第34話 邂逅



 今でこそカンナは従者としてアレスに絶大なる忠誠を誓っているが──それどころか、一人の異性として彼を慕っていたりもするのだが、初めて出逢った頃は全くそんな節は無く、むしろ単なる雇い主の息子としか思っていなかった。

 そもそもの話、従者になったのも本意からではなく、親が背負った莫大な借金を返済せんが為に仕方なく選ばされた道だったのだ。当時まだ八歳という、物心付いて間もない年齢で突然働くように告げられて、それなりに反駁したものだが、日に日にやつれていく両親を見ていたら、文句を言う気も次第に薄れていった。

 それまで、さほど不自由なく生活できるだけに、両親の収入だけで今まで生きてきた分、働く事に対する不満や不安もそれなりにあったのだが、家財の何もかもを売却し、文字通り無一文な身になったカンナには、労働する以外に生活できるすべが無かったのである。

 幸い、両親共に勤める事となった貴族(昔はかなり高名な勇者の家系として栄えたらしいが、今となってはそれも廃れ、代わりに商人として成り上がったらしい)の家は衣食住付きの好条件で、職場の人間関係もこれと言って問題はなかった。

 歳が近いという事で仕えるようになったお坊っちゃんも、とても礼儀正しくて好感の持てる少年だったので、カンナにしてみれば不幸中の幸いだった言えるかもしれない。世の中には奴隷同然のように売られ、畜生以下の人生を歩んでいる子供もいると聞くし、それを考えたら、自分はまだ恵まれた方だろう。

 そんなこんなで、住む世界の違う貴族の坊っちゃん──アレスという名の少年の従者として働くようになったわけだが、仕事内容はと言えば、彼の身の回りの世話か、もしくは遊び相手になるぐらいで、他のメイドや執事に比べれば、比較的簡単なものだった。

 年齢を重ねれば、さらに仕事量も増えるのだろうが、一生仕えるつもりは無かったし(他に条件の良い所があれば、すぐにでも転職するつもりだった。このままだと人生の大半を借金返済に費やす事になりかねなかったので)、アレスに対してもそこまで敬意を払っていたわけではなかったので、この関係もきっと今だけだろうと──当時は漠然にそう考えていた。

 そんな従者として働くようになってしばらく経った、ある日の事だった。



 雇用主の妻が──アレスの実母に当たる方が、突如魔物に襲われて帰らぬ人となった。



 襲われたのは、とあるパーティーに向かう途中だったようで、不運にもこの日、普段は人里に現れないはずの獣型の魔物が突然現れ、無惨にも馬車もろとも中の人間を襲い、そのまま何処かへと消え去ってしまったようだと、後に両親から沈痛な面持ちで聞かされた。

 また聞くところによると、遺体の損傷は激しく、とてもじゃないが見れるようなものではなかったらしい。その為、アレスが母と対面したのは、既に柩の中へと収められた後だった。

 後日、葬式は大々的に──しかしながら、しめやかに行われた。

 式には大勢の参列者が並び、皆の啜り泣く声が広がった。

 無論カンナも出席し、アレスの母が眠る柩に花を添えた。そこまで親交があったわけでないので涙こそ流さなかったものの、とても温和な人だったという印象が強かったので、心から冥福を祈った。

 そんな中、何故かアレスだけは決して泣き顏を見せようとはしなかった。周りはおろか、アレスの父ですら嗚咽を噛み殺しながら落涙していたにも関わらずに。

 いや、きっと人前では必死に平静を保っていただけで、人知れず何処かで咽び泣いていたのかもしれないが、それでも僅か九歳足らずの男の子が、母の亡骸を前にして何故泣かずにいられたのか、カンナには不思議に思えてならなかった。

 だからこそ、あれから数カ月が経った日に──心の整理も付き始めたであろう頃に、思い切って次のように訊ねてみたのだ。



 ──どうしてお葬式の時、アレス様は泣かなかったのですか?



 脈絡なく、それこそ藪から棒に問打てきたカンナに、アレスはキョトンとした態で目をしばたたかせた後、すぐに思い馳せるように視線を遠のかせて、こう返した。



『昔、母上に言われたんだ。男の子は簡単に涙を見せていいものじゃないんだって。それに何より、主たるもの、従者に泣いている姿を見せてはいけないって。泣いている所を見られたら、従者がきっと不安がるから。だからぼくは、君の前では──従者の前では決して泣かないって決めたんだ。母上と交わした、大事な約束だから』



 その言葉を聞いて、カンナは愕然とした。

 こんな幼い少年が──自分と対して変わらない年頃の男の子が、こんなにも強い意志を持っていただなんて、これまで彼に仕えていてつゆほども思っていなかったのである。

 確かに礼儀正しく、愛想も良い少年だと多少は好感を抱いていたが、しかしそれは将来を約束された者から来る余裕みたいなもので、芯の所では、俗世を知らない甘やかされたボンボンの坊っちゃんだと──心の何処かで彼をそう軽視していたのだ。

 だからこそ、カンナは自分の勝手な先入観を恥じた。カンナ自身、途方もない負債を抱えて──カンナが、というよりも両親が抱えた借金なのではあるが──いつの間にか周りに対して狭量になっていたせいもあるやもしれないが、それでもアレスを取り巻く殆どの人が、同じ感想を抱いていたのではないだろうか。

 故に、そんな恵まれた環境の中で、彼のおよそ子供らしからぬ決意を聞かされて、カンナはそれまでの人生観が一気に瓦解したような感覚に陥ったのだ。

 あるいはこの時既に、アレスは覚悟を決めていたのかもしれない。



 かつて大英雄と呼ばれた先祖と同じように、いつか勇者となって諸悪の根源である魔王を討ち果たさんと。



 だが、同時にこうも思った。

 なんて哀しい生き方なのだろう、と。

 もし本当にアレスが母の無念を晴らそうと魔王打倒を志しているのだとしたら、きっとそれは修羅の道となる。その復讐にたぎった心は、いずれアレスの精神を徐々に削り、魂が抜け落ちた脱け殻となりかねない。何の根拠も無かったが、子供ながらに、そんな予感がした。

 彼には、誰かそばで支える人がいなければ。そうでないと、きっとアレスは折れてしまう──いやむしろ、いつしか人の心を無くし、周りを顧みない鬼と化すような気すらした。

 そんな変わり果てたアレスを見るのは、絶対にイヤだ。たとえ身勝手な我儘と一蹴されようとも、それだけは看過できそうになかった。

 そうして、カンナは心に誓った。



 アレスが勇者となって魔王を倒そうと決意したように、カンナもまた、いつでもアレスを支えられるように、ずっと彼に仕えよう、と。



 それは、カンナが従者として真に目覚めた瞬間でもあり。

 そして、アレスに対する恋心が、静かに芽生え始めた瞬間でもあった。





「──ナ。……カンナ?」

 聞き慣れた誰何の声。その声に、カンナはハッと思考の渦中から現実へと戻った。

「アレス様……」

「どうしたんだいカンナ。少しばかり顔色が優れないようだけど……」

 心配そうに顔を覗き込むアレスに、「だ、大丈夫っス!」とカンナは慌てて空元気を装った。

 主人を心配させるなんて、従者として失格だ。もしもの時は体を張ってでもアレスをお守りしななければならないというのに、いらぬ心労を掛けてどうするんだ、自分。

「まあ、緊張するのも無理はないかもね。なんせ……」

 そこで視線をカンナから眼前にある大扉へと向け、心持ち張り詰めた雰囲気を纏わせながら、アレスが厳かに言う。



「この先には、僕らの宿敵が待っているのだから」



 ごくり、と生唾を嚥下し、改めて頑丈そうに出来た石材の大扉をしげしげと眺める。

 謁見の間。

 または玉座の間。

 かつて多くの勇者がここを訪れ、そして命を散らしていった戦場。

 こんな大舞台(などと表現するのは些か不適切かもしれないけれども)を前にして、緊張するなと言う方が無理からぬ話だろう。

「ついにここまで来たんですね……」

 アレスの左隣り──カンナとは反対側だ──で佇むリタが、感慨深げに呟く。

 ここまで辿り着くのに、一年と少しぐらいだろうか。旅立ってから色々と苦難や葛藤もあったが、ようやく念願の魔王城──その最上階へとやって来たのだ。

「まるで夢のよう……と言うのも変な話かもしれませんが、何だか現実味が全然湧いてこないです。」

「そうだね。僕も同じ気持ちだよ」

 どこか惚けた面持ちで胸中を漏らすリタに、アレスも同調するように頷いて言葉を返す。

「この扉の向こうに、僕らの倒すべき敵が──あの魔王がいるだなんて、今でも信じられない思いだよ」

 言い出しっぺは僕の方なのにね、と苦笑するアレス。

「これもひとえに、リタとカンナがこんな僕の我儘に付き合ってくれたおかげだよ。本当にありがとう」

「我儘だなんて、そんな事全然ないっスよ! それにウチ達は、従者として当然の事をしてきたまでっス!」

「カンナさんの言う通りです。主に尽くし、主を敬い、主の望みを叶えるのが私達従者の役目なんですから。それに──」

 言いながら、リタは大扉のすぐそばへと近寄り、やにわに片手を突き出した。

「お礼を言うのは、魔王を倒してからにしませんか? そちらの方が劇的でよっぽど素敵です。」

「……そうだね。それもそうだ」

 柔和に微笑むアレスを満足げに見届けた後、リタは再度大扉へと視線を戻し、静かに瞑目して何やら呪文を唱え始めた。

 みるみる内に、リタの平手から魔法陣が広がり、青白い輝きを放って大扉へと張り付く。リタが最も得意としている探知魔法の一つだ。

 きっと自分達が突入する前に、こうして危険は無いかどうか探ってくれているのだろう。リタのこういう機転の利いた先手にいつも助けられた側のカンナとしては、素直に賛美を送らざるを得ない。あくまでも恋敵なので、実際に褒め言葉を送ったりはしないが。

「どうやら、扉に鍵は掛けられていないようですね。これといって罠らしい罠も無いようです。」

「それは単に鍵を掛け忘れただけなのか、もしくは不遜にも僕達をわざわざ招き入れようとしているのか……まあ十中八九、後者なんだろうけど」

 でなきゃ、今頃追っ手が来ているはずだしね、と難渋な表情で続けるアレス。

 アレスの言う事ももっともだ。実を明かすと、こうして扉の前に立ってから結構な時間が経っているのだが(さっさと入れよという話でもあるが)、ここに至ってまだ追っ手らしい追っ手が現れないのだ。

 それだけではない。ここまで来る道中にも様々な敵兵が待ち受けていたのだが、ある地点を区切りに全く魔族が現れなくなったのである。

 これが単純に尻尾を巻いて逃げただけならば素直に喜べるのだが、それは希望的観測による楽観視でしかない。怯えて逃走したというよりは、魔王の命令か何かによって一時的に撤退したというのが、現状で考えられる最も打倒な線だろう。

「ま、やっこさんの真意がどうあれ、助かった事には変わりないんだけれどね。体力を無駄に消費しないで済んだし、何より手持ちも心許なくなってきた所だったから」

「そうですね。回復系アイテムも残り僅かですし、アレス様の手榴弾も一つだけになってしまいましたから。奇しくも、こちら側としては僥倖と言えるかもしれません。」

 そうなのだ。いくら敵が撤退してくれたとは言え、それまで激戦を繰り広げてきた事に相違なく、まして無傷に済んだわけではない。リタの言葉にもあった通り、回復アイテムもいくらか使ってしまったし、英雄の遺産も弾丸数三発の拳銃と、残り最後の手榴弾だけとなってしまった。あちらも死に物狂いで魔王城を──ひいては君主を守ろうとしていたのだから、五体満足で済んだだけでも奇跡に近いと言っていい。

「ともかく、またとない好機だ。この機を逃す手はないね」

「ええ。今頃慢心して油断している魔王の鼻っ柱をへし折って──いえ、むしろ再起不能なまでに粉々にしてやりましょう。」

 闘志に満ちたアレスとリタの言葉が重なる。推察するまでもなく、共に心の準備は万全のようだ。

 いよいよだ。

 いよいよ、魔王との決戦が始まる。



 熾烈を極めるであろう死闘が、今まさにこの大扉の向こうで──



 ごくり、と思わず生唾を飲む。緊張で喉がカラカラだ。覚悟は決めていたつもりだったが、今になって不安が波のように押し寄せてくる。

 アレス。リタ。カンナ。もしかしたら、この三人の内の誰かが死ぬかもしれない。最悪、全滅の可能性もある。その現実が──言葉にし難い重圧が、カンナに容赦無くのし掛かる。

 いや、弱気になってどうする。刺し違えるつもりで挑まねば、魔王相手に到底敵うわけがない。

 それに、だ。この旅に出る前から、覚悟を決めたはずだ。アレスの身に何が起ころうと、自分が全身全霊を持って守り通すと。

 そう。例え、この命を捧げる事になろうとも────



 ちゅっ。



 と。

 不意に──それこそ唐突に、改めて決心を固めようとしていたカンナの額に、生温かくて柔らかい感触が伝わってきた。

 キスをされたのだ──そう気付いた時には、キスをした張本人であるアレスがカンナの頭に手を置いて、穏やかな笑みを浮かべていた。

「表情が硬いよカンナ」

「ア、アレス様……」

 カンナの目を除き込むように、じーっと真っ直ぐな視線を向けるアレス。その優しげな光を湛えた瞳に、カンナは頬を紅潮させて自分よりも頭一つ分高いアレスを見上げる。

「緊張感を持つのは良い事だと僕は思うよ。けどねカンナ、思い詰めるのだけはダメだ。自分の中だけで不安を溜め込んでいたら、いつかその重荷に潰されてしまう。カンナだけが、そんな重荷を背負う必要なんてどこにもないんだよ」

 カンナの頭を優しく撫でながら、アレスは続ける。

「カンナは一人じゃない。僕やリタがここにいる。だからカンナ──僕達の事をもっと頼っていいんだよ。僕達は仲間なんだから」

「アレス様……。でもウチはアレス様の従者で、必要なら身代わりになる事だって厭わない覚悟で……」

「うん。何となくそんな風に考えているんじゃないかとは思っていたよ。僕の事をすごく気遣ってくれているのもね。でもねカンナ──僕は君やリタの二人を替えの利く従者だなんて微塵も思っていないし、自らを犠牲にしようだなんて以ての外だよ。そんな愚かしい真似、僕は絶対許さない」

「…………」

「そう深刻そうに受け止めないでおくれカンナ。君が僕に対して傷付いてほしくないように、僕だって君に傷付いてほしくなんかない。カンナは僕の大事な従者であり、仲間でもあり、そして何より家族なんだから」

 勿論、リタも含めてね。

 そう付け加えつつ、アレスは表情を雲らせたままのカンナをそっと抱き寄せて耳元で語り聞かせるように囁く。

「本当はね、母上の復讐の為に始めたこの旅だけど、今はただ、純粋に世界中で苦しんでいる人達の為に戦いたいと思っているんだ。魔王の脅威から皆を解放するために──そしてそれ以上に、君達家族が平和に平穏に平凡に暮らせるように」

 ぎゅっと力強く──されど包み込むように抱かれながら、カンナは熱の入った吐息を漏らす。

 家族──こんなに嬉しい言葉が他にあるだろうか。従者でしかない自分に対し、こんなにも想ってくれている。こんなにも愛を注いでくれる。今も昔も変わらず、アレスはアレスのままでいてくれている。

 だから。だからこそカンナは──

「リタとカンナが命の保証すら出来ない危険な旅に無理矢理にでも付いて来ようとした時は正直戸惑ったけど、でもすごく嬉しかった。こんな頼りないご主人様だけど、これからも僕を支えてほしい。そして君達家族を守らせてほしい。誰も犠牲なんかにならず、無事故郷に帰れる日を見させてほしい。また我儘を言うようだけれど、僕の願い、叶えさせてくれるかい?」

「考えるまでもなく当たり前っス! アレス様の為なら、何だってするっスよ!」

 いつもの快活な笑顔で、カンナはそう元気良く応えた。

 一体何を不安がっていたのだろう。今の今までだって、三人でどんな苦難も乗り越えてきた。それは今もこれからも変わらない。



 カンナはアレスを守る。

 アレスはカンナを守ってくれる。



 それだけでも分かれば、何も心配する必要なんてないじゃないか。

「──ていうか、ですね。」

 と。

 それまでずっと静観していたはずのリタが、いきなりカンナとアレスの間に強引に割り込んで引き離してきた。リタにしては──いつも周りから鉄面皮などと揶揄される彼女にしては珍しく、不満そうに柳眉を立てて。

「二人共、いつまで引っ付いているんですか。特にカンナさん、あなたは異性に抱きつかれると動物に変身してしまう呪いに掛かっているんですから、もう少し配慮してください。」

「そんな妙ちくりんな呪いなんかに掛かってないっスよ! 嘘吐かないでほしいっス!」

「トゥットゥル~。カンナさんは呪われてしまいました~。」

「およそ呪われたとはまるで思えない効果音! なんか間抜けっス!」

「む。いつも間抜け面のカンナさんにだけは言われたくありませんね。」

「誰が間抜け面っスかっ! ホントにリタは口が開けばウチの悪口ばっかっスね。そんな事して楽しいんスか?」

「ええ、楽しいですね。カンナさんの嫌がる顔を見ているだけで心がぴょんぴょんしますよ。」

「腹黒っ。腹の底がまさにダークアンドダークっス!」

「カンナさんの乳首の色には負けますけどね。」

「だ、だからウチのは全然黒くなんかないって何度も言ってるじゃないっスか! セクハラも度を超すと単なる陰湿なイジメになるんスよ!?」

「なんでもセクハラと言うのはパワハラなんですよ、カンナさん。」

「リタの場合、セクハラ以外の何物でもないっス!」

「あはは。リタもカンナも、こんな時にケンカが出来るだなんて、よっぽどの大物だね」

「うっ。アレス様……」

「も、申し訳ありませんアレス様。アレス様の仰る通り、こんな時に不謹慎でした……」

 バツの悪そうな顔をして、互いに視線を逸らすリタとカンナ。そんな二人にアレス様は可笑しそうに表情を緩めたまま、

「いやいや、こんな時でこそだよ。こういった雰囲気の方が、いかにも僕達らしくて逆に心地良いぐらいさ」

 あまり激しい罵り合いだけは勘弁だけれどね、とアレス。

「さあ、そろそろ行こうか」

 と、おもむろにアレスはそれぞれ隣りに立つリタとカンナの手を取り、力強く握り締めた。

「大丈夫。今の僕達なら何だって出来るよ。魔王にだって絶対負けはしないさ」

「……そうですね。」

 アレスの熱い気持ちに応えるようにリタも手を握り返し、言の葉を紡ぐ。

「私達三人は、最強の勇者パーティーなんですから。」

 ──ですよね、カンナさん。

 リタが視線だけで問い掛ける。先ほどまで口喧嘩していたのに、現金なものだ。

 でも、そんな後を引かない彼女だからこそ、カンナも心のどこかで安心して喧嘩してしまうのかもしれない。きっと悪友というのは、こういうのを指すのだろう。

 だがそれも、アレスがいてくれるこそだ。下らない口喧嘩が出来るのも、アレスが自分達に安らぎを与えているからに他ならない。

 故に。

 こんなな自分達が、魔王なんかに負けるはずがない──!

「アレス様とリタの言う通りっス! 魔王なんてさっさと倒して、元気に笑って帰るっスよっ!」

 ニッと太陽のような笑みを浮かべ、ぎゅっとアレスの手を力強く握り返すカンナ。

 そうだ。アレスは──自分達はこんな所で死んでいいような人間じゃあない。生きて故郷に帰って、アレスやリタ──他の大切な人達と一緒に、平和になった世界をこれ以上に謳歌してやるのだ。

 そんな明日への希望を胸に、カンナとリタはそれぞれ空いた側の手で大扉を押し開けて────





「  来たか。虫けら共が  」





『────────っっ!?』

 威圧。

 突如、想像を絶するまでの強烈な威圧感が、意気揚々と玉座の間に入り込もうとした三人の足を竦ませた。

 それは筆舌に尽くしがたい──全く言葉にならない程のプレッシャーだった。思わず呼吸が止まるくらいの──ともすれば心臓の鼓動すら止まってしまったのではないかと疑ってしまうほどのとてつもない存在が、眼前にいたのだから。

 外見はカンナ達とそう変わらない、せいぜい十代半ばといった印象の少女で、遠目から見ても顔立ちがとても整っているのが分かる。

 腰まで伸びる美しい黒髪。下はスカート状になっている紫染めの軽装鎧。鎧すら除けば可憐な少女と表しても何ら遜色ないが、豈図あにはからんや、その背中から生えた禍々しい羽が彼女の清楚さを阻害していた。

 気が付けば、無意識にアレスの手を離していた。否、離さざるをえなかったと言った方が適切か。

 とてもじゃないが、片手だけで敵うような──むしろ両手が空いていても勝てるかどうかも分からない相手が目の前にいる。その事実が設定歴然とした力の差が、戦うまでもなく、否応なく感覚的に察してしまったのだ。



 あれは化け物だと。

 あれは規格外だと。



 目が。鼻が。耳が。肌が。脳が──全ての感覚器が危険信号を知らせる。自分達は今、とんでもない相手を前にしていると空気が確信させる。

 背筋が凍るとはよく言うが、まさしく凍ったような状態で、肌が粟立っている事すら忘却して、アレスもリタもカンナも、目の前の──どこか不機嫌そうに憮然と玉座に腰掛けている少女に釘付けになっていた。

「アレス様──」

 と、不意に沈黙を破る形で、リタがで言葉を発した。

 あのリタが、声を震わせて──

「信じられませんが、あの少女からとんでもない魔力を感じます。間違いありません、あの子が……」

「うん。僕でも分かるよ。噂の一つに少女の姿をしているという与太話があったけれど、まさか本当だったなんてね……」

 汗を滲ませながら、笑みを引きつらせてアレスが言う。

 あれが。

 あれこそが。

 カンナ達が追い求めていた相手。人類の敵。

 今まで、どんな屈強な勇者もあっさり退けたほどの怪物。



 その名も──魔王ルト。



「どうした虫けら」

 玉座にふんぞり返ったまま、ルトは冷然と声を発する。

「さっきからまるで身じろぎひとつしてはいないではないか。言葉を交わす前に怖気付かれては興醒めもいい所だぞ。せっかく部下達を退けてまで私の元へと誘った配慮を徒労に終わらす気か?」

 鈴でも鳴らしたかのような澄んだ声質のはずなのに、骨にまで響きそうなその重量感のあるルトの言葉に対して僅かながらに気圧されつつも、「なるほどね」とアレスは努めて不敵な笑みを作って相対する。

「道理ですんなりと此処まで通してくれたわけだ。そんなに君の言う虫けらとやらに会いたかったのかい?」

「勘違いするな。そして自惚れるな。部下達を引かせたのは、あくまでこれ以上被害を増やさない為だ。ただの虫けらと思っていたら、カマキリ程度には面白味はあったようなのでね」

「虫けら、ね。その言葉を借りて言うなら、虫にだって意地はあってね。喩え自分より大きな存在であろうと、危機が迫れば死ぬ気で刃向かいもするさ」

「ふん、戯言を。まあいい。貴様らが死ぬ気で挑むと言うのなら、こちらは遊ぶ気で虫けら共の相手をしようではないか」

 と。

 ルトは悠然とした動作で椅子から立ち上がり、犬歯を覗かせるまでの嗜虐的な笑みを浮かべてこう言った。

「安心しろ。すぐに殺しはしない。貴様達には何かと恨みがあるのでな。たっぷりねっとり痛ぶってなぶって壊しつくした後、一思いに殺してやる」

 言葉の一つ一つを聞くだけで、ビリビリと体が痺れそうになってしまう。思わず息を飲んでしまう。こちらの気勢を削がれてしまう。



 これが魔王の風格。

 打倒すべき宿敵──!



「随分と余裕がおありのようで。でもその余裕が君の命取りとなる」

 終始慄然としたままのカンナとは裏腹に、ルトの壮絶な気迫に尻込みもせず、アレスはおもむろにマントを捲って腰に手を忍ばせた。

「悪いけれど、最初から決着クライマックスといかせてもらうよ」

 取り出したるは、かつて大英雄と呼ばれた勇者の遺産。



 M1917リボルバー。

 45口径6連発回転式拳銃──!!



「さあ、終幕フィナーレだ」

 パンパンパン────

 乾いた音が、連続して響いた。

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