな方なので」
「マジか……」
という事は、やはり今からでも赴いた方がいいのだろうか。どうしよう。まだ心の準備が出来ていないのだが。
「くっ。こんな時、オレに分身できる能力があれば……!」
「でもそれ、結局分身体も嫌がって、なんの解決にもならないオチになるだけではないデスか?」
うん。自分もそう思う。
「まあ安心してくださイ。いざという時はワタシが骨を拾いますから」
「え!? 死ぬの確定なのオレ!? ヤダよめちゃくちゃ怖ぇよ!」
「ではワタシみたいにゾンビになるというのは? いいデスよゾンビは。ゾンビのおかげで人生見つめ直したり、ゾンビのおかげで地元アイドルとして大成したり、ゾンビのおかげでカメラを止められないほど儲かったりする昨今デスから」
「それはごく一部の奴だけというか、そもそもゾンビという時点で色々どうかという気がしてならないぞ」
そもそも、ルトが絶対許さないと思う。横で今にも泣きそうになってるし。
「ともかく、ゾンビになるというのも無しで」
涙目になっているルトを安心させるように頭を軽く撫でつつ、カケルは言葉を紡ぐ。
「ていうか、単にお前がゾンビを増やしたいだけなんじゃないのか?」
「失礼な。そんな安易な理由でゾンビを量産しようとは思いませんヨ。ワタシは単にカケルさんの慌てふためく姿を楽しく鑑賞したいだけデス」
「いやふざけんな! なんでお前の道楽でゾンビにならなきゃなんねぇんだ!」
「それがアナタのSAGA《サガ》デスから」
「だが、その
というより、ミランの手中で踊るだけの人生なんて、それこそ死んでもお断りだ。
「まあぶっちゃけた話、死ぬような目には遭っても、本当に死ぬ事はないと思いますヨ。せっかくカケルさんがこちらの味方になってくれたわけデスし」
「死ぬような目に遭うのは変わらないのか……。鬱になりそう……」
「人生なんてハレのちグゥ、もとい晴れのち雨みたいなものデスからねぇ。いつでも快晴というわけにもいきませんヨ」
「ここ最近、特に雨続きなような気がしてならないんですけど……」
それこそ、床下浸水になりそうなほどまでに。
「……カケル。不安なら私も付いて行こうか? 私が一緒にいたら、いくら母様といえど、そこまでひどい真似はしないと思う。というより、私が絶対にさせたい!」
と、話を聞いていて心配になってきたのか、真剣な面持ちでそう言い放つルトに、カケルは少し嬉しそうに口許を緩めつつも、
「いや、さすがにそこまでやってもらうわけにはいかねぇよ。お前だって母親とケンカするような事はしたくないだろうし、なにより男として情けないにもほどがある」
そうだ。
どのみちこれは、カケルは覚悟を決めるしか問題なのだ。
おそらく向こうも、それを求めているだろうから。
「よし──っ」
パァン!
と、カケルは気合いを入れるように両頬を叩いて、ルトと向き直った。
「行ってくるよルト。なんの用かはわからんけど、一度フレイヤさんに会いに行ってみる」
「……うん。わかった。一緒にご飯を食べられないのは寂しいが、我慢してカケルの帰りを待つとしよう」
「おう。オレの分まで食べておいてくれ。お腹の子のためにもな」
言って、カケルはルトのお腹を──そこに宿る我が子を慈しむように優しく撫でた。
「よっしゃ。そんじゃ行ってくるわ」
「行ってらっしゃいカケル。くれぐれも気を付けて」
「ああ。ちょっと待っていてくれルト。それと、あとの事は頼んだぞミラン」
「任せてくださイ。カケルさんの分の昼食はワタシがすべて平らげてみせましょウ。じっちゃんの名に懸けて!」
「いやそうじゃねぇよ! ルトの事を頼むって言ったんだよ! あとお前のじっちゃん何者だよ!?」
最後の最後まで、ボケに余念のないゾンビだった。
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