第41話 世界の中心で愛を叫んだけもの
「カケルぅぅぅぅぅぅ!」
ルトの悲痛な叫び声が背中に響く。
ズキリと胸の痛みを覚えながら、カケルは足を止める事なくアレスとカンナの元へと突っ込んでいった。
ふと気になって一瞬だけ振り返ってみると、ルトが涙を拭いつつも魔法障壁を展開していた。
ルトの魔法障壁の頑丈さは折り紙付きだ──あれなら当分の間は心配ないだろう。
それならそれでこちらとしても好都合だ。いくらルトの魔法障壁が強力とはいえど、あまり負担を掛けるような真似はさせたくない。
剣を構えて疾走しつつ、カケルはこちらと同様に距離を縮めようとしているアレス達を視界に入れたまま思案を巡らせる。
以前として前衛はアレスとカンナ、後衛はリタという布陣──目下リタの魔法が厄介な所だが、彼女を狙おうにもアレスとカンナが当然阻むに決まっている。
だったら──!
「はあっ!」
一番先行していたカンナ目掛けて、カケルは横薙ぎに袈裟斬りを放つ。
「そうはいかないっスよ!」
ギィン! とトンファーをクロスさせてカケルの剣を防いだカンナ。
そのままがら空きになったカケルの胴を狙って、カンナが俊敏な蹴りを繰り出す。
「っ!」
それをどうにかバックステップで躱し、カケルは改めて剣を構え直す。
──思っていたより早い!
ルトと戦っていた時もそうではあったが、こちらの想定よりも身のこなしが軽い。しかもカケルの一撃すら悠々と受け止めてみせた。これは下手に間合いの中に入らない方が無難かもしれない。
「──僕の事も忘れてもらっては困るな」
と次の対策を考えていた間に、不意を突くようにアレスが真横から迫ってきた。
「けっ! 忘れてなんかいねぇよキザ野郎が!」
飛びかかりながら振りかぶってきたミストルティンを、カケルは剣でいなす。
「面白い。じゃあ、これならどうかなっ!」
「くうっ!」
フェンシングのごとく鋭い突きを繰り出してきたアレスに、カケルは身を翻してギリギリの所で避ける。
シュッとミストルティンの先がカケルの服を掠めた。危ない。もう少しで貫かれる所だった。
「だらあっ!」
お返しとばかりに、今度はカケルがアレスの右腕を狙って剣を上方に振り抜く。
「アレス様!」
アレスの腕を斬ろうとしたその時、そばまで接近していたカンナがトンファーの切っ先を突きだしてカケルの剣を弾いた。
「ちっ!」
舌打ちしつつ、カケルは二人から数メートルほど飛び退った。
やはり二人同時だとやりにくい。一人だけならどうにか対処できるのに、二人相手になると途端に攻め辛さを覚える。なまじ両者共に実力者なだけあって生半可な攻撃では通らない。よくルトはこんな奴らを平気で相手取っていたものだ。
どうにか隙を生んでどちらか片方でも戦闘不能に追い込まなければ──などと策を練ろうとしていたその瞬間。
──ゾクッ。
と、突然背筋に悪寒が走った。
この第六感に訴えかけてくるような危機的直感──間違いない。これは何か、危険なものが迫っている。
それも、足元の方から。
「────っ!」
判断は早かった。
考えるより先に、カケルは床を蹴って宙空へと逃げ出していた。
その直後、地を穿つような轟音と共に、突如として床から岩石が──それも無数の剣山と化して隆起してきた。
「あっぶねえ! 串刺しにする気かこのやろう!」
毒つきながら、カケルは剣山のない地点に降り立って、その隙間から一連の犯人の姿を探す。
いた。予想通りというべきか、リタが杖をこちらに向けて視線を凄ませていた。気が付かなかったが、どうやらアレスとカンナの相手をしていた間にひっそりと魔法を唱えていたらしい。
ゴクリと喉を鳴らし、眉間に伝う冷や汗を拳で拭う。
手強い。覚悟はしていたが、三人が揃う事によって絶妙なコンビネーションを生み、着実にこちらを追い込んでくる。ルトとの戦いを眺めていた時から目を見張っていたが、直に味わってみると改めてその怖さが実感できる。これは、今まで戦ってきた中でも強敵の部類だ。戦闘慣れした魔族でもここまで連携が取れた攻撃を仕掛ける奴なんてそうはいないだろう。
「さて、どうしたもんか……」
剣を両手に持ち直しながら、剣山の陰に隠れてしまったアレスとカンナの姿を視線を凝らして探す。
どうやらこの剣山は、カケルを攻撃する物だけでなく目くらまし的な意味合いもあったらしい。おそらく剣山の陰に隠れつつ、機を見て飛び出してしてくるつもりなのだろう。打ち合わせをした素振りも見せなかったのに、よくぞここまで意思疎通できるものだ。敵ながら感服してしまう。
果たして、二人のどちらが先に仕掛けてくるのか。
それとも、二人同時で来るのか。
何にせよ、一瞬の油断が命取りとなる。
そうして、すぐ迎撃できるように二人の奇襲を警戒していたその瞬間──
「カケルっ! 上!!」
背後から届いたルトの大声に、カケルは弾かれるように頭上を見上げた。
「げっ!? マジかよ!?」
思わずそんな驚愕の声を漏らすカケル。
見上げるとそこには、放物線を描くように剣山の峰を越えて、幾多の炎球がカケルに降りかかろうとしていた。
そういえば、少し前の氷柱の魔法でも軌道を変えていたが、しかしまさかこんな使い方をしてくるとは予想だにしてなかった。ルトには遠く及ばないにしても、魔法を操作できるだなんて相当優秀な証だ。じつに厄介な魔法使いである。正直ルトに教えてもらわなければ、アレスやカンナに気を取られて、無防備のまま直撃する所だった。
しかしながら、低級魔法(その証拠に、剣山を顕現させた後、すぐに炎球を放ってきた。それだけ詠唱を短く済ませたという事だ)なだけあって避けるまでもなく剣の一振りで難なく消せそうだ。
「はあっ!」
横薙ぎの一閃。凄まじい剣圧が全ての炎球を呑み込み、跡形もなく打ち消す。
よっしゃ! と軽くガッツポーズを取って油断していたのが悪かったのだろう。
突如剣山の陰から飛び出してきたカンナが、カケルを狙ってトンファーの片側を投擲してきた事に気が付かなかった。
「────っ!?」
回転しながら飛来してくるトンファーにギョッと目を剥きつつも、そこは腐っても勇者か……一瞬反応が遅れつつも、カケルはほぼ脊髄反射的に剣を横手に持ち上げて防御を取った。
その甲斐あってか、トンファーは胴体に接触する事なく剣に弾かれて上方に弾かれる。
だがしかし、その弾かれた先がまずかった。
トンファーがカンナの意思に沿うかのように、カケルの額へとブチ当たったのだ。
「がっっ!?」
苦鳴を零し、額を押さえてよろけるカケル。
額に鈍痛が走る。手に滑りのある感触が伝わる。
見ると、手のひらに赤黒い血が広がっていた。どうやら額を切ってしまったらしい。
とはいえ、視界はクリアだし、脳しんとうを起こすような感じもしない。出血すらしたものの、脳に深刻なダメージは無かったようだ。
「──分からないな」
怪我の具合を確認していた
カンナとは真逆の剣山から飛び出してきたアレスが、隙だらけのカケルにミストルティンを振るってきた。
「君は何故そこまでして、魔王を守ろうとするんだい?」
「くっ……!」
寸前の所で、ミストルティンを剣でガードする。しかしそのまま二撃三撃と打ち込まれ、力に押されて後退させられていく。
「これまでの剣捌きといい魔王城にいる件といい、察するに君も勇者なのだろう? そんな君がどうして同じ勇者である僕に牙を剥くんだい?」
ギィンギィン! と剣戟が唸りを上げる。一つ一つはさほど重くはないのに、縦横無尽に走る剣線がまるで荒れ狂う川を彷彿とさせ、カケルに反撃の余地を与えない。実の所、受け流すのでやっとなぐらいだ
いや、平素のカケルなら防戦一方にならず、斬り合いに持ち込めていたはずだった。
が、つい今しがた額に受けたダメージが想像していたより四肢に響いていたのか、手足が思うように動かなかった。なんだか酒にでも酔っているかのような感覚だ。あの一撃のせいで脳に何かしらの不具合が生じているのかもしれない。
「元は君も魔王を倒そうとしていた一人だったのだろう? なのにどうして逆に肩を持とうとするのか──
終始防御に必死で無言でいるカケルに、アレスは鍔迫り合いに持ち込んで詰問を続ける。
端からカケルの回答など期待していないと言わんばかりに、手心無しの一撃を重ねて。
そうこうしている間に、ついに壁際まで追い詰められてしまった。これでは引く事すら叶わない。
「魔族に寝返るだなんて──僕ら人間を敵に回すだなんて──」
至近距離で互いの苛烈な視線が交錯し、ギチギチと金属の擦れる音が耳朶を打つ。
そうしてアレスはここ一番の力を込めて、さながら蜘蛛の巣に向かう蝶を見つめるかのような憐憫の目で、最後にこう問うた。
「君は、どれだけ愚かで罪深い行為をしているのか、本当にわかっているのかい?」
その言葉にカケルは浅く吐息を零しつつ、こんな緊迫とした状況の中で、これまでの人生を走馬灯のごとく脳裏で駆け巡らせた。
アレスの言う通りだ。自分は愚か者だ。畜生にも劣る大馬鹿野郎だ。
元いた世界でも、平和な日常に甘えて何も努力をしてこなかった。退屈な世界に不満を漏らすだけで、怠惰に毎日を過ごしていた。お世話にも真っ当に生きていたとは言い難い。
そんなある日に、まるでカケルの願いを叶えるかのようにこの世界へと突然喚び出された。
召喚された時に備わった超人的な身体能力に浮かれて、アリシア姫という絶世の美少女と婚約を取り付けてさらに有頂天になったりもした。
紆余曲折ありつつも、持ち前の悪運も手伝って、さほど苦労もせずに魔王城へ到達することもできた。順風満帆だったと言ってもいいくらいだ。我ながらかなりに浮かれていたと思う。
そうして、カケルはルトと出会った。
最初はあっさりルトに負けて。
意固地になって、すぐまたルトに再戦を挑んで。
でもまるで歯が立たず、ルトにたやすくあしらわれて。
それから、ルトとじゃれ合うように幾度となく戦って。
ルトに殺されかけて。
ルトに看病されて。
ルトの境遇を知って。
ルトの優しさに触れて。
ルトに告白されて──
思わず、ふっと心中で苦笑を零す。
色々あったはずなのに、思い浮かぶのはどれもこれもルトと一緒に過ごした日々ばかりだ。
愛おしいぐらい、温かくて輝いていた日常ばかりだ。
本当に自分はどうしようもなく愚かだ。どうしてもっと早く気が付かなかったのだろう。
こんなに頭から離れないほど、ルトが好きだったという事に。
好きで好きでたまらなくて、この熱い感情を抑えられないくらい大好きだったという事に。
きっとルトと出会わなければ、こんな風に自分の人生を省みたりしなかった。
自分に慢心して。周囲や与えられた能力に甘えて。
この先ずっと、そうやって舐めきった人生を送っていた事だろう。
もしもそうなっていたらと思うとぞっとする。今よりもっと愚かな人間になっていたかもしれないなんて、それこそ悪夢だ。
それを気づかせてくれたのは、ミランやフレイヤ──そして何よりルトのおかげだ。
気づかせてくれたのはそれだけじゃない。
ルトから、誰かを想う事の大切さを知った。
こんなにも胸が熱くなる感情を知った。
ああ──今ならはっきり言える。声を大にして言える。
──オレは、ルトを愛している。
世界中の誰よりも、何を引き換えにしても代えられないほどルトを心から愛している。
だから。
だから、こんな所ではまだ終わるわけにはいかない──!!
「んなもん知るかああああああっ!」
双眸も犬歯を剥きながら、カケルは突如として咆哮を上げた。
「なっ──っ!?」
その魂をも揺さぶる雄叫びに、アレスは思わず瞠目して引け腰になった。
一瞬だけ生まれた隙を、すかさずカケルが渾身の力でミストルティンごとアレスを後方へと弾き飛ばして猛然と攻め始めた。
「勇者が魔王を守って悪いか!」
怒号と共に、カケルは速度を上げて連撃を浴びせていく。
突発的に攻めへと転じてきたカケルに、アレスは「くっ!」と顔をしかめながら、急流に呑まれる形でずるずると退いていく。
まさに形成逆転。それまで押される一方だったのが嘘のように、鬼気迫る表情で攻めに転じてきたカケルに、アレスは反撃できないほどまでに圧倒されていた。
いや、それだけではない。反撃できないのは単に気迫に呑まれているだけでなく、斬撃を与える度に威力も速さも増していっているのだ。
さながら、本来ある力を徐々に解放していっているかのように。
「勇者が人間の敵に回って悪いか!」
渾身の一撃がミストルティンの刀身に叩き込まれる。
よほど重い一撃だったのだろう──アレスは完全に受け止める事ができずに、ミストルティンを握りつつも、後方へと弾き飛ばされて無様に床を転げ回った。
「ぐあっ!?」
「アレス様っ!」
それまでカケルの猛襲に尻込みしていた様子だったカンナが、アレスのピンチを見て、慌ててすぐに駆け寄る。
だがしかし、アレスの盾になろうとするより早く──カケルは即座に動いて、流れるような所作でカンナに刀身を振り抜いた。
「きゃあっ!?」
どうにかトンファーで刃を受け止めたものの、これまでとは比べものにならない一撃に力負けして、アレス同様カンナも真後ろに飛ばされた。
そして、そのまま追撃を掛けようとした所で──
「そうはさせませんっ!」
遠方から感じた殺気に、カケルは瞬時に体を反転させて先の声の主に焦点を合わせた。
そこには、剣山の陰からいつの間にか出ていたリタが、頭上に身の丈を悠に超える氷柱を顕現させて、こちらに目標を定めていた。
「行きなさいっ!」
リタの声に呼応するように、見た目の巨大さに反して氷柱が大砲じみたスピードでカケルへと飛来してきた。
それを見てカケルは、一切逃げる素振りを見せずに、スッと正眼の構えを取った。
何度かリタは魔法の軌道を変える真似を見せている。ならば、避けた所でどうせ追尾してくるだけだろう。
だったら、正面切って真っ二つにしてやるまで──!
残り十メートル。こちらへと強襲してくる巨大な氷柱を前にして、カケルは。
全身全霊の力を込めて、大きく剣を振りかぶった。
「惚れた女のためにぃぃぃぃぃぃぃぃ! 男が体を張って悪いかボケええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
巨大な氷柱を轟然と縦に両断し、カケルは一息つくと共に抜き身に付着した氷の粒子を振り払った。
刹那──二つに割かれた氷柱が床を滑り、壁に衝突して轟音を唸らせながら粉々に崩れ落ちた。
直後、パキンという金属が砕けたような音が鳴った。
そしてカランカランと何かが床に落ちてバウンドしたような硬質的な音が足元で鳴り響く。
よく見ると、剣が根元から折れ果てていた。先の衝撃に耐えきれず、氷柱を真っ二つにした後に限界が訪れてしまったのだろう。
「カケル──……」
喧騒の中、ルトの情感の込められた呟きが鼓膜を撫でたような気がした。
聞こえるはずもない声が、さもカケルの気持ちに応えるかのごとく囁かれたような気がした。
深く吐息を零しながら、カケルは天井を仰ぎ見て、祈るように瞼をゆっくり閉じた。
届いてくれただろうか、この熱い気持ちが。
伝わってくれただろうか、この抑えきれない気持ちが。
何度も不安がらせてごめん。
何度も悲しませてごめん。
何度も泣かせてごめん。
心から誓おう。今度こそルトのそばから離れたりしないと。
二度とルトから逃げたりしない。
ルトを一人ぼっちになんか絶対にさせない。
だから──
もう、迷わない。
折れた剣を放り捨て、カケルは意を決したように両腕を前に突き出す。
そうして、揺るぎない確固たる決意を持って。
カケルは、自分の持てる最大限の力を解放するようにこう声高に唱えた。
「『我ここに、聖遺物召喚の儀式を取り行なう』──!!」
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