第48話 そして日常へ



「今日のお昼はチキンソテーらしいぞ。副菜は生サラダとカボチャのポタージュで、デザートはフルーツゼリーとも言っていたな」

「へー。ここに住むようになってから割と経つけど、相変わらず豪勢だなー。つっても最初の内は、オレの食事にだけいつも嫌がらせのように虫やら何やら入ってたけど」

「私がちゃんと注意してからは、もう大丈夫であろう?」

「うん、まあ。料理長の首すれすれにレーザー光線みたいな魔法をぶっ放した事が注意と言えるなら、な……」

 魔王城最上階──その回廊にて。



 カケルとルトは仲睦まじく手を繋ぎながら、昼食を取るべく食堂へと向かっていた。



「あ、あれは何も本気で殺そうとしたわけではなくて、ただニンゲンというだけでカケルに悪意を向けようとした奴らが許せなくて、ついちょっと感情的になってしまったというか……。お、お仕置きのつもりだったのだ!」

「お仕置きというか、ほとんど恫喝にしか見えなかったけどなあ。ま、そのおかげであれ以降は普通に食事が取れるようになったわけだから、そういった意味ではルトに感謝しなきゃいけないんだろうけど」

「感謝なんて……私は当然の事をしたまでだ。だ、だってカケルは、私の大切な人なんだから……」

 と恥ずかしそうに頬を赤らめながら、囁くような声音で呟くルト。いつも通りのめっちゃ可愛いデレっぷり、ありがとうございます。

「でも、あいつらの気持ちもわからんでもないけどな。突然紹介された魔王の伴侶候補がまさかの人間だったどころか、この城で何度も戦ってきた勇者だったわけだし。そうそう簡単には割り切れんだろ」

「だが、城の者にカケルを紹介してからもう二カ月近く経つのだぞ? いくら相手が元勇者とはいえ、この私が選んだ男なのだ──そろそろ慣れてもらわねばいい加減困る」

 そうなのだ。

 ルトの妊娠が発覚してから早三ヶ月。

 アレス達が来襲して、その後本格的にルトがカケルを伴侶として紹介してから二ヶ月近くが経とうとしていた。



 ──そっか。もうなんだかんだで三ヶ月も経つのか。なんか色々あり過ぎたせいで、一つ一つのシーンが鮮明に思い浮かべられるなあ。



 まあそのほとんどがトラウマになるような出来事ばかりなので、思い返すだけで胃がキリキリと痛んでくる始末ではあるが。

 とはいえ、決して悪い事しかなかったわけではなく、むしろそういった苦難を乗り越えた上で今こうしてルトのそばにいられるのだから、その過去を忘れる気にはなれない。

 いや、絶対忘れてはいけないのだ。



 ルトとのこれまでの軌跡を──



 ──そう考えるとなんかめちゃくちゃ濃厚な時間を過ごした事になるわけだが、実質ルトの妊娠がわかってから三ヶ月しか経ってないんだよなあ。ぶっちゃけ単行本換算で二、三巻は費やしたような気がしてならないが……。



 しかもこれ、第2話の続きなんだぜ?

 おまけにその第2話以外、全部回想だったんだぜ?



「……なんかそう考えると、ダイナミックなコードくらい回想しまくってんな……」

「? 何が回想しまくっているのだ?」

「ああいや、なんでもない。単なる現状確認だ」

 というよりは、読者様に向けての説明も兼ねたメタ発言です。

「しかし、そっかあ。三ヶ月かあ。ほんと、色々あったよなあ」

 密かに魔族から命を狙われたり。そのオイタをした魔族に対し、容赦ない怒りの鉄槌を下したルトにガクブルしたり。でも二人っきりの時は可愛い甘えてくるルトとイチャイチャしたり。たまにニャンニャンもしたり。

 まあ概ね、ルトと蜜月な時間を過ごしておりました。

 羨ましいか、日本全国の喪男どもよ。



 ──これが、リア充だ!!!!!!



「ふっ。敗北を知りたい……」

「……? 『敗北を知りたい』って、今まで何度も私に負けてたような気がするぞ?」

「いや、そういうフィジカルな話じゃなくて……まあいいか」

 そもそも、女の子に振られた経験なら二桁を超えているので、ある意味敗北を知っている身だったりもするが。

 せっかくこんな美少女をめとる事が出来たのだ。ちょっとくらい天狗になってもいいではないか。

 それに、少し前まで散々大変な目に遭ってきたのだ。だからその分、これからはルトと共にハッピーでシュガーなライフを送りたいと願ってもバチは当たるまい。

 ルトの中に新しい命が宿っている今、なおさら強くそう思う。



 ──そういやここ最近ルトの奴、日増しに可愛くなってきてるよなあ。これも母性のなせる技ってやつなのかね?



 具体的にどう可愛くなってきているのかの言うと、顔は元々として、時折慈愛溢れる表情を見せたり、ちょっとした仕草がすごく女性らしくなっていたり、今着ている白のブラウスだって、所々刺繍が施されていて、密かにセンスの良さが窺えた。

 妊婦ともなると着れなくなる服が増えて苦労するという話をどこかで聞いた事があるが、ルトはその逆のようで、ふと思い出したようにほんのりと膨らんだお腹を優しく摩っては、幸せそうによく微笑を零している時も多い。きっとこうしている過ごす時間が愛おしくてたまらないのだろう。

 そんなルトもまた可愛いというかドキがムネムネするというか、兎にも角にも愛情度が上限を知らずに上がる一方のカケルなのであった。

 と、すっかり脱線してしまった。話を戻さねば。

「でもまあ、確かにルトの言い分も一理あるよな。ここみたいな最上階だとオレやルト以外に誰かが来る事もあんまなくて比較的気楽だけど、ずっとここにいるわけにもいかないし。いざという時にはここにいる魔族と共闘して侵入者を追い出す必要も出てくるだろうしな」

 ルトと添い遂げる事を誓った以上、カケルにはこの魔王城を守らなければならない責務がある。決して魔族側に傾倒したわけではないし、言わずもがな人間側に仇なすつもりなんて微塵もないが、さりとて、あくまでもそれはこちら側の事情であって、向こうはそういうわけにはいかない。



 アレスの時と同様、真実を話したところで信じてもらえる保証はないし、きっとこれからも人間側は魔王を倒すべく勇者達を送ってくるに違いないのだから……。



 幸いと言うべきか、アレスが来襲してきてからは一度も他の勇者達が攻めてきた事はないが──そもそも、そんな簡単に侵入できるような城ではないのだが──今後も続くとは限らない。魔王城が侵入されてからはすぐに軍備を見直して、部隊の増員ならびに各所の罠の設置など色々強化を図ったようだが、これだって絶対に安心だとは言い難い。

 いつかまたアレスが逆襲しに来る可能性だって十分にあるし、カケルとしても魔王城にいる魔族たちと今の内に連携を取り合えるだけの関係になっておきたいところだ。

「私としては、あの時みたいな無茶はしてほしくないのだが……。けど私が止めたところで、カケルは言う通りにしないんだろうな……」

「当然だろ? この城の要っていうのもあるけど、その……なんだ。お前はオレの一番大切な奴なんだからさ」

「カケル……」

 照れ臭くなって思わず目線を逸らしたカケルに、じ〜んと感激したように瞳を潤ませて頬を赤らめるルト。我ながらかなり臭いセリフを吐いてしまった。

「……ん。カケルがそう言うなら、私はそれを尊重しよう。夫を信じてその背中を押すのも、妻として大事な役目だ」

 まだ正式な夫婦じゃないけどな、とカケルは苦笑しつつ、

「そういえば、夫婦の儀式もいよいよ来週かー。ルトの体調が安定するまではって話だったけど、いよいよって感じだなあ」

 当初は、魔族達にカケルを紹介した時点で早めに式を挙げる予定(ルト曰く)だったらしいのだが、ルトの体調や魔族達の動揺を考慮してしばらく間を空けた方がいいというミランの助言もあって、この時期まで伸びてしまったのだ。

 そういう事情もあってか、ここ最近のルトは妙にそわそわしているというか、遠足前の園児のようにワクワクしている様子を度々見かけるようになった。

 式の延長が決まった時はかなりがっかりしていたし、ずっと待っていた分、なおさら嬉しいんだろう。

 現に、こうして一緒にいる間にも、

「儀式かあ。ふふ、お父さんとお母さん、もうすぐ本当の夫婦になるんだよ?楽しみだね〜」

 と頬を緩めながら、お腹にいる子に語り聞かせていた。

 その様子がどこにでもいる普通の妊婦さんのようで、現役の魔王である事を忘れてしまいそうなほど温和な雰囲気に包まれていた。

「ま、何事も無けりゃいいんだけどな。なんか儀式の途中で一悶着ありそうで、今が怖いぜ」

「そんな事、私が絶対にさせない! 式に参加する魔族もちゃんと大丈夫そうな奴を選ぶ予定だし、もしも式を荒らそうとする不逞な輩がいたら、私が直々に折檻してやる! 悲鳴を上げる気すら無くなるくらいに!」

「な、なるべく穏便にな?」

 ビキビキと指の関節を鳴らして酷薄に笑むルトに、顔を引きつらせながらフォローを入れるカケル。

 やっぱこの子、間違いなく魔王だわ。

「それはそれとして、儀式の予行練習とかしなくていいのか? 今日まで何も聞いてないんだが」

「ミランが言うには、式の前に少しだけ打ち合わせをするらしい。要は当日までのお楽しみという事だと思う」

「そっか……。そういえば、儀式の統括責任者はミランだったな」

 実際のところ、こういった重要な儀式は、もっと上層部の者が任されるのが普通らしいのだが、ルトたっての希望でミランが責任者に選ばれ、こうして今に至る。

 正直、こんな大それた式典は初めてだし、何も聞かされないままではいるのは不安でしかないのだが、誰よりもルトの幸せを願っているミランなら、たぶん大丈夫だろう。

 ……奴の事だから、何かしらカケルにイタズラを働く可能性もなきにしもあらずだが。

「うん。大丈夫……だよな? 式の途中で突然巨大ロボットに乗って花嫁を掻っ攫っていったり、まして悪魔や邪神を召喚したりして、後々『大講堂の惨劇』とか呼ばれたりしないよな……?」

「……不安なのか? 儀式が上手くいくかどうかで」

「不安っつーか、ミランがネタに走らないかどうかが気掛かりというか……」

「いくらミランでも、そんな無粋な真似はしないと思うぞ? ついこの間だって『カケルさんに二発殴られたようなメイクをすれば、きっと客にウケる事間違いなし……!』とか真剣な表情で言っていたから」

「完全に遊ぶ気満々じゃねぇか!」

 やはり今からでも、あのゾンビを即刻解雇すべきじゃないだろうか。

「安心していい。ミランの事だから、どうせ冗談で言ったのだろう。だが儀式の準備を進めている時のミランは、心から私達を祝福してくれているような、そんな活き活きとした表情をしていたぞ? だから心配しなくとも大丈夫だ」

 活き活きとしたゾンビって、何か矛盾してなくね? などと心中でツッコミを入れつつ、一拍置くように軽く吐息をついた。

「ま、ルトがそこまで言うならオレも信じるけどさ。オレだってあいつとは知らない仲じゃないし。けどそれとは別に、やっぱ人前に立って形式ばった事をすんのは緊張すんな〜。あんまそういった式に自分が主役として出た経験もないし」

「……じゃあ、本番で緊張しないよう、今の内に練習してみるか?」

 と、上目遣いで訊いてきたルトに「練習?」とオウム返しに言うカケル。

「うん。夫婦の儀式といっても、そこまで堅苦しいものでもないし、よくニンゲン達がやっているような結婚式とさほど変わらないと思うが、カケルがそこまで心配と言うのなら、予行練習に付き合ってあげてもいいぞ。その方がお互いのためにもなるだろうし」

「予行練習かー。たとえば、どんな練習をするんだ?」

「そ、それは……。キ、キ……」

「キキ? あ、箒に乗って飛ぶ練習とかか? いくらなんでもオレみたいな魔法が使えない奴が乗ったら普通に落下して箒が折れるつーか、それって夫婦の儀式となんか関係あんの?」

「そうじゃなくて! わ、私が言いたいのは……その……」

 またしても口ごもってしまったルトに──しかも何故だか顔を赤らめて──カケルは首を傾げつつ辛抱強く待っていると、ようやく意を決したように伏せていた顔をこちらに向けてこう言った。



「キ、キス! とか……」



 キス。

 スズキ目スズキ亜目キス科の魚類であり、主に浅い沿岸部に生息している。食用としても人気で、魚料理の中でもメジャーな種類の生物である。

 なんて事を言いたいのではなく、もちろんルトが言うキスが魚ではなく接吻の方だというのはすぐに理解できたが、たかがキスの一言でここまで恥じらいを見せる必要なんてあるのだろうか。キスなんて、それこそ今まで何度も交わしているというのに。



 ──普通に手を繋げるようになっても、そのへんはまだまだウブっつーか乙女だよなあ。そこがこいつの可愛いところでもあるけど。



 うん。ちょっとノロケてみたけれど、自分で言っていてちょっぴり恥ずかしくなってきた。慣れない事はすべきではない。

 それはさておき。



 キス。

 または接吻。チュー。



 まあ結婚式に近い事をするならば、当然誓いの証としてキスも交わしたりするのだろうが、あくまでもそれは人前を前提にしたもので、こんな誰もいない所でズキュウウウンと唇を重ねても意味が無いというか、いつもしている事と何も変わらないのではないだろうか。

 と疑問視してみたものの、当人は頬を赤く染めながらも期待するかのようにチラチラとこちらの動向を窺っている。

 察するに、

『キスとは言ったものの、自分からはなんだか恥ずかしいし、カケルの方からしてくれないかなー?』

 とでも言ったところか。

 なんだかもう、練習とか関係なく単にキスがしたいだけなんとちゃうか? という気がしてならないのだが、求められているのなら男として期待に応えてやりたい。

 とはいえ。



 ──今は誰もいないけど、たまに上層部の奴が通る時もあるからなあ。下っ端なら大して気にならんけど、上の立場の奴だと後々顔を合わせた時に気まずくなりそうだし……。



 キス自体はどうせ夫婦の儀式の時に否応なく見せる事になるだろうが、ああいった形式上のものではなくプライベートの時に見られるのとでは話が違ってくるというか、向こうからしてみればもう少し人目を考えろよと思われかねないのではなかろうか。

 それこそ「俳句を詠め」と辞世の句を求めてくるくらいには。

 さて、一体どうしたものか。ルトの気持ちに応えてやりたいのは山々だが、さりとて先述のような「もしも」の事態を考えると、やはり軽薄には──



『何を迷う必要があるんだ、カケル』



 と。

 カケルに瓜二つのミニチュアなサイズの悪魔が、さながらアニメやマンガのような表現でひょっこりと頭の中に浮かんできた。

『男ならさっさとキスしちまえ。キスをせがんでる女に恥をかかせるなんて、男として失格だぞ。さあ、わかったなら早く、眠れぬサムライの魂を呼び起こすくらいの情熱的なキスをしやがれバーローめ!』

『──お待ちなさい、カケル』

 と、テンション上げ上げで迫る悪魔に対し、悪魔同様どこからともなく出現したカケル似の天使が、意義を唱えるかのように眉根を寄せながら声高に告げた。



『ついでにおっぱいも揉んじまえ!』



 よし、キスしよう。ついでにおっぱいも揉んじまおう。

 というわけで。



 何の宣言もなく、カケルは瞬時にルトを壁際まで追い込んで、その小さな唇に自身の唇を強引に押し当てた。



「────っ!?!? んっ…………」

 唐突なカケルのキスに、少しの間狼狽したように身悶えするルトであったが、やがて状況を理解したのだろう──カケルに身を委ねるように、ルトもカケルの肩に手を添えて静かに瞼を閉じた。

 これでもう何度目になるかもわからない濃厚なキス。ただキスを交わす事に愛が増してくるような──胸の中に春の木漏れ日のような温かな感情が染み渡ってくる。

 しかし、それ以上に突き動かされる思いが──激情があった。

 それは、こうしている間にも噴水のように湧き出ていて、カケルの中の団長が「止まるんじゃねぇぞ……」と小声で囁いては次の行動を急かしていた。



 おっぱいを揉め! と。

 ルトのおっぱいをめちゃくちゃに揉みしだくのだ! と──。



 カケルの好きな四文字熟語は「有言実行」と「即日実行」。

 そこに魅力的な乳房があるならば、揉まないなんて選択肢は最初から存在しないのだ!!!!!



 そんなわけで──

「んう!? んんん〜っ!」

 突如接吻したまま片側の胸を鷲掴みにしてきたカケルに、まなこを見開いて驚愕を露わにするルト。

 さすがのルトもこれには抵抗を禁じえなかったのか、強引に顔を背けてカケルから唇を離した。

「ぷはぁっ。か、カケル……? いきなり何をして──」

「イヤか? イヤなら止めるけど」

「い、イヤじゃないけど……」

「じゃあ、続けてもいいんだよな? 続けていいんなら、今度はお前の方からキスしてくれよ」

「ふぇ!? わ、私から!?」

「だって、ここ最近はオレの方からばっかりだし。あーあ、たまにはルトの方からキスしてほしいなあ。そしたらもっとルトの事が好きになるになあ」

「……ほんと?」

 チラッと可愛いらしく上目遣いで訊ねるルトに、

「うん。ほんとほんと」

 とカケルは爽やかな笑みを浮かべて応える。

 内心「陥落おちたっ!!」と歓喜しながら。

 というかぶっちゃけ、そのたわわに実ったおっぱいを揉みたいという気持ちの方が圧倒的に強いのだが、マジLOVE2000%くらい好き好き大好き超愛しているのは紛れもない事実だし、もうじき夫婦にもなるのだからこれくらいは許されてしかるべきだろう。某大作ゲームの勇者だって、よくぱふぱふを嗜んでいたくらいなんだし。

「じ、じゃあ、がんばりゅ……!」

 ややあって、決心が付いたようにグッと胸の前で拳を作るルト。そんなルトに「おお、がんばれ」とカケルもエールを送る。

 そうして、躊躇いがちに目線をキョロキョロさせつつ、頬を上気させながら、ルトはつま先立ちになってゆっくり唇を押し当てた。

 再び重なる唇と唇。一度目と何も変わらないはずのそれが、今回は一層熱く感じられる。たまに擦れ合う互いの鼻や頬──そして吐息までも熱を帯びていて、なんだか肌よりも心の方がくすぐったい。

 それはルトも同じようで、ふと絡み合う視線の中で、時折喜びに満ちながらもこみ上げる羞恥心にぐっと堪えているかのような濡れた瞳を覗かせていた。

 それがまた愛おしくて可愛くて──自然と交わすキスの回数も増えていく。もう今日だけで何回キスしたかも覚えていないくらいだ。

 そうして、互いの気分が最高潮に盛り上がってきたところで、カケルの両手も再びルトの胸へとゆっくりと伸びていき──



「うわー。こうして間近で見るとなかなかの迫力デスね〜。正直ちょっと引きますワ〜」



 と。

 不意にそんな間延びした──そして何より聞き慣れた抑揚のない声が、足元付近から聞こえてきた。

 いや、正確に言うならば──



 カケルの股下から、いつもの眠そうな表情をしたミランが、ひょっこりと顏を出してこちらを眺めていた。



「あばばば────っ!?」

 突如、なんの前触れもなく現れたミランに、脊髄反射的に後ずさって驚愕の声を上げるカケル。

 それはルトも同様で、さながら頭文字がGの虫を思わせるその登場の仕方に、

「な、ななな何をしているのだミランっっ!」

 と、熟れたトマトのような顔で激昂した。

「何って、見ての通りデスよ。下からルト様とカケルさんの熱いキスを観察させていただいておりましタ。いやー、なんだか見ているこっちまでなんだか火照ってきましたヨ。ワタシの体の一部がHOTHOT《ホットホット》しそうデス」

 お前は一昔前の藤井隆か。

 そもそも、女であるお前の体にHOTできるような一部などない。

 いや、この際そんな事はどうでもよくて。

「お前、一体どこから現れてんだよ!? つーか、なんでオレの股下から!?」

「カケルさんのムスコさんがどれくらい興奮しているか間近で見たくて、つい潜ってしまいましタ。これだけ元気にテントを張れるようなら、もう腹部のケガは大丈夫そうデスね〜」

「オレのムスコでケガの具合を確認すんな! つーかお前がいきなり現れたせいで一気に萎えたわ!」

「勃ち上がレ! カケルさんの分身!」

「やかましいわ! そもそもお前、一体いつからそこにいたんだよ!?」

「アナタがルト様に接吻をかましたあたりからずっと股下にいましたヨ? もちろん、ルト様のパイオツをぐわしっと掴んでいたところもばっちりデス」

「それならもっと早くそう言えよおおおおお〜!」

 こいつがいると知っていたら、ルトの胸を揉んだりなんてしなかったのに! おかげで恋人とイチャイチャしているところを家族に目撃されてしまったような気まずい気分を味わってしまったではないか!

「別にそこまで恥ずかしがる必要なんてないと思いますがネ〜」

 言いながら、ミランは「よいしょ」とカケルの股下から退いて、白衣に付いた埃をはたきながら立ち上がった。

「アナタのムスコなんて、それこそカケルさんが瀕死の状態で病室に運ばれた頃から何度も見ているんデスから」

「うっ。まあ、それもそうなんだろうけどさあ……」

 とはいえ、あれは不可抗力というか意識が無い時だったし、こうして元気なところ(体調だけでなく、ムスコの方も含めて)を見られるのは、やはり羞恥を感じずにはいられない。

「しかし、相変わらずのラブラブっぷりデスね〜。カケルさんが正式にルト様と婚約なさってからは特に」

「あー。言われてもみればそうかもな」

「言われなくともそうなんデスよ。今だってワタシの前だというのに恋人繋ぎをしているじゃないデスか」

 ミランに指摘されて、初めてルトと手を繋いでいた事に気付いた。

 おそらくどちらからともなく無意識下に繋いでしまったのだろうが、もう考えるより早く体が勝手に動くようになってしまっているようだ。

「いや、これは習慣というか、別にワザとやっているわけじゃないぞ? なあ、そうだよなルト?」

「そ、そうだぞっ。何もミランに見せつけているわけじゃないぞっ」

 などと反駁しながら、小動物のようにカケルの背にさっと隠れるルト。ルトが可愛くて可愛くて震える。

「まるで説得力に欠けるんデスが。もしやとは思いますがアンタら、日頃からこんな人目が付きそうな場所でやらしい事に励んでいたりしませんよネ?」

「し、してねぇし。今回はたまたまだっつーの」

「本当デスかね〜? スケベなカケルさんの言う事デスからね〜。いつもルト様に嫌な顏されながらおパンツ見せてもらいたいとか頼んでいるんじゃないんデスか〜?」

「んな事するか! だいたいそんな事頼むくらいなら、もっと嬉々とした顏でおパンツ見せてもらうよう土下座して頼むわ!」

「なんだこの変態」

「か、カケルがどうしてもと言うなら、私は構わないぞ……?」

「マジで!? よっしゃ! じゃあまた今度頼むわ!」

「なんだこのバカップル」

 いけない。疑惑を晴らすつもりが、返ってミランの疑心を深めてしまった。

 そんなこんなで、すっかりジト目どころか死んだ魚みたいな目で虚ろな眼差しを向けてくるミランに、

「いや、いつもこんな感じというわけじゃないから! 今回はたまたまこうなっちゃっただけだから!」

 と、カケルは弁解を口にしつつも気まずげに顔を逸らした。汗が滝のように流れて止まらないのは何故なんだぜ?

「……はあ〜。本当に気を付けてくださいよ? ただでさえ大事な時期なんデスから」

「わ、わかってるって。妊娠中のルトにあんま無茶させんなって事だろ?」

「それもありますが、それだけではなくて、ワタシが言いたいのは儀式の方デスよ、儀式」

「儀式って、夫婦の儀式か?」

「むしろ、それ以外に何があるとお思いで?」

「…………両儀りょうぎ──」

「それは人名デス」

 全部言い終わる前に突っ込まれた。

 何だろう。この胸にポッカリと穴が空いたような気持ちは……。ギャグが不発に終わるのって、こんなに辛いものだったっけ……?

「ワタシ、ポカリよりはアクエリ派なんデスよねぇ」

「ポカリじゃなくてポッカリだわ。つーか、そんな冗談よりも夫婦の儀式が一体どうしたよ?」

「心を読んだ件に関しては、もはやスルーで通すんデスね」

 そもそも、先に冗談を言ったのはそっちなんデスけどね、とミランは肩を竦みつつ、

「ワタシが言いたいのは、儀式を前にあまり軽率な行動を取らないでほしいという話デスよ。知ってまス? カケルさんがどれだけ魔族に嫌われているか。表立って怨嗟をぶつけてくる事はなくとも、裏では嫉妬と憎悪にまみれた言葉で溢れていたりするんデスよ? 最上階は魔族の出入りが少ないので、カケルさんは直接耳にした事はないでしょうけど」

「ま、マジ? いやまあ、なんとなく雰囲気で察してはいたけど……」

「正直に申し上げて、カケルさんの陰口を聞かない日はありませんヨ? ワタシの診察を受けている間にも、悪口とまではいかなくても、不満を垂らす患者も少なくありませんから」

「そうか……」

 大多数がカケルに反感を抱いているだろう事は想像に難くなかったが、こうやって改めて事実を聞かされると、やはり落ち込むものがある。

「みんな、私とカケルとの仲を快く思っていないのだな……」

「ルト……」

 ぎゅっと傷心に堪えるように力強く手を握ってきたルトに、カケルも慰め合うように優しく握り返した。

「だからこそ、ちゃんと夫婦の儀式を成功させて、城にいる魔族達に認めてもらう必要があるんデス。さすがに全員は無理だとしても、せめて三分の一だけでも理解者を得たいところデスね。これからの事を考えたら」

「三分の一か……。それでもけっこう厳しい数字だよな」

「デスね。まあ奥の手がないわけではないのデスが」

「え、奥の手なんてあったのかよ? じゃあ、もしもの時はそれを使っちゃおうぜ! ここぞという時のための切り札なんだし!」

「う〜ん。あんまりお勧めはできないんデスがねぇ。ちょっと面倒な手ではあるので」

「現状、魔族全員を敵に回す事の方がよっぽど面倒だろうよ。ほらほら、もったいぶらずに早く話してみろよ」

 「仕方ありませんねェ」と根負けしたように嘆息を吐きつつ、ミランはおもむろに懐から小瓶(それも奇妙な形をした一口サイズの白い形状が瓶いっぱいに入っている)を取り出した。

「なんだそれ? 錠剤か? なんか小さい白い魚みたいなのがエビみたいに逆反りになってんだけど」

「その名も『ダイバナナフィッシュ』と言って、相手に飲ませる事で自由に動かせられるという代物デス。そのかわり、意識混濁、闇堕ち、スタァライトされてしまうなど、副作用がてんこ盛りデスがね」

「完全に麻薬によるマインドコントロールじゃねぇか!」

 ちょっと面倒で済まされないレベルの切り札だった。

 ていうか、最後の『スタァライト』というのは何なんだ。光に包まれながら死ぬとかか?

「デスから、こんな手を使わずに済むよう、カケルさんとルト様には頑張ってもらわないと」

「お、おう。具体的に何をすりゃいいのかわからんままだけど」

「本番前日に大まかな説明を致しますので、その時までお待ちくださイ。変に台本を用意してしまうと、言動が芝居がかってしまって、却って猜疑心を持たれかねませんから。本音ではない言葉に、誰も心なんて動かされませんしネ」

「……なるほど。とどのつまり、本番一本勝負ってわけか。わかってはいたが、こりゃ責任重大だな……」

「──大丈夫だ、カケル」

 と、不安がるカケルに、ルトがぎゅっと優しく包み込むように抱き締めた。

「これくらいの苦難、これまでの艱難辛苦に比べたらどうという事もない。私とカケルなら、きっとどんな事でも乗り換えられる」

「ルト……」

 穏やかに微笑むルトに、カケルもふっと口許を緩めて、そっと抱き締め返した。

「そう、だな。そうだよな。オレとお前なら、何だって出来るよな。だってオレとルトは、世界最強のカップルなんだからさ」

「カケル……」

「ルト……」



「──では、早速一つ乗り越えてもらいましょうか」



 と。

 最高潮に盛り上がっている最中、突然ずいっと顔を目の前近くまで寄せて来たミランに、カケルは思わず「どぅわあっ!?」と反射的にルトから離れた。

「みみみ、ミランっ! だからそうやっていきなり接近するな! で、私達に何を乗り越えろと!?」

 よほどカケルとの抱擁を邪魔されたのが面白くなかったのか、驚愕半分立腹半分といった様相で顔を真っ赤に声を荒げるルトに、

「いえ、用があるのはお二人ではなく、カケルさんの方だけデス」

「え、オレ?」

 きょとんと自分を指差すカケルに、ミランはコクリと首肯として、

「元々ここに来たのも、とある人に言伝を預かったからなんデスよ」

「……? とある人って?」

 オウム返しに訪ねるカケルに、ミランは一拍置くように「こほん」と咳払いしたあと、珍しく真剣な面持ちでこう厳かに告げた。



先代フレイヤ様が、カケルさんをお呼びのようデス」



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