第23話 偽りの世界



「いえ、この場合別れろじゃなくて、ルーちゃんの事は忘れてこの城から出ていきなさいと言うべきなのかしら? 話を聞く限り、まだ付き合ってもいないみたいだし」

 淡々と事もなげに話すフレイヤに、カケルはただ呆気に取られたまま硬直していた。

 ルトと別れろ。いや先ほど忘れろと言われたのだが、どちらにせよ耳を疑うしかない言葉だった。

 端的に言ってしまえば、それはルトと──

「ちょ、ちょっと待ってくださいフレイヤさん!」

 動揺を隠そうともせず、正座をやめてその場に立ち上がったカケルは、椅子のふちで頬杖を付くフレイヤに訊き返す。

「魔王の事を忘れろって、一体どういう……」

「どうもこうもそのままの意味よ。ルーちゃんとの関係は無かった事にしておいて、後はどこへとなりここから去れと言っているの。こんな事、わざわざ言わなくても本当は分かっているんでしょう?」

「…………っ」

 フレイヤの言葉に、歯噛みして押し黙るカケル。

 確かに何となく察してはいた。しかし、今までの話からは到底連想できなかった。先ほどまで、むしろ友好的であったと言っても良いくらいだったのに。

「その様子だと、どうにも納得していないようね」

「ええ、まあ……」

 ルトとはこれまで色々と──それこそ命のやり取りをしたほどの関係だ。

 それも今となっては、互いに笑い合えるほどの親しい間柄になれたくらいに。

 というより、あろう事かルトに妊娠させてしまったほどの深い関係に至ってしまったのが、ともあれ、それを今更忘れろだなんて許容できるわけがなかった。

「それは変ね」

 不満げな態度を示すカケルに対し、フレイヤは全く意に介していない──ともすればこちらの反応を嘲笑うかのような軽薄な口調で言う。

「あたしが見るにカケル君、ルーちゃんが妊娠した事をそれほど喜んでいないように思えるんだけど?」

「そ、それは……」

 フレイヤの問いに、カケルは言い淀んだまま口を閉ざしてしまった。

 それは言い訳もできないほど──本当に情けなくて自己嫌悪に陥るほど、的を射た指摘だったから。

 それでも、素直にフレイヤの言葉を聞き入れる気にはなれなかった。

 当初は怪我さえ癒えれば黙って魔王城から去るつもりだったが、こうなったからには責任を取らねばならぬ義務がある。ルトもお腹の子を産むつもりであるらしいし、場合によっては一生を添い遂げるだけの覚悟も必要となるのだろう。

 今はまだ現実感が無くて、心のどこかで事実から目を背けようとしている自分がいるが、いつまでもそんな甘えた事が許されるはずがない。ルトに対し、何らかの答えを未だ明示していない以上、彼女とのこれまでの経緯を全て無かった事にするわけにはいかなかった。



 たとえそれが、フレイヤの意にそぐわない事だとしても。



「あら。何か不服そうな顔ね」

「……否定はしません。そちらにしたら身勝手な話なんでしょうけど、自分には責任を取る必要が──魔王とお腹の子を含めて、これからの事を考えなければならないと思っていますから」

「責任……責任、ねえ」

 そうカケルの言葉を反復し、溜め息を吐いて瞑目するフレイヤ。駄々をこねる幼子を見ているかのような、そんな憮然とした表情だった。

「仕方ないわね。このままじゃあ話が平行線のままになりそうだし、少し視点を変えてみましょうか」

 言って、フレイヤは足を組み直し、深く椅子に背中を預けた。これから長い話をするという意思表示なのかもしれない。



「──ねえカケル君。カケル君は、千年近く前の戦争──人間と魔族が最初に起こした戦争について、だいたいの事情はミーちゃんから聞いているのよね?」



「……? ええ、まあ」

 不意に投げかけてきたフレイヤの質問に、一瞬躊躇いつつも首肯するカケル。

 初め『ミーちゃん』と聞いて誰の事かと思ったが、話の脈絡や娘であるルトを『ルーちゃん』と呼ぶ傾向からしてミランの事で間違いないだろう。決して某猫型ロボットのガールフレンドでもなければ、正解率が本当に1%もあるのかどうかすら疑わしいとあるヤクザ一家の娘さんの事でもないだろう。どういった意図でこんな問い掛けをしてきたのかは定かではないが。

「じゃあカケル君は、どうして人間達が今でも魔王城を攻めようとしているかは分かる?」

「え? それは勿論、魔王を倒して世界を平和にしようと考えているからじゃないんですか? 実際に暴れているのは獣型の魔物ばかりで、魔王が率先して指揮しているわけでもなければ、一切関与もしていないってオレは聞きましたけど……」

「うーん。まあ、それはそれで合ってはいるのだけど、でもそれだけじゃあないのよねえ」

「それだけじゃあないって、他にもまだ何かあるんですか?」

「まあ、そんなところかしら」

 それも色々と面倒な事にね、と続けるフレイヤ。

「ずばり単刀直入に訊かせてもらうけれど、カケル君達は──ああ、この場合の『達』というのは、ルーちゃんを倒そうとしている奴らを全部引っ括めてよ? ともあれ、そんな勇者であるカケル君達は、自分の行動に何か疑問に思ったりした事ってないの?」

 言われて、カケルは小首を傾げた。

 疑問といっても、当時は魔王城こそ全ての元凶だとあると信じこまされていたし、己の行いに何ら疑問など思っていなかった。それが勇者として極当然の事だと思っていたからだ。

 それはカケルだけでなく、ほぼ全ての人間が今でもそうだと思い込んでいるに違いない。それが間違った解釈だとも知らずに。

 しかし、フレイヤが言いたいのはそんな既に分かりきった事ではなく、もっと別の視野から見た話なのだろう。そこまではカケルでも理解できたのだが、この話の核となる部分──言うなればフレイヤの真意がまるで掴めないでいた。

「その様子だと、全然見当が付いていないようね」

 いつまでも答えあぐねているカケルを見て、このままだと時間の無駄だと悟ったのだろう──フレイヤは「やれやれ」と言った風に溜め息を吐いた。

「じゃあ遠慮なく指摘させてもらうけれども……」

 言って、フレイヤは鷹揚な仕草でカケルを指差し。

 常識を語るような口調で、こう言ってのけた。



「どうして貴方達、そんな少人数でちんたら戦ってるのよ」



「え……?」

「よく考えてみなさい。これでも長年難攻不落と言われた城なのよ? それも歴代最強の魔王がいる城──そんな難所に、どうしてカケル君はたった一人でここまで行かされているのよ? カケル君だけじゃないわ。他の勇者達にしてもせいぜい多くて五、六人のパーティーでしか来ないなんて、普通あり得るかしら? あたしだったらそんな望みの薄い真似はせずに、何千か何万という軍を率いてとっとと侵攻してるわね。その方がよっぽど確実で手っ取り早いもの」

 フレイヤに疑問点を上げられて、カケルは間抜けにも口を開いて唖然としてしまった。言われてもみればその通りだと思ったからだ。

 いや、元々カケルの場合は旅に同行出来るのだけの兵がいないという事だったので、そのまま渋々一人(運も良かったせいもあるか、大抵の事は一人で乗り切れたし)で魔王城まで来る事が出来たが、他の国がそうである必要はない。むしろフレイヤが言った通りに、あらゆる国が軍を出しさえすれば済む話ではないのか。

 確かに軍を出す事に比べれば費用は安く済むし、国の守りも薄くならずに済むかもしれないが、わざわざ時間と労力を掛けてまで勇者御一行に魔王退治を頼む必然性があるとは思えない。世界が魔王の悪しき手によって支配されようとしているという伝聞が──それこそ周知の事実として皆に知れ渡っているのにも関わらずにだ。

 だのに、今日こんにちに至るまで各国は勇者を募り、または自国の兵や屈強な戦士を選び抜いて魔王城へと向かわせ続けている。フレイヤの言う通り、これほど不可思議な話はなかった。正直、指摘されるまで気にもとめなかったくらいだ。これも漫画やゲームではありがちな設定だと先入観を持っていたせいなのだろうか。

「いやでも、現にオレはこうして魔王城まで来る事が出来ましたよ? 他の奴らにしても何人か魔王に接触した事もあるらしいじゃないですか。いつか伝説の英雄みたいなのがまた現れないとも限らないですし」

「カケル君は、でしょ。それに他の奴らとか言うけども、それらだって今まで数える程度しか魔王城に侵入した事がないし、その殆どがルーちゃんに追い返されてるじゃない。それも言うに事欠いて伝説の英雄ですって? いったい何百年前の話をしているのよ。そんないつ現れるとも知れない者を待ち望むだなんて、人間達も随分と悠長な事をしているものね」

 まあ、仮にその伝説の英雄さんが全盛期のまま存在していたとしても、今のルーちゃんなら一捻りでしょうけれどね。

 そう言い締めるフレイヤに、反論すら出来ずに閉口するカケル。

 フレイヤの言う事はもっともだが、そのまま鵜呑みにもするワケにもいかず、苦し紛れに疑問点をぶつけてみたが、あっさりと言い返される形になってしまった。

「そ、それはそうかもしれませんけども、魔王城ここまで来る道中だって、あちこちで軍が動いているって何度か耳に挟みましたよ?」

「あくまで噂でしかないのでしょう? カケル君は実際にその軍が動いている現場を見た事があるのかしら?」

「それは無いですけれど……。でも軍が動いたってなれば国民全体に知れ渡るでしょうし、何の動きも無かったら逆に不審がられているはずですよ。オレが知る限りじゃあ、そういった話は全然聞いた事がないし……」

「どうにか辻褄を合わせようとあれこれ誤魔化してるんじゃない? 少なくとも軍がここまで大挙として押し寄せてきたことなんて、あたしが魔王の代の時から──かれこれ百年近くこの城を守ってきたけど一度たりとも無かったし、人間達のいる国に何人かスパイを送り込んでいるんだけど、噂が先行するだけで軍が動いたって言う報告も今まで全く無いのよね。どうせ何者かが命令されるままデマを積極的に流しているのでしょうけれど、さすがに全く軍の姿を見せないのもまずいでしょうから、出陣式か何かの催しで少しは一般人にも見せびらかしてはいるんじゃないかしらね」

「え。じゃあなおさら、そんな事したら魔王城に行かざるをえなくなるんじゃ……」

「その辺も適当にはぐらかしているに決まっているじゃない。事実、向こうの大陸にある魔物の棲む森が軍に襲われたってスパイの子から何度か報告に上がっているし。まあ、それも獣型しか棲息しない場所ばかりだから今のところは良いんだけれど、向こうの大陸にいる仲間が襲われないよう、今以上に配慮しなくちゃいけなくなるわね。本当に厄介だわ」

「………………」

 滔々と語るフレイヤに、カケルは面喰らったまま耳を傾けていた。いや、むしろ惰性で聞いている状態だと言った方が正しいか。

 ことごとくフレイヤによって論破されてぐうのも出なかったというのもあるが、何より軍の実態(真偽は定かではないけれど)を知らされて、信じていたものが粉々に崩れ落ちたような気分だった。もはや放心する事しかできない。

「あらあら。すっかり抜け殻みたいになっちゃって。そんなにショックだった?」

「こんなとんでもない話を聞かされたら、誰だってショックを受けて言葉を無くしますよ……」

 ミランから戦争の原因を聞かされた時でさえ相当な衝撃を受けたのに、今度は人間側の深い闇を明かされたときたものだ。この部屋に来た当初は、ルトの母親に散々罵声を浴びせられるのだろうと胆を冷やしていたのに。なんだかもう別の意味で胆どころか背筋まで寒くなってきた。そろそろカケルのSAN値もピンチなのかもしれない。

 いや、そんな事もよりだ。

 フレイヤの言葉が真実であるなら、人間達──特に各国の上層部は、そもそも勝つ気の無い勝負に今も挑んでいる事になる。あれだけ魔王の脅威を謳っていたにも関わらずに、だ。これでは無駄に人死にを増やすだけで、まるで意味では為さないではないか。

 国の上層部は、一体何を企んでこんな真似を──



「どうしてこんな真似をしたのか──なんて考えてた?」



 またしても胸中を言い当てられ、目を見開くカケルに、フレイヤは「正解みたいね」と妖しく微笑を浮かべて言う。

「そんなに驚くほどじゃないわ。カケル君は表情に出やすいタイプだし、何より今までの流れを踏まえて考察すれば簡単に読める事よ。相手の考えてる事なんて大抵ね。それに沿って言わせてもらえれば、どうして人間達が軍を出さずに少人数で挑むか──その辺もおのずと見えてくるものよ」

 そう不遜な態度で言い切るフレイヤに、カケルは驚愕のあまり口が開けなかった。

 ほぼ人生の大半が魔王城の中で過ごしたと言っても過言ではない──まして人間のいる大陸に足を運んだ事なんて一度もないであろう彼女に、どうして向こうの大陸にいる人間の考えが読めるというのであろう。実際に見聞きしたわけでもないというのに。

 何だかまるで、推理というより千里眼のようではないか。

「ま、あくまで推察でしかないから確証もないし、断定なんて全くできないけれど、でもそうだと結論できる根拠ならいくらでもあるしね。人間達が本心から魔王城を落とそうとしない理由なんて」

「根拠……そう結論できるだけの、理由」

「そう、根拠。あまり勿体ぶるのもどうかと思うから率直に言うけれど、おそらく勇者をつのっている国──特に上の位にいる連中は、あたし達魔族が積極的に戦争を仕掛けるつもりは無いって事を──人間達アイツらはとっくの昔に気づいているんじゃないかしら?」

「──────」

 その言葉に、カケルは虚を突かれたように声を失くした。

 嘘だ。

 そんな馬鹿な事があってたまるか。

 だって、人間達が襲われない事をすでに把握していただなんて。

 もしも、それが本当に事実だったとしたら。



 自分達は国に言われるまま、全くする必要の無かった戦いを魔族達に挑んでいた事になるではないか──!



「いやだって魔王の話じゃあ、今まで何度も人間達を滅ぼすつもりはないって、向こうの大陸にいる人達に伝えてきたはず……」

 未だショックから抜け出せず、それでも必死に声を絞り出して反論するカケルに、「察しの悪い子ね」とフレイヤは呆れ気味に眼を細めつつ、言葉を返す。

「そんなの無視してるに決まってるじゃない。つまり、あくまでもこっちは被害者だっていうポーズを取り続けているのよ。自分達は世界を支配しようとしている輩を倒そうとしているだけで、それ以外の狙いなんか無いって国民を騙して、ね。要は単なるブラフ──見せかけなのよ」

「み、見せかけって……じゃあデタラメだったとでも言いたいんですか!? 世界中の皆が魔王を倒すべき悪だと信じていたのも、世界を救済する為に勇者達を送り出したというのも、何もかも全部……?」

「別に世界中全ての人間達が嘘を吐いてるって言いたいワケじゃないのよ? 現にカケル君はそう信じこまれていたわけだし、勇者達の中にだって国の思惑に関係無く純粋に世界を救おうとしている正義感の強い連中だっているでしょうから」

 君がそうだったかどうかは分からないけれど、とフレイヤ。

 その辺に関しては正直に話すと心象を悪くしてしまいかねないので、あえて黙っておく事にする。

「とどのつまり人間達は──というより国のお偉方は、魔王を倒して世界を救おうだなんてご立派な志しからじゃなくて、もっと別の目的があってここに勇者を寄越しているという事よ」

「別の目的……?」

 魔王の言う事を信じていない振りをして。

 自国の民をも騙し。

 死傷者を出してまで、魔王退治を勇者達に命じるその理由──その目的。

 それは、一体──

「そんなの決まっているわ」

 思考を巡らすカケルをよそに。

 フレイヤは──その場の雰囲気どころか空気ごと凍らすような冷淡な口調で、こう言い捨てた。



「そんなもの、自分達の利益を得るために決まっているじゃない」

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