第47話 それぞれの思惑の中で



 夜空に燦然と広がる満天の星々。周囲はさながら深淵の闇の中にでもいるかのように暗く、頼りになるのは星空の輝きだけだった。

 それもそのはず。



 なぜならここは陸地すら見えない大海原──海洋上に浮かぶ貨物船から見た景色なのだから。



 その船の上──正確には魔法アイテムによって照らされたデッキで、アレスは一人、漆黒の海をぼんやりと眺めていた。

 辺りに人は一切おらず、聞こえるのもせいぜい波の音だけ。一応船内もまだちらほらと灯っている場所もあるので、当然船員はこうしている間も働いているのだろうが、なにぶん時間帯的にはそろそろ寝床に入る頃なので、周囲が静まっていて当然と言えた。

 しかもここは貨物船──普段は船員でもない人間を乗せる事のないこの船の上で、特別に客として乗せてもらっているのはアレス達三人だけ。そんな中、代わり映えしない真っ暗に包まれた海洋の上をわざわざ景色を眺める物好きなど、アレスぐらいしかいなかった。

 そのアレスはと言うと、先述にもあった通り、特に何をするでもなく、手摺りにもたれかかって視線を遠退かせているだけ。しかもかれこれ二時間近くもこうしているのだから、かなりの身の入れようだった。

 まあ身を入っていても、心はここにあらずと言った感じではあるが。



「──アレス様。」



 と。

 依然として物思いに耽るアレスの背中に、ふとそんな声が掛けられた。

 ゆっくり後ろを振り向く。するとそこには、普段通りの無表情な女の子──リタがひっそりと佇んでいた。

「ここにおられたのですね。数時間前に外の風に当たってくると仰ってからなかなか帰ってこられないので、心配しておりました。」

「ああ、ごめんねリタ。色々と一人で考えたい事があってね……。ところで、カンナの様子はどうだい?」

「先ほど目を覚ましました。ここで頂いた回復アイテムがよく効いているようで、最初の頃と比べれば随分と良くなっていますよ。」

「そうか。それは何よりだ」

 一時は深手を負って意識もない状態が続いていたのだが、もう心配する必要もないくらい元気になってくれたようで、心底ホッとした。

「あれから、もう四日か……」

 依然として物思いに耽った眼差しで、アレスは嘆息混じりに呟く。

 難攻不落と言われている魔王城から命からがら逃げ延びて、どうにかこうして死者も出さずに済んだが、改めて無事でいられている状況が不思議でならない。

 魔王の親族と思わしき銀髪の女性に交換条件で見逃してもらえた事もそうであるが、重傷を負ったアレス達を快く貨物船に乗せてもらえた上、傷付いた自分達に回復アイテムまで頂いて、人の優しさが身に沁みたというか、運に恵まれて良かったと思うばかりだ。

 しかもこの貨物船、普段は十四日に一度しか来ないらしく──ちなみにアレス達が闇の大陸まで向かった時は、別の船だった上にかなり無理を言って乗せてもらった。なんせ魔族が蔓延る危険地帯なので、誰も好き好んで来たがらないのだ──もし少しでも発見が遅れていたら、危うく乗り損ねるところであった。

 それに、戻りの船なんて全然考えてなかったので──魔王を倒すまでは帰るまいと決めていたのだ。結局おめおめと帰る羽目になってしまったが──最悪乗船できていなかったら、カンナの状態は今より一層悪くなっていた事だろう。当初は船なんてそうそう見つからないだろうと半ば諦めの境地で海のある方角に向かっ楽しみだが、偶然にもこの船を見つけられて本当に良かった。

 まあ、あの時のカンナの傷も、下手をすれば致命傷になっていたはずのものなので、本来ならば生きている事の方が奇跡的なのかもしれないが。

「……………………」

 四日。

 魔王とのあの苛烈を極めた死闘から、すでに四日。

 信じられないが、あれからもう四日も過ぎたのだ。

 今でも昨日の出来事のように鮮明に思い出す、あの時の光景。

 カンナが──大切な人が目の前で傷付けられる、あの悲痛な光景を。

 そして何より、そんな様をただ見ている事しかできなかった、己の情けない姿を。



 ──ろくに従者を守れなかったどころか、千載一遇のチャンスを自ら手放して魔王城から逃げ帰ってきた勇者、か。みんなが聞いたらどれだけ呆れる事だろうか。



 いや、決してあの時の判断を──下手をすれば突然現れた魔族の女に皆殺しにされていたかもしれない状況の中で、向こうから提案してきた休戦を呑んでしまった事を、今になって間違っていたなどとは言うつもりはないが、さりとて微塵も後悔はないのかと問われたら、口を噤みざるをえなかった。

 なぜなら、仲間達の命を引き換えにさえしていれば、魔王を屠れていたのかもしれないのだから。



 詰まるところ、アレスは世界の平和よりも、リタやカンナを選んでしまったのだ。



 これが自分の命だけで済むなら迷いなく魔王を討っていたのだが、大切な者の命を天秤に架けられては、やはり主人として仲間達を優先せざるをえなかった。

 たとえそれが、勇者として間違えた選択だったとしても。

「アレス様。」

 と。

 自己嫌悪で知らずに爪が食い込むほど握りしめていたアレスの拳を、リタがふっと穏やかに両手で包み込んだ。

「あまり自分を責めないでください。」

「リタ……」

「アレス様が何を悩んでおられるか、大体想像が付きます。ですから、もうこれ以上気に病まないでください。私は……私とカンナさんは、アレス様の判断を誰よりも尊重しています。確かに絶好の機会を逃したのは悔やまれますが、それでも私達はこうして生きています。アレス様のおかげで、こうして生きていられています。だからもう、ご自身を責めないでください。あなたは何も間違っておりませんから。」

 笑みこそ浮かべてないが、春の木漏れ日のような温和な瞳を向けるリタに、アレスは感極まった声音で呟く。

「いけないな、僕は。従者にここまでいらない心配をかけてしまうなんて……」

「いらない心配だなんて……。従者ならば──アレス様のためならば、当然の事です。」

「頼もしい限りだね。けれどやはり主人として、これ以上醜態を晒すわけにもいかないな。今からカンナと顔を合わせるなら尚更ね」

 言って、アレスは気合いを入れるように両頬を叩いた後、マントを靡かせつつ華麗にきびすを返した。

「そろそろ戻ろうか。きっと落ち込んでいるだろうカンナに、僕らの元気な姿を見せて励まそうじゃないか」




 自分達が泊まっている部屋に戻ってみると、そこには今の今までずっと意識がなかったカンナが、簡易ベッドの上で横になった状態のままで、こちらの方へと弱々しく視線を向けてきた。

「アレス、様……」

「おはようカンナ。リタから聞いたよ。ついさっき目を覚ましたんだってね」

 ベッドのもそばに置いてある丸椅子に座ったアレスに、

「はいっス。ご迷惑を掛けて申し訳ないっス……」

 と、カンナは意気消沈した面持ちで謝った。

「迷惑だなんて、そんな事これっぽっちも思ってないさ」

 カンナの謝罪に緩く首を振りつつ、アレスは努めて明るく言葉を返す。

「それよりその様子だと、リタから事のあらましは聞いているようだね」

「はいっス。かいつまんだ内容だったスけど、大体の話は聞いたっス。ウチの失態のせいでアレス様を不利な立場に陥らせてしまったというのも……」

「私は別に気にする必要はないと言ったんですけどね。まったく、カンナさんは仕方ない人です。」

 と憎まれ口を叩きながらも、気に掛けるように横目でカンナを見やるリタ。素直ではないが、いつになく暗い表情を浮かべるカンナの事が心配でならないようだ。優しい子である。

「リタの言う通り、カンナは何も気に病む必要はないさ」

 同じ事を先ほどリタにも言われたばかりだなと、逆の立場になっている状況に苦笑を零しつつ、アレスは穏やかな口調で言の葉を紡ぐ。

「君は僕の期待通りに動いてくれた。それどころか予想以上に働いてくれて、感謝の仕様がないくらいだよ。だからカンナは何も失態なんてしていない。むしろ自分の行いを大いに誇っておくれ」

「……っ。アレス様……!」

 アレスの言葉に、感激で目尻に涙を溜めるカンナ。そしてすぐその涙を袖で拭ったあと、

「わかりましたっス。ウチ、もう落ち込むのはやめるっス。そんですぐにこんな怪我なんか治して、また全力でアレス様に仕えられるよう頑張るっス!」

 いつもの天真爛漫な笑顔を浮かべるカンナに「うん。心待ちにしているよ」とアレスも微笑み返す。この分だと、怪我の状態も含めて、もう心配する必要はなさそうだ。

「あ、もちろんリタにもすごく感謝しているよ? いつもありがとう」

「──! ああいえ、そんな勿体ないお言葉……」

 アレスの何気ない褒め言葉に、真横に立っていたリタは若干頬を赤らめつつ低頭した。無理にクールを装っているが、こういう気を許した人間にだけ見せる表情がとても愛おしく感じる。

 それは言わずもがな、いつも賑やかに場を盛り上げてくれるカンナにも言える事で、本当に二人には勇気と元気をもらってばかりで、自分は果報者だと心から思う。



 ──だからこそ、今度はこの二人を守り切れるだけの力を身に付けないといけないね。もう二度とあんな目に遭わせないためにも……。



 今回の戦いで、自分の力不足をまざまざと痛感させられた。

 いや、どちらかと言うと魔王の力が噂よりも遥かに尋常ならざるものだったという理由の方が大きいが、なんにせよ、今のままではてんで歯が立たないだろう。一時は魔王にトドメを刺せそうな瞬間も何度かあったが、あんなのは偶然の産物──所詮は単なるラッキーパンチだ。次もまた起きてくれる保証なんてどこにもない。

 しかも魔王のそばには、あの自分と同じ勇者の男だっているのだから。



 ──勇者の男、か。どうやら魔王とはただならぬ関係のようだけど、まさか子供まで作っていたなんてね……。



 初めて勇者の少年──カケルと相対した時は、てっきり魔王に誑かされているのだとばかり思っていたが、すぐにはそれは間違いだと気付かされた。

 カケルの魔王への想いは紛れもなく本物だった。

 そしてその逆──魔王が抱くカケルへの愛も。

 人間が魔族と夫婦になるなんて、はっきり言って正気を疑わざるをえない事態なのだが、しかしあの二人は、本当に互いを想い合っていた。色々といざこざもあったようだが、それを乗り越えてしまうくらいに、カケルと魔王の愛は深かった。

 それが魔族達の終わりを告げるきっかけになるやもしれないと言うのに、だ。



 ──まあ、こちらとしてはありがたい話だけどね。魔王に弱点が増えてくれれば、その分こちらにも勝機が生まれるわけだし。



 とはいえ、やはり人の子を孕んでいる者を討つというのは、あまり気分の良いものではない。

 リタにはそれで叱責を受けてしまったが、願わくば、お腹の子の命を奪わずに済ませたいものである。

 そんな甘い考えは通用する相手でないとは、重々承知の上ではあるけれど。

 それに気になる事は他にもある。

 カケルとぶつかり合う前に、当人から聞かされた信じ難い話。



 初代魔王を除いて、歴代の魔王達がだなんて、そんな眉唾な話をどうやって信用しろというのだろうか──?



「……そういえば、人間側がわざと隠蔽して改竄かいざんもしているとも言っていたっけ……」

「それって、あの勇者が言っていた事っスか?」

 と、どうやら無意識に口に出してしまっていたようで、耳聡くアレスの呟きを拾ったカンナが、そんな問いを投げかけてきた。

「ああ、うん。ちょっと気になっているんだ。もちろん信じているわけじゃないけれど、あの必死ぶりを見るに、まったくのデタラメというわけでもないのかなとも考えていてね」

「ですが、仮にその話が本当だったとしても、わざわざ隠蔽する理由がわかりません。人間と魔族を意図的に衝突させて一体何のメリットが?」

 今度はリタからしてきた質問に、

「……実を言うと、思い当たる節があるにはあるんだよね」

 と、アレスは眉間を寄せて重々しく答えた。

「思い当たる節、ですか。」

「うん。あれを言われた時は緊迫した状況だったのもあって思い出せなかったんだけど、今になって気付いた事があってね」

 そこで小休止を入れるようにアレスは丸椅子に座り直したあと、

「ほら、数年前からよく勇者や魔族を狩るハンターを募集する広告が出回っているだろう? しかも多くの国が周辺にいる魔族の討伐や魔王城を狙うように差し向けているのがどうにも妙でね」

 と続けた。

「それのどこがおかしいんです?」

「別段、それ自体はおかしな事じゃないさ。ただ、どうにも気がしてね……」

 先ほど説明した通り、勇者やハンターを募集して魔族や魔王を狙わせるのは昔からあったし、今さら珍しい事でもないのだが、しかしながらその数が、近年増え過ぎているような気がしてならないのだ。



 まるで、なにかを焦っているかのような。

 まるで、誰かと競り合っているかのような。

 そんな漠然とした違和感が、どうしても付き纏うのである。



「あー、そういえば旅に出ていた時も色んな所で募集してあったっスね。ウチらの故郷ではそういったものは見かけなかったスけど」

「私達のいた村はここからずっと遠方の田舎でしたからね。国の権力がそこまで及ばなかったのでしょう。そのせいで船一つ乗るにも苦労させられましたが。」

「国の協力がないと、船なんてなかなか出してもらえないしね。しかも僕らのいた故郷は辺境だったから、周辺の村や町を統治している国なんて無かったし」

 少し前に問題にもなった事なのだが、勇者だと偽って船に乗ったあと、強奪行為を繰り返す不埒な輩がいたようで、それからは自国から発行される乗船許可証などがないと、国が出す船には乗せてもらえない決まりになったのである。

 つまりアレス達のような国すら管理していないど田舎だと、乗船許可証なんて発行してもらえないのだ。どこぞの国に移住すれば民と認められて乗船許可証ももらえたかもしれないが、そこまでして手に入れようとは思わなかった。



 だってあそこは、アレスの母が愛した大切な場所なのだから──



「ですが、確かに言われてみると妙ではありますね。なぜ急に勇者やハンターを募集し始めたのでしょう? 近い内に魔王城を攻める気でいるのなら、兵士の方を集めて軍を率いた方が、勝率も上がりそうなものなのに。」

「……そうなんだよね。今まで気にも留めなかったけれど、改めて考えてみるとすごく奇妙なんだよ」

 何か事情があるのかもしれないが、その事情とやらが見えてこない以上、この違和感はどうしたって拭いようがなかった。

 そして何より奇妙なのは──



 ──どうして国中が魔族や魔王の討伐を誘導しておきながら、その国自体が自ら動こうとしないのかな……?



 これも魔王の仕業か何かなのか。

 それとも、人間側の方で何かしら陰謀が渦巻いているのか。

 果たして、真実は一体どこにあるのか──?



 ──これは、一度ちゃんと調べてみる必要がありそうだね。なんだか向こうの術中に嵌ってしまったようで、ちょっと癪ではあるけれど。



 とはいえ、このまま疑問を放置しておくのはもっと気持ちが悪い。

 たとえ現状を疑うきっかけを与えたのが魔王側にあったとしても、そこからどうするかは自分達の意志だ。決して魔王達の言葉を鵜呑みにして翻弄されるわけじゃない。

 むしろ今度こそ魔王側に非があるという証拠を見せつけて、あの勇者の男の曇った目を覚ましてやればいいのだ。

 今度こそ、魔王を打倒するためにも。

「……まあ、色々と気掛かりな点はあるし、やる事もいっぱいできたけれど」

 と、アレスはそこで思案を中断して、緊張をほぐすように両腕を真上に伸ばしたあと、先を継いだ。

「今はゆっくり英気を養おう。でないと次に魔王と戦う時にへばってしまいかねないからね」

「はいっス! 今度こそ心火しんかを燃やしてあいつらをぶっ潰すっス!」

「どちらかと言うと、潰すべきなのはカンナさんのその無駄に大きい乳の方だと思いますけどね。」

「む、無駄ってなんスか! そりゃちょっと肩が凝りやすかったりするっスけども!」

「ああやだやだ。巨乳ならではの自慢みたいな悩みを言っちゃって。そんなに肩が凝るなら、貧乳に悩んでいる人に少しでも分けてあげればいいのに。」

「無茶苦茶言うっスね……。そりゃリタに分けられるなら分けてあげたいところなんスけど」

「何か誤解していますね。私は貧乳ではありません。まだ成長途中なんです。夢の舞台に駆け上がっているんです。」

「駆け上がる……? 駆け上がるような段差もない貧乳なのにっスか?」

「よろしい。ならば戦争です。」

「上等っス! 負ける気がしねぇっスよ!」

「……ついさっき休めと言ったばかりなんだけどなあ」

 しょうもない口論を始めた二人に、嘆息混じりで呟くアレス。

 しかしその顔は、さながら幸せな日常に返ってきたかのような、そんな安堵に満ちた微笑を浮かべていた。



 ◇◆◇◆◇◆



「──そう。カケル君が目を覚ましたの」

 魔王城地下最深部。薄暗くも様々な豪奢な調度品で設えた広間にて、ミランはとある人物と正面から向き合っていた。

「はい。まあ、危険な状態だったとは言え、あのルト様の攻撃を受けて生還できたようなタフな人なので、その内目を覚ますだろうとは思っていましたけどネ」

「ふふ。随分と信頼しているのねぇ。ルーちゃんだけでなくミーちゃんにも気に入られるなんて、なかなか隅に置けないわねぇ、カケル君も」

 と。

 ミランの言葉に、目の前の絢爛豪華な椅子に座る女性──フレイヤは、優美に足を組み替えて、そんな感想を口にした。



 全裸で。



「……………………………………………………………………いや、いいんデスけどね。先代様の部屋デスし、ワタシ達二人以外は誰もいないので。ただもうちょっと空気を読んで欲しかったと言うか、なんとかならなかったもんデスかねぇ……」

「それって下着くらいは付けてほしかった事? イヤよ〜。だって全裸でいる方が楽なんだもの。服を着ていると身体が締め付けられているみたいで窮屈なのよね〜。やっぱ女はいつだって自由でないと、何に対しても開放的になれないわ」

「自由が服を着て歩いているような人が何を戯けた事を言っているんデスか。しかも開放どころか、秘部までご開帳な状態デスし」

「別にいいじゃな〜い。だって女同士なんだから。それにファンサービスよファンサービス。全裸が好きな設定なのに、これまで全然生かせなかったんだから」

「設定とか言わないでくださイ」

 ま、自分が言えたセリフではないが。

 さんざんカケルにも似たような事を言いまくっているし。

「それに女同士とは言いますが、さすがにこうも大胆に露出されると目にやり場に困るものがあるんデスよ。一体どこを見て話せばいいんデスか」

「あたしの新鮮なライチ(隠喩)でいいじゃない。ほらほら」

「どんな変態デスか。というか股を閉じてくださイ」

 恥ずかしげもなく局部をパッカーンと開けるフレイヤに、即座にツッコミを入れるミラン。この人には羞恥心というものが無いのだろうか。

 どうせ無いのだろうな。無いに決まっている(断定)。

「……まあ幸い、ルト様のピンチにちゃんと服を着て行くだけの常識があっただけマシとも言えますが」

「さすがのあたしもそこは空気読んじゃったわね〜。愛娘が危険な状態にある時に裸なんかで会っちゃったら、母親としての尊厳を失いかねないし。敢えて全裸で行く事で敵を油断させるっていう作戦も悪くはないと思うけれど」

「ハイリスクなわりにリターンの少ない作戦デスね」

 おそらくその作戦は、敵だけでなく味方までドン引きさせるだけに終わっていたと思う。

 ほんと、変な気を起こさないでくれて心底良かった。

「それにしても、驚いたわよ〜。あのいつもクールなミーちゃんが、すごく慌てた顔であたしに会いに来た時は」

「……今までにないほどの非常事態でしたからネ。形振り構っていられませんでしたヨ。それこそ急ぎ過ぎて、足の爪が剥げたのも気が付かなかったくらいでしタ」

「そのおかげでルーちゃんの救出にも間に合ったんだから、結果オーライってやつよ。ミーちゃんがすごく慌ててくれた分、すぐに只事じゃないって分かって迅速に行動もできたし」

「先代様があの場で話されていた通り、地下と連絡ができる手段があったら、もっと早くに助けられたかもしれませんけどネ」

 今さら無かったものをどうこう言っても仕方ない気もするが。

 それに、一番の功労者はカケルだ。カケルが時間を稼いでくれたおかげで、ミランも助けを呼びに行く事ができたのだから。

 しかも、カケルはこちらが頼んだわけでもないのに──むしろ一度は引き留めようとしたにも関わらず、命懸けでルトを守り通してくれた。



 すべての人類を敵に回すかもしれないリスクを背負ってまで、だ。



 だから、ミランがあの時にやった事なんて本当に微々たるものだ。

 それこそ爪の一枚や二枚剥がれるくらい、カケルの功績と比べたら些事でしかない。



 ──その代わり、剥げた爪は二度と戻りませんが。完全なゾンビというわけでもないので多少は痛みもありますし、あんな事は二度とご遠慮願いたいところデス。



「……何にせよ、大変なのはこれからになりそうデスね」

 と、そこで一旦間を空けるように溜め息を吐いたあと、ミランは眉間に皺を寄せながら言葉を継いだ。

「ルト様の不調をあちらに知られた以上、やっこさんの動きも活発になるでしょうから」

「でしょうね。あのまま黙っている理由もないし。ただでさえ死傷した兵士の補充とか城の修復とかで人手不足なのに、やめてほしいわね。隠居したはずのあたしにまで仕事を回さないでほしいわ」

「こんな時デスから仕方ありませんよ。それに先代様ほど仕事が出来る方なんて、ルト様を除けば誰もいませんし」

 というより、フレイヤもルトも規格外過ぎて、並び立てるような人材なんて他にいないというのもあるが。

「いっその事、ニンゲン達をこの大陸に寄せ付けないような対策は立てられないのでしょうカ? 上陸する前に迎撃するとか」

「それは難しいでしょうね。だってあいつら、いつも港のない所から来るから。さすがにあたし達魔族が管理している港には行けないからでしょうけど、だからこそどこから来るか予測が付かないのよね。しかもこの大陸って海に囲まれているから、港の近辺ならともかく、周りすべての海を常時監視できるほどの兵もいないし」

「でも、向こうからたまに来る貨物船ならここでも確認が取れていますよネ? あれにも賊が紛れ込んでいる可能性は十分ありますし、事前に対策も打てるはずじゃありませんカ?」

「あれはわざと見逃してあげてるのよ。一応この大陸にも、数は限りなく少ないけれど、人間達が住む集落があるから。あの貨物船を追い返しでもしたら、生活に困る奴らがいるのよ」

 それこそ、死人が出かねないくらいにね。

 そう言葉を締めたフレイヤに対し、

「……そこまで庇い立てする必要なんてありますカ?」

 とミランは眉をしかめて反論を口にする。

「仮にも魔族を目の敵にしている連中に、わざわざそんな温情を掛けてやるなんて、ワタシには理解不能デス」

「ま、普通ならそう思うでしょうけど、だからと言って間接的にでもこっちのせいで死者なんて出したら、それこそ昔みたく悪評を流されかねないし、色々と面倒なのよ。と言ってもあそこに住んでいる連中って、奇病を患って島流しにされた者だったり、禁断の恋をしたせいで村八分にされた者ばかりだから、外の人間に本気で心配してもらえるとは思えないけれど」

「つまり、ワタシ達魔族を滅ぼす大義名分を向こうに与えるだけであると? もう十分過ぎるほど憎悪を向けられている気がしますけどネー」

「まあね。だからと言ってこれ以上下手に火種なんて作りたくないし、今のところこの地に住んでいる人間達も、積極的に魔族を襲うつもりもないみたいだから、こっちからわざわざ動機を与える理由もないでしょう?」

「それは……」

 そうかもしれないけれど。

 しかしながら、頭では理解できても、感情はすんなりと納得できないものがあった。

「そんな複雑そうな顔しないの。気持ちはちゃんとわかってるから」

 旧知の間柄だからか、うっかり考えが顔に出てしまったミランに、フレイヤは苦笑を混じえながら口を開く。

「あたしだってこのままでいいって思ってるわけじゃないのよ? ルーちゃんだって妊娠しちゃった事だし。まさかあんなにあっさり子供を作っちゃうとは思わなかったけれどね。引き金は二度引かない、一発で十分だって事かしら〜?」

 いや、引き金自体は何発も引いているとは思うが。

 行為自体が一回で済んでしまっただけで。

「将来を見据えて考えるなら喜ばしい限りなんデスが、しかしながら色々とタイミングが悪かったのは否めないデスね。差し向けておいたワタシが言うのもなんデスが」

「ミーちゃんは良い仕事をしてくれたわよー。だってあの堅物だったルーちゃんを見事恋の虜にさせてくれたんだから。しかも相手はなかなかの腕利きだったわけだし、あたし的には文句無しね」

「……一時はカケルさんを追い出すような真似をしておきながら?」

「あくまでも種だけで考えたらよ。人格云々で考えたら、とてもじゃないけど母親としても先代魔王としてもルーちゃんを任せられる子じゃなかったわ。実際に会ってみたら想像よりもとんでもないヘタレだったし」

「ああ、カケルさんもあれには相当堪えたみたいデスよ。かなりトラウマになっていたご様子でしたし」

 それこそ、フレイヤの名前が出ただけでビクっとするくらいには。

「でも、結果的には良い薬になったでしょう?」

 悪戯めいた笑みを浮かべて言うフレイヤに、ミランは呆れたように溜め息を零しつつ、

「……ま、結果だけみれば」

 と、肯定した。

「デスが、もしもあの時カケルさんの心が折れて、本当にこの城から出てしまっていたら、どうするおつもりだったんデス?」

「その時はその時よ。その程度の男だったって切り捨てるだけ。いくらこっちの思惑で誘惑させたと言っても、女の子を妊娠させて逃げる男なんて、引き留めたところで目障りなだけでしょ?」

「ほんと、色々と恐ろしい方デスね……」

 損得感情がはっきりしている点もそうだが、今のセリフを悪びれもせず満面の笑顔で口にするところがなおさら恐ろしい。

「兎にも角にも、本当にどうにか上手くいって良かったわよね〜。これもミーちゃんのおかげね」

 と、話の流れを変えるように呟いたフレイヤに、ミランは首を傾げて訪ねる。

「ルト様とカケルさんの仲を繋いだ件デスか? それなら元々ルト様がゾッコン状態でしたし、カケルさんもまんざらで無かったから上手くいったようなものデスよ。ワタシは単にけしかけただけに過ぎませン」

「それもあるけれど、それだけじゃなくて」

 ミーちゃんは変なところで謙虚というか偏屈よねー、と苦笑しつつ、フレイヤは言葉を紡ぐ。

「ルーちゃんのピンチにあたしを呼びに来てくれた事よ。もしかしたらあたしを呼びに行っている間にルーちゃんが殺されていたかもしれないのに」

「あれは……あの時は、先代様しか助けられないと思ったからデスよ。なんせ不調だったとは言え、あのルト様をギリギリまで追い詰めた輩だったんデスから」

「でもそれって──」

 特に感情もなにも込めずに言ったはずなのに、あたかもミランの思考を読んだかのような口振りでフレイヤはこう声を発した。



「カケル君だったら、あたしが来るまでどうにかしてくれるって、そう信じていたからじゃないの?」



「……………………」

「あー、図星だ〜」

 子供みたいに指を差して言うフレイヤに、ミランは観念したように肩を竦めて、

「まったく、アナタにはほんと敵いませんネ……」

 と嘆息混じりに応えた。

「だって長年の付き合いだもーん。それくらいわかるわよ。あたしに解けないパズルはない!」

「真っ裸で何カッコ付けたようなセリフを言ってるんデスか」

 というか、これって謎と言えるようなものだろうか?

 ただ単にミランの恥ずかしい秘密をバラされただけのような……?

「けど、ミーちゃんがそれだけ信頼を寄せているならあたしも安心だわ。きっとこれからの戦いは、カケル君の力も必要になってくるから」

 それまでのおちゃらけた雰囲気を一変させるように真剣な面持ちになったフレイヤは、さながら未来を見据えるように視線を遠退かせて言の葉を紡ぐ。

「次に来る戦いは、きっと前回程度では済まされない──それこそ何度も死線をくぐらなきゃいけないような戦いが待っているに違いないわ。人間と魔族の戦争が終わるまで延々とね。しかも今度はすべての人間を敵に回して……もしかしたらお世話になった人や友人とまで殺し合う事になるかもしれないわね。もしもそうなったら君は、カケル君は──」



「それでも、ルーちゃんを命懸けで守りきる事ができるかしら?」



「……らせませんよ」

 独白するように呟いたフレイヤに、ミランは決意に満ちた瞳を向けて言う。

「ルト様もカケルさんも、ワタシが絶対に死なせませン。絶対に」

「……そうね」

 いつになく気炎を吐くミランに、フレイヤは微笑みながら頷いて、こう続けた。



「あたしもミーちゃんと同じ気持ちよ。ルーちゃんもカケル君も、あたしの大切な家族なんだから」


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