第20話 魔王(アイツ)が勇者(オレ)を好きすぎて困る



「………………Why?」



 一瞬、何を言われたのか分からなかった。むしろ言葉の意味すら理解できないほど、カケルは混乱していた。

 にんしん。

 妊娠?

 いや待て。まだそうだと決まったわけではない。落ち着いてルトに問い質すのだ。クールになれ勇者カケル。

「えーっと、もう一度言ってもらってもいいか? 魔王が何だって?」

「だ、だから、妊娠しちゃったみたいなんだ!」

「…………妊娠って誰が」

「わ、私が……」

「…………誰の」

「カ、カケルの……」

「……………………What?」

 そんなバッカーノ、もとい馬鹿な。いくらなんでもそれはありえない。だって一度だけしか体を重ねた覚えが無いというのに。

 これは何かの間違いに決まっている。むしろ、そうだとしか考えられない。勇者である自分が魔王を孕ませたなんて、冗談でも笑えない。

「あ、分かった。あれでしょ? 頬に十字傷のある流浪人の事でしょ?」

「それは剣心デスよ。まあ語感は似てなくもないデスけども」

「じゃあ、あれだ。まん丸だ」

「それは忍ペンデス」

「憑依合体!」

「それはマンキン。てかアナタ、さっきからワザと間違えてませン?」

「うっ……」

 ミランの鋭い指摘に、思わず言葉を詰まらせて閉口するカケル。やはり今のは場を誤魔化すにしても少々苦しいものがあったか。

「で、でもさ! 魔王とは一度しか交わってないんだぞ!? いや、その一度で三発ぐらいヤっちゃったわけだけども! だからって何発ヤっちゃったかなんてこの場合関係ないはずだよな!? たったの一回で妊娠とか奇跡的過ぎるぞ! こんなの絶対おかしいよ! オレの人生がこんなにカオスなわけがない!」

「往生際が悪いデスね〜。医者の立場から言わせてもらえば、ルト様は確かに勇者さんの子を身ごもっていますヨ。このワタシが検査したんデスから、間違いありませン」

「嘘だっ!!!!!」

「また微妙に古い小ネタを……。ていうか、嘘じゃありませんって。様々な状況証拠が事実を物語っているんデスよ。何なら赤き真実で復唱してあげてもいいんデスよ?」

「でもでも、ひょっとしたらどこか見落としがあるかもしれないじゃん! 大体、妊娠なんてどうやって確認したんだよ!」

「それは勿論これでデスよ」

 言って、ミランは白衣の内ポケットから色付き眼鏡を取り出した。

 全体的に黄色く、レンズがだけが赤い丸眼鏡。どちらかといえば、パーティー用で使われそうな代物だ。少なくとも、視力矯正の為の眼鏡ではない。

 というか、ぶっちゃけ──



「透 K っ ち ん じ ゃ ね ぇ か !」



 間違いない。これはいつかミランと話していた時に出てきた、物体を透かして見る事が出来る魔法アイテムだ。

 絶対単なるしょーもない一発ネタだと思っていたのに、まさかまた見る機会がやって来ようとは。むしろ一体誰が覚えているというのか、こんなくだらない伏線を。

「これでルト様の腹部を透かしたんデスよ。そしたら子宮内部に胎児と思われる豆粒程度の物体がバッチリ視認できましタ」

「つ、つまり……?」

「つまり、最近ルト様の生理が止まっている事や、勇者さん以外の男とは交わっていない点などを考慮するに、アナタの子供であると考えた方が妥当でしょうネ」

「イヤぁぁぁぁぁぁっ!!」

 絶叫。窓も割れよ壁も裂けよと言わんばかりのカケルの悲鳴が、狭い病室の中で響き渡る。

 よもやたった一度の性行為で孕ませてしまうなんて。あの時ちゃんと避妊しておくべきだった。

 とは言え、こんな文明の未発達な異世界で避妊具なんて存在するのだろうか。仮にあったとしても強度に不安が残るし。ああもう頭がグチャグチャで何も考えられない。叶うなら、今すぐにでもタイムリープして世界線を変えてやりたい。

「もう、何デスか急に生娘みたいな悲鳴を上げて。乱心デスか。乱心院らんしんいんさんデスか。現実とちゃんと向き合って戦わないと、この先の人生、生き残れやしませんヨ?」

「違うのぉ! あたし、そういうつもりじゃなかったのぉ! ちょっと魔が差しちゃったって言うか、ほんの出来心だったのぉ! お願いだからあたしを信じてぇぇぇ!」

「何を彼氏に浮気現場を見られて必死に追い縋ろうとしているダメ女みたいな事言ってんデスか、アンタ」

 涙目でみっともない言い訳を始めるカケルに、ミランが冷やかな目で言葉を返す。

 ワケが分からない。一体全体何がどうしたらこんな事態に陥ったというのだ。あまりの衝撃的展開に処理がさっぱり追いつかない。英語で言うとファーストブリッド。

 ひとまず、今起こった事をありのままにお伝えします。



 ルトが妊娠しました。

 しかも、たったの一回で。



 ど う し て こ う な っ た



 自分でも何を言っているのか、ちょっとよく分からなかった。

 兎にも角にもまずい。これは非常にまずい。勇者が魔王を孕ませたというだけでも大問題だというのに、カケルを喚び出した張本人である一国の姫と婚約している立場なのにも関わらず、余所で作った女性を妊娠させてしまったという事実が何よりもまずかった。

 もしもこの事が姫様にバレたら、きっとそのエメラルドグリーンの瞳から大粒の涙を流して悲しむ事だろう。あの超絶美しい顔を涙で濡らせるのは、カケルとしても本意でない。むしろ辛い。なまら辛い。フォルテシモ辛い。

 いや、それ以上に懸念しなければならないのは、姫様だけでなく王や国民の耳に触れる事だ。カケルに隠し子がいたなんて知れたら、激おこぷんぷん丸──なんて可愛い表現で済まされないほど、暴虐の限りを尽くされるに違いない。命が残っているかどうかさえ怪しいところだ。

 そして、そんなヒャッハーな国に一歩でも踏み入れようなら、おそらくカケルは──



「アイエエエエエエ!!」



 名状しがたい凄惨な想像に、奇声を上げて頭を抱え込むカケル。

 帰れるわけがない。姫様のいる所はここからかなり遠方だし、山奥の田舎の小国だから早々に知れ渡る事は無いとは思うが、しかしながら、仮に知る事は無くとも、あの国に居続ける事なんてどう考えても無理だ。いつか罪悪感に押し潰されて、そのうち病んでしまうのが関の山だろう。

 もはやカケルの帰る国など、この世界のどこにもありはしないのだ。

「ぶるあぁぁぁぁぁぁ!!」

「少し落ち着いてくださイ」

「ガハマっ!?」

 SAN度目、もとい三度目の奇声を上げたその時、ミランの膝蹴りがカケルのみぞおちにクリーンヒットした。

 その強烈な痛みにカケルはたまらず体をくの字に曲げ、顔を歪ませながらミランをめ付ける。

「ぶ、ぶったね……!?」

「いや蹴ったんデスよ。事実を捻じ曲げないでくださイ」

 それよりも、とミランは一旦そこでカケルから視線を逸らし、横にいるルトに顔を向けて言葉を紡ぐ。

「あまりみっともない姿を晒さないでくださいヨ。ほら、アナタがやたら狼狽えるものだから、ルト様があんなにも不安がってるじゃないデスか」

「…………うっ」

 見るとそこには、今にも涙が零れそうなほど瞳を潤ませているルトの姿があった。まるでローンのご利用を求めるチワワのような破壊力だ。正直、見ているだけで辛いものがある。

「カケルは……」

 ややあって、スカートの裾を握りしめながら、ルトが声を震わせて呟く。



「カケルは、私が妊娠した事がそんなにイヤなのか……?」



「いやいや! いやいやいやいや!」

 俯きながら上目遣いで問うルトに、これでもかと言わんばかりに首を振って弁解を始めるカケル。

 よくよく考えなくとも、今のリアクションはない。こんな反応をされれば、誰だって傷付くのは当たり前ではないか。

 どうにかフォローを入れねば。でないと、あまりにも最低過ぎる。

「別にイヤだなんて全然まったくこれぽっちも思ってないよ? いやほんとマジで。むしろ喜ばしいぐらいだと思ったり思わなかったり……?」

「ほ、本当か!?」

「う、ウン。モチロンホントダヨ?」

「うわー、驚くほどの白々しい言葉デスね〜」

「そ、そうか。良かった……」

「信じる方も大概デスよねー」

「おいちょっと黙れよ医者」

 これ以上事をややこしくしないでもらいたい。せっかくルトが安堵してくれたわけだし。

「そ、それよりもさ、魔王。やっぱこのままっつーのも色々と困るものがあるんじゃないかなー? ほら、オレ達の立場的にもさ」

「困る事なんて、何もあるものか」

 言外に思い直すよう促すカケルに、ルトは目尻に溜まった涙を拭いながら力強く首を振って答える。

「大好きな人の子を授かったんだぞ。これほど幸せな事があるか。カケルに出会えた事の次にすごく嬉しい……」

 言って、自身の腹部に宿る子供を愛おしげに撫でるルト。そんなルトの幸せオーラ全開な様子に、カケルは二の句が継げなくなってしまった。

 まさかこの雰囲気の中、実は他の男のモノっていう可能性はない? などと言えるはずがなかった。

 というかこの娘、いくらなんでも自分の事を好き過ぎだろう。

 一体何を契機にここまで好かれるようになってしまったのだろうか。

「おや、何を辛気臭い顔してんデスか勇者さん。こんな時、どんな顔をすればいいのかも分からないんデスか? こういうときは笑えばいいんデスよ、笑えば」

「どちらかと言うとオレは今、泣いてもいい心境だと思うんだが……」

 というかこの医者、何を一人無関係なつらをしているのだろう。そもそもコイツ、振り返ってみても人には傷に障るから無理な運動はするなと散々言っておきながら、ルトとの関係を深めんとする言葉をそれとなく吐いてカケルを唆したり、言動が矛盾している気がしてならない。

 もしもミランの真意がカケルとルトとの関係を懇意にさせる事にあるのなら、コイツにも責任の一端があるのではなかろうか。

 まあどのみち、それに乗っかったカケルが一番悪いわけのだが。

 いや、悔いるのはもうこれ限りにしよう。今更後悔したところで過去は戻ってきやしない。

 それより何より、今はこの状況をどう打破すべきか考えねば。でないと、カケルの婚約者プリンセス浮気相手ルトが修羅場すぎるイベントが発生してしまいかねない。そんな地獄絵図、絶対に見たくない。

「あ、そうだ。そういえばカケルに言わなきゃいけない事があったんだ」

 と。

 ようやくネガティブスパイラルから脱却したカケルに対し。

 ルトが再び、とんでもない爆弾を投下した。



「母様が、カケルに会ってみたいって」


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