第18話 今、再びの英雄譚を



「ぐがあああああああああッ!!」

 臓腑まで届きそうなグールの断末魔の絶叫が、夜陰に響く。鋭い斬撃を懐に受けたグールは、白目を剥いたまま真後ろへと倒れ込んだ。

「ふう……」

 ピクリとも動かなくなったグールを見届けてから、金髪碧眼の男は刃に付いた血を振り払い、剣を鞘に収めた。そして周囲を静かに見渡す。

 バチバチと爆ぜるかがり火の仄暗い灯りが差す中、金髪碧眼の男の周りには、ゴブリンやグール達といった死体が至る所で転がっていた。それより少し離れた位置には、ここの統率者である獅子の頭を持つ獣人が、額から血を流して死んでいた。

「思っていたより、血で汚れてしまったな……」

 赤いマントを捲って、見るからに貴族の出だと分かる豪華な服を──返り血で赤黒く染まった裾を掴んで溜め息を吐いた。

 いくら生死を懸けた戦いと言えど、自分の美が少しでも損なわれるのは耐え難いものがある。つくづく争いとは虚しく、罪深いものだ。いや、この場合罪なのは美し過ぎる自分の姿の方か。まったく、神様も困った事をしてくれたものだ。

「アレス様ぁ〜!」

 と、自分に酔いしれていた間に、遠くから赤毛のポニーテールをした若い女性が、手を振りながら(同時に目のやり場に困るぐらいの豊満な胸をぶるんぶるん揺らしながら)こちらへと駆け寄ってくる姿が見えた。

 アレスと呼ばれたその金髪碧眼の男は、次第に近付いてくる赤毛の女性に手を振り返し、

「おかえりカンナ」

 と煌めくような笑みを浮かべて声を掛け、自分の方からも彼女に歩み寄る。

「そっちの方はどうだった?」

「一人残らず蹴散らしてやったっス!」

「そう。ご苦労様だったね」

「えへ。えへへ……」

 アレスに頭を撫でられ、頬をこれ以上なく緩めて破顔するカンナ。こうしてみると、まるで犬と戯れているみたいだ。今にも尻尾を盛大に振る幻が見えてきそうな感じである。

「あれ? そういえばリタはどうしたんスか? さっきから姿が見えないんスけれど」

「ああ。リタなら向こうの方に──」



「私ならここですよ。」



 と、アレスが視線を向けた先に、瑠璃色のローブを身に纏った少女が、林をかき分けながら姿を現した。

 アレスより頭一つ分小さい背に、十六歳という実年齢より幼く見える童顔。しかし感情表現が乏しい方なのか、その顔に浮かぶ表情はなく、いっそ無愛想といった方がふさわしい。

 栗色のおかっぱ風の髪に、フリルの付いたカチューシャ。そしてその手には、先に赤い宝石が埋め込まれた杖が握られていた。

「おかえりリタ。生き残っている奴はいたかい?」

「いえ、一人残らず絶命していました。おそらく、ここら一帯の敵は全て駆逐したのではないかと。念の為、探索魔法で周囲を調べておきますか?」

「いや。これだけの数の敵が倒れているし、多分これで全員だろうから、その必要はないよ。それにリタには大分魔法を使わせてしまったからね。今はゆっくり休むといいさ。ここまでよく頑張ったねリタ」

「こ、これくらいの事、別に大した苦では……」

 などと言いつつ、アレスの労いの言葉に頬を若干朱く染めて俯くリタ。表情に目立った変化は無いが、長年の付き合いで照れているのだろうというのがそれとなく窺えた。基本的に無愛想なリタではあるが、全く表情が無いというわけでもないのだ。

「それにしても、思っていたより時間が掛かってしまったね。もう少しスムーズにいけるかと思っていたんだけど……」

「そ、それだけ敵が予想外に手ごわかったって事っスよ!」

「誤魔化されてはいけませんよアレス様。私、遠目ながらカンナさんが敵の大将に変装を見破られる様をきっちり目撃していましたから。」

「じ、事故っスよ事故! うっかりウチが口を滑らせてしまったのを、敵が耳聡く聞き逃さなかっただけで!」

「口を滑らせてしまった時点で、結局カンナさんのせいなのは変わりありませんよ。バカですかカンナさん。カンナさんバカですか。」

「あうっ」

 リタの鋭いツッコミに、言葉を詰まらせて仰け反るカンナ。完全に痛い所を突かれてしまったようだ。

「でもでも! ウチなりにすごく頑張ったんスよ! 慣れない演技だって必死にやって、どうにか敵の大将を引き付けたんスから!」

「それでアレス様の手を煩わせてしまったのですから、世話のない話ですね。せっかく私が魔法で周囲を攪乱させて、そのどさくさに紛れてアレス様が敵の掃討。カンナさんがゴブリンに化けて敵の大将を討ち取るという手筈だったというのに。どれだけバカの壁を超えれば気が済むんですか。進撃のバカチンですか。」

「うぐぅ!」

 未だなんやかんや言い合っているリタとカンナをよそに、アレスは腰のベルトに装着されたホルスターから、とある武器を取り出した。



 M1917リボルバー。

 またの名を、45口径6連発回転式拳銃。



 それは第一次世界大戦からベトナム戦争の間で活躍していた拳銃で、元は米国が開発、大量生産された物だ。その中でもS&W製とコルト製の二種で分かれており、これはS&W製の拳銃である。

 ──などと言った概要を、この拳銃の本来の持ち主でもなければ、これが製造された世界すら見聞きした事のないアレスが知る由など、あるはずもない。

 ただこの拳銃に関して分かっているのは、これを遠い祖先が何故か所持していたという事。そして、およそこの世界の人間では到底作る事のできない高度な技術によって出来ているという事ぐらいだ。

 元々は厳重に張られた封印を──それこそ気が遠くなるほどの長い年月を掛けて解いて見つけた物なのだが、初めに目をした時はどう扱えばいいか見当が付かず、日々苦悩したものだ。その後、使い方が記されたメモが発見されたおかげで、宝の持ち腐れとならずに済んだのだが。

「まさか、鉄砲と同じような物だなんて思いもしなかったけれど……」

 まだ硝煙の匂いが仄かに残る黒い光沢を指でさすりながら、アレスは人知れず呟く。

 鉄砲自体はこの世界にもあるし、実物も見た事があるにはあるが、アレスが手に持つそれより遥かに銃身が長いし、そもそも六発もの弾丸を連続して撃てるような代物ではない。それ故、試しにメモ通り撃つまでは、これが銃などと微塵も信じていなかったほどだ。

 これほどの高性能な武器を、先祖が一体どこで入手したかは以前謎のままだ。ただ祖父などに聞いた話では、この拳銃の持ち主である先祖は、こことは違う世界から現れたのではないかという説もある。

 真偽は定かではないが、先祖が残した遺品の中に、この世界の物とは到底思えない品がいくつかあった事から、異世界人であるという説が有力となっている。大昔の召喚魔法は今と違ってかなりランダム(それこそ、場所や時間軸を選ばずに)だったと歴史書で読んだ事があるし。

 何にせよ、これだけの強力な武器がこの手にあるのだ。それを地上の愛と平和を守る為に使わずしてどうするというのだ。



 だからこそ、アレスはこの拳銃を手に立ち上がったのだ。

 今尚魔物達が我が物顔ではこびるこの世界を救う為に。

 幼き頃からずっと憧れ続けた、先祖のような最高にカッコいい勇者になる為に。

 かつてこの拳銃と共に世界中を旅し、初代魔王を討ち倒したとされる先祖のような大英雄になる為に。



「やれやれ。そんな頭の悪い事ばかり言ってるから、脳筋だの何だの周りに嘲笑されるんですよ。というより、その無駄にでかい乳に養分が行き過ぎているんじゃないんですか? これ見よがしにサラシを巻いて胸元を強調させたりして、つくづくイヤらしいメス豚ですね。」

「む、胸は別に関係ないじゃないっスか! サラシだってあくまでファッションっスよ! 自分が貧乳だからって、ひがむのはやめてほしいっス!」

「貧乳ではありません微乳です。B乳なんです。Aカップと書いて負け組と呼ぶ輩と同じ括りに入れないでください。甚だ不愉快です。」

「世のAカップ女性達を敵に回しかねない発言っスよ、それ……」

「そんな細かい事はどうでもいいんです。話を逸らそうとするなんて、乳首の色と一緒に腹の中も黒い女ですね。まっくろくろすけですね。」

「くくく、黒くなんか全然ないっスよ! アレス様が聞いたら誤解されそうな事を言わないでほしいっス! 大体、そう言うリタの方こそ真っ黒なんじゃないんスか!?」

「失敬な。私の乳首の色も秘部の中身も、もぎたてフレッシュなピーチの色です。愛ある印なんですよ。」

「いや誰もそんな詳細な事まで訊いてないんスけどぉ!?」

「ちなみに我ながら感度はグンバツ。濡れ具合も程よく、日頃から美容の為に行っている自慰行為によりお肌もツヤツヤ状態です。どうです? 女を磨く事に余念の無いこの私に思わず圧倒されたでしょう?」

「むしろとんでもない事実の発覚に、頭がフットーしそうスよ!?」

 いけない。自分がトリップしていた間に、話が斜め上へと傾いていたようだ。このままにしておいたら、更なる爆弾発言が飛び出しかねない(主にリタから)。

「これこれ。やめないか君たち。無益な諍いはいい加減よしたまえ」

 拳銃も速やかにホルスターの中へと戻し、微笑みを浮かべながらアレスはリタとカンナの間に歩み寄る。

「だってだって、リタが……」

「私は悪くありません。カンナさんの方が……」

「やれやれ、仕方ない。そんな聞き分けの悪い子猫ちゃんには──」

 と、途中で口を噤んだアレスは、リタとカンナをそれぞれ唐突に抱き寄せ、



 ちゅっ。



 と、おもむろに頬へとキスをした。

「あ、ああああアレス様っ!? 突然何をぉぉぉ!?」

「僕が言ってもケンカをやめそうになかったからね。強行手段に出たまでさ」

 顔を真っ赤にテンパるカンナに、アレスはさも飄々とした調子で言葉を返す。いっそ、こんなもの羞恥の内に入らないといった、堂々した態度でもある。

「ほら、その証拠に二人ともケンカする気なんて失せたハズだよ。そうだろうリタ?」

「──はっ。い、いけませんアレス様。私どものような下賎な者にこのような事を軽々しくなされては……」

 それまで突然のキスに放心していたリタが、我を取り戻したように頬を紅潮させて、アレスのそばから離れた。

「アレス様は我々平民と違って貴族の身。そして、いずれは御先祖様と同じく勇者に──魔王を倒す大英雄になられるお方です。そんなお方が私たち従者に恋慕するなんてもってのほか。慰みものにはなれても、アレス様の真の愛を頂戴する資格など、本来ならばあってはならないのです……」

「リタ……」

 俯きながら語るリタに、カンナも同調するように哀しげに目を伏せる。二人共見ているだけで胸が切なくなる、あまりに寂しい表情を浮かべていた。

「そんな悲しい事を言わないでおくれ、リタ」

 一旦距離を取ったリタの肩を静かに抱き寄せ、穏やかな口調でアレスは言の葉を紡ぐ。

「リタの言う通り、僕達は身分が違うかもしれない。けれども、僕が君達を愛する事に何の弊害にもなりはしないさ。幼少の頃から僕を慕い続けてくれた君達の事を愛さずに、一体何を愛せと言うんだい? 身近にいる者すら大切にできない奴に、人を愛する資格なんてありはしないんだよ。それに──」

「ア、アレス様……?」

 肩腕にカンナ、そしてもう片方の腕の中で顔をうずめながら頬を赤らめるリタをさらに強く抱き寄せながら、アレスはキラリと笑みを輝かせて言う。

「こんな美しい女性達を前に誰が口説かずにいられると言うんだい。惹かれずにいられると言うんだい。第一、従者という理由だけで──平民というそれだけの些末な理由で人を見下すような、そんな安い男に見えるかい? 確かに僕は雇い主の息子だけど、そんなの愛さえあれば関係ないのさ!」

「アレス様……。そうですよね。私がアレス様をお慕いしているのも、そういう飾らない姿に憧れたからでした。たとえ身分違いの恋だとしても、私のこの気持ちはこの先一生変わる事はありません。むしろ今のでギガント惚れ直したぐらいです。」

「リタの言う通りっス! アレス様のような素敵な人を好きにならないはずがないっス! 誰が何と言おうとウチはアレス様にずっと付き従うっスよ!」

 それまでの寂しげな表情から一変して朗らかに微笑を浮かべるリタとそれに倣うカンナに、アレスも口許を綻ばす。良かった。やはり美少女達にはいつだって笑顔でいてほしいものだ。

「すみませんアレス様。途中で話の腰を折ってしまいまして。」

「いや問題ないさ。何せここ最近ずっと気を張りっぱなしの状況だったからね。少しでも気持ちが軽くなるなら、それに越した事はないよ。ここから先は、より辛い戦いになるだろうしね」

「そういえばっスけど、どうしてここの連中を倒そうなんて思ったんスか? 一本道だからそのまま進めば敵に遭遇するのも無理ないっスけど、多少遠回りでも森の中を進んだ方が余計な戦闘をせずに済んだと思うんスけど」

 二人の会話に小さく挙手して訊ねてきたカンナに、「またアホな事を。」と溜め息混じりにリタが答える。

「森の中って、この鬱蒼とした樹海の中を? それこそ自殺行為ですよ。それに獣型の魔物と遭遇するとも限りませんし。」

「それも理由の一つではあるけれど、最悪、魔王城から撤退する時もなるべくこの道を阻まれたくないからね。ここを攻略しておいた方が後々都合が良かったんだよ。贅沢を言うなら、変異の羽衣が三つ揃ってさえいれば、野生の動物にでも擬態して先に進めていたんだけれどね……」

「しかもその内の一つはカンナさんがダメにしちゃいしましねぇ。挙げ句にアレス様の切り札を出させる始末ですし。」

「だからさっきからずっと謝ってるじゃないっスか〜!」

「まあまあリタ。別にカンナは悪くないし、この銃を使わざるを得ない状況に追い込まれたのも、単に僕の実力不足が原因なだけさ。何より僕のとっての切り札は――何よりの愛の切り札は、リタにカンナ。君達二人だけだよ(キラッ☆)」

「まあ、アレス様ったら……。」

「そんな殺し文句に、胸のキュンキュンが止まらないっス!」

 おっといけない。またしても美少女二人のハートをがっちり鷲掴みにしてしまった。まったく、我ながら自分のイケイケメンメンっぷりがおそろしくて仕方がない。

 などと小粋なジョークはさておき。

 実際問題、自分の実力が魔王に立ち向かえるほど足りているとは思っていない。決して謙虚から言っているわけではなく、純然たる本心だ。それは旅の道中、様々な人から魔王の話を聞いてきた時点で既に覚悟していた事でもある。



 人々は言う。彼の魔王の凶悪を。その非道さを。そのあまりの最強さを。



 しかも小耳に挟んだ情報の中には、曰わく底無しの魔力で──それも詠唱無しに魔法を放ち、それ以前に魔法を使わずとも圧倒的な戦闘力を誇ると誰もが口を揃えて語るのだから、一体どんな化け物なのだとその時ばかりは言葉を無くしたほどだ。実を明かせば、今でも外面を取り繕っているだけで内心恐怖で足が竦みそうなくらいに。

 だが、それでも尚、アレス様には引けない理由が──確固たる信念がある。



 必ずや魔王を倒し、世界を救ってみせると。

 自分の母がそうだったように、魔物によって大切な人を殺された者の無念を晴らす為にも。



 そしてその為に必要な物は、今自分の手の中にある。

 先祖が魔王と対峙した際に使ったとされる拳銃と。



 とある秘境で手にいれた、聖剣『ミストルティン』という名の聖遺物と共に──。



「さあ、あともうちょっとで──正確には半日以上歩かないといけない事になるとは思うけど、その前に二人に言っておかないといけない事がある」

「……何でしょう?」

「何っスか?」

 いつになく軽薄な雰囲気をやめて真剣な面持ちを向けるアレスに、リタもカンナも表情を固くして耳を傾ける。

「この先はきっと今まで以上に厳しい戦いになると思う。正直身の安全どころか命の保証もできない。勿論どんな場合でも君達の命を最優先にするし、それこそ魔王城の撤退だって視野に入れてはいるけれど、それでも生きて帰れるとは限らない。そんな頼りない僕だけど、この先も一緒に付いてきてくれるかい?」

 それは言外に、今からでも逃げても構わないという最終通告の言葉でもあった。

 まだ二十歳にも満たぬ二人だ。その若さで命を投げ捨てるような真似をしなくていい。旅を始めた当初、同行を志願してきたリタとカンナを必死に説得して止めようとしたくらいである。

 リタやカンナには、まだまだ輝かしい未来がこの先に待っているはずだ。ひょっとしたら、自分とは違う誰かと温かな家庭を築いているやもしれない。

 いくら主従関係にあると言えど、己がワガママで大切な者達を危険な場所に晒すような真似などできるはずが──

「今更何を言っているんですかアレス様。」

 と。

「今まで幾度となく申し上げたはずですよ。私達はいつだってアレス様の剣とも盾ともなり、手足となってアレス様を支えると。アレス様が望むなら、血肉すら喜んで捧げましょう。」

「そうっスそうっス! もとよりこの命、アレス様に差し出すだけの覚悟はとっくにできてるっスよ!」

「リタ、カンナ……」

 二人の言葉に、思わず目頭を熱くするアレス。こんな良い従者に恵まれて、自分は本当に果報者だ。

「ありがとう二人共。その心強い言葉に、胸が感動で打ち震えたよ」

 リタとカンナさえいれば、何も恐れる必要はない。

 決心は固まった。あとは実行あるのみ。

「それじゃあ行こうか。魔王のいる城へ──!」



 ◇◆◇◆◇



 それはまだ、アレス達がカケルとルトに相対する前。

 カケルがルトに別れを告げられる、前日の出来事だった。


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