第35話 砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない



「いやー、一時はどうなるかと思いましたが、なんとか間に合ったようで良かったデスね~」

「はぁはぁ……ぜぇ……。ほ、本当にな……」

 素知らぬ顔でいけしゃあしゃあとのたまうミランを小脇に抱えながら、カケルは息も絶え絶えに言葉を返した。

 魔王城最上階。その謁見の間に隣接した隠し部屋の中で、カケルとミランは滑稽な体勢で佇んでいた。

 傍から見ると、まるで悪の組織に追われている少女を小脇に抱えて匿っている男──という風に見えなくもないが、無論そんなドラマティックな要素は一切合切無く、実際は──

「ったく! なんだったんだよあの無駄にだだっ広い真っ白な空間は! 脱出するのに二時間近く掛かるわ、そのせいでお前を抱えながらあちこち走り回される事になるわで散々な目にあったぞ!?」

「あー、あそこは『メンタルとルームの部屋』と言って、主に修行を目的とした所なんデスよ。ワタシは使わないデスけれど、なんでも外と中では時間の流れが違うらしくて、向こうでの一時間がこっちだと30分になるんだそうデス」

「ルームと部屋とで意味が重複してんぞ。しかも微妙な時間だなぁオイ」

 未来からタイムマシンに乗ってきた人造生物や封印された魔人が復活して襲ってきた時とかどうするつもりなのだろう。時間が足りなくてあまり修行が積めないのではなかろうか。いや、あくまで例え話だけれども。

「つーか、お前もお前で目的地を間違えてんじゃねぇよ! ドヤ顏で『自分に任せろ』みたいな事言っておきながらよぉー!」

「いやはや面目なイ。なにぶん普段から医務室か自室ぐらいしか行き来しないもので、あの装置を使うのは結構久しぶりだったんデス。でも何とかなると思ったんデスけどね~」

「ヤムチャしやがって……」

 まあ、時間の流れが違ったおかげもあって、そんなに時間を浪費せずに済んだだけマシかもしれないが。

「いやそれもあるけど、その後の道案内も酷いもんだったぞ。近道を知ってるって言うから指示通り動いたのに、落とし穴だらけだったり毒が塗られた床があったり前後不覚になるガスを吹かされたり、ろくでもない罠のオンパレードだったじゃねぇか」

「でも実際短縮できたでしょウ? それにあれだけはワタシだけのせいじゃありませんヨ。あれを作った魔族なんデスけれど風変わりな奴でしてネ、よく言ってましたヨ。『普通の建造物には興味はありません』って。それがあの罠の数々なんデスけれど、敵だけならともかく、味方まで被害が続出したせいで、流石に仕事をマミられて、もといクビにされてしまいましたけどネ」

「当たり前だ、んなもん」

 むしろ、問題が発覚する前に対処しておけよと思う。

「ところでカケルさん。そろそろ離してもらえますカ? いい加減苦しいんデスが」

「ああそうか。悪い悪い」

 言って、カケルはミランを離す。今まで焦っていたせいもあって、すっかり忘れていた(ミランがやたら軽くて気にならなかったというのもあるが)。

「ふぅ。抱えられているだけでも、案外疲れるものなんデスねぇ~」

 背を反らして筋肉の凝りをほぐしつつ、そう嘆息を吐くミラン。どちらというとカケルの方がその何倍も疲労しているのだが、この際それは置いておこう。

 それよりも。

「なあミラン。何で直接玉座の間に行かなかったんだ? 魔王のそばにいた方が何かと都合が良くないか?」

「カケルさん、ご自身の立場をお忘れデスか? 仮に敵であるニンゲンに姿を見られでもしたら、色々面倒な事になりかねませんヨ」

 あ、と小さく声を零すカケル。

 そうだった。ついつい失念していたが、向こうは自分と同じ人間なのだ。うっかりアスミスもといニアミスなんてした日には、根掘り葉掘り問い質されるだけに済まず、最悪、敵対行為と見なされて排除されかねない。

 そうでなくとも、魔王に加担する勇者がいると他の人間達に吹聴されでもしたら、それだけで一大事である。よっぽどの事態でもない限り、接触だけは避けたい。

「でも、それじゃあどうするんだ? 此処だと会話ぐらいしか聞けないと思うぞ」

「ご心配あらズ。ちゃんと隠し扉がありますから」

 こっちデス、と手招きしながら先導するミランに、カケルは黙って後を付いて行く。

 しばらく奥に進むと、急にミランは立ち止まり、近くの横壁に手を添えて何やら弄り始めた。付いて来てみればそこは柱以外何も見当たらず、そばに窓や燭台もないせいか、周囲は妙に薄暗い。何だかまるで倉庫にでも使われそうな冷え冷えとした空間だ。

「なあ、一体何してんだ? オレが見る限り、そこには壁しかないぞ」

「しばしお待ちを。確かこの辺に……ああ、ありましタ」



 がこっ。



 と、不意に何か硬い物が動く音が聞こえた。見ると、壁の一部がスライドしたように奥へと凹んでいた。さっきからやたら壁を探っていたのは、これを押す為だったのか。

 おそらくそれがスイッチとしての役割を果たしていたのだろう──数分と経たずにゴゴゴゴという地鳴りにも似た騒音を響かせながら、正面の壁が割れて両サイドに開き始めた。

 そしてそこには、ちょうど人一人が入れる程度の古ぼけた扉が。

「すっげぇ。何か秘密基地みたいな感じで扉が出てきた……!」

「驚いたでしょウ? 他にも床が突き上がって城外に追い出されたり、裏ボスへと続く秘密の出入り口が現れたりするスイッチもあったりしますが、試してみまス?」

「試さんでいい試さんで」

 ひょっとして、それらも仕事をマミられたとかいう職人の仕業なんだろうか。重ね重ね言うが、何故もっと早くそんな危険極まりない奴を解雇しなかったのだ。あと、裏ボスって何なんだ(まさかフレイヤの事か?)。

「さて、隠し扉も出てきた所で、ルト様の様子を窺いますカ。先ほどから不気味と物静かなのも気がかりデスし」

 それはカケルも気にしていた所だ。

 いやもっと言うと、ここまで辿り着く道中でいつからか城内が波を打ったように静かになっていたので奇妙に思っていたが、何かしらの重大な動きがあったのかもしれない。それが何なのかは分からないが。

 ともあれ、そのおかげもあって他の魔族と鉢合わさずに済んだし、ルトがまだ侵入者と相対していない事も知れたので、多少不気味な点は目を瞑るとしよう。それよりも今は、ルトの安否の方が重要だ。

「では開けますヨ。と言ってもあんまり開け過ぎると向こうに気取られかねないので、射界十センチほどにしておきましょうカ」

「十センチだけでいいだろ。射界とかいらん言葉を付け足すな」

 などと漫才めいた会話をしつつ、ミランがひっそりと開けたドアの隙間から謁見の間を覗き見る。

 此処を眺めるのもずいぶんと久方ぶりになるが、相変わらず無駄にだだっ広い所だ。

 壁も床も全て頑丈そうな石材で出来ており、かつて幾多の勇者達と歴代の魔王が激闘を繰り広げてきたとは思えないほどの綺麗な造り。床に敷かれた赤い絨毯は大扉から玉座まで整然と続いており、一切の歪みすら無い。各柱に埋め込められた灯籠の光がまるで昼間のように煌々と周囲を照らし、今が早朝過ぎだという事を忘れさせそうなほどの明るさだった。

 少し前まで、この場所でルトと何度も戦ってたんだよなあ──なんて感慨に耽りつつも、くだんのルトを探す。

 ルトは……いた。カケルが初めて魔王城を訪れた時と同様、紫染めの軽装鎧を身に纏い、豪奢な玉座にふんぞり返りながら。

 ただ一つ違ったのは、あの時は至極退屈そうに頬杖を付いていたが、今はどこか虫の居所が悪そうに双眸を尖らせて大扉の方向を見据えていた。加えて、カツンカツンと苛立だしげに爪で玉座の縁を鳴らして。

「あいつ、何か機嫌悪そうだな……」

「そりゃそうデスよ」

 カケルに倣ってか、ルトに気付かれないようになるべく声を潜めながら、ミランは淡々と調子で答える。

「愛する人との最後の逢瀬を、侵入者などという無粋な奴らが邪魔したんデスから」

「そ、そうか……」

 確かに、言われてもみればその通りだと思う。ルトじゃなくとも、愛しい人との一時に横槍を入れられたら、憤慨するのも無理はない。実際、カケルもイラっとさせられたし(しかも重要なセリフの途中で)。

「だいたいデスねえ、カケルさんもカケルさんで、あの時もっとルト様に攻めたら良かったんデスよ。舌を絡めるくらいのズキュウウウンな情熱的チッスを交わすとか」

「バカぁ! あんなしんみりとした状況な中で、そんな破廉恥な真似ができるわけないでしょがぁーっ!」

「今まで散々ルト様に破廉恥な真似をしくさっておいて、どの口がほざきますカ。膝の裏を舐めたり股の上で昼寝したり、例を挙げたらキリが無いデスよ」

「それもそうだね!」

 あっさり肯定するカケル。こればっかりは本当の事なので弁解の仕様がない。

「おっと。そんな事を言ってる間に、賊達が来たようデスよ」

 そうミランに促され、カケルは謁見の間へと視線を戻す。

 カケルの身長の何倍はあろうかという大扉が静かに開かれ、外から流れ出た風が灯籠の火を幽かに揺らす。



 果たして現れたのは、一人の男と二人の女性の三人組だった。



 男の方はカケルとそう変わらない程度の年齢に金髪碧眼に精悍な顔立ちをした、いかにも温室で育てられたかのような美丈夫で、佇まいにもまるで隙が無い。おそらくは貴族の生まれなのであろう気品が、高価そうな赤マントや腰に携えた装飾の激しい剣といった見た目よりも如実に物語っていた。きっとあの甘いマスクとか家柄とかで、数々のおにゃの子を手玉に取ってきたに違いない。爆発すればいいのに。

 その少年と並ぶ形で、カケルよりは年下そうに見える少女が、杖を脇に挟みながら細腕で大扉の片側を開けていた。

 栗色の髪にフリルの付いたカチューシャ。瑠璃色のローブに杖といった出で立ちから、魔法使いである事が把握できる。容姿はルトと負けず劣らずの美少女ではあるが、しかしその表情に感情らしい感情は見受けられず、仏頂面というより仮面みたいだ。ミランも似たような感じだが、あれは無愛想なだけで決して感情を表を出さないわけではない。

 その点、魔法使いの方はと言うと、そういった感情の類いが微塵も窺えないのだ。過去に何かあったのか、それとも別の要因によるものなのかは分からないが、常人では彼女の表情から何かを読み取る事は不可能だろう。

 最後の女性は三人組の中で一番年齢が高そうで、見た目からは二十歳前後くらいに見える。長い赤毛の髪を一つに纏めたポニーテール。豊満な胸を無防備にもサラシだけで覆い、腰には道着に似た白い生地を巻き付けている。その下にはレザーパンツを除かせ、武器らしい武器はどこにも見受けられなかった。ひょっとすると格闘家とかなのかもしれない。魔法使いとはまた違って目鼻立ちがはっきりとした美女といった感じではあるが、目の奥に宿る光が活発な少年のように爛々としている。外見と異なって、案外子供っぽかったりするのだろうか。この女性も魔法使いと同じ形で、片側の扉を開け放っていた。

 そんな三人組ではあるが、ここが敵地であるのを忘却しているのか、それとも余裕から来る挑発なのか、堂々と手を繋ぎ合って登場してきた。それも金髪碧眼の少年を中心とした、いわゆる両手に花状態で。恋人繋ぎで。互いの体を密着させて。いやもう心の底からマジで今すぐ爆発してくんねぇかなぁ!

「ああいう女たらしそうなボンボンを見ると、悪女にでも騙されて有り金全部溶かした時の顔を拝んでみたくなりますよネ。あびゃあ~」

「奇遇だな。全く同意見だ」

 あと、即刻もげてしまえばといいと思う。ナニがとは言わないが。

 しかしその場にそぐわないイチャイチャとした雰囲気も、次の一言であっさり塗り潰される事となる。





「  来たか。虫けら共が  」





 恫喝──というほど大仰なものではなかった。いっそ波打つ海のように静かな声差しだったはずなのに、心臓を鷲掴みにされたかのようなこの感覚に陥った。こういうのを言霊が宿ると表現するのかもしれない。言葉だけで人を殺せるのだとしたら、先の一言で骸の山を形成できそうなほどの壮絶な殺気がそこにあった。

 そしてそんなルトの殺気に当てられたのせいなのか、力が抜けたのように三人組の両手がだらんと床を向けて垂れ下がった。その六つのまなこは揃って見開られており、その行き先は全て不遜な態度で足を組んでいるルトに注がれていた。

 それはカケルも同様で、今までに見た事のない──むしろ豹変したと言っても過言でないルトの様子に、一切口が開けないでいた。

「驚かれましタ?」

 唖然としているカケルを見て楽しんでいるかのように、薄らと笑みを忍ばせてミランは言う。

「カケルさんはルト様の退屈そうな顔か、もしくはアナタに恋慕している時の顔ぐらいしか知らないのでしょうけれど、本来の──魔王としてのルト様は、あれが素なんデスよ」

 もっとも、ワタシもあのルト様を見るのは大分久しぶりなんデスけどね、と付け加えるミラン。

「そうなのか……。何か意外だな。魔王があんなとげとげしい──剣呑な雰囲気を垣間見せるなんて」

「別にルト様も裏表が無いわけじゃありませんしネ。まあ、ルト様は裏も表も素敵な方ではありますけど。畢竟ひっきょう、どんな方でも色んな顔を持っていて当然という事デス」

「……それは、お前も含めてか?」

「ご想像にお任せしますヨ。というより、それほど付き合いの長くない二人が裏だの表だの言い合うだけ不毛な感じがしなくもないデスが。ワタシはまだ、カケルさんの極めて数少ないガールフレンド(仮)という立ち位置でしかありませんし」

「(仮)って、友達ですらない可能性もあるのか……」

 何気にショックな話だった。

 あと、極めて数少ないとか本当の事を言わないでほしい。男は女子の些細な一言であっさり傷付くものなのだから。

 そうこうしている間に、沈黙を保っていた金髪の男がようやく口を開き始めた。どうやらルトの蔑んだ言葉に皮肉を返しているようだが、如何せん未だに気圧されている感が否めない。それだけルトの放つプレッシャーに圧倒されているという事なのだろう。

「なあ、今の内に増援を呼んできた方が良くないか? いくらアイツでも、あの三人を相手取るには骨が折れるだろうし」

 ルトと金髪の男との会話に耳を傾けながら、カケルのすぐ横で同じように様子を窺っているミランに問う。

 実際に戦っている所を観察したわけではないのだが、あの立ち振る舞いからして、ただ者ではない事がよく分かる。



 あの三人は──強い。

 それも、カケルが今まで出会ってきた戦士の中でも、トップクラスに入るほどの。



 厳密には、一人一人を相手にするだけなら勝てる自信はあるのだが、三人纏めてとなるとどうなるかは分からない。一人の時と違って連携プレイも出来るし、何より攻撃の幅が多いに広がる。あの三人がどれだけの動きを見せるかは定かではないが、魔王ルトの元まで辿り付けたほどの奴らなのだ……一筋縄でいかないというのは容易に知れる。

 そういう考えもあって、増援という提案をしたのだが、当のミランはさして気にしていないような顔で、

「問題ありませン」

 と一蹴した。

「ルト様はあんな奴らに負けるようなヤワな方ではありませんから。増援なんて、却って邪魔になりかねませン」

「邪魔って……。何でそんなはっきりと言えるんだよ?」

「ワタシの予知能力サイドエフェクトがそう言っているからデス」

「この期に及んで妙な設定加えんな」

 隙あらば、わけの分からないキャラ付けをしてくる医者ゾンビだった。

「──なんて、今のはちょっとした冗談デスが、ルト様が負けないという言葉だけは嘘ではありませんヨ。ルト様の実力は、アナタが思っているより遥かに凌駕しているのデスから」

魔王アイツの実力……?」

 それは一体どういう意味なのか。

 ルトとはこれまで幾度となく死闘を交えてきたが──彼女の本気を何度も身に味わってきたつもりだったが、それはほんの断片でしかなかったという事なのだろうか。

 ルトの真の実力は、カケルが思っているよりもずっと想像を超えた高みにあると──ミランはそう言いたいのだろうか。



「悪いけれど、最初から決着クライマックスといかせてもらうよ」



 と。

 そうこうしている間に、事態は大きな転換を迎えようとしていた。それまで一切モーションを見せなかった金髪の男が、腰に手を忍ばせるという動きを取ったのだ。

 そして、金髪の男がおもむろに取り出したとある物に、カケルは瞠目する事となる。

「!? あれは────!」



 拳銃。

 それは紛れもない──むしろ見慣れていると言っても過言ではない、黒光りした一丁の拳銃だった。



 無論、見慣れていると言ってもカケルの元いた世界の──それもドラマやニュース番組などで見た事がある程度で、実物を目にしたのはこれが初めてだ。ただ、カケルが知っている物より少し古臭いというか、昔の西部劇にでも出てきそうな拳銃であるが、ひとまずそれは保留しておこう。考えた所で今は詮無き事だ。

 それよりも問題なのは、何故拳銃がにあるのか、だ。

 子細をつまびらかにすると、鉄砲自体はこの世界にもあるにはあるし、実際に使用されている場面にも遠巻きながら実際に目撃した事もある。が、拳銃のように小型ではないし、何よりで発砲できる物など、今まで見た事も聞いた事もない。その証拠に、何かと博識なミランでさえ奇妙そうに眉をひそめていた。

 もしかすると、どこかの国で密かに開発されているたのかもしれないが、それにしてはあまりにも。外観だけなら、まるでカケルの世界の拳銃をそのままコピーしたか、もしくはこちらの世界へと持ち込んできたかのような完成度だった。

 仮にこれが本当に──カケルが知っている拳銃と何ら遜色ない性能を持ち合わせているのだとしたら。

 人の肉どころか、石壁すら容易く貫く高速の弾丸を連続して撃てるのだとしたら。



 いくらルトとは言え、一溜まりもない──!!



「さあ、終幕フィナーレだ」

 カケルの焦燥をよそに、金髪の男がトリガーへと指を掛ける。

 照準は言うまでもなく──



「魔王──────っ!!」



 カケルの叫声が、連続して響いた発砲音によって掻き消された。



 ◇◆◇◆◇



 確かに頭を狙った。心臓を狙った。腹部を狙った。

 そのどれもが魔王の急所を貫き、鮮血を散らして倒れ伏せている──

 そのはずだったのに──!



「クククク…………」



 魔王は。

 ルトは。

 拳銃を突き出したまま放心しているアレスを嘲笑いながら、全くの無傷のまま悠然と立っていた。

「どうした? まるで信じらないものでも見たかのような間抜け面をしているぞ?」

「…………っ」

 ルトの言葉に、歯噛みして顔相を険しくするアレス。

 悔しいが、実際そんな顔をしているのだろう。事実、とてもじゃないが現実のものとは思えない光景を直視してしまったのだから。

 狙いは正確だったはずだ。ほんの数ミリの誤差はあったかもしれないが、さりとて弾をあらぬ方向へと外した覚えは微塵足りともない。それが三発分ともなると尚更だ。

 だが、そんな確信を裏切るかのように、眼前でルトが一切の手傷を負った様子もなく、悠々と小高い玉座からこちらを睥睨している。

 では、一体何がルトを銃弾から守ったのかと言うと──



「魔法障壁……!」



 隣りに並ぶリタが、彼女にしては珍しく憎々しげに視線を尖らして言う。

 そう──銃弾を防いだのは、ルトの魔法障壁によるものだった。

 周りの景色に溶け込むほどの透明な障壁だったので気が付けずにいたが、こちらの不意打ちを計算しての事か、此処に押し入る前に、どうやら予めに魔法障壁を張っていたらしい。ご丁寧な事に、アレス達に気付かれないよう透明化も付与してまで。

 本来、魔法障壁は目に見える形で顕現される。それは使用した本人が障壁の規模を把握する為による理由が大きいのだが、熟練した魔法使いでさえ、透明化なんて容易く扱えるものではない。

 なせならば、顕現した魔法障壁がどういった形で出るかは分からないからだ。

 障壁の薄さ、場所、大きさは本人の意識と力量次第なのだが、それを目にせずに感覚だけで展開するには、かなりの集中力と経験が必要される。一朝一夕で扱える簡単な魔法ではないのだ。

 けれど、それだけならアレスもここまで驚いたりはしない。リタも時間さえあれば出来なくもないし、せいぜい透明の魔法障壁を正確に張れるだけの才がルトにあったと感心した程度で終わったはずだ。



 が、その透明の魔法障壁を、ルトはと展開していたのだ。

 まるで、アレスが三発の弾丸を放つ事を予想していたかのように。



 だから一発目の弾丸が魔法障壁を砕いた時、正直驚愕したが、またすぐ平静を取り戻せた。何せ弾丸はまだ二発分残っているのだ。二発もあれば、ルトを葬るのに申し分ない。

 しかし続く二発目三発目も、先の一発目と同じく魔法障壁を砕くだけで終わってしまった。



 信じ難い事に、三重の魔法障壁を展開させて。



 一枚だけならまだしも、二枚三枚と重ねていたなんて、いくらなんでも用心深過ぎる。こちらの攻撃を読んでいたとしか思えない用意周到さだ。

 何故だ。何故ルトは事前に魔法障壁を三重も張る事が出来たのだ。やはりこちらの動きを読まれていたのか。それとも誰かしらの入れ知恵か。何故。一体何故──



「何故前もって魔法障壁を張る事が出来たのか──とでも言いたげな顔をしているな」



 ぴく、と眉をひくつかせるアレス。

 反応を示したのはその程度のつもりだったが、ルトにはそれで十分だったらしく、

「聞かせてやろうか? その理由を」

 と、愉しそうに笑みを歪ませて問うてきた。

「……へぇ。敵である僕達にわざわざ教えてくれると言うのかい? それなら是非とも拝聴させてもらいたい所だね」

「貴様が手にしているその武器──」

 少しでも相手に動揺を悟られまいと飄然とした態度を取ったつもりが、ルトはそんなアレスに全く意を介していない調子でスッと指を差してきた。

「その武器について、私は何も知らない。そんな武器など今まで見聞きした事もないし、どのような過程で生まれてどのような構造をしているかすら私は知らない。殆ど無知と表しても過言ではないくらいだ」

 が──とそこで焦らすように一呼吸置いた後、

「貴様、その武器をほどこの城内で使用しただろう?」

「…………はて、何の事やら」

「ほう。白を切るつもりか。ならば、これも心当たりが無いとでも?」

 言って、おもむろに懐から取り出したに、今度こそアレスは目を剥いて驚いた。

「それは──!」



「そう。だ」



 弾丸。

 それは紛れもない──アレスが今手にしている拳銃から放たれたはずの、黒ずんだ弾丸だった。

 とは言え、今しがた発砲した物とは別の弾丸だろう──でなければ、あまりの熱さに指で摘めないはずだ。

 となると、あれは此処まで来る道中で使用した──賢しくもルトの推察通りになるが、魔族との戦闘中に出た弾丸であろう。そのせいで、元々あった五発の弾丸は、今や三発のみとなっている。

 しかし解せないのは、これをどこから持ち出したのか、だ。

 この拳銃を使用した際、その場にいた魔族は全員葬ったはずだ。目撃者などいるわけがなく、それこそ拳銃の存在を仄めかす奴などいなかったはずである。

 なのにこうして──さながら犯人を追い詰める探偵のように、弾丸を手にしてこちらを見下ろしている。



 勝ち誇ったように。

 愉悦に浸っているかのように。

 魔王は──ルトは、思わず敵である事を忘れそうなほどの蠱惑的な微笑を称えて、アレス達の前に凛と佇んでいた。



「私の部下はなかなかに優秀でな。遺体の回収をした際、まるで鉄砲に撃たれたかのような傷痕と、その死体のすぐそばで不自然に空いた壁の穴を見つけた部下が不審に感じてわざわざ私の所まで報告してくれたのだ。この弾丸と共にな」

 それも二発分だ、とルト。

「部下達の話では、賊達に鉄砲のような武器を所持している様子はなく、剣や杖といった物しか見受けられなかったそうだ。

 そうなると、話はおかしくなってくる。だったら、この弾丸は一体どこからやってきたのか──言わずもがな、魔王城の外から撃てるはずもなく、部下達にも鉄砲を持たせていない以上、奪い取って撃つ事も不可能だ。そこで私は一考した」



「──賊達が使用したのは、おそらく鉄砲を小型化したものではないか、とな」



「そうなれば、一見しただけでは見分けがつかない──懐や腰元などに忍ばせる事が出来るだろうしな」

 どうだ。何か訂正はあるか?

 そう続け様に言ったルトに「……ご明察だよ」と半ば呆れ気味に肩を竦めてアレスは答える。

「まさかここまで言い当ててくるなんてね──いっそ清々しいくらいさ。君は魔王なんかよりも、探偵でもやっていている方が向いているんじゃないかい?」

「ふん。どこぞの小説にでも出てきそうな文言だな。くだらない」

「でも、それだけじゃあ説明しきれていないね。魔法障壁を前準備していた理由は把握できたけれど、それを三重まで展開していた理由までは──さもこの銃が連続で撃てる事を予期していたかのような行動まで説明できていない」

「先ほども言ったろう。と」

 これ見よがしに弾を手のひらで転がしながら、ルトは言葉を紡ぐ。

「それもあたかも連続で──弾を詰め替えるという動作もせず、すぐさま撃ってみせたかのような状況だった」

 あくまで現場を見た部下の証言だがな、とルト。

「仮にそうだとするならば、少なくとも賊達は断続的にかつ速やかに銃を撃てるすべを持っている事になる──現実には考え難い事だがな。しかし部下達の報告では、見た事もない妙な魔法アイテムを──爆弾に似た投擲物によって何度も翻弄されたとも聞いた。ならば、小型で連続発砲が可能な銃という存在を考慮しないわけにはいくまい」

「だから念の為、魔法障壁を三重に張っておいたと? 確かに用心深くはあるけれど、同時に浅慮でもあるかな。弾はこれだけだと──三発しか撃てないだなんて、誰が言ったんだい?」

 改めて拳銃をルトに向け直しつつ、強かな笑みを浮かべながら、アレスは告げる。

「まだ弾を残していたとしたら──そう考えはしなかったのかい?」

「はったりにしては見え透いた虚言だな。本当に弾が残っているのだとしたら、今こうしている時だって既に撃っていたはずだろう?」

「………………」

「それに心配せずとも──」

 キンっ。

 と、微かな金属音が耳朶を打った。

 ルトの手のひらから零れ落ちた弾丸が階段を伝い、床へと転がる。



「魔法障壁なら、更に五重ほど余分に張っておいていたからな」



「──────なっ!?」

「ククク……」

 あまりの事実に絶句するアレスの元に、ルトがゆっくりとした歩調で僅かな階段を下りていく。じわじわと獲物を追い詰めるかの如く。

 目では見えないが(おそらくこれも透明化しているのだろう)、合わせて八重の魔法障壁を張っていたという事は、仮に全弾を最初から装填していたとしても、元から全て防御されていた上におまけすら付いていたという事になる。端からこちらにアドバンテージなど無かったのだ。



 何という狡猾さ。

 何という万全さ。



 認めざるを得ない。今自分達に立ちはだかっているのは──

「さて、余興も済んだ所で……」

 魔王ルトが邪悪な笑みと共に両腕を広げる。

 世界の終末を、心から祝福するかのように──

遊戯ゲームを再開しようか」

 自分達に立ちはだかっているのは、間違いなく最強最悪の敵であると。

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