第14話 キスから始まるABC
「今日はチーズポタージュかー。昨日はクラムチャウダーでその前はミネストローネで……レパートリーが豊富と言うか、結構器用なんだなお前って」
「そ、そんな事は無いぞっ。ここ最近料理を始めたばかりだから、そこまで手慣れているわけじゃないし……。それに、城住まいのコックに教わりながら作ったものだから、カケルに褒められるほどの事では……」
「いやいや、それでもここまで出来りゃ大したもんだよ。うん。見た目も香りも良いし、味もしっかり付いてて美味いし。文句の付け処がねぇな」
「……はうぅ」
照れているのだろう、恥ずかしそうに頬を紅潮させて身をよじらせるルトを視界に入れつつ、カケルはスプーンで掬ったポタージュを静かに啜った。
実に和やかなムードが流れるお昼時の病室。カケルとルトは向かい合いながら──状況を詳細に述べるならば、カケルはベッドの上で、ルトはそのすぐ横の椅子に座りながら──揃って昼食を取っていた。
よく裏漉しされたジャガイモの中に細切れにされたチーズがスープの熱でとろけて、香り豊かな風味を生んでいる。コンソメも入っているのか、少しの塩辛さとチーズの濃厚なコクと相俟って非常に美味しい。ルトの手作りであるらしいが、プロの料理人が調理したと言われても何ら疑問を抱かないほどの出来映えである
まあ先ほどのルトの弁であった通り、プロに手伝ってもらったらしいので完全な手作りとは言えないかもしれないが、しかしながら、十分賞賛に値する味であった。いくらプロの力を借りたとは言え、ここまでの一品を作る自信など、手先が不器用なカケルには全く無い。
それだけでなく、ルトは仕事で忙しい合間を縫ってまで、こうして毎日食事を提供してくれているのだ──故に先ほど口頭で述べた通り文句などあるわけも無く、むしろ頭が下がる思いでいっぱいだった。
だからこそ。
本来ならば、不満を持つ事すらおこがましい立場ではあるのだが──
「なんつーか、確かに美味いっちゃ美味いんだけど、こうも汁物が続くと物足りなくなってくるって言うか……たまには肉とかこってりした物をがっつきたくなるよな〜」
「むっ。それはダメだぞカケル。当分は流動食だけだって、ミランにも言われているんだから」
「……分かってるよ」
肩を竦めながらそう答えつつ、カケルはスープを口に含んで嚥下した。
そうなのだ。ここで療養する事となって、長らく止められていた食事が解禁となった際に注意を受けたのだが、損傷した内臓器官諸々がある程度回復するまでは、固形物は一切摂取しないよう頑なに言われているのである。
それも本来ならばあと数日ほどで食べれていたはずなのだが、一週間近く前にちょっとした事故でせっかく塞がりかけていた腹部の傷が再び開いてしまい、治療期間が長引いてしまったのである。
まあ事故というか何と言うか、実際の所、ほとんど自業自得みたいなものなので弁解の余地など全く無いに等しいのだが、だからと言って肉類が食べられないというのは結構辛い。正直、こんなにも肉が恋しくなるなんて初めての経験だった。仮に今目の前で肉料理が出ようものなら、欲望の命じるまま無我夢中にかぶりついている事だろう。
しかしそれをやったら最後、ミランに一体どんな悪罵を吐かれるか、わかったものではない。何より前々からミランに、
『いいデスか勇者さん。ワタシが許した物以外は絶対口にしないで下さいネ? もし言い付けを守らないようなら……黄昏よりも昏き、血の流れより紅きものが、ワタシの前に立ち塞がる愚かなるものに等しく滅びを与える事になりますヨ?』
と言葉の意味は分からなかったが、剣呑な口調でそう何度も釘を刺されてきているので、自分から進んで禁を破ろうという気にはなれなかった。
あの医者がいつになく真顔でああ言っている以上、かなり酷い仕打ちを受けるのは想像に難くない。それなら素直に言う事を聞いた方がいくらかマシってなものだろう。
それもまあ、ミランの話では思っていたより傷の治りも早いとの事から、再来週辺りには食べれるようになるだろう、との事だった。つまりこの苦行とも、あともう少しの辛抱で済むのだ。この試練さえ乗り越えさえすれば、もう何も怖くない。
「ところでさ」
と、カケルはスープを啜る手を一旦止め、眼前で黙々と蜜柑の皮を剥いているルトに訊ねる。
「昼飯が蜜柑だけとか、いくら何でももの足りなくないか? ほとんどおやつみたいなもんじゃないか」
「ん? そんな事はないぞ。私は元々少食だし、仕事の中休みにあまりがっつりした物を食べると後で作業の効率が落ちるしな。それに最近妙に酸っぱい物が食べたくて仕方ないんだ」
そうはにかんで見せた後、ルトは蜜柑の実を一つつまんだ。
言われてもみるとここ数日、ルトは酸っぱい物ばかり食べているような気がする。
今日は蜜柑。昨日はさくらんぼ。一昨日は蜂蜜レモンと──こうしてルトと食事を共にするようになってから何となく気にはなっていたが、彼女の昼食はそのほとんどが酸味の濃い物ばかりだった。こう何度も柑橘類ばかり見ていると、食べてもいないのにこっちまで酸っぱくなりそうである。
別に他人の食生活にどうこう言うつもりはないが、こうして柑橘類ばかり偏っている様を見せつけられると、さすがにどうだろうと思わなくもない。ルトの中でそれだけ酸っぱい物がマイブームなのか、それとも彼女の体がピクミンもといビタミン類を過剰に摂取したがっているのだろうか。
それはそうと、先ほどからルトの食べっぷりを見ていて怪訝に思っていたのが、何故彼女はあんな小鳥が啄むようにちょびっとずつ蜜柑をかじるのだろうか。ああいうのは手早く一口で食べきりたい派のカケルとしては、ルトの食べ方は見ているだけでもどかしくて仕方がない。
というか、よくあんな食べ方で蜜柑の汁が滴り落ちないものだ。何かコツでもあったりするのだろうか。水の入ったコップを裏返しても中身が零れない不思議な術とか。
などと別段どうでもいい感想を浮かべつつ、カケルはスープを飲み干す。空になった皿をしばし名残惜しく見つめた後、カケルは食器をそばの小棚の上に置いた。
美味い事は美味いのだが、やはり汁物だけでは小腹が空いて仕方がない。せめてゼリー状でもいいから、何か腹に溜まる物を口に入れたいものだ。
「あっ。私の蜜柑が──」
とその時、うっかり手を滑らせたのだろう──途中までかじられた蜜柑を落とし、慌てて拾おうとするルト。が、その前に反射的に手を伸ばしたカケルが「おっと」と蜜柑を床に落とす前に見事キャッチし、そのまま流れるような動作で口の中に放り込んだ。
途端、蜜柑の酸っぱさが舌の上に広がり、口内の筋肉がキュッと萎んだ。しかしそれも僅かな時だけで、次第に甘味がじわじわと滲み出し、仄かな恍惚に浸る。
久しぶりに食べた蜜柑だが、こんなに美味しいものだったかと思わず感嘆の息を漏らした。療養中はずっと液状の物しか口に出来なかったというのもあって、喜びもひとしおだ。
と、久方の蜜柑に舌鼓を打っている最中、頬を朱に染めてパクパクと酸素を求める魚のごとく口を開けるルトが目に入った。
「ど、どうしたんだよ。そんな見るからに動揺したりして。あ、ひょっとして勝手に蜜柑を食べた事を怒ってんのか?」
「ふぇ? あ、いやその、そ、そうじゃなくて……っ」
「違うのか? じゃああれか。医者の約束を破って蜜柑を食べた事を気にしてんのか? 別に良いだろ蜜柑ぐらい。ほとんど水分みたいなもんなんだし」
「そ、そうじゃなくて! そうじゃなくて……」
「じゃあ何なんだよ……」
首を横に振って否定するルトに、カケルは困惑気味に頭を掻いて眉をひそめる。ルトが一体何を気に掛けているのか、皆目見当も付かなかった。
「だ、だから。その……」
やがて、ルトは伏せていた目を上目遣いでこちらに向けた後、蚊の鳴くような声量でこう呟いた。
「か、間接キス……」
その返答に「はあ?」とカケルは呆けた。
「……関節キスってお前、今まで何度か直接キスしておきながら何言ってんだよ」
「そ、そうだけども! でもそれとこれとは別と言うか、は、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ! それに、カケルが言うほど何度もしているワケじゃあ……」
いや、何度もしている。ルトと肌を重ねた時も幾度となく交わしたし、ここ一週間近く、夜遅くにカケルが就寝している際にこっそり忍び込んでキスしていた事も実はちゃんと知っているのだ。まあ、本人は上手く隠せていると思い込んでいるみたいだが。
ちなみに、この事をルトに明かすつもりは全くこれっぽっちも皆無として無い。
そのせいでルトがキスしてくれなくなったら勿体ないし。
美少女からのキス──だれがこの甘美な行為を拒めようと言うのか。いや、拒めるはずがない。というか、拒んだら男ではない。
「ともかく、間接キスぐらいの事でいちいち反応すんなよ。世の中には、自分のヨダレを彼氏に舐めさせる、鬼太郎ヘアーの謎の彼女がいたりするんだぞ?」
「言っている意味は分からないが……それじゃあカケルは、こんな風に間接キスしても全然恥ずかしくないと言うのか?」
「全然恥ずかしくないなぁ。気にした事も無いし。そりゃ直接的なキスはまだ恥ずかしく思うところもあったりするけど、それもだんだん慣れてきたし」
「むぅ。何だかカケルだけズルい……」
「ズルいって、何がさ」
「カケルばっかり平気な顔していてズルいっ」
パンパンッ! と膝を叩いて不服を表すルトに、「んな事言われてもなあ」と頬を掻いて視線を逸らすカケル。
元々、カケルは順応力が高い方だし、倫理的に反する行為でさえなければ、こういった事に対する慣れも早い。故に、面白可笑しいリアクションを求められても困るだけで、他にどうしようも──
と、その時圧倒的閃き! カケルの脳裏に天啓の如くあるイタズラが思い浮かんだ。そしてニヤリと下卑た笑みを浮かべながら「じゃあさ……」とルトにこう宣った。
「そんなにオレを恥ずかしがらせたいのなら、下の口でキスさせてくれよ。そしたらさすがのオレもドキがムネムネするかもよ?」
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