第17話 闇夜に蠢く



 ホーフの森。魔王城から少し遠ざかった地点に、そう呼ばれる深い森がある。

 一見は樹海にしか思えないほど──それこそ入った者を誰一人として例外なく迷わせるかのように広葉樹が所狭しと生え渡っているのだが、部分的に森を直通できるほどの切り開かれた道がある。その中に、広場と言って何ら齟齬のない木々が開かれた場所に、いくつかのテントが大きなかがり火を中心にして建てられていた。

 その内の一つ、ここの部隊長を任されているライガーは、グラスに注がれた赤ワインを嗜みながら長い夜を過ごしていた。

 焦茶色の長いたてがみに、強靭そうな極太い四肢。三日月を思わせる獰猛な瞳。全身は褐色の体毛に覆われ、見るからに重量感のある鉄の鎧を苦もなく悠々と着こなしていた。

 見た目は獅子そのものだ。が、ただの獅子と言うわけでは勿論なく、獣人と呼ばれる種族の中でもトップクラスの戦闘力を誇る魔族なのである。

 現に、こうして魔王城防衛戦の要の一つとも言って過言ではない、ホーフの森の守衛部隊長に抜擢されるほど、実力は確かなのだ。だからと言って、決して驕るつもりなど毛頭無い。これも今まで培ってきた努力と人望の賜物だと、ライガーはそう自負している。

「やはり、仕事の後の一杯は格別だな……」

 そう呟きを漏らし、グラスを揺らして波立つワインを恍惚とした目で見つめる。そして、血のような真紅がランプの光に照らされて眩い粒子を放つ様をしばし堪能した後、中身を一気に飲み干した。

 ワインは良い。労働の疲れを癒やし、喉と共に心の渇きをも潤してくれる。ワインこそ、この世における最高の嗜好品だ。これ以上の至高の品など、他にそうそうあるまい。

「それにしてもあの勇者、最近めっきり姿を見せなくなったな。ついに魔王城攻略を諦めたのか……?」

 あの勇者──もとい、数ヶ月前から度々姿を見せていた、あまり見かけない風貌した黒髪の人間。見た限り歳は若く、まだあどけなさの抜けない少年といった感じだったが、やたらすばしっこい上に剣捌きもこちらを圧倒するほどの腕前だった事を今でもよく覚えている。

 それより何より鮮烈だったのは、奴の言動そのものだ。根が飄々としているのか何なのか、あの勇者と会う度に、

『このオレの道を阻むなど無駄無駄無駄ァ!』

『あははっ。ごめんねぇ、強くてさぁ!』

『お前らの存在、その何もかもをアカシックレコードから消してやるぜぇぇ!!』

 なんてワケの分からない事を叫びながらこちらに突撃してくるのである。その凄まじさたるや、部下の誰もが、

『もうあいつヤダ』

『あいつと会うだけで心が折れる』

『戦うってなんだっけ……?』

 などと泣き言を漏らす者達で絶えなかったくらいだ。

 幸い──と言って良いものなのか微妙ではあるが、とりま死者が一人して出なかっただけでも御の字なのかもしれない。その代わり、精神的致命傷を受けて治療を余儀なくされる者も決して少なくなかったが。

 とまれかくまれ、あの勇者が最後に姿を見せてから一ヶ月以上が経とうとしている。どこかで野垂れ死んだのかどうかは定かではないが、部下の精神衛生上、奴と接触せずに済むのならそれに越した事はない。

 ただ、一人の戦士として欲を言わせてもらえば、あの勇者と一度で良いからサシで手合わせ願いたかったものだ。まあ、あのちゃらんぽらんな勇者がまともにこちらの果たし合いに応じるとは毛ほども思えないが。

「奴ほどの手練れ、そうそう出会えるものではないからな。あの勇者と同じだけの技量を持つ人間など、今後目に掛かる事もないかもしれん……」

 これまで、魔王を打倒せんと数多くの人間がここまで攻めてきたものだが、部下達の猛攻をものともせず、それどころか余裕を持て余した体で単身ホーフの森を抜け出せるほどの者など、ライガーが知る限りあの勇者ぐらいしか思い浮かばない。

 耳に挟んだ話では、魔王城に見事忍び込んでみせて、あのルト様とも何度か接触を果たしているらしい。それだけでも十分驚愕に値するのに、あの絶対無比の強さを誇るルト様から殺されずに済んで──しかもそれに懲りる事なく幾度か勝負をふっかけていると言うのだから、あの勇者もルト様に負けず劣らず大概な奴だと思う。単に命知らずなだけのバカかもしれないが。

「しかし、奴が姿を消してからというもの、隊全体がどうにも覇気が無くなってきている感が否めんな。部下達の気持ちも分からんでもないが、ここらで一つ士気向上の為にも、何か策を打っておくべきか……」

 部下達にしてみれば、忌むべき凶悪な存在だったのだろうが、いつでも臨戦態勢に入れるよう警戒心を増長させてくれていたのもまた事実。

 まさか、いなくなったらなったらでライガーの頭を悩ませる事になろうなどとは思いもしなかったが、兎にも角にも、このままずっと気が緩みっぱなしというのは、隊長として看過できない。またいつ別の勇者が現れるとも限らないし、早急に対策を練って…………。

 などと、新たなワインをグラスに注ぎながら思索に没頭していた所で──



 ドォンっ!!



 と、突如として鼓膜が痺れるような轟音と共に、地面が激しく振動した。

「なっ、何だ!? 一体何事だ!?」

 ガシャンとワイングラスが手元から滑り落ちた事も厭わず、ライガーは怒号を上げながら立ち上がった。その間にも断続的に轟音が響き、足元が揺れる。

 止まる事なく続く揺れに足を取られつつも、ライガーはそばに立てかけて置いた斧を手に持ち、すぐさま音の出所を確かめんとテントから飛び出す。

「こ、これは……っ」

 外へと出て視界に入ってきた光景に、ライガーは思わず息を呑んだ。

 もうもうと舞い込む土煙。その中で多数の炎の玉が辺りを行き交っては激しく弾けて火の子を散らす。そしてそのそばの地面には、ゴブリン、グールといった何名かの部下達が倒れ伏せていた。

 遠目からなので確信は無いが、おそらく既に絶命している。土煙が邪魔になって視認できないが、自分が思っているより多くの被害が出ているかもしれない。

 とそんな時、偶然に出来た土煙の境目で、瑠璃色の人影が視界をスッと横切った。

「……? あれは──」

 少なくとも、部下のものではない人影の姿をよく確かめようと、瞳を細めて目を凝らそうとしたその瞬間、



「我求めん。悪しき輩に、炎の鉄槌が下されん事を!」



 という、どこからともなく聞こえてきた詠唱の後、周囲の土煙が突然現れたつむじ風によって一気に晴れた。

 人影の正体は、瑠璃色のローブを身に纏った、栗色の髪をした若い女のものだった。その手には杖が持たれており、先端から炎の玉が際限なく放たれている。そしてそこら中で爆散しては、部下達を容赦なく吹き飛ばしていた。

 間違いない。あの女がこの現状を作った張本人だ。見るところ人間のようだが、たった一人でここまで攻めてきたのだろうか。その割に部下達が苦戦しているようだが……。

 いや、今はそんな事に気を掛けている場合ではない。一刻も早く状態を立て直して、この危機的状況は打破しなければ。

「ええい、敵一人に何を狼狽えている! 奴が反撃に徹する前に周りを囲んで一斉に──」

「た、隊長! 奇襲です! 敵の奇襲が──」

 と、叱咤を飛ばすライガーの元に、今眼前で激戦している部下達とは別方向の位置から、槍を携えたゴブリン──部下の一人が、慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。

「隊長、敵襲が──!」

「聞こえておるわ! それに、現状を見れば分かる! それよりも、これはどういう事だ? 何故すぐ警鈴を鳴らさなかったんだ。不審な者を目撃した際、すぐさま警鐘を鳴らして周囲に伝えるよう見張りの奴らに教え込んだはずだぞ!?」

「そ、それが気が付いた時には既に敵が侵入した後でして、どうやって見張りの目をかいくぐったかは皆目見当も……」

 息を切らせながら報告するゴブリンに、ライガーは憎々しげに舌打ちを漏らす。つまり敵には、こちらの警戒網を突破するほどの何らかの手を保持しているという事か。他にも自分達が知らないだけで、まだ何かあるかもしれない。油断は禁物だ。

「被害の状況は? 敵はあの魔法使いだけか? こちらの魔法班の部下達はどうした?」

「今のところ死者は十数名ほど。重軽傷者も把握しきれないほど多数出ている模様です。敵は奴一人だけみたいですが、攻撃の範囲が広い上に爆発系の魔法ばかり使われる為か、どうにも後込みさせられているようです。それと魔法班ですが、気付いた時には既に全滅させられていまして……」

「それだけ奴の魔法が厄介という事か……」

 せめてこちらにも魔法が使える者がいたら対抗も出来たのだろうが、生憎と敵に全滅させられた今、その願いは叶えられそうにない。元々極少数しかいなかったのも仇となったようだ。狭い地形を考慮して、なるべく味方に巻添いを喰わないよう考慮したのだが、まさかそれが裏目に出るとは。

 ひとまず、悔やむのは後回しだ。こうしている間にも、部下達の阿鼻叫喚が止む事なく続いている。このままだと、下手をすれば全滅の可能性すらある。

 見る所、奴は休む間もなく魔法を放ち続けている。奴にどれだけの魔力があるかは定かではないが、あれだけ魔法を使っていれば、その内燃料切れを起こすのも間近のはずだ。付け入る隙はいくらでもある。

「そ、それで、奴らにはどう対抗すれば良いのでしょう? あれでは近寄る事もままなりませんが……」

「そう急くな。近寄よれなくとも、遠方から一斉に攻撃するという手もある。そうだな。まずは弓を使える者を呼び集めて──…………?」

 と。

 ライガーはそこで、不意に口を噤んだ。

 何だ、今の奇妙な感覚は。先ほどまでのやり取りに、何か納得のいかない点があったような、そんな不可解な気分に、ライガーは陥っていた。

 それはまるで、噛み合わないパズルでも見たかのような。



 そんな、矛盾した何か──



「──そうか」

 斧を握る力を強めながら、ライガーは静かに呟いた。

 ようやっと分かった。このもやもやとした感覚の正体が。

「……隊長? 急に黙られてどうかしたんですか? 何か気付かれた事でも?」

「ああ。その通り──だっ!」

 刹那、ライガーは握り締めた斧を、横で不思議そうにこちらを眺めていたゴブリンの懐目掛けて、頭上から振りかぶった。

 ギョっと双眸を剥きながらも、とっさに槍の柄でライガーの不意打ちを防いでみせたゴブリンだったが、その勢いまでは殺せず、槍が折れる音と共に後方へと地を削りながら後ずさっていく。

 そしてその場で膝を付き、納得いかなげに顔をしかめて、ゴブリンがこちらを睨め付けた。

「……どこで偽物だと気が付いたんスか?」

「貴様の今し方の発言でだ」

 斧をゴブリンに向けながら、ライガーは静かに言の葉を紡ぐ。

 いや──正確には、ゴブリン“だった”ものに対して、だ。

「少し前、ワシが敵の人数について問うた時、貴様はあそこにいる奴一人だと答えた。なのに貴様は先ほど、敵に対して『奴ら』と複数形で答えた。それもごく自然に、断定的にだ」

「…………」

 黙する偽物。斧で斬った衝撃か、縦に裂かれた『何か』の隙間から、ジッとこちらを見据えながら。

「それはつまり、敵が奴一人ではないと確信していたからだ。そしてワシの部下なら、そんな嘘の情報を流すはずがない。──違うか?」

「……あちゃー。少し喋り過ぎたっスか。口は災いの元ってヤツっスかねー」

 そう快活に答えて。

 目の前のゴブリン──いや、『女』は。

 折れた槍をその場に放り、そしてゴブリンに擬態させていた衣を勢いよく脱ぎ捨てた。

「あーあ。あともうちょっとだったのに。なかなか上手くいかないもんっスね〜」

 赤毛のポニーテール。見た目は二十歳前後といったところか。若干吊り目がちの、いかにも元気が取り柄といった活発そうな顔立ち。背は人間の女にしては高めで、豊満な胸をサラシで隠している。そして腰に黒い上着を巻き、その隙間から膝下で切れたレザーパンツを覗かせていた。

 「ありゃりゃ〜。こんなに裂けちゃって、せっかく苦労して手に入れた魔法アイテムだったのに。後でリタにどんな嫌味を言われるか、分かったもんじゃないっスね」と足元に落ちている裂けた衣を見ながら、困り顔でそう零す赤毛の女。リタというのは、おそらくあの魔法使い──この女の仲間の事だろう。

「なるほど。その魔法アイテムを使ってここに忍び込んだわけか。道理で見張りが警鐘を鳴らさないはずだ」

 あのアイテムの具体的な能力までは分からないが、大方、先のようにゴブリンに化けて見張りの目を欺いてみせたのだろう。あんな貴重そうなアイテムまで持ち出してここまで来ようとは、随分と大掛かりな。

「それで、どうしてワシがここの隊長である事も知っていたのだ? 初めからそうだと分かっていた上でワシを狙っていたようだが」

「別にここに来るのが初めてってわけじゃないっスよ? 以前忍び込んだ時に、色々と調べさせてもらったっスからねー」

「……なるほど」

 つまり、この奇襲は突発的なものではなく、あらかじめ仕組まれていたという事か。用意周到も良いところだ。

「魔法班を真っ先に潰したのも、詠唱封じの魔法を恐れての事か?」

「当たりっス。リタには大暴れしてもらわなきゃいけない上に、周囲の注意を引いてもらう必要もあったっスからね」

「ほう? それで、その間にこのワシを倒そうとでもいう腹だったか?」

「それも大当たり──っスよ!」

 ライガーの問いに、赤毛の女は語勢を強めて、そのまま前屈みに突っ込んで来た。

 斧を持つ自分に徒手空拳で挑むつもりか? と怪訝に眉をひそめるライガーだったが、どうやらそれは思い過ごしだったようだ。赤毛の女がこちらに突進しながら、腰に忍ばせていた二つの黒い棒状の武器──トンファーを取り出したのだ。



「お先に行かせてもらうっスよ!」



 言うやいなや、二つのトンファーを片方ずつ両手で構えた女は、颯爽とライガーに肉薄してトンファーを突き出してきた。それを刃の腹で受け止めたライガーは「ふんっ!」と力強く斧を振り上げ、女を退ける。

 が、女はすぐ後退した際に屈んだ状態のままでトンファーの持ち手を変え、長手の先をライガーに向けて逆袈裟に振り上げた。

「くっ……!」

 予想外の素早い反撃に一瞬反応が送れつつも、とっさに上体を逸らしてトンファーをやり過ごし、お返しとこちらも斧を横薙ぎに一閃させるが、寸前といった所で瞬時に飛び退いてしまった。

「残念っス。あともうちょっとだったのに」

「ふん。そんな簡単にやらせるとでも思ったか」

 不敵に微笑む赤毛の女に、鼻白みながら言葉を返すライガー。斧を構え直し、敵の一挙手一投足見逃すまいと瞳を凝らす。

 それにしても、あれだけ激しく動いておきながら息一つ切らしていないとは。それに反応速度も早く、こちらの攻撃に対する捌き方も上手い。そこそこ場数を踏んでいないとこうはいくまい。自分ならまだしも、部下の手には少し余りそうな相手だった。

 これは女だと甘くかからない方が身の為だな。

 そう赤毛の女への認識を改め、片足を少し後ろにずらして重心を安定させ、次の攻撃に備える。

 確かに奴は強い。あの女が相当の武芸者である事は、今の短い攻防だけでも嫌でも理解できる。

 だが、こちらとて隊長を担うだけの戦士だ。赤毛の女に遅れを取るほど、柔な腕前ではない。

「ふーん。退く気は無いみたいっスね。それどころか、見るからにやる気満々って感じっス」

「……何故そう思う?」

「だって、そんないかにも楽しそうに笑ってるじゃないっスか」

 言われて、初めて自分がニヤリと口端を吊り上げている事に気付いた。こんな緊迫した状況下で笑うなどとは。それはこうして久々に骨のある相手と一戦交えている事が大きいのだろうが、どれだけ自分は戦好きなのかと呆れにも似た苦笑を漏らす。



 だが、気分は悪くない。

 むしろ、気分は最高に良い。

 血は涌き、肉が踊る。

 さあ、それでは。



 ──もう一戦始めよう。



「いくぞっ!」

 しばし様子見に徹していたライガーが、宣告と共に地を力強く蹴って前に躍り出た。

「おおおおおおおっ!」

 雄叫びを上げながら彼我の距離を一気に縮めるライガー。そして赤毛の女へと肉薄した所で、疾走しながら肩上まで上げていた斧を相手の脳天向けて振り下ろした。

 轟! という地を穿つ破砕音。あまりの威力に、石礫が自分の身まで振りかかり、衝撃が手を伝って脳をくすぶる。

 しかしそこにあるはずの亡骸は無く、ハッと気付いた時には、赤毛の女が頭上を軽やかに跳躍した後だった。

「もらったっス!!」

「…………っ!」

 着地と同時に、トンファーの長細い側の先を鋭く突き出す赤毛の女。振り返って斧で防ぐには間に合いそうになく、かと言って腕で受けとめでもしたら、骨一本とはいかなくとも、しばらく使いものにならなくなるのは必死だ。

 迫り来るトンファー。あと数秒と経たない内に懐へと吸い込まれていくトンファーに、ライガーは──



 ──とっさにありったけの炎を、口から吐き出した。



「ひゃあぁっ!?」

 突然襲いかかってきた紅蓮の炎に、赤毛の女は驚愕の悲鳴を上げつつも、反射神経の為せる業か、瞬時にバク宙を決めてどうにか難を逃れていた。

「ひえ〜! めちゃくちゃビックリしたっス! 口から火を吹くとかどんだけ芸達者なライオンさんなんスか!」

 あっという間に十五メートル近くも離れてしまった赤毛の女に「……ふん。すばしっこい小娘よ」と悪態をつきながら、斧の切っ先を相手に向けるライガー。あの不意打ちの攻撃をやり過ごしてみせるとは、この女こそどんな運動神経をしているのだ。

「てっきり接近戦専門とばかり思ってたんスけど、これは下手に近寄ったら逆に危険ぽいっスね……」

「そういう事だ。さあどうする? このまま尻尾を巻いて逃げるか?」

「そうっスね。それじゃあここは一つ──ヒーローの出番を祈って、ここで待つ事にするっス」

「はっ。ヒーローなどと、そんなものが都合よく現れるワケが──」

 と、そこで。

 赤毛の女の遠く背後から、こちらへと全力で駆け寄ってくるゴブリンの姿が見えた。

「あの馬鹿者めが……!」

 未だ魔法使いと交戦中の仲間達を放置して、剣を片手に携えて接近しつつあるゴブリンの一人に、ライガーは柳眉を立てて舌打ちを鳴らした。加勢に来たつもりなのだろうが、今こうしている間にも魔法使いによる猛攻撃が続いているというのに、こちらに構っている場合か。あれだけいつも判断を誤らず、状況を見極めて行動しろと口を酸っぱくして指導してきたというのに。

 赤毛の女の動向を注視しつつ、その後ろにいるゴブリンに怒鳴り散ら──そうと思って、ライガーは開きかけていた口を不意に閉じた。



 おかしい。

 何かがおかしい。



 赤毛の女の正体を見破った時の違和感が、またしてもライガーの背筋を這うように襲う。不可思議で不可解ものが、不気味な霧と成してライガーの思考を覆い、警告を鳴らす。

 これは何かある。

 そのまま看過できない──自分の身に迫る危険な何かが。

 そう考え、ライガーは思考を研ぎ澄まし、視界に映る全てを速やかに分析する。

 まず奇妙なのは、あの赤毛の女の様子だ。背後から敵が迫ってきているというのにも関わらず、まるで振り返る素振りも取らない。あれほど武芸に長けた者が、差し迫るゴブリンの気配に気づかないものなのだろうか。

 そして、頭に火が上ってつい決め付けてしまった事ではあるが、果たしてあのゴブリンは、目の前で戦う仲間を見捨ててまで、本当に自分を加勢しに来たのだろうか。ライガーの実力を知る部下達ならば、気にはしつつも隊長である自分にこの場を任せて、己の役割に従事するはず。

 何より、赤毛の女が口を滑らせた『奴ら』という言葉。

 てっきりあれは、魔法使いと赤毛の女の事を指しているとばかり思っていたが──



 実は、魔法使いと赤毛の女以外の存在も示唆していたのではないか……?



 そうして疑念を渦巻かせている間にも、剣の柄を両手で握り締めて、こちらへと突っ走ってくるゴブリン。

 そして、その剣を振るう事なく。



 ゴブリンは、赤毛の女の横をあっさり通り抜けた。



「っ! やはりか!」

 一気に間合いを詰めてくるゴブリンに、ライガーも負けじと相手が斬りかかる前に斧を下方に構えながら走り出した。

「はあああああ!!」

 裂帛の気合いと共に振り下ろされるゴブリンの剣。その剣をはじき飛ばさんと、ライガーも渾身の力を込めて斧を跳ね上げた。

 ギィン!! という甲高い音を立ててぶつかり合う剣と斧。激しい剣戟が衝撃を生み、風圧が互いの肌を撫でる。

 そしてそれは、同時にゴブリンの姿を真似ていた衣をも拭き飛ばす形となった。

 ゴブリンに擬態していたもの──それはやはり赤毛の女と同じ人間で、容姿は十七歳くらいの金髪碧眼の優男だった。

 やはり敵は、最初から二人だけでなく、まだ他にも隠れ潜んでいたのだ。

 姑息にも、赤毛の女と同じように魔法アイテムを使ってまで。



 だが、読み勝った──!



 予想が的中した事に思わず目笑して喜びを表しつつも、斧へと込める力を弱めるようなヘマはせず──どころか、金髪の男をそのまま斬り倒さんとさらに力を強めて押し進めていく。

 と、ライガーに押されて徐々に後退していくとばかり思っていた金髪の男が、急に剣を翻して横へと飛び退いた。

「馬鹿めが! それで凌いだつもりか!」

 不意を突いて距離を取ってきた金髪の男に、ライガーはそのまま焼き殺してやろうと口をガバッと開けて──金髪の男が唐突に腰から取り出した『それ』を見て、一瞬そのまま固まってしまった。

 全体的に黒っぽいフォルムに、先が長細くて中が空洞になっている筒みたいな何か。中心には円柱に似た小さな入れ物が、何かを詰める為なのか、穴が六つほど空いているのが見て取れた。

 初めて目にする『それ』に、ライガーは呆気に取られる他なく。

 まして──

 『それ』が、こことは違う異世界で使われている武器など知る由もなく。



 文字通り身動き一つ取れないまま、ライガーは『それ』から発射された高速な何かによって、額を躊躇なく貫かれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る