第42話 デュランダルの真価
「『
呪文と共に、カケルの足下から魔法陣が現れ、煌々と輝き出す。光芒はカケルを守るように筒状となって周りを包み、まるでありとあらゆる侵入者を拒む壁のような威風を放っていた。
「聖遺物召喚!? まさか彼も聖遺物保持者だというのか……!?」
カケルの姿を見て、アレスが双眸を剥く。それは近くにリタとカンナも同様で、信じられないといった風に言葉を失っていた。
が、それも数秒の間だけだった。
はっと忘我から脱したリタが、すぐに杖を構え、
「そうはさせませんっ! 我、手繰り寄せるは冷気の源──」
と、魔法の詠唱を始めた。
「!? 待つんだリタ!」
「──氷結の蛇よ、我が前に立ちはだかる愚か者を食い破れっ!」
アレスの制止も虚しく、リタの前に顕現した氷の大蛇が、詠唱中のカケル目掛けて襲いかかった。
まさしく蛇のように、床をうねりながら猛然とカケルに突っ込んでいく氷の大蛇。
やがて、カケルの間合いへと入った氷の大蛇は大口を開けて牙を剥き、そして──
パアアアアアアンっ! と唐突に激しい音を立てて、粉々に崩れ散った。
「なっ──!?」
その光景を見て、リタが驚愕に目を
「そんな……。一体どうなってるんですか。私の魔法が直撃する前に消えてしまうだなんて……」
「ごめん。二人には説明していなかったね」
当惑するリタに、アレスがそばに寄って申しわけなさそうに眉尻を下げて言う。
「聖遺物召喚中はどんな攻撃も無効果してしまうんだ。言わば、最強の盾だね」
「最強の盾……。アレス様のミストルティンでも破れないのですか?」
「多分ね。元々ミストルティンは打撃力が高い方じゃないし、あの魔法陣を破ろうとするなら、もっと攻撃に特化した聖遺物でないと無理だろうね」
聖遺物にも色々と種類があり、攻撃や防御に秀でた物だったり、逆にミストルティンのように回復効果のある特殊型など様々ある。逆に言えば、特殊な効果に重きを置いている分、戦闘にはそれほど向かない聖遺物もある。ミストルティンなどが、その良い例だ。
そのため、特殊効果に大部分を割り振られているミストルティンでは、聖遺物の魔法陣を破るほどの力はないのである。
「それじゃあ、このまま黙って見ている事しかできないって言うんスか?」
アレスの後ろを付いて来ていたカンナが、納得いかなげに顔をしかめて問いかける。
それに対し、アレスは、
「残念ながら、ね……」
と、こちらも苦虫を噛み潰したような表情で答える。
こちらとて、何とかできるなら今すぐにでも突っ込みたい気持ちはあるのだ。
が、先ほども説明した通り、この三人だけでは──たとえ三人の力を合わせたところで、あの聖域を攻略する事はできまい。無理に破ろうとすれば、返ってこっちがダメージを負うだけだ。
「『愚かなる罪人に裁きの鉄槌を』──」
攻めあぐねているアレス達に、カケルは依然として詠唱を続ける。歯がゆい思いで待機するだけのアレス達に、一瞥もくれずにただ儀式だけに集中するかのように、瞼を閉じて。
「……リタ、今の内に魔法の準備を。カンナはいつでも飛び出せるように構えておいて」
「アレス様……?」
「どういう意味ッス? アレス様」
「さっきも言ったけれど、あの魔法陣は儀式中にだけ発動するんだ。つまり儀式さえ終われば、僕らの攻撃も通るようになる。その瞬間を狙うんだ」
そうだ。これで勝敗が決したわけではない。あくまでも、現時点では手を出せないというだけの事だ。
相手がどんな聖遺物を召喚するかはわからない。聖遺物はどれも人知を超えた力を秘めているし、油断は一切できないが、アレスとて聖遺物保持者だ──しかもこちらは三対一。一度は押されかけたが、未だ有利な状況には変わらない。
なぜカケルが魔王側に与するのかは未だに判然としない。だがアレス達の前に立ちはだかるというのなら、容赦なく迎え撃つだけだ。
すべては、世界の平和のために。
アレス達の夢を叶えるために──!
「来い! 聖剣『デュランダル』!!」
そして。
視界を真白に染め上げるほどの眩い閃光が迸った後、カケルの手に歪な形状をした聖遺物が握られていた。
◇◆◇◆◇◆
儀式を終え、カケルはその手に握られた聖遺物を間近に見据えた。
聖剣デュランダル。
見た目はチェーンソーの形をした、攻撃特化の聖遺物。
今までは相手が同じ人間という事もあり、デュランダルを出し渋んでいたが、もはや迷っている場合ではなかった。
デュランダルをこうして出してしまった以上、加減なんてできそうになかったから。
だが向こうはもう、完全にカケルとルトを討とうとしている。最悪、自分が傷付くのはいいが、ルトだけは駄目だ。子を成している大事な体に、これ以上負担を掛けるわけにはいかないのだ。
だから、是が非でも止めてみせる。
それで、アレス達に取り返しのつかない重傷を負わせる事になったとしても──!
と。
決意を固め、ハンドル部分を強く握り直した、その瞬間──
「唸れ!
カケルがデュランダルを召喚している最中に呪文を唱えていたリタが、杖を突き出して無数の雷の礫をカケルに向けて放っていた。
紫電を纏った礫が、リタの思惟に導かれてカケルに殺到する中、同時にアレスとカンナが示し合わせたように両方向から突撃を仕掛けてきた。儀式が終わって聖域の効果が切れた瞬間を狙ってきたのだろう。ちなみに左方がアレス。右方がカンナだ。
そんな彼らを目を細めるように見据えた後、カケルは──
自ら、雷の礫に突っ込んだ。
『なっ──!?』
理解し難いと言わんばかりに、面食らうアレス達三人。
それはそうだろう。今までの魔法は剣でも捌ける程度の数と大きさだったが、今回は違う。雷を迸らせた小指の先程度しかない無数の礫が襲いかかっているのだ。剣一つで──ましてデュランダルのような重量感のある得物では、全てを振り落とすだなんて無理だと考えるのが普通だ。
あくまでも、これが普通のチェーンソーだったら──という前提ではあるが。
「でぇああああああああああっ!」
強襲してきた礫の雨を、カケルは裂帛の気合いと共にデュランダルで薙ぎ払う。
刹那──
雷の礫が、一斉に消滅した。
「魔法を──打ち消した!?」
リタが驚愕に眼を剥く。よほど衝撃的だったのか、怯んだように一歩後ずさっていた。
「くっ……! あの聖遺物、魔法を消す力があるのか……!」
さすがに動揺を隠せなかったのか、アレスは眉間にシワを寄せてピタッと足を止める。カケルから見て右側を疾走していたカンナも、トンファー(いつの間にやら投擲したトンファーも回収していた)を構えつつも呆気に取られたように放心していた。
「! チャンスっ!」
よほど予想外の事態だったのか、呆然としている三人の中で一番無防備になっているリタに視線を固定させ、カケルは一気に駆け抜けた。
「!? 待てっ!」
「リタ! 逃げるっスよ!」
アレスとカンナが、全速力でリタを狙おうとしているカケルを追いつつ声を上げる。
その声にリタも我に返ったようにはっとした顔をするも、カケルはすでに間合いの中へと入ろうとしていた。
この距離では、逃げたとしても間に合わない。杖で防ごうにも、デュランダルの刃の前では無意味。無論、魔法とてその例外ではない。
とどのつまり、リタには逃げ場も攻撃を防ぐ手段もない──!
──悪く思うなよ! オレだって引くわけにはいかねぇんだ!
「はああっ!」
少し躊躇いを覚えつつも、カケルはデュランダルを振りかぶる。
完全に捉えたはずだった。デュランダルの刃がリタの体を切り裂くはずだった。
が──
「風よ! 我が前に吹き荒れよ!」
リタが呪文を唱え、杖の先から風の魔法を放つ。
それも、足元に。
「うおおっ!?」
リタが足元に放った突風の余波がカケルにも伝播し、思わず足を止めて目を守ろうと顔の前に手をかざす。
勢い自体はそう大したものではなかった。せいぜいが、強風状態にした扇風機を顔に向けた程度のものだ。
しかしながら、リタにはそれで十分だったようで、風の力を利用して後方へと大幅に飛び退いていた。
まさかとっさの判断であんな逃避の仕方をしてくるとは。参謀役といった風体ではあったが、あそこまで臨機応変に対応してくるとは思わなかった。
「グッジョブ! リタ!」
見事逃げおおせたリタに、アレスが親指を突き出して称賛を送る。
そしてそのまま、カケルの背後を取ったアレスが、ミストルティンを横薙ぎにして斬りかかる。
「もらっ──」
「──とらんわあ!!」
放たれたミストルティンを、カケルはさっと腰を屈める事によって躱し、即座に足払いをかけた。
「くう──っ」
カケルの足払いが見事決まり、アレスはバランスを崩して真横に倒れる。
その間にカケルは俊敏に立ち上がり、アレスにデュランダルを向けようとした、その直後──
「アレス様に何をするっスかああああああっ!」
近距離まで肉薄していたカンナが、疾駆しながらカケルの胴体を狙ってトンファーの先を突き立てる。
しかしそれは、カケルにしてみれば悪手でしかなかった。
なぜならデュランダルは、チェーンソーなのだから。
高速に回転した刃が物体に少しでも触れでもすれば、ただで済むはずがない──!!
「っ!? カンナ! 待つんだっ!」
遅まきながらアレスもデュランダルの刃の特性に気が付いたのだろう──頭に血が上ってしまっているカンナを慌てて呼び止める。
それが功を奏したのか、カンナはハッとした顔でスピードを緩める。
だが、もう遅い。
このままでは刃が届く前に後方へと避けられてしまいそうだが、少なくともカンナの持っているトンファーぐらいなら破壊できる!
「でりぁあああああああっ!」
トンファーの切っ先が間合いに入ったところで、カケルは雄叫びと共にデュランダルを下段から斬り上げた。
瞬間、トンファーから甲高い金属音が響き、火花が散った。
宙に飛ぶトンファーの一部。元のサイズの半分以上も切断されたそれは、しばらくクルクルと回転しながらあらぬ方向へ飛んだ後、カランカランと音を立てて床に転がった。
「ウチのトンファーをあんなにもあっさり……!?」
すぐにバックステップしてカケルから逃れたカンナが、トンファーの切断面を見て慄いた表情を見せる。あともうちょっと間合いに入っていたら自分もこうなっていたのかもしれないなどと想像しているのか、顔色も血の気が引いたように青ざめていた。
「……危なかった。とっさにカンナを止めていなかったらと思うとゾッとするよ」
カケルとカンナが接触していた間に抜け目なく退避していたのだろう──知らぬ間に体勢を立て直して距離を取っていたアレスが、冷や汗を垂らしながら言葉を発する。
「先ほどから妙な音がするとは思っていたけれど、なるほど──刃が回転していたんだね。間近に見るまで気が付かなかったよ」
言いながら、アレスはジリジリと横に少しずつずれる。同じように、リタとカンナも少しずつ近寄って合流しようとしていた。推測するに、デュランダルを警戒して三人で固まろうとしていると言ったところか。これといった合図も送っていなかったはずなのに、大した意思疎通ぶりだ。
「こんだけギュインギュインうるさい音が鳴ってんのに、さっきまで警戒もせずに突っ込もうとしていたのか? お前はトラック相手にパンチを繰り出す腹巻き猫の地縛霊か」
「……後半は言っている意味がわからないけれど、あの時はリタの危機だったからね。無我夢中だったんだよ」
カケルの皮肉に、フッと薄く笑んで軽く受け流すアレス。
「はんっ。じゃあ、これくらいで死ぬとかダッサとか女の子に言われなくて良かったな。オレ的にはそれでも良かったけども」
「リタとカンナはそんな酷い事を言ったりはしないよ。なにせ僕が最も信頼している従者で、そしてこの世で最も愛している二人でもあるんだから」
「けっ。ノロケかよ。この二股野郎が」
いや、カケルもあまり人の事は言えないが。
なんて話している間に、アレス、リタ、カンナが合流し、陣形を取り始める。アレスが前衛、カンナが中衛、リタが後衛といった具合だ。
「どうやら君の聖遺物は、攻撃性に特化しつつも魔法を打ち消す防御性もあるようだね。僕のミストルティンとは相性が悪そうだ」
「へえ。だったら諦めて帰ってくれんのか? 今なら見逃してやらん事もないぞ」
「冗談」
失笑と共に緩く首を振って、ミストルティンを構えるアレス。
「せっかくあの魔王を討てるチャンスなんだ。ここで退散するつもりなんて毛頭ないよ」
言って、アレスは遠く離れた所にいるルトに一瞥をくれる。それに誘われるように、カケルも横目でルトの様子を窺う。
依然として、ルトは魔法障壁の内側から張り付くように顔を寄せて、カケルをじっと見つめていた。
「カケル……!」
遠くからなので聞こえはしなかったが、口の動きで名前を呼んでいるのだけはわかった。カケルと目が合った事でいっそう心配そうな顔をしていた。
今のルトに、アレスを手玉に取っていた時の無双ぶりはどこにもない。どうにか魔法障壁を展開できるだけの魔力は戻っているみたいだが、未だ万全には程遠い。あの状態で攻められでもしたら、ひとたまりもないだろう。
「へっ。そんな簡単にやらせるはずがねぇだろうが。お前らがルトに近付いた瞬間、デュランダルでぶった斬ってやんよ」
できたら、デュランダルに恐れをなして逃走してくれという切なる思いを込めて牽制してみるが、対するアレスの反応は、
「確かに、君のその聖遺物は厄介だ。攻めようにも、その高速に回転する刃で武器すら破壊されてしまう。普通なら迂闊に近寄れない。普通なら、ね」
その含みのある言い方に、カケルは訝しげに眉をひそめる。
「けれど君のその聖遺物は、僕の聖遺物をも壊す事ができるのかな?」
その言葉に。
カケルはスッと目を細めて口を噤んだ。
「その反応から察するに図星かな? 聖遺物は普通の武器と違ってかなりの強度があるからね。果たして君の聖遺物は、僕のミストルティンにも通用するのかな?」
「………………」
その答えを、カケルは知っている。
だから、何も返答できなかった。
何故なら、一度デュランダルで聖遺物を破壊しようとして、失敗に終わった経験があったから。
それはカケルが魔王城で療養する前の話になるのだが、かつて聖遺物保持者の盗賊と戦った事があり、その際、デュランダルで相手の聖遺物を破壊しようと試みるも、少々の傷を付ける程度しかできなかったのだ。
その盗賊には結局逃げられてしまったのが、デュランダルでも切断できない物があると知った瞬間でもあった。
さすがは神話時代に使われていたとも言われる伝説のアイテムだと、呆れと感心の入り混じった感想を抱いたものだが、まさかそれがこうしてネックに働くとは思わなかった。
だからアレスの推察は、完全に的を射ている。
「どうやら僕らにも、まだまだ勝機があるみたいだね」
言って、アレスがミストルティンを中段に構えながら、カケルの方へと距離を詰めていく。カンナはリタの護衛に回るようで、アレスの後を追いはしなかった。
向こうは完全に、デュランダルではミストルティンを破壊できないと確信を抱いている。ゆえに、アレスのミストルティンでカケルを攻め、隙あらばリタの魔法でダメージを与えるといったと作戦を取るつもりなのだろう。現状、最も最善な策とも言える。
単刀直入に言えば、カケルはアレスよりも強い。デュランダルという攻撃特化型の聖遺物を所持しているおかげでもあるが、単純な剣でのタイマン勝負ならば、カケルの方が上をいく。それは、これまでの戦いでも十分確信が持てていた。
だが、それでもカケルが勝てないのは、リタとカンナといった優秀な仲間がいるからだ。一人一人相手をするならばまだしも、三位一体となって攻められると、さすがのカケルも苦戦を強いられる。本音を言えば、デュランダルを手にしている今でも、さほど勝率は高くない。むしろ低いと言っても過言ではないくらいだ。
そう考えると、改めてルトの凄まじさを再認識させられる、この三人を相手にああも圧倒してみせたのだから。
が、そのルトの協力を得る事はできない。否──手を借りていい状態ではない。だからこそ、どんな手を使ってでも、カケル一人でこの状況を打破せねばならないのだ。
そう、どんな手を使ってでもだ。
「──本当は、あまり使いたくなかったんだけどなあ。状況が状況だし、贅沢言ってられねぇか」
「……? 何か言ったかい?」
誰に聞かせるでもなく呟いたカケルの独り言を、耳聡く拾ったアレスが怪訝に眉をひそめる。
「いや、なに──」
そんなアレスに対し、カケルはデュランダルを逆手に持ち上げ、キッと顔相を凄ませた。
「今更後悔すんなよって話だっ!」
大喝と共に、カケルは悠然とデュランダルを逆手に持ち上げ、静かに詠唱を始めた。
「『聖剣に秘めし大いなる力よ。我が命に応え、従いたまえ』」
「──っ!? 付属魔法!?」
カケルの意図に気付いたアレスが、緊張の走った顔で声を上擦らせる。意表を突かれたせいなのか、歩行がピタリと止まっていた。
「『我、汝に乞い願わん。荒ぶる
詠唱と共に、カケルの足元に紺碧の魔法陣がゆっくり浮かび上がる。
その魔法陣は周囲に光の粒子を散らし、威圧的でありながらも、どこか神秘的な雰囲気すら放っていた。
「くっ──!」
危険を察してか、アレスがリタとカンナの元へと足早に戻る。いつでもカケルの付属魔法から仲間を守れるようにと判断を下したのだろう。
しかしそれは、今から使う付属魔法の前では、無意味も同然だった。
「『其れに施す慈悲は無し。其れに与える時も無し。
我は汝に血を捧げし者。来たりて地を駆け、彼の者を封じ給え』!」
裂帛の気合いと共に、持ち上げていたデュランダルを一気に床へと突き立てる。
そうしてカケルは、最後の呪文を唱えた。
「捕縛せよ! 『デュランダル』!!」
瞬間、カケルの足元に浮かんでいた魔法陣が雫が滴り落ちた水面のように広がり、ついにはアレス達の所にまで一瞬にして届いた。
「──っ! こ、これは……!?」
足元に広がった魔法陣を見て、瞠目するアレス。
いや、正確には足元の魔法陣ではなく、足そのものを凝視していた。
それはそうだろう。
何故なら、この付属魔法は。
対象者の足を、硬直させてしまう効果があるのだから。
ただし──
「ぐ、うううぅぅぅぅぅ!」
付属魔法を発動させたと同時に、苦しそうに呻き声を上げるカケル。
ミストルティンがそうだったように、デュランダルの付属魔法にも代償となるものが必要となる。
アレスの場合は片目だったが、カケルの場合は──
大量の、血だ。
「うっ、くぅ……。やっぱキツいな、これ……」
頭をふらつかせながらも、カケルはデュランダルを支えにして立ったままの姿勢を保つ。
体のどこから吸血しているのかわからないが、血をごっそり持っていかれた感覚だけはわかる。さながら見えない注射器で血を吸われているみたいだ。
そして代償はそれだけでなく、デュランダルの性能も下がってしまう。刃の回転が止まり、斬れ味が悪くなってしまうのだ。
使うのはこれで二度目(例の聖遺物を所持していた盗賊相手に)だが、まさかこれを使わざるをえないほどを追い込まれるとは思わなかった。正直諸刃の切り札ではあるが、その代わり、相手の足を止める事はできる。あくまで足を止めるだけなので手や首などは動かせる状態のままなのだが、それでも相手を倒すには十分だ。
「あ、足が動かない……っ。」
「なんスかこれえ! なんなんスかこれえ!」
リタとカンナが必死に抵抗を試みるも、一向に移動できる気配はない。当たり前だ。そんな簡単に破られては、付属魔法の名折れだ。
「……さあて、そろそろ決着をつけようか」
貧血症状に襲われながらも、カケルはデュランダルを床から抜いて、勝ち気に笑む。
「これでなにもかも全部──終わらせてやるっ!」
デュランダルを構え、カケルはアレス達の所へと疾走した。
狙いはもちろん、一番前にいたアレスだ。
「吹っ飛べやあああああっ!!」
「────っ!!」
彼岸の距離を一気に縮めてデュランダルを振り下ろそうとするカケルに、アレスはミストルティンを正眼に構えて迎撃体勢を取る。足が動かない以上は、迎え討つしかないと思ったのだろう。
だが足が動かないという事は、回避行動が満足に取れないという事でもあり、また、前面以外の攻撃を許す事に他ならない。
だからカケルもそれを見す越し、まだ間合いに入る手間で進路を変え──
ぱさあっ
と。
背後に回ろうとアレスの横を通り抜けようとしたカケルに、突如として白い上着が視界を覆ってきた。
「ちっ!」
舌打ちしつつ、上着を速攻で斬り捨てる。そして、上着を投げた張本人を睨め付けた。
「お前みたいな穢れた奴が、アレス様に近寄るんじゃないっスよ! この悪魔がっ!」
見ると、カンナが上着を投げ終えた動作のまま、苛烈な眼光をカケルに向けていた。進行方向にいたカケルに、腰に巻き付けていた上着を脱いで投げ付けてきたのだ。
確かにカンナにしてみれば、カケルは魔王に味方をする悪の一味でしかないだろう。なんなら、幹部クラスにも思われても何ら不思議ではない。
だがカケルからしてみたら、アレス達の方こそが言われなき罪でルトを断罪しようとする狂信者にしか見えない。
とは言え、かつてはカケルもあちら側だった。その罪は決して消えはしない。
けど真実を知った今だからこそ、こうしてルトを守る事ができる。好きな人のために戦う事ができる。
こんな事で罪が償えるとは思えないけれど、それでも、カケルはルトの力になれるのが嬉しかった。
もうアレス達がこちらに耳を傾けるような事はない。互いの溝を埋めようがないほど決裂してしまったのだ。こうなってしまえば、話し合いでの解決なんて望めるはずもない。
どうしてこんな風に世界が歪んでしまったかはわからない。人間のせいでもあるし、魔族のせいでもあると言えるのは事実だ。もうそれはカケル個人がどうにかできるような問題でなく、最悪、ずっとこんな緊迫とした情勢が続くのかもしれない。
アレス達が、憎悪の行き場としてルトの命を狙うように。
ルトを庇おうとする同族の者ですら、すべて排除するかのように。
それでもカケルは、世界中の人間を敵に回す事を決めたから。
ルトのそばに居続けると、胸に誓ったから。
だから、カケルは──
「悪魔で上等だおらああああああっ!!」
獣のような咆哮と共に、カケルは渾身一的の斬撃を放った。
「くっ!」
カケルの強烈な一太刀に、カンナがとっさにトンファーを横に添えて防御の体勢を取る。
回転こそ止まっているが、元はノコギリ状の凶悪な刃だ。回転していた時と比べれば、そうそう簡単にはトンファーを破壊できないだろうが、さりとて、全力で斬り付ければ、ただで済むはずもなく──
「おるあああああああっ!」
叫喚と共に繰り出されたデュランダルの刃がトンファーに喰い込み、ついにはパキンと甲高い金属音を立てて両断される。
そして、その先にあるカンナの胴体に血線を走らせた。
「きゃああああああああっ!?」
血潮が吹き、カンナの悲鳴が響く。
それのみに終わらず、カンナの体がデュランダルの勢いに押されて、後方へと吹っ飛ぶ。
鮮血を散らしながら、カンナの体は宙を走り、そのまま壁に激突した。
「くはぁっ──!」
血を吐きながら、ぶつかった壁から床へと落ちるカンナ。そうして、うつ伏せに倒れながら必死に首を上げた後、
「アレ、ス、様……」
とカンナは弱々しく呟いて、ぐったりと意識を失ったように首を垂れた。
「カンナさん!? カンナさんっ!」
「カンナぁ! くそっ、よくもカンナを……」
気絶したカンナを見てリタが取り乱したような声を上げ、アレスが首の骨が折れそうなほど後ろにいるカケルに憎悪の目を向けて、恨めしく言葉を吐く。
だが今のカケルに、彼らの怨嗟に応えるだけの余裕はなかった。
「はあ、はあ、はあ。うぷっ……」
血の付着したデュランダルを見て、思わず嘔吐を催しかける。
息が苦しい。覚悟はしていたが、人を斬る事にこんなにも拒絶反応が出てしまうなんて。人間同士の争いは遠目から見ていた時は割り合い平気だったのに──それこそ海外の紛争問題をテレビで観ていた時のように平然としていられたのに、実際に自分がその立場になってみて、歯がガチガチと鳴るほど恐怖に襲われた。
動悸が胸を突き破りそうなほど脈動する。嗅ぎなれない他者の鮮烈な血の匂いに気を失ってしまいそうだ。
だが、ここで意識を失うわけにはいかない。
まだ戦いは終わっていない。まだアレスとリタが残っているのだ。魔法陣とていつまでも効果を保てるわけではない。早めに決着をつけなければ、貧血状態にあるカケルの方が不利だ。
込み上げてくる吐瀉物を飲み込み、キッと視線を尖らせてアレスの方へと振り返る。
あともうちょっと。あともうちょっとなんだ。残りの二人さえ倒してしまえば、もうルトに危害を加える者はいない。またあの頃のように、ルトとの穏やかな日常に戻るのだ。
だから──
「次いいいぃぃぃぃっ!」
デュランダルを構え直し、今にもこちらを殺しそうな剣幕で瞳を尖らせるアレスに、カケルは再び疾駆する。
そして、アレスの背中目掛けて、デュランダルを袈裟掛けに斬り付けようとして──
ブシュ、と。
閉じていたはずの腹部の傷口から、不意に血が溢れた。
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