第22話 お義母さまといっしょ



「姫様! 姫様お待ちくだされ!」

 どこまでも続く石造りの回廊。そこを豪奢な窓から差す穏やかな陽光の中で、一人の老婆が目の前の少女目掛けて忙しなく駆けていた。

「姫様! アリシア様〜っ!」



「──あら、ばあや。そんなに慌ててどうしたのですか?」



 老婆に呼び止められ、絢爛豪華なドレスを纏った少女が優雅に振り向く。

 光の流線かと見まごうばかりの美しいブロンドの髪に、まるで宝石でも埋め込まれているのかのような、色鮮やかなエメラルド・グリーンの瞳。顔の造形は瞳に合わしたかのようにこれ以上なく整っており、女神そのものと言っても遜色ない容姿をしている。ここまで絶世の美少女という言葉が似合う人も、世界広しといえどそうはいなかろう。

 やや小柄ではあるが、胸はドレスがはち切れそうなほど規格外な大きさであり、腰も理想的なくびれ方をした文句無しのプロポーションをしていた。

 そんな目をも奪われる超絶的美少女──もといアリシア姫と呼ばれたその女性は、小柄な自分より一層小柄(単に腰を曲げているせいもあるのだろうけど)である老婆に背丈を合わせる形で屈みつつ、

「婆や。あんまり無理して走ったりすると、この間みたいに腰を痛めてしまいますよ」

 と、どこかおっとりとした──しかしながら気品を感じさせる丁寧な口調で言の葉を紡ぐ。

「な、何度お呼びしても、まったく姫様が気付かないからでございますよ」

 アリシアの言葉に、息を切らせながら答える老婆。どうやら、ずいぶんと長い距離を走らせてしまったようだ。

「あら、そうだったの。ごめんなさい婆や。わたくし、つい考え事をしながら歩いていたものですから……」

「ふう、いえいえ。オババの足が遅いせいもありますし、お気になさらないでくだされ」

 昔はもっと速く歩けたのに、歳には勝てないものですねえ。

 と乱れた侍女服を整いながら、老婆が溜め息混じりに呟く。

「それで婆や。わたくしに何か大事な用があるのですか?」

「ええ、姫様。先ほど魔法使い達から連絡を受けたのですが、儀式の準備が──明日の『蒼月そうげつ』に向けての準備が滞りなく終えたとの事です」

「まあ! それは本当に!?」

 老婆のその報告に、喜色に満ちた声を上げて華やかに破顔するアリシア。

「それでは、久しぶりに『あの方』の声が聞けるのですね……」

 薄く紅潮した頬に手を当てて、アリシアは夢心地にも似た甘い呟きを漏らした。

 瞳を閉じれば、瞼の裏にすぐ浮かぶほどに恋慕う『あの方』の姿。

 魔王を打倒せんと、異世界からこちらの世界へと喚びよせた勇者──婚約者でもある彼の姿を想い、アリシアは「はあ……」と熱っぽい吐息を零す。

「姫様は本当にあの勇者の少年の事が好きなんですね。顔が恋する乙女そのものでございますよ」

「えっ。そ、そうなんですか?」

「ええ、ええ。そりゃあもう。ひょっとして姫様の考え事というのも、その少年の事だったのでは?」

 老婆に図星を突かれ、アリシアはますます頬を赤らめて俯いた。

 こればっかりは仕方ないのだ。なんせ最近は儀式の調子が悪くて、ここしばらく『あの方』と全く話せていないのだから。

 儀式には大掛かりなもので、専用の道具や十人近い魔法使い──それに城内で最も魔力の高いアリシアを含めて行われる。しかし、これだけではまだ足らず、『蒼月』と呼称される特殊な日でないと成功率がぐんと下がってしまうのだ。

 実はこの儀式は今までに幾度か行われており、その都度つど件の少年とも連絡を取っていたのだが、先々月あたりから天候の事情で『蒼月』の加護を受けられず、『あの方』の安否すらろくに分かっていない状態なのである。しかもこちら側しか一方的に連絡が取れないので、尚更どうしようもなかった。

 まあ『あの方』は人間離れした運動神経(本人曰く、こちらの世界に来てから身に付いたものらしい)をしているし、運も要領も良いから大丈夫だとは思うが、如何せん、こうも長い間音信不通なままだと寂しくて居ても立ってもいられなくなってしまう──他の事に集中しようとしても、つい気が逸れて『あの方』の事ばかり妄想してしまうのだ。

 それだけではない。今となっては、いつでもどこでもここにはいないはずの『あの方』の姿を無意識に探してしまい、夢にまで『あの方』が毎日出てくる始末だった。最早、自分でもこの奥底から溢れる感情を抑えられなくなってしまっていた。



 それは今までにない──アリシアにとって初めての経験となる甘くて切ない恋の訪れだった。



 恋愛小説などで知識は人並みにあったつもりだったのが、ここまで胸が切なくなるものだなんて、思ってもみなかった。

「オババはホッとしましたよ。姫様が望んで勇者殿と婚約される事をお決めになって」

 と、思わず『あの方』の事ばかり思い耽っていると、老婆が不意に陽だまりのような笑みを浮かべてアリシアに語りかけてきた。

「勇者殿にいきなり婚約を迫られた時の姫様は、どこか浮かない顔をされていたものですから」

「……そうですね」

 確かに『あの方』をこちらの世界へと招いてそう日も経ってもいない──まして突然召喚されて気持ちの整理が付いていないはずの『あの方』から、全く予期すらしていなかった大胆な告白を受けて、正直困惑しなかったと言えば嘘になる。むしろ国王や大臣達の目の前であんな情熱的な愛の告白を叫ばれて、あまりの恥ずかしさに顔から火を出るかと思ったくらいだ。

「あの時は姫様に対してなんと無礼な真似をと憤慨したものですよ。いくらこちらの勝手な事情で喚び出した負い目があるといえ、分をわきまえろとどれだけ声を上げたくなった事か。その後に国王が姫様との婚約を了承した時は、気でもおかしくなったかと耳を疑いましたよ」

「お父様──いえ、陛下も何か考えあっての事ですから……」

 事実、あれには深い意味があった。それは『あの方』が旅立ってから少しして国王の口から直接聞き及んだ事なのだが、それはアリシアの──いや、この国の将来に関わる重大な事だったのだ。大袈裟な事を言わせてもらえば、世界規模と表しても過言ではないかもしれない。

 それは魔王とはまた別問題の、近隣の国で小競り合いや、また遠くの国々では人間同士で戦争を行っているという今の世界情勢を鑑みての話になってくるのだが。

 そこに国王の個人的な感情を挟んでいなかったとは言えないし、アリシアもまた、改めて話しを聞いて快く納得したというわけではない。

 けれど、自分は一国の姫。国王ほどの権力は無いにせよ、この国の民を思う気持ちは誰にも負けないつもりだ。



 だからこそ、アリシアも国王の意志に同調し、『あの方』と添い遂げる事を胸に誓ったのだ。



 先の老婆が言っていた通り、こちらの世界へと了解も得ずに『あの方』を連れ込んだ責任を果たせねばという気持ちも、無きにしも非ずだったのだが。

 と、まあ色々と大言壮語な事を並べてしまったが、それも今となっては昔の話。今はただ、純粋に『あの方』をお慕いしているのだ。

 初めはただ申し訳なさしか無かったのが、『あの方』と連絡を取るにつれて、いつしかすっかり惹かれてしまったほどに。

 まさか自分が、ここまで恋に夢中になってしまうだなんて、微塵も思っていなかった。

「姫様。オババはですね、貴女様の事が好きなのでありますよ。誰に対しても平等で、どんな時も笑みを絶やさない貴女様の事が大好きなのです。それはこの国の民も同じ。姫様が幸せなら、それだけでオババも皆も幸せな気持ちになれるのですよ」

「婆や……」

 優しくアリシアの手を取って語る老婆に、アリシアもそっと手を握り返して耳を傾ける。

 幼少時から実の孫のように接してくれた、もう一人の大切な祖母と言っても過言ではない老婆の顔をじっと見据えながら。

「ですから姫様は、ご自分の事を第一に考えてくださいませ。それが我々の──民の願いでもあるのですから」

「……ありがとう婆や。わたくしは、本当に民に恵まれた果報者ですね」

 オババの言葉に、目じりにうっすらと涙を溜めて微笑みアリシア。こんなにも心に響く言葉を送られて、アリシアは感極まる思いだった。

 この国の姫に生まれて、本当に良かった。

 そう心の底から思えるくらいに。

「早く勇者殿が無事に戻られると良いですね、姫様」

「ええ。そうですね」

 窓から見える群青の空を見上げてつつ、アリシアは『あの方』に想いを馳せながら、祈りを捧げるかのような粛々とした声音で呟く。



「カケルさん──今頃、どこで何をしている事でしょう……」



 ◇◆◇◆◇



「ふーん。ルーちゃんから話は聞いていたけれど、本当に勇者らしくない格好をしているのねえ。見た目もなんだか貧弱そうだし」

 聖堂と似た広さの薄暗い部屋。蒼い炎を放つ燭台の淡い光の中で、壁際に並べられた物々しい甲冑が、こちらを凝視するかの如く不気味に浮かび上がっていた。真夜中の学校でこんな物を見た日には、びびって腰を抜かしそうだ。

 そんな雰囲気的にも居心地が悪い空間の中で、先代魔王──フレイヤは、豪奢な椅子に腰を落ち着けながら、階下にいるブレザー姿のカケルを値踏みするような眼で睥睨していた。

 魔族なので正確な年齢は分からないが、パッと見は二十代中頃から後半といったところだろうか。それも相当美人な部類の。ちょっと街中を歩いた程度では決して出会えないような、そんな親子共々非常に整った容姿だ。

 太腿まで届きそうな長い銀髪。ルトと同じ金色の瞳に、黒々とした両羽。初めこそ全裸だったフレイヤだが、今はその成熟した魅惑な肢体を、胸元がこれでもかというくらいに開いた扇状的な真紅のドレスで隠していた。

 後々フレイヤから聞いた話ではあるのだが、どうやら彼女は裸族──つまり裸で生活しないと落ち着かないタイプの女性らしい。カケルと接触した時も、どうやらその事を失念してしまっていたのだとか。うっかりでは済まされない危険なミスを犯す人だった。

 いや、男としての意見を言わせてもらうならば、めちゃくちゃ眼福でしたけども。

 感謝します。そして感謝します。

 と言いつつも、裸のままでいられたら流石に目のやり場に困るし、結果的に見てもこれで良かったのかもしれない。少々残念な気はするが。

 ちなみに報告しておくと、フレイヤさんもパイ○ンでございました。

「遺伝、でしたか……」

「ん? 何か言ったかしら?」

「ああいえ、何でもないです」

 フレイヤの問いに、かぶりを振って否定するカケル。まさか貴女の股間について考えていましただなんて言えるわけがない。

 それにしても、親子揃って不毛だったとは。これも世界の選択か。はたまた神の意志か。何にしても、この奇跡の産物に礼を述べざるを得ない。

 ちちにありがとう。

 常識ははにさようなら。

 全てのパイ○ン女性達に、



 おめでとう──。



「何故かしら。急に君の頭の中はそればっかりかと突っ込みたくなったわ」

 いけない。表情に出ていたのか、フレイヤに思考を読まれてしまった。

「まあいいわ。えっと、確かカール君といったかしら?」

「いえ、カケルです」

 誰だカールって。某お菓子メーカーのマスコットキャラか。

「そうそう、カケル君だったわ。ごめんなさいね。あたし、人の名前を覚えるのが苦手な方だから」

 言って、その豊満な胸から覗く谷間を強調させながら不敵に笑みを浮かべるフレイヤ。まったく悪びれているようには見えない態度だった。

「改めてカケル君。あたしがルーちゃんの母親であり、また先代魔王であるフレイヤよ。よろしくね」

「よ、よろしくです……」

「ふふ、何もそんなにかしこまらなくてもいいのよ。先代魔王っていっても今じゃあ隠居した身だし、魔王城の実権もルーちゃんが握っているんだから」

「はあ……」

 フレイヤの言葉に、カケルは覇気の無い声で相槌を打つ。

 畏まらくてもいいと言われても、なんせあのルトの母親だし、恐縮するなという方が無理がある。

 それどころか、この先代魔王の娘を孕ませてしまったのだ。この後に待ち受けているかもしれない血の粛正を思うと、つい冷たい床の上を正座になってしまうのも無理からぬ話だった。まずい。足がかなり痺れてきた。

「それにルーちゃんの方がずっと強いんだから、あたしなんて大したものじゃないわよ。それこそ、ルーちゃんを追い詰めてみせたっていうカケル君の腕から見たらね」

「え、でも噂じゃあ魔王と引けを取らない力を持っているって……」

「あくまで噂よ噂。もしくは、城内の子達があたしに気を遣っているのかもしれないわね」

 気持ちは嬉しいんだけれどねぇ、と少々困ったように苦笑を浮かべつつ、フレイヤは続ける。

「確かに体術だけだったら負ける気はしないけれど、魔力ならルーちゃんの方が圧倒的に多いし。それに詠唱もなく色んな魔法が使えるから、正直勝てる気なんてまるでしないわ」

 そういえば、以前にルトも同じような事を言っていたか。歴代最強の魔王と恐れられるだけの事はある。

「さすがはあたしの娘って感じね。単に最強なだけじゃなくて、あたしに似てとっても可愛らしいし。娘じゃなかったら襲っていたところだったわ。性的な意味で」

「………………」

 どうやら、親バカという噂は本当だったらしい。それも危ない方向で。

「まあ、そういう意味では──」

 とそこで一旦区切り、フレイヤはスッと視線を尖らせて、こんな険の籠もった言葉をカケルにぶつけた。



「ルーちゃんが妊娠したって聞いた時は、無意識に壁を殴ってしまったものだけれども、ね」



 その瞬間、場の空気が凍てつく大地の如く氷付いた(主にカケルの周りが)。

 ああ、ついに始まるのか。説教という名の断罪タイムが。

 果たしてカケルは、生き残る事ができるだろうか。

「ぷっ。ふふふ。ごめんなさい。怖がらせてしまったかしら?」

「……へ?」

 内心これ以上ないといった具合にガクブルしていると、フレイヤが唐突に口元を抑えて笑いだした。

 意表を突かれて唖然としているカケルに、

「ちょっとからかっただけなのに、血の気が引いたように真っ青な顔をするんだもの。可笑しくて仕方がなかったわ。ルーちゃんの言ってた通り、本当に面白い子ね」

 と未だクスクスと笑いを噛み締めながら、フレイヤは言う。

「え、えーっと……そのフレイヤさんは、娘さんが妊娠した件について怒ってはいないんですか?」

「んー、まあ突然の事だったし、しかも相手が勇者と聞いた時は少し動揺もしたけれど、でも別段不快に思っているわけじゃないのよ」

「それはまた、どうして……」

「カケル君は創世記、いわゆる、この世界の始まりと終わりを綴った神話と呼ばれる物語を知っているかしら?」

 それならば知っている。旅の道中に立ち寄った教会で何度か聞かされた話だったから。

「確か人間や魔物達がまだいなかった世界の──大昔に神々と悪魔が争っていた頃の話ですよね?」

「正解。実を言うとね、あたしとルーちゃんの一族は、その神話に出てくる悪魔の末裔って言われているのよ」

「悪魔の末裔……」

 道理で、今までルトを見ていてどことなく悪魔っぽいと思ったわけだ。フレイヤにしてもそうだが、背中の黒い羽もきっと悪魔がいた頃の名残なのだろう。

「神話の世界にいた悪魔と呼ばれるだけあって寿命は長いし、戦闘力もデタラメな強さを誇っているのだけれど、そのせいなのか生殖能力がとっても低くて、なかなか子供が出来にくい血筋なの。あたしもずいぶんと苦労したものだわ。毎晩ダンナと色々なプレイを試したものよ。まあ、あたしはダンナといっぱい愛し合えて最高な気分だったから別に良かったけども。はあ、またあたしを昇天させてくれるステッキーなダンスィが現れてくれないものかしら」

「……………………」

 割とシリアスな雰囲気なので、ツッコミはスルーの方向で。

「そういったわけでね、ルーちゃんが妊娠した事自体はそれほど悪く思っていないのよ。あの子、他人に興味が無いのか、いつも冷めた目で周りを見ていたから心配していたぐらいだし。そういった意味では、カケル君みたいな強い男の子が相手で、逆に良かったと思うべきなのかもしれないわね」

「はあ、さようで……」

 そんな気の抜けた返事をするカケルに、「さようですよ」と茶目っ気ある答えをするフレイヤ。

 まあ、なんだ。とまれかくまれ、なんやかんや複雑な事情が絡んでいそうではあるが、ひとまずほっと胸を撫でおろしていいみたいだ。

 てっきり怒髪天を衝く勢いで罵詈雑言を浴びせられるかと肝を冷やしていたので、心底安堵した。最悪、ナイスなボートが代わりに映像として流れそうなほど、血なまぐさい残虐シーンを覚悟していたほどだし。

 とそこで、カケルは「ん?」と首を傾げて思い直す。

 ルトが妊娠した事について、それほど悪く思っていないのなら。



 自分オレは一体、何の為にここまで(それこそ、トラップまで仕掛けられて)呼ばれて来たのだろう──?



「さて、それじゃあカケル君。顔合わせも済んだところで、そろそろ本題に入りたいんだけれど」

 と。

 フレイヤは。

 この先の運命を大きく揺るがすような事を、コンビニまでお使いを頼むかのような気楽さでこう告げた。



「今すぐ、ルーちゃんと別れなさい」


 

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