第12話 一夜明けて



 ルトから予想だにしない情熱的な告白を受け、結果的に祝☆脱童貞を果たしたその翌日の早朝。



阿呆あほデスかアンタは」



 と。

 標準装備である血だらけの白衣を着たミランが、毎度のごとく無味乾燥な顔をしつつ、しかしながら声音だけは心底呆れの混じった口調でカケルにそう吐き捨てた。

 お馴染み、魔王城病室である。いや、病室なんぞに馴染みたくなど無かったのだが、歩行すらままならない重傷を負っている以上、ここから離れるわけにはいかなかった。元より、自力で離れられる状態でも無いし、別段居心地が悪いわけでも無いので、今のところは構わないのだが。

 などと、そんな些末な心境報告はさておいて。

 カケルは今ベッドの上で横になったまま、ちょっとした不注意で開いてしまった腹部の裂傷を再び縫合する為、ミランの治療を大人しく受けていた。

 この世界にもモルヒネなんてあるのだろうか、縫合する前に打たれた麻酔(だと思いたい)のおかげで幸いにも痛みを感じずに治療を施されてはいるが、腹の中を時折行き来する極細の針の感触が何とも気持ち悪くて仕方がなかった。

 まあでも、これくらいは甘んじて受けるべきだろう。なんせ、こうなってしまったのも──

「阿呆ダ阿呆ダとは常々思ってはいましたが、あれだけ傷に負担を掛けるような運動は控えろと言ったにも関わらず、隠れて筋トレをするとか一体何考えてんデスか。偶然様子を見に来たルト様がワタシの所まで勇者さんの状態を知らせてくれたから良かったものの、下手をすれば命に関わる事だってあるんデスよ? ほんとに、空前絶後にして前代未聞のド阿呆デスね」

 という、完全無欠に自業自得な理由なのだから。

 いやすまん。ちょっとだけ嘘吐いた。筋トレと言うのは偽りで、ぶっちゃけ夜通しルトとハッスル(性的な意味で)していたからに他ならないのだが、さすがにそれをミランに言うワケにもいかず、傷が開いた理由を訊ねられて、とっさに筋トレをしたせいだと誤魔化したのだ。

 その結果、こうしてミランに悪口雑言を吐かれるという何とも屈辱的な状況に置かれていたりするのだが、まあこれも身から出た錆と思う他あるまい。ストレスはかなり溜まるが。

 幸いにも──と言って良いのか微妙だが、兎に角にも今のところミランも不審には思っていないようだ。これもミランに気付かれないよう、彼女が来る前にベッド周りを軽く整頓(さすがにシーツまでは処理できなかったが)して、それから一旦着替えさせたルトをミランの元へと向かわせたのが功を労したのだろう。後はルトが口を滑らない事を祈るばかりだが、わざわざ昨日の情事を誰かに報告するとは思えないし、特に問題はないように思う。とは言え、何がきっかけでバレるとも知れないし、今後も気を引き締めて用心するに越した事は無いが。

「縫合終了。次は包帯を巻くので、ゆっくり体を起こしてくださイ」

 言われた通りに注意を払いながら上半身を起こし、巻きやすいようにと軽く両腕を上げるカケル。そうして万全の体勢である事を視認したミランは、事前に手にしていた包帯で手際良く綺麗に傷口を覆っていく。

 時折鼻に通る、ほんのりと甘い香り。ミランが動く度に漂ってくるその匂いに不覚にもドキッとしつつも、下手にからかわれないよう軽く下唇を噛んで自制を促す。というか、ゾンビの癖に何でこんなに良い匂いがするんだ。防腐剤でも呑み込んで、体が腐らないようにでもしているのだろうか。

「はい。終わりましたヨ」

 と取り留めのない思考を巡らせていた間に、どうやら無事治療が済んだようだ。

 片付けに入り始めたミランを視界の隅に入れながら、カケルは自身の腹部を確認がてら見下ろした。

 ミランが訪れる前までは血で濡れて滴るほどだった包帯が、今では新品に交換されて隙間なく綺麗に巻かれている。こうして傷口を塞いでもらったとはいえ、余す所無く完璧に閉じられているワケでもないので、その内また自分の血で汚れてしまうのだろうが、やはり血濡れの包帯よりは幾分心地が良かった。

 そんな新しい包帯の感触を手のひらで撫でて堪能しつつ、

「悪いな。余計な手間を増やしまって」

 とカケルはバツが悪そうに頬を掻きつつ、ミランに軽く頭を下げて詫びを入れた。

「まったくデスよ。今度こそ絶対に安静していて下さいヨ。一応傷口を塞ぎはしましたが、以前より開きやすくなっているんデスから」

「おう。肝に命じとく」

「それはそうと、勇者さん」

 それまでカケルに背中を向けて治療道具を片付けていたミランが、何やら思案顔でこちらに横目で視線を送りながら、不意に訊ねてきた。

「少し気掛かりな点があるんデスが……」

「何だよ? 急に改まって」

「いえね、包帯と一瞬にアナタの血で汚れたベッドのシーツも新しいのに代えさせてもらったわけなんデスが、それにしても血の量がどうにも多い気がしてならないんデスよ。そう、まるで何かの膜でも破ったかのような……。何か心当たりはありませんカ?」

 ギクッ。

 その核心を突く発言に思わず体が反応してしまったが、気取られないよう平静を装いつつ、無理やり笑みを貼りつけてカケルは答える。

「さ、さあ。気のせいなんじゃないかなあ〜?」

「そうデスか。ああそれと、血の匂いに混じって仄かにイカ臭いのも漂っていたような気がするんデスが、これも何か知りませんカ?」

 ギクギクッ。

 その問いに、あからさまに動揺を露わにして滝汗を流すカケル。ひょっとしてこれバレてんじゃね? という疑念が脳裏を掠めたが、しかし本当に何も知らないという可能性を考慮して、カケルはなるべく素知らぬ顔を作って場を流す事にした。

「さ、さあ〜? よく知らんけど、きっと海から侵略しに来たイカなんとかさんが近くを探索してたんじゃねぇかな〜?」

「ここから海って、割と遠いはずなんデスけどねぇ」

 まあ、別に深く追求する気もありませんが。

 そう言って、ミランは視線を治療道具へと戻し、黙々と片付けに徹し始めた。どうやら、真相に気付いているワケではないらしく、本当にこれ以上探りを入れるつもりも無さそうだ。

 その事にホッと胸を撫で下ろしつつ、今後(また機会があればの話だが)はもっと細心の注意を払おうと密かに誓うカケルなのだった。

「ところで勇者さん」

 パタンと薬箱を閉じる音と共にこちらへと体を向けたミランに、「んあ?」とカケルはすっかり気の緩んだ表情で応えた。

「直接現場を見ていたわけではないので、こんな事を言うのも気が引けるものがあると言うか、何と言いますカ……」

「何だよ、煮え切らないな。別にオレの事は構わなくていいから、言いたい事があるならはっきりと言えよ」

「それじゃあお言葉に甘えて言わせて頂きますが──」

 そう言って、ミランはいつになく真剣な顔を浮かべて、カケルを射すくめるような鋭い眼差しでこう宣った。



「いくら傷口が痛むからって、ずっとルト様に騎乗位ばかりさせるなんて、男としてさすがにどうかと思いますヨ? マグロじゃあるめーし」

「思いっきり見てたんじゃねぇかァァァァァ!!」



 カケルの盛大なシャウトが病室に反響した。

 知られていた。しかもプレイ内容までばっちり把握されていた! なにそれこわい!!

「初めて経験する女性に騎乗位ばかり強いるとか、勇者さんマジ鬼畜デスね〜。正直引きましたワ〜。どん引きデスわ〜」

「違うって! オレが苦しそうにしてたら、ルトの方から上に乗っかってきてくれたんだもん! 『カケルばかりに無理はさせられないから』って、ちょっと痛そうにしてたけど頑張って腰を振ってくれたんだもん! だいいち、騎乗位ばっかってわけじゃないし! ちゃんと正常位も座位もしたし〜!」

「でも、全体の約五割が騎乗位でしたよネ?」

「うん! そうだねッ!」

 素直に首肯するカケル。こればかりは純然たる事実なので、否定しようがない。

「つーか、何でそこまで詳しいんだよ! お前あの場にいなかったハズだよな!?」

「勇者さん……」

 と、憤るカケルの肩に軽く手を置いたミランは、フッと癪に障る嘲笑を浮かべながらこう言った。

「むしろ、いつから誰にも見られていないと錯覚していたんデスか?」

「にゃん……だと……?」

「そもそも、一体誰がこうなるよう仕向けたと思ってるんデス? それにこんな面白可笑しいイベント、このワタシが見逃すハズがないに決まってるじゃないデスか〜」

「いやそれは分かってるけど、どうやって覗いたんだって訊いてんだよ!」

「ああ、それならこれのおかげデスよ」

 言って、ミランは白衣の内側ポケットを弄って、何やら眼鏡のような物を取り出した。

 それはアニメに出てくる博士が常時付けているような、普段は滅多にお目に掛かれない丸眼鏡に酷似していた。全体的に黄を基調とした色合いで、レンズは真っ赤に彩られている。いかにもウケ狙いと言うか、お世辞にもセンスの良い眼鏡とは言い難かった。

「その名も魔法アイテム『透Kっちん』デス」

「……ん? スケッチ? 血溜まりの中で絵を書く道具か何かなのか?」

「いえそうではなく、これで覗くと壁の向こう側が透けて見えて、男女の夜の営みを観察できる優れものなんデスよ」

 用途があからさまにいかがわしいアイテムだった。しかもどこぞの少年マンガで似たような物を見た気がしてならないのだが。

「つまりお前は、それでずっとオレ達の行為を盗み見ていたって事か……?」

 ギリッと歯噛みするカケル。拳をわなわなと震わせながら、カケルは柳眉を立てて声を荒げた。

「ふざけんなテメェ! 人のプライバシーを無視するような真似しやがってッ! お前には常識ってもんはないのかええコラそれ是非とも欲しいんですけどおいくらで譲ってもらえますかねえぇぇぇ!?」

「途中から本音がだだ漏れデスよ勇者さん」

 半眼でミランに突っ込まれて、ハッと我に返るカケル。

 おっといけない。ついつい願望が口から出てしまった。しかしながらそんな男の夢と希望が詰まったアイテム、欲しくならない方がどうかしていると言うものだ。

 それにしても、この異世界にそんな素敵素晴らしい魔法アイテムがあったとは。ひょっとして、まだこういった趣向のアイテムが世界中に散らばっていたりするのだろうか。なんだそれは。仮にそうだとしたら、でっかい宝島ではないかここは。

 何かオラ、考えただけですげーワクワクしてきたぞ!

「どちらかと言うと、湧く湧くさせているのは、下半身の一部分だけのように思えてならないデスけどね〜?」

「ナチュラルに心を読むなよ。しかも下ネタかよ」

 油断も隙もあったもんじゃなかった。もしやこの医者ゾンビ、心理学にも精通しているのだろうか。

「それで勇者さん。ご感想は?」

「あん? 感想って何が?」

「デスから、初体験を済ませた感想デスよ。何かありますでしょウ? ほらほら」

「感想、ねえ……」

 悪戯じみた笑みを浮かべながら肘で小突いてくるミランに内心ウザく思いつつ、顎に手をやって深く考え込むカケル。

 今でも鮮明に覚えている、昨夜の熱い逢瀬の一時。ルトのしっとりした、柔く温かい肌の感触。耳元に届く荒い吐息。鼻腔を擽る微かな汗の香り。

 一つ一つの感覚が記憶と共に甦り、ともすればあの時の胸の高鳴りが思い出したように激しく鼓動し、熱を帯びた血が体中を駆け巡る。瞳を閉じるだけでルトの艶姿が瞼の裏に映り込み、互いの体を重ねた感触が──あの時の言葉にならなかった悦楽が、余韻となって全身を伝いそうだ。

 そうしてルトとの甘い蜜月を深く反芻するように瞑目し、答えを焦らすかのごとく一呼吸吐いてみせた後、実に穏やかな口調でカケルはこう呟いた。



「綺麗な……ピンクでした…………」

「いや誰も具の色を教えろなんて言ってねぇデスよなめとんのデスかコラ」



 何故か思いっきりメンチを切られてしまった。

 一体何が気に喰わなかったと言うのか。ワケが分からない(そもそも、ビーチクの方かもしれないと言うのに)。

「もっとこう、情緒溢れる感想は無いんデスか? ルト様が聞いたら泣いて喜びそうな、ロマンティックが止まらない良さげなセリフとか」

「んな事言われても急には思い付かねえよ。だいたい未だに思い出すだけでやたら気恥ずかしいのに、それを口にしろってのがそもそも無茶な話だし」

「情けないデスね〜。男ならここで『チョーイイネ! 生ハメ、サイコーッ!』ぐらい言ってみせたらどうなんデス?」

「……いや、その発言の方こそよっぽどどうなんだ……?」

 そんな言葉を吐いた日には、世界中の女性という女性から絶対零度の如き冷たい眼差しを向けられそうな気がしてならないのだが。

 と言うか、先ほどのルトを喜ばせるようなセリフ云々はどうしたんだ。言っている事が完全に矛盾してるじゃねえか。コイツはルトを喜ばせたいのか落ち込ませたいのか一体どっちなんだ。



 コンコン。



 と。

 ミランとくだらない言い合いをしている内に、戸を叩く音が不意に響いてきた。



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