第37話 理解と破壊へのプレリュード



 アレス達とルトとの戦闘は、見るからに一方的な──傍から様子を窺っていたカケルの目から見ても、もはや勝負にならないほどの有り様であった。

 初めこそアレスが異質な武器を──こちらの世界には存在していないはずの手榴弾を取り出した時は、すわ今度こそルトのピンチかと肌を粟立てたものだが、そんなカケルの心配をあっさり払拭する形で、彼女はアレス達一向を完膚なきまでに打破してしまった。

 圧倒。

 まさしく圧倒の一言に尽きるほど、ルトの膂力りょりょくは、判断力は、観察力は、総じてその戦闘センスは、カケルをしても凄まじいものだった。

 カンナの拳打脚蹴を軽々といなし、リタの魔法を物ともせず、アレスの一発逆転となるはずだった奇策すら見抜いて、ルトは顔色一つ変えずに泰然と佇んでいた。

 特に炎の竜(カケルも過去に一度受けた魔法だ)を出現させた時は、いっそ滑稽にすら思えるほどアレス達は逃げ惑うばかりで、文字通り、なすすべがない状態だった。

 そして──

「ああ……」

 そこはかとなく憂いた表情で、吐息を零すように声を発するルト。

 辺りは戦闘の激しさを物語るかのように荒廃としており、壁や床などが見るも無惨に抉られている。他にも柱に亀裂に入っていたり、城壁が崩れた事による埃や瓦礫が散見できた。

 そんな中で、アレスとリタとカンナが満身創痍の状態で倒れ伏せており。



「──なんて、他愛ない」



 ルトだけが、無傷のまま至極つまらなさそうに──まるで心底退屈な児戯にでも興じていたかのように、泰然自若とした様子で立っていた。



 ◇◆◇◆◇◆



「えげつねぇ……」

 一言。

 ルトとアレス達の死闘ぶり(死力を尽くしていたのは主にアレス達で、ルトは余裕そのものだったが)を見て、まず初めに思い浮かんだのは──口から突いて出たのは、えげつないの一言であった。

 というか。

「一体何ぞあれ! 魔王がやたら魔王魔王してて、いかにも魔王っぽい事になってんぞオイ!?」

「魔王という言葉が、最早ゲシュタルト崩壊を起こしてワケわかめになっていますよ、カケルさん」

 意味不明な事を喚くカケルに、すかさずツッコミを入れるミラン。さすがはボケとツッコミ両方に精通しているミランだ。痒い所にも手が届いてくれる。これからは孫の手ゾンビとでも呼ぶ事にしよう。

 それはともかく、今は目の前の疑問だ。これは訊いておかないと、色々と辻褄が合わない事象が起きてしまう。

「なあ、孫の手ゾンビ」

「突然何デスか孫の手ゾンビって。まるで祖父母に陰口を囁かている子供みたいな呼称になってますヨ」

「いや、お前の事だけど痛い痛い痛い尻が割れるように痛いィィィィ!!」

「尻なら最初から割れてますがナ。それよりも静かにしてくださイ。向こうに気付かれたらどうするんデスか」

「お前がいきなりキックしてくるからじゃん!」

 あーいってぇ~、と連続で蹴られた尻をさすりつつ(にしても、何も蹴る必要はなかったのに。確かに酷いネーミングではあるけれど)、言われた通りに声量を抑えて定位置へと戻る。

 幸いにも、ルト達がこちらに気付いている様子はなく、以前として静寂を保っている。厳密には倒れたままのアレス達を、ルトが冷めた眼差しを向けているだけなのだが。

「話を戻すけど、ありゃ一体どういう事なんだ? オレが知っている限り、ルトがあんなデタラメな強さ──ここまで常軌を逸したレベルじゃなかったはずだぞ」

「そりゃそうデスよ。アナタと戦った時だって──実際にこの眼で見たわけではありませんけれど──ルト様から話を聞く限り、実力の半分も出していなかったんデスから」

「じ、実力の半分って……」

「信じられませんカ? 少なくとも今の戦闘を見たら、カケルさんと戦っていた時には本気なんて出していなかった……というのは理解できるんじゃないデスか?」

「それは……」

 確かにその通りだ。あんなものを見せられては──まるで勝負にもならない勝負を見せられてしまっては、自分と戦った時なんて、それこそ戯れていただけに過ぎなかったのだと、痛感せざるをえない。

 つまりは、あれがルト本来の力。



 カケルですら知らなかった、魔王の本懐──!



「それは違いますヨ」

 と。

 無意識に内心を吐露していたのだろうか、カケルの思考を読み取るかのように、ミランが滔々とした語勢で否定を口にする。

「あれでもルト様の全開だとは言えませン。精々、実力の三分の一程度じゃないでしょうカ」

「あ、あれで三分の一なのかよ!?」

 とんでもない真実に、思わず眼を剥いて驚愕するカケル。

 あれで三分の一程度なら、全力を出したら一体どうなると言うのだろう。想像を絶し過ぎて、推し量る事すら不可能だ。さては、サイヤ人とか夜兎族とかファナリスとか、そういった暴れた数だけ優しさを忘れる類いの危険な種族なのではなかろうか。

「まあ、歴代最強の魔王と謳われるだけの事はありますからネ。密かに二つ名で呼ばれていたりするぐらいデスから」

「二つ名って、喩えば『インセクター羽蛾』とか『美しい魔闘家鈴木』みたいなもんか?」

「何故その二人が引き合いに出されたのかは分かりませんが……。まあでもそんな所デスよ。実際、魔族の間だけデスが『殲滅姫せんめつき』などと畏怖されているぐらいデスし」

「なるほど。洗面器か……」

「洗面器じゃねぇヨ」

 というかその異名、本人は嫌がっているとしか思えないのだが。明らかに厨二病を連想させるネーミングセンスだし。

「しかし改めて言うけれど、魔王ってあんなに強かったんだな。増援なんて却って邪魔になるっていうのもなるほど、納得だわ」

「だから言いましたでしょウ? ルト様の実力はアナタの想像以上だって」

「ああ。しかし魔王って結構Sっ気があったんだな。なんつーか、未だに信じられねぇよ。俺の前ではいつも恥じらうように顔を赤らめていたあの魔王が──俺に献身的な世話をしてくれたり、わざわざ教えを請うてまで手料理を振る舞ってくれたり、おっぱいを揉ませてくれたり、俺の愚息を慰めてくれたり、下の口でキスさせてくれたりしていた、あの従順な魔王が……!」

「アンタ、ワタシの知らない所でそんな真似までさせとったんデスか」

 おっといけない。ついうっかり口を滑らせてしまった。

 でもまあ過ぎた事だし、いちいち批難したりはしないだろう。お互い合意の上だし、問題は無いはずだ。

 ミランがすごく凍えるような視線を向けているような気がするが、問題は無いはずなのだ。無いったら無いのだ……!

「はあ。まあいいでしょウ」

 ややあって、何かを諦観するように嘆息した後、ミランは「以前にも話題に出した事がありますが」と前置いてから言の葉を紡ぐ。

「ルト様は好意を抱いている相手に対してはとことん尽くす方デスからね。逆に言えば、嫌悪している相手だったらどこまでも冷酷になったりするわけなんデスが」

 その辺は、母君である先代様の遺伝かもしれませんネ、とミラン。

 という事は、フレイヤに吐かれたあんな悪罵やこんな罵倒の数々も、全ては嫌われたが故なのだろうか。何だろう、地味に凹む。

「だからこそ、ルト様は容赦ありませんヨ。遊び心で加減はしますが、そこに慈悲は一切介在しませン。それが自分達に仇なす者なら、尚更……」



「──そろそろ終わりにしようか」



 さながら、ミランの言を証明するかのように。

 それまで空虚な瞳でアレス達を睥睨していたルトが、ゆったりとした足取りで最も近くにいたリタへと歩を進める。

「どうだ? 地べたを這いずる蟻のように、巨大な存在になすすべも無く淘汰される気分は」

「うっ、ぐぅ……!」

 仰向けで倒れていたままのリタの首を片手で掴み、そうして軽々と頭上高く持ち上げた後、ルトが冷めた面差しで続ける。

「悔やむなら、無力な自分を悔やめ」

「く……っ!」

 苦しげに顔相を歪めながら、リタがせめてもの意趣返しにと言わんばかりにルトを睨む。しかし当のルトは無反応のまま、徐々に──わざと苦痛を持続させるように、力を込めていく。

「魔王怖ぇー……」

 なんて。

 遠巻きに成り行きを静観していたカケルが、ボソっと震え混じりに呟く。その頬には冷や汗すら滲んでおり、真に恐怖しているのが窺えた。

 Sっ気は母親譲りらしいが、瞳から光彩が失っている分、どこか喜色を覗かせていたフレイヤよりも幾分恐ろしいものがあった。

 というか、あれは本当にルトか? 実はルトに化けた鬼とかではないのか。自分の知っているルトとはかけ離れ過ぎて、正直戸惑う。

「派手に暴れた分、色々と溜まっていた鬱憤も少しは晴れたのでしょうが、思っていたより賊達が弱過ぎて、遊ぶ気すら無くしてしまったのでしょウ。まあ今までの賊に比べれば、存外持ち堪えた方デスけれど」

「弱過ぎってお前、ぶっちゃけ三人がかりだったらオレよりも強いくらいなのにか……?」

 あれで弱いとするのなら、カケルなんて紙切れ同然だったと言わざるをえなくなる。いっそ半紙くらいの脆弱さだ。ペッラペラやぞ。

「あれでルト様もバトルジャンキーな所があったりしますからネ~。強い相手ほど心踊る方なんデス」

「やっぱサイヤ人なんじゃねぇのかアイツ」

 ルトと対等を張れるだけの強者なんて、果たしてこの世界にいるのだろうか。今は味方でいるつもりのカケルでさえ、フリーザ軍でも呼びに行きたくなってきた。何だったら、レッドリボン軍でもいい気がする。

 ともすると最初期にルトと戦っていた頃も、単に親睦を深めるための──カケルにしてみれば末恐ろしい事に──スキンシップというだけでなく、ストレス発散という意味合いもあったのではないだろうか。発散される側としてはたまったものではないが。

「さて、ここからはルト様の独壇場デスよ。もう既に山場は終了してしまいましたが、下り一辺倒の方が──熱が冷めてきてからの方が、より残酷により残忍になるお方デスから」

「え、何それ怖い」

 ミランの言葉に、顔色を青ざめて身を縮こませるカケル。今ですら十二分に怖いと言うのにこれ以上があるだなんて、カケルのSAN値もいよいよ底が尽きそうなのだが。

「苦痛に喘ぐがいい」

「うぅ……っ!」

 そうこうしている間にも、ルトがリタの首を締めながら、じわじわと迫る死期を無感情に鑑賞しつつ、最終的に両手を使ってトドメを刺しにいく。



「ま、待て……!」



 そんな時であった。もう誰もルトの猛攻を止められる者はいないと思われていた矢先──それまで意識を無くしていたはずのアレスが、よろめきながらもしっかりと立ち上がって、声を荒げた。

「彼女を──リタを、今すぐ離してもらおうか!」

「…………」

 凄むアレスに対し、ルトは一切意に介さず──どころか、まるで認識すらしていないかのような無関心さで、リタから手も視線も離さないまま絞首を続行する。

「っ。この──!」

 馬耳東風と一向にリタを手放す気のないルトに、アレスは剣を──激戦の末、刃が中心から折れてしまっている無骨な剣を握って突貫する。

 そんな無謀とも言える突撃を図る傷だらけのアレスに対し、ルトは一瞬だけ流し見て、

「ふん──」

 と、ゴミでも捨てるかのようにリタを放り飛ばした。

 否、形だけは──そのポーズを見る限りは、そんなに力を込められていなかったはずなのに、空中へと身を投げ出されたリタは猛然とした勢いでアレスの元へと直行し、そして。

 あたかも狙っていたかのように、リタの全身がアレスへと直撃し、二人は床を滑りながら転がり回った。

 リタが上にのしかかる形で転倒したせいか、苦しげに咳き込むアレス。一方のリタは、僅かながらも意識が残っているように窺えたが、すぐにダウン復帰はできそうになかった。

「注文通りに返してやったぞ」

 ダメージが深いせいだろう、まるで立ち上がれずにいる二人に対し、ルトが感情の伴わない冷淡な声音で発する。

「絶望的状況にも関わらず、我が身より先に仲間の身を案ずるその心意気だけは買ってやろう。せめてもの情けだ。三人まとめて灰塵にすがいい」

 その言葉に呼応するかのように、突如として無数の火の玉(この時から既に、指を鳴らすような真似はしなくなっていた。指を鳴らすのは単なるポーズかルーティンのようなものだったのだろう)が、ルトの周囲に忽然と現れた。

「──────っ!?」

 その壮絶な光景に、声すら詰まらせて両目を剥くアレス。防御はおろか、回避動作すらろくに取れないまま、時が止まったように全身が固まってしまっていた。

 無論、そんなアレスに構う必然性などあるわけなく……。

「──行け」

 それを合図に。

 幾多の火の玉がアレスとリタ──そしてそのそばで気を失ったまま倒れているカンナの元へと殺到する。

 助走すら無く、一気に飛翔した火の玉は目標を違わずアレス達の元へと直進し、そして──



 舞い上がる、爆炎。



 炎の勢いは止まる事を知らず、それどころか次々と火の玉が直撃する度に肥大し、轟音を唸らせる。

 これぞまさに圧巻。

 沢山撃つと実際よく当たりやすいと日本の諺にもあるが、あそこまで行くとオーバーキルとしか言い様がなかった。サツバツ!

 さすがのアレス達と言えど、あれだけの猛攻を受けては宣告通り灰と化しているのではと、もうもうと立ち籠もる黒煙を茫然とした面持ちで眺めていた──その刹那。



「『我ここに、聖遺物召喚の儀式を取り行う』」



 全く晴れる様子を見せなかった黒煙が、どこからともなく吹き荒れた一陣の旋風によって四方八方へと散らされていく。

 そうして現れたのは。



 片手を突き出し、足元に幾何学な紋様を浮かばせた、アレスの姿だった。



「聖遺物召喚……! あいつ、まだそんな隠し玉を持ってやがったのか!」

 自分と同じ聖遺物所持者の出現に、てっきり勝敗が付いたと思い込んでいたカケルが驚愕を露わにする。

 改めて見やると、あの凄まじい火球の雨の中を、前と変わらない姿で──それでも既にボロボロな状態だが──毅然と立っている。それはリタとカンナも同様で、先の攻撃によるダメージは全く無かったみたいだ。

 察するに、聖遺物召喚に生じた防御結界(召喚時はどうしても無防備になってしまうので、一時的に結界が働くのだ。カケルのように慣れると移動くらいなら可能になるが)によって、術者共々周りにいた人間も守ったのだろう。あの急を有する事態で、よくとっさにあんな好判断ができたものだ。

 とは言え、いかな聖遺物による強固な結界だろうと、ルトの手に掛かれば何の障害にもならないだろう。結果的にはどうにか難を逃れたものの、今しがたの魔法も全力で放ったものとは思えないし、せいぜい寿命が少し延びた程度の些事だ。アレスもそれは重々承知のようで、ルトの一挙手一投足すら見逃すまいと、眼光を尖らせつつ儀式を続行していた。

 そんな絶好のチャンスにも──あくまでもルトにしてみればだけど──兎にも角にも隙だらけでいるにも関わらず、当のルトはと言えば、

「ほう……」

 と興味深げに先々週むしろ好奇の眼差しを向けて口許を歪ませていた。

 今時、特撮ですら変身中にも平気で攻撃を加える時世なのに、律儀というか余裕綽々というか、まるで危機感めいたものが見受けられない。ミランの言うバトルジャンキー説も、あながち冗談というわけでもなさそうだった。

 何だかもう、戦わなければ生き残れない、バトルロワイヤル形式の世界にでも連れて行けよとまで思う。そして大抵、カケルみたいなお調子者は見せしめとして真っ先に退場させられてしまうのだ。何でオレすぐ死んでしまうん?

「『いにしえより語り継がれし聖なる剣よ、我が名に従い、その姿を我の前に示せ』」

 カケルが決して抗えようのない世界の運命力に絶望している間にも、アレスは粛々と召喚呪文を唱え続ける。

「『闇をも晴らす天上の光よ、全ての混沌を薙ぎ払え』」

 儀式が進むにつれ、アレスを取り囲んでいた光の柱が一層輝きを増し、燐光が渦を巻き始める。そうして──



「顕れたまえ──聖剣『ミストルティン』!」



 眩いばかりの閃光が、世界を真っ白に染め上げた。

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