第36話 最強の証明



 最強とは何を指してそう呼ぶのだろうか。

 一口に最強と言っても、そもそも定義からして曖昧模糊としているし、更に突き詰めるなら、最強という言葉に対して抱くイメージも人それぞれ──千差万別である事は、もはや言うまもないであろう。

 喩えば。

 他を圧倒する、超人的なまでの身体能力。

 数千、数万の民を魅了する比類なきカリスマ性。

 いかなる戦況であろうと、難なく優勢へと導く逸脱した知力。

 どれだけ絶望的状況であろうとも、絶対安心を保証された、神からの祝福とも言うべき強運。

 あるいはその全てを総称して、人は最強と呼称するのかもしれない。

 どちらにせよ。

 それらが秀でた才能──むしろ異常とも言える突出した能力たりえる何かを奮ってこそ呼べる言葉であり、つまりは遥かなるいただきに居てこそ、初めて最強と名乗れると言っても語弊は無いのではなかろうか。

 しかしそれも、こうして彼女を前にしてしまったら。

 そういった言葉の羅列が何の意味も為さない──単なる戯言でしかないと誰しもがそう思わざるを得なくなってしまうだろう。

 それでも、敢えて陳腐と自嘲しつつも口にするのなら。



 彼女ルトの場合、常識や合理性だなんて理屈は一切通用せず、もはや呆れるくらいにどうしようもなく、存在そのものが既に最強化け物なのである、と……。



 ◇◆◇◆◇◆



 ──これは本当に参ったね。まさかこんなにもあっさり予定を変更させられるなんて……。



 銃を握る手にじっとりと不快な汗を滲ませながら、アレスはそう心中で気弱な言葉を漏らした。

 当初の予定では、先祖の遺産であるこの拳銃でルトに致命傷を──いや、そこまでいかずとも、ある程度のダメージを負わせた後、反撃を許さぬまま即座に勝負を決めるつもりだった。

 それなのに、どうだ。

 ルトは傷を負うどころか、まるで臆する様子も見せず、忌々しくも不敵に笑んでこちらを眺めている。これからアレス達をどう嬲り殺してやろうかと熟考しては悦に浸っているような──およそ可愛いらしい外見に似つかわしくない残忍な表情を浮かべて。

「どうした。虫けら共」

 一言も発せず慄いたままでいるアレス達に、ルトが声に喜色を含ませて口火を切る。

「その銃を撃ってから、前より一層腰が引けているぞ。私を倒しに、わざわざ此処まで来たのだろう?」

 その腰に下げた剣は、ただのお飾りなのか?

 嘲笑を含んだルトの物言いに、アレスは拳銃を腰元に仕舞い、代わりにいつでも抜刀できるよう、剣の柄を力強く握りしめる。

 先ほどから、どちらも間合いを計ったまま一切動きを見せない。否、動けないのでいるのはむしろアレス達の方だ。ルトが玉座から下りてからしばらく、距離を保ったまま何も出来ずに漫然と佇んでいる。これでは蛇に睨まれた蛙そのものだ。

「……どうするんス、アレス様」

 ルトと対峙してからこっち、雰囲気に呑まれて言葉一つ吐けずにいたカンナが、己の小胆を蹴飛ばすように威勢良くトンファーを取り出して声を掛けてきた。

「このままだと、膠着状態が続くだけっスよ?」

「そうだね。でもその前に、魔王が張った魔法障壁の方を先に何とかしないと……」

「いえ、その心配はないでしょう。」

 カンナに倣ってリタも杖を構え直しつつ、ルトから視線を外さずに抑揚なく言葉を発する。

「どれだけの範囲で魔法障壁を張っていたかは定かではありませんが、おそらく玉座の周辺だけでしょうし、いくら魔王が万能とはいえ、障壁ごと移動するのは不可能だと思います。」

「それは本当かい?」

「はい。なので今の魔王は障壁無しの無防備状態──お世辞にも優勢とは言い難いですが、ある意味好機だとも言えるでしょう。」

「つまり、狙うなら──」

「今しかない、って事っスね?」

 お互い、言葉を重ねて同調するように頷き合うアレス達。そんな三人を眺めながら、

「内緒の打ち合わせは済んだか?」

 と、ルトが肩の筋肉を手でほぐしつつ、これから遊びに興じるかのような気軽い口調で言う。

「いい加減、私も退屈してきた所だ。準備が終わったのなら、さっさと掛かってきてほしいのだがな」

「へぇ。律儀にも待っていてくれたのかい? それも先行を譲ってくれるなんて、随分とお優しい事で。まるで有象無象を前にした主役のようだ」

 なんて皮肉を交えつつ、アレスは刀身を即座に抜き出し、剣先をルトに向けて言い放った。



「けれど、ここからは僕達のステージだ」



「キバって行くっスよっ!」

 先に打って出たのは、アレスが剣を抜くより早く疾走していたカンナであった。

 両手に持ったトンファーを後ろ手に持ち、身構える様子もなく悠然と佇むルト目掛けて、カンナは嵐のように全力で突っ込む。

「はぁぁっ!」

 渾身一的で繰り出したトンファーの突き──それをルトは身を捩らせただけで軽々と躱して、「はっ」と小馬鹿にしたように失笑を零した。

「無鉄砲なのはいいが、そんな単純過ぎる攻撃では擦りもしないぞ?」

「まだまだこれから──っスよ!」

 続いての二撃目。一度は避けられた攻撃を、別のトンファーにて袈裟掛けに振り抜く。

 が、これもバックステップにてあっさり避けられてしまった。しかし攻撃の手を休めぬまま、カンナは一早くルトに詰め寄り、軟体さながらの凄まじい回し蹴りを放った。

「──っと。ほう、なかなかに良い蹴りをしているな」

 放たれた蹴りを片手で受け止め、感心するかのように目笑するルト。

「それはどうもっ!」

 そんな簡単に防がれたら、嬉しくも何ともないっスけどね!

 単なる侮辱とも取れるその物言いに言葉を返しつつ、カンナは爪先を掴まれたまま、体を浮かして空いた片脚で膝蹴りを与える。

「ふん。足癖の悪い女だ」

 だがそれも──あたかも次の一手を読まれていたかのように掴まれていた足を勢いよく放り投げられ、カンナは受身を取りつつも床に身を投げ出されて強かに体を打ち付けた。

「──かはっ! げほげほっっ」

 苦しげに咳き込むカンナを横目で見据えつつ、ルトは次なる相手──いつの間にか肉薄していたアレスへと視線を移す。

「愛の天罰、落とさせてもらおう」

 宣言と共に上方から振り下ろされた刃を、ルトはカンナの時と同様、身体を反らしてアレスの剣撃をいなす。

 しかし、アレスの攻撃はそれだけで終わらなかった。

 一度は振り落とした刃を、今度は一気に振り上げて、ルトのがら空きになっている胴を狙う。

 残念ながらこれも、半歩後退されただけであっさり避けられてしまったが、アレスは負けじとあらゆる剣技を放つ。

 幾つもの剣筋が光の軌跡を生み、さながら流星のように白く煌めき、刃が舞う。

 しかしそれも設定どの剣撃も一切のブレもない、美しくも凄まじい早さだったにも関わらず、魔王は。

 ルトは。



 その全てをただの一撃も受けず──どころか掠りすら受けず、軌道を読んでいるかの如く躱しきってみせた。



「あははっ! 遅い遅い! 遅過ぎて止まってすら見えるぞ!」

「──っ。随分と嫌味な事を言ってくれる……!」

 ルトの嘲笑を孕んだ軽侮に、思わず悔しげに歯噛みするアレス。

 だが確かに、一太刀すら与えられていないのは純然たる事実だ。幸い──と言っていいものかは微妙だが、未だルトが反撃に転じてこないだけマシではあるけれど、このままではジリ貧である事に変わりない。どうにか活路を見出せねば、無闇に体力を奪われるだけだ。

 もっとも、対魔王戦において、拳銃による不意打ち以外に何も策を講じていなかったらの話ではあるが。

 ──そう。ルトはまだ知らない。今アレス達が取っている行動は、全てとある布石でしないとないという事に。

 初めこそ切り札の一つが空振りに終わって唖然されたものの、それでこちらの計画が全部ご破算になったわけではない。仮に初撃が失敗──その可能性は限りなく低いと見積もっていたのだが──もとい魔王に何ら深手を負わせられなかった場合を想定して、事前にリタとカンナにはもう一つの策を説明してあったのだ。

 故に。



 こうして連撃の手を休め、タイミングを見計らって後方へと飛び退いたのも全ては──アレスの思惑通りなのだ。



「……ん?」

 突如距離を取ったアレスの行動に疑問を感じたのだろう──ルトは追撃する事もなく、訝しげに眉根を寄せて口を開いた。

「いきなりどうした? まさか今のでもう降参する気になったのではあるまいな?」

「それこそまさかだよ。これは戦略の一つさ。そして君は失念している。相手をしているのは僕とカンナだけでなく──」



「私もいる事をお忘れなく。」



 不意に聞こえてきた、感情の読み取れない朴訥とした声。

 声の主──それまでずっと呪文を唱えていたリタが、いつの間にか両隣りに紫電を纏った六つの光球を顕現させて、狙いを定めるように杖をルトに向けて構えていた。

「痺れるくらいに後悔させてあげますよ。唸れ雷光──!」

 瞬間。

 リタのそばで宙に浮いていただけの光球が、導かれるように一つ一つルト目掛けて直進した。

 光球は徐々にスピードを上げ、猛然とした速さでルトに襲い掛かる!

「ふん」



 パチンっ。



 と。

 迫り来る光球に何ら退避行動を見せず──それどころか余裕すら窺えるほどの手軽さで、ルトは唐突に指を鳴らした。

 その動作に訝しく眉をひそめるリタであったが、しかし魔法を途中で止めたりせず、ルトを目標に光球を走らせる。

 そして、最初の一発目がルトに着弾しようという所で──



 光球が、一瞬で掻き消された。



「なっ──!?」

 予想だにしなかった光景に、さすがのリタも驚愕を隠せず、両目をこれでもかと言うくらいに見開く。

 前面にだけ作られた、透明化状態での魔法障壁。先ほども見せられたばかりというのもあって、障壁による防御であるというのは間違いないが、それよりも特筆すべきなのはその発動時間だ。

 通常、魔法は詠唱を伴わないと、まともに発動できない。細部を省き、噛み砕いて説明すると、詠唱には精神を研ぎ済ませる効果……一種のトランス状態に陥る事が可能であり、それによって内に流れる魔力を火や水といった属性に変換、具現化し、そこで始めて魔法を放てるようになるのだ。

 故に。

 詠唱無しで魔法を発動させるなんて事実上不可能に近い。仮に出来たとしても、よほどの大賢者──しかも相当簡単なものでもない限り、詠唱せずに魔法を扱うだなんて到底無理なはずなのだ。

 それを、ルトは。

 一言も詠唱を口にせず、指を鳴らしただけで魔法障壁を難なく発生させるなんて……!



 ──噂では、美少女だという他に詠唱無しで魔法を使うだなんて信じ難い話があったけれど……。



 リタの攻撃魔法に巻き込まれないよう少し離れた位置に逃避しつつ、アレスは沈思黙考する。

 こうして離れている間に、既に二発目三発目と着弾したのだが、そのどれもが魔法障壁によって無力化されている。拳銃でこそあの壁を貫通させる事ができたものの、やはり並の魔法では簡単に行かせてはくれないらしい。この分だと、残りの光球もあっさり防御されてしまいそうだ。

 まさに打つて無し。

 こんな天災とも言うべき大いなる存在を前に、どうやって勝利をもぎ取れというのか……!?

 と。

 もし何も対策を練らず、無為無策のままに突貫していたならば、誰もがそう絶望し、己の生死すら諦観していた事だろう。

 しかし生憎と、アレスは違う。

 さすがにここまで出鱈目な奴だとは思いもしなかったが、先述にもあった通り、切り札である拳銃が通じなかった場合を想定して、ちゃんとこうなる事すら既に折り込み済みだ。

 先のカンナによる突撃──ついでアレスの斬り込みは、あくまでリタの詠唱を終えるまでの時間稼ぎ。

 そしてそのリタの魔法すら、実は

 最後の一撃。言わば本命とも呼べる一手を担うのは────

「一体何かと思えば……。これが貴様らの狙いだったのか? だとしたら、あまり冗長過ぎて欠伸すら出るぞ」

「残念ながら──」

 ルトの背後。

 リタの魔法に意識を取られていた間に、密かにかつ速やかにルトの背後に忍び寄っていたアレスが、フッと乾いた笑みと共に言葉を投げ掛ける。

 その手には、妙にでこぼこした鉄製の塊。

 祖父の遺産にして切り札の一つ、MK2手榴弾──!!



「本命はこっちさ」



 その言葉を合図に。

 アレスは手榴弾のピンを歯で抜き、ルト目掛けて投擲した。

 今ルトは、未だ続く光球の飛来を防ぐのに魔法障壁を展開したままだ。そしてその障壁は、前面にだけ張られていたのは既に確認済み。

 仮に手榴弾を防ごうと思えば前面の障壁を消さなければならなくなるし、逆にそうなれば、リタの魔法が直撃する事になる。

 どちらを取っても、彼女に逃げ場はない。

 この同時攻撃を防ぐなんて、絶対に不可能──!



 パチンっ。



 と。

 さながら、アレスの思惑を嘲笑うかのように。

 アレスの投げた手榴弾が、繭のような透明の膜に突然覆われ、刮目すべき早さで萎んでいき、そして──



 小さな爆発音と共に、膜の中で粉々に弾けた。

 爆風どころか破片すら勢いよく飛び散る事もなく、あたかも手の中で砕かれた飴細工のようにパラパラと。



「──────っっ!?」

 常識を覆す光景に、絶句した状態で硬直するアレス。

 魔法の同時展開。

 簡潔に現状を述べるならば、この一言に尽きるのだが、さりとて、実際には考えられない光景だった。

 魔法を放てるのは一度に一回きり。それが世界の常識であり、決して覆しようがない摂理だ。魔法使いなら周知の事実であり、魔法を扱えないアレスすら知っている事だ。

 それを、ルトは。

 まるで呼吸するような気軽さで障壁を出したまま魔法を展開し、糸もあっさり手榴弾を止めてしまった。

 詠唱無しでの魔法と言い、今しがたの光景と言い、どれだけこちらのど肝を抜けば気が済むのだ、この常識外れの化け物は……!



「魔法障壁の応用だ」



 瞠目したまま身動き一つすら取れないでいるアレスに、ルトが前面の魔法障壁を消して──リタの放った光球が全て消し去られたのを見計らって、冷笑を伴いながらシニカルに続ける。

「身を守る事だけが、魔法障壁の使い道ではないぞ?」

「ご鞭撻べんたつどうも……」

 笑みを強張らせながら、内心の衝撃を悟られないよう表情を取り繕って応答するアレス。

 魔法障壁の応用──つまりはあの膜のような物を指しているのだろうが、とどのつまり、手榴弾の特性を──爆炎ではなく爆発時による破片の殺傷力を事前に把握していたのだろう。

 思い返してみれば、少し前にルトが手榴弾の存在を示唆していたし、アレスも此処に到達するまで度々使用してしまっている。だからこそ、あれだけ冷静に──かつ密閉された空間によって爆破処理してみせたのも素直に頷ける。

 更に言及するならば──折しも、あの一連の行動で全身に怖気が走るような事実に察してしまったのだが、あの魔法障壁の応用とやらを使えば、いつでもアレス達をさせる事だって出来たはずなのだ。

 それこそ、赤子の手を捻るより容易く。

 きっと、遊ばれているのだ。

 子猫をあやす虎のような気持ちで。

 もっと言うなら、蟻を踏み潰す幼子のような陽気さで。

「…………っ」

 血が滲みそうなほど食い縛り、気圧されるように後退りながら、アレスは次の策を巡らせる。

 いや、策と言っても、具体的にどうすればいいのか。拳銃の弾も手榴弾も全て使い切った。後は知恵と剣術を駆使し、リタとカンナの力を総合してこの場を切り抜けるしか他ないわけではあるが、しかしこれだけ力の差をまざまざと見せつけられたら。

 はっきりとこうして力量差を提示されてしまったら。

 本当に自分の策なんて、果たしてルトに通用するのかと──どうしたって疑念を抱かずにはいられないではないか──!

「さぁて、守ってばかりというのも芸がない。というより華がない。今度は私の方から攻めてみるとしよう」

 と。

 すっかり気勢を削がれて息を詰めているアレス達を揚々と眺めながら、再びルトは指をパチンと鳴らし、そうして。



 ルトの前に、猛烈な勢いで燃え盛る二匹の竜が忽然と現れた。



『──────っ!?』

 突如出現した二匹の竜に面喰らうアレス達に対し、ルトは。

「踊れ。思う存分にな」

 と、妖しげに嗤いながら、事もなげにそう呟いた。

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