第11話 グッドナイト・スイートハート
歴代史上最強にして先代魔王の愛娘であるルトは、生まれながらにして魔物の頂点──つまり魔王として君臨する宿命を課せられたと言っても過言ではない少女だった。
元来、魔王は血筋や地位に関係なく、最も魔力が強く──魔法を多彩に操る才能や魔物達を統括する能力に長けた者だけが選定される
生後間もなく発覚した、先代をも超越する圧倒的な魔力。
物心付く前からありとあらゆる魔法を使いこなした、あまりに逸脱した才覚。
そして、他の者を惹きつけてやまないカリスマ性。
その魔王たらしめんとする条件を完璧に満たし──どころか、それ以上の可能性を垣間見せたルトは、魔王になる以前から周囲の期待と羨望を誰よりも一心に集めていた。
その時から既に、ルトは見上げるだけの雲のような存在として周りから扱われるようになり。
ルトと肩を並べるだけの逸材などいるワケもなく──ましてや、彼女と競おうと考える者(それ以前に、心が先に折れる者ばかりだった気もするが)すら誰一人としておらず。
それ故に、ルトは誰よりも孤独だった。
やがて先代──もとい母から魔王を引き継ぎ、名実共に魔物の頂点となったルトは、その才覚を遺憾なく発揮し、次第に周囲の絶対的信頼を得るようになっていた。
いや、信頼ならとうの昔に──それこそ魔王になる以前から既に得ていた。それは次期魔王に最も相応しい存在として皆から注目されていただけの事に過ぎなかったのだが、今集めている信頼は、どちらかと言うと狂信に近いものがあった。
それこそ、神でも崇拝するかの如く。
無論ルトにそんなおこがましい自覚など露ほども無かったのだが──というより、自分の責務をただ淡々とこなしていただけなのだが、何故だかそれが皆の支持を呼び寄せ、いつの間にやら今のような度の超えた状態へと至ってしまったのである。
いや、別に運が味方をしてくれたとかそんな都合の良い話ではなく、ひとえにルトの能力が規格外に高かっただけの話でしか過ぎないのだが。もしくは、それを全く鼻にも掛けない態度がより皆の好感を集めたのかもしれない。無論狙ってやった事ではないし、他人の支持などさほど気に掛けた事も無いのだけれども。
それも生まれ持ったカリスマ性たる由縁とも言えなくはないのかもしれない。が、当時のルトは、そんな自分の才能を疎ましくすら感じていた。
皆がルトを賞賛する。その身に宿る膨大な魔力を。その才気に溢れた手腕を。その他者を魅了してやまない存在感を。
だがそれは、ルトの外面しか捉えていないのも同義だった。
「つまり私は、皆にとって『魔王』という存在でしかないと言う事か……」
いつからだろう。人知れず、意図せずそう独り言を零すようになったのは。
いつからだろう。心がだんだんと機能しなくなり、自分という器がボロボロに錆び付くようになっていったのは。
いつからだろう──こんなにも胸が寂しく、果てしない孤独感に苛まれるようになったのは。
………………。
仮に。
仮に、だ。
人生には生まれるだけの意味があって。
同時に、生きる意義もあるのだとして。
ルトが生まれた意味は、無論魔王になる為で。
ルトが生きる意義は、皆の魔王であり続ける事だとして。
それはもう、どうしようもなく逃れようのない運命なのだとしたら。
それじゃあ私という『意思』は、一体何の為にあるのだろう──?
皆が……運命をもが『魔王たれ』と命じる中で、ルトはそんな風に己という存在を──人生の価値を、必死に模索していた。
そうして日に日に職務で忙殺されていく内に、いつしか自問自答を繰り返す事すらやめて。
やがて自分の境遇を妥協し諦観し甘受し。
──気が付けば、視界に映る全てが色褪せて、世界が寂寥感に満ちた灰色へと染まっていく日常の中で。
ルトは、とある勇者の少年と出会った。
◇◆◇◆◇
『さあ、
『ヒィ!?』『ヒィ!?』『ヒィィィィィ!?』
正面扉の奥から侵入者と思われる男の声と、部下三名の悲鳴がルトのいる玉座の間で木霊する。おそらくは、侵入者の襲撃を受けているのだろう。
ここの門番をやらせているだけの強者を怯ませる程の実力者。どうやら今回の侵入者は、相当腕の立つ奴らしい。
「ま、魔王様! 侵入者が──勇者がもうすぐそこまで来ておりますッ!」
「分かっている。いちいち騒ぐでない。ここはいいから、お前はもう下がっておれ」
「は、はい!」
どうか御武運を!
従者(ゴブリン)はそれだけ言い残して、ルトの命令通りに奥の勝手口(賊がここまで来た際に、従者達をいち早く逃がす為の非常通路だ)へと早々に去っていった。
従者が去るのを横目で見送ってから、ルトは玉座にふんぞり返りながら「それにしても」と呟く。
「勇者……か。ここまで辿り着くほどの奴など、一体いつ以来だろうな」
これでも難攻不落と呼ばれ、鉄壁の防衛力を誇る魔王城の中を容易く侵入し、迎え撃ちに出た部下達を蹴散らせながら闊歩する勇者なんて、記憶を掘り下げてもそうはいない。大抵の場合、魔王城に入る前に撃退されて断念するか、たとえ城内に入れたとしても様々な罠や屈強な兵達によって追い出されるのが殆どだからだ。
にも関わらず、それらを全く歯牙にも掛けないだけの力量の持ち主──どうやら今回の相手は、久々に体を動かす事となりそうだ。
「まあどちらにせよ、私の相手ではないだろうがな……」
心底つまらなさそうに溜め息を吐いて、頬杖を付くルト。
注釈しておくが、別に慢心して漏らした言葉では決してない。事実、今までルトを相手取るだけの気骨がある者など、敵はおろか味方にすら皆無だったのだから。
だから今回訪れた勇者も、どうせ私には指一本触れる事すら無理だろう。ルトはそう結論付け──そして心のどこかで自分と渡り合えるほどの強者を不謹慎に望んでいる事に辟易しつつ、侵入者が自分の前に来るのを静かに待った。
そうして数分経った頃だろうか、終始騒々しかった廊下が不意に静まり返えり、そして──
バタンッッ!!
というけたたましい音と共に、正面の大扉が仰々しく開かれた。
「フゥーハハハ! 颯爽登場オレ参上!!」
果たして妙なポージングを取りつつ哄笑して現れたのは、想像と違ってやたら奇抜な姿をした少年だった。
この世界ではかなり珍しい、黒髪に黒い瞳という取り合わせ。まだ幼さの残るその顔付きも、自分が知っている人間達の中でもあまり見慣れない造りをしている。美男子は言い過ぎかもしれないが、遠目から見てもなかなかに整った容姿をしているのが窺えた。パッと見で表するなら、どうにも頼りなさげな優男風と言った感じである。
だがそんな事よりも注目すべきはその格好だ。今までに見た事の無い、何かしらの紋章を胸に刻んだ紺の上着に同じ柄のズボンという、思わず目を疑わずにはいられない軽装。一見防具らしい物は何も着込んでおらず、右手に持った剣──ロングソードだけが、彼が魔王である自分を討ちに来た勇者であるという事を少なからず証明していた。
それはそれとして、あんな脆弱な装備でよくぞここまで辿り着けたものだ。今まで相対してきた勇者は、どれも屈強な体格に物々しい装備で勝負を挑んでくる者ばかりだったのだが。いや、たまに薄手の格好で来る勇者もいたにはいたが、何らかの魔法付加が掛けられていて、容易く攻撃が通らない仕様になっているのが常識となっていた。しかしながら眼前にいるこの少年は、そのどれ一つとして施されているようには見えない。つくづく勇者とは思えない少年である。
「やっと会えたな魔王よ!」
と無言で観察している内に、件の少年──もとい勇者が、勢いよく人差し指をこちらに向けて、不敵に笑みながら声高に言い放ってきた。
「このオレが来たからには、お前の悪事も今日までだぜ! さあ、お前の罪を前世まで遡って数え……て…………」
先ほどまでの威勢はどこに行ったのか、ルト向けて突き出したハズの人差し指が、次第に力なく下がっていき、
「おにゃ、の子……?」
と目を丸くしつつ、勇者は口をポカンと開けて呆けてしまった。
大方、想像とはあまりに違い過ぎるルトの姿を見て、信じられない心境でいるのだろう。「それはお前も同じだろ」とつい口に出そうになったが、そのまま言葉を呑み込んだ。今まで相対してきた勇者達とも、それこそ幾度となく同じやり取りをしてきたのだ。いちいち反応してやるのも馬鹿馬鹿しい。何だかナメられているみたいで、少々不快な気分ではあるが。
そうして何もリアクションを取らず、沈黙を保っていると、
「あるぇ〜? これちょっとおかしくね? ラスボスがあんな美少女とかマジ聞いてないよ? 普通こういう場合、無駄に派手派手しい装飾をしたジジイとか、クソでけぇドラゴンとかが待ち受けてるもんじゃないの? ないわ〜。さすがにクライマックスシーンでこれはないわ〜」
何やらワケの分からない事を呟き始めたかと思えば、見る見る内にやる気を無くして、敵であるハズのルトに背中を見せてダラリと座り込む勇者。終いにはふて寝すらしそうな感じだった。さっきまでの気迫はどこへ行った。
「だいたいさー、アニメにしてもマンガにしても、何でも美少女を出せば人気取れるみたいな風潮ってどうかと思うんだよね。底の浅さが知れるって言うか? 脚本仕事しろっての。いや、これは現実なんだけどもさー」
何言っとんだコイツは。
そんな心底呆れきった表情を浮かべながら、ルトは緩慢な動きで玉座から立ち上がった。そして気配を殺す事もせずせむしろ足音を聞こえよがしに響かせつつ、勇者の元へと歩いていく。
「そもそも、ラスボスにこんな美少女とかどう考えてもミスキャストっしょー。それっぽく悪魔みたいな生々しい羽付けてるけど、余計なオプションって言うの? むしろ無い方が良かったんじゃね? なんつーか、このやっつけ感がもうダメダメだね。顧客のニーズに応えきれてないんだよねぇ。こんなんじゃユーザーは満足しないっての。いや大事な事だから二回言うけど、これは現実なんだけどね?」
未だ意味不明な事を呟いている勇者の所へと、ルトは一切歩を止めずにどんどん距離を狭めていく。どうやら、こうしてルトが少しずつ接近しているにも関わらず、全くこちらの動向に気が付いていないようだ。ますます本当に勇者なのか疑わしく思えてきた。
「はっ。ちょっと待てよ? ひょっとしてこれミスリードなんじゃね? 美少女というのは仮の姿で、真の姿はキモい触手系モンスターとかなんじゃね? うおおおおお絶対そうだよこれ! あっぶねえ! 危うく騙されるところだった──っ!」
と、今度は一体どうしたと言うのか──先ほどまで無気力に座り込んでいたかと思えば、突如としてガバッと立ち上がり、またワケの分からない事を叫びながら、勇者がこちらへと勢いよく振り向く。
「残念だったな魔王! お前の小汚い策略なんて全部まるっとスリっとくわっぱお見通しなんだよ! さあ、その化けの皮をすぐさま剥がしてくぎゅうううううう!?」
まだ言葉途中だった勇者に、無言でボディーブローをお見舞いしてやった。
「馬鹿か貴様は。敵である私に背中を向けて、あまつさえベラベラと口を開いて警戒を怠るなど、攻撃してくださいと言っているようなものだぞ」
無様に体を九の字に曲げる勇者を睥睨しながら、ルトは平淡な口調で吐き捨てる。拳をまだ構えたままにしているので、いつでも戦闘準備は万全だ。
「さて、仮にもこの私を倒しにここまで来たんだ。それ相応の覚悟はできているのだろうな?」
「ちょいストップストップ! 待ってオレの話を聞いて頂戴!」
「……何だ?」
眉間にシワを寄せながら、ルトは振り上げかけた拳を一旦下ろし、床に伏せたままの勇者に耳を傾ける。
「あんた魔王なんでしょ? 何でそんな最初からクライマックス状態なのよさ。ここは『よくぞここまでたどり着いたな勇者よ』とか『人間風情が、この私の姿を見て生きて帰れると思うなよ』とか先に言うところでしょー!」
「何故そんな面倒臭い事をわざわざ言わねばならんのだ……」
「面倒でも言うもんなの! それがセオリーってもんなの!」
知らんがな。
勇者の支離滅裂な言い分に、苛立ちを募らせていくルト。正直、今すぐにでも怒りが爆発してしまいそうだ。
「そんで魔王って言えば『お前の力を見込んで、特別に私の配下にしてやろう』とか『世界の半分をくれてやる代わりに、私と手を組まないか?』とか無駄と分かってても勇者に訊ねるもんなのー!」
「貴様を仲間に入れるつもりは無いし、元より世界なんぞに興味は無いし、だいいち、無駄と分かっている事をいちいち訊ねるつもりなど毛頭無い」
「おバカぁ! それでも魔王なの!? あんたにはホントがっかりよぉ!」
ブチ。
ここにきて、ついにルトの堪忍袋の緒が切れた。
「お母ちゃんはあんたをそんな風に育てた覚えはないわよ! まったく、お父ちゃんが知ったらきっと泣き伏せるいず!?」
何故かオカン口調になってギャアギャア喚く勇者の顔面目掛けて、強烈なエルボーを入れてやった。
「すんませんごめんなさい悪ふざけが過ぎました! だからもう殴らないでくだしありあ!? ちょタンマタンマたいが!? 待って本当にマジで痛いから待ってまめっち!? しゃな!? なぎ!? かぐらァァァァ!?」
問答無用と連続で打撃を加え、最後にアッパーカットを決めて宙に浮かせる。勇者はそのまま受け身も取れずに、グシャと鈍い音を立てて崩れ落ちた。
後に訪れる静寂。つい先ほどまでの騒がしさが嘘のように辺りが静まり返える。
その主原因だった物体は、今やピクピクと痙攣を起こしながら泡を吹いていた。白目を向いているのを見るからに、気絶しているのは明らかだった。
「一体何がしたかったんだコイツは」
横たわる勇者を見下ろしながら、ルトはそんな独り言を嘆息混じりに呟く。
最初から最後まで、奇天烈な言動ばかり目立つ勇者だった。これほどまでのバカなんて、今までに会った試しが無い。
おそらくこの勇者も、人間達が好き勝手に流している噂を──魔王が世界を滅ぼそうとしているなんてデマを間に受けてしまった1人なのだろう。それを証拠も無く信じたこの勇者もバカだと思うが、そんな根も葉もない情報を流し続けている奴らも大概の馬鹿野郎だ。心底くだらない。
元を正せば、奴らの方が悪いと言うのに。
「………………」
もしも。
もしも──そんなありもしない考えが頭を過ぎる。
初代魔王が伝説の勇者を負かして、全ての人間共を滅ぼしてくれていたら。
魔王なんて存在が、今ほど重要視されていなかったら。
私は今頃、もっと普通の女の子として生きていけたのだろうか──?
「それこそ、くだらない話だな……」
変えようのない過去に思いを馳せたところで、全くの無意味だというのに。
ルトはそんな風に自嘲して苦笑を浮かべつつ、開け放たれた大扉向けて足を運ばせる。
もう、この勇者と会う事も無いだろう。
そんな事を頭の片隅で考えながら、部下達に床で転がっている勇者を外へ捨ててくるよう命じた後、玉座の間から出て行った。
──しかしその予想は、二日後にあっさり裏切られる事となる。
◇◆◇◆◇◆
『ヒャッハー! 貧弱貧弱ゥ!!』
『ほっちゃん!?』『ゆかりん!?』『きくこ!?』
思わず「おいおい……」と声が漏れるほど、痛ましい破砕音と悲痛な叫び声が響き渡る。それもご丁寧に3つ揃って。またしても門番達が何者かによって打ち負かされたらしい。
それにしても、あの変な悲鳴はどうにかならないものだろうか。セリフがいちいちわざとらしくて、真面目にやっとんのかと疑わしく思えてならないのだが。
と、少しして、大扉の外から始終轟いていた破壊音が唐突に消え失せた。どうやら、決着が付いたようだ。
その内開かれるだろう扉を傍観しながら、ルトは玉座の上で雄々しく足を組んで侵入者が入って来るのをしばし待つ。ちなみに従者達は既に避難させているので、非戦闘員が危害を加えられる心配はない。まあ仮にいた所で、自分がここにいる以上、絶対に手出しはさせないが。
そうして、待つ事数分──
「はっはっはー! オレのデスティニーは嵐を呼ぶぜぃ!!」
ドガダァンッ! と言葉通り嵐のごとく大扉を蹴破って(つーか蹴んな)侵入者が悪目立ちしながら玉座の間へと踏み込んできた。
「またお前か……」
侵入者──もといその少年の姿は、一昨日ルトの前までやって来た勇者そのものだった。
あれほど痛めつけてやったハズなのに、また懲りずに来たのか。
思っていたよりピンピンしている勇者の姿をそんな風に眺めながら、
「馬鹿な奴め。前回あれだけ力量差を見せつけてやったのに、またやられに来るとは……」
とルトは眼前の勇者に抑揚なく語り掛けながら、ふわぁ、と心底つまらなそうに欠伸を噛み殺す。
「はん! あの時はたまたま油断していただけの事だ。オレの本気の力はあんなもんじゃないぜ! ぶっちゃけ、お前なんか取るに足らないねっ!」
ブン! と勇者は携えていた剣をこれ見よがしに下方へと振り下ろし、次いで勇ましく剣先をルトに向ける。
「見せてやるよ魔王。オレの真の力をな!」
「ほう……」
気っ風よく声を張り上げる勇者に、ルトは静かに目笑して悠然と立ち上がった。前回の時はまるで話にならなかったが、この勇者の高慢な態度と物言いからして、今度こそちょうど良い退屈凌ぎくらいはさせてくれそうだ。
「ならば見せてもらおうか。貴様の真の力ってやつを」
「言われるまでもねえ! ただしその頃には、オレは八つ裂きになっているだろうけどな!」
「ふん。やれるもんならやって……え? お前が八つ裂きになるの?」
普通、逆じゃないだろうかそこは(単なる言い間違いか?)。
「行くぜ魔王ッ!!」
宣言通り、勇者が上段に剣を構えつつ、真っ正面からルトへと突っ込んでいく。その何の牽制も駆け引きも無く馬鹿正直に突進してくる勇者に、アホかと呆れ返りつつ、ルトは右手を前に掲げて魔法陣を出現させる。
「貴様には心底失望したよ。あれだけ息巻いておきながら、大した策もなく突っ込んでくるだけとはな……」
ルトの生み出した魔法陣から、メラメラと蒼い炎がとぐろを巻いて姿を現した。次第に炎は勢いを増し、大蛇のような形を模して天井高くまで浮かび上がる。
「せめてもの情けだ。命までは取らないが、代わりに死ぬほどの苦痛を味わいながら存分にもがき続けるがいいッ!!」
刹那、大蛇と化した炎が猛然と急降下し、今まさにルトへと肉薄せんとする勇者を焼き払った。
轟音と共に立ちのぼる火柱。悲鳴すら上げる事も出来ずに、勇者の全身が灼熱の業火によって覆われる。
──やれやれ。あれだけ粋がっておきながら他愛の無い。
徐々に弱まりつつある炎の中で踊る黒い影を見ながら、かぶりを振ってため息を漏らすルト。こうもあっさり勝負を決するとは。まったく暇つぶしにもならなかった。
そして視界に火の子だけが残留し、どれ、最後に勇者の哀れな負け犬姿でも見届けようと近寄ったところで──
そこに勇者の姿はなく、等身大の黒い炭となった物体だけが残っていた。
「な──っ!?」
驚愕のあまり、言葉を失うルト。
そんなバカな。ありえない。確かに炎で攻撃したが、ここまで焦がすほどの熱量は出さなかったはず。せいぜいが、熱湯で少し火傷する程度に抑えたはずである。
いや、よく見るとそれは肉の残骸ではなかった。
これはまさか、黒鉛で出来た芯──!?
『んむはははは! バカめ! 奴なら芯だわッ!』
どこからともなく、勇者の高笑いが鼓膜を揺るがした。
すぐさま周囲に視線を巡らすが、当の勇者の姿はどこにも見受けられない。
「くっ。どこだ! どこにいる勇者めっ!」
『どわあははは! どこを見ている魔王よ! オレはこっちだ!!』
今度ははっきりと方角が分かるほど明瞭に聞こえた勇者の声に、ルトは「そこか!」と背後を振り返った。
そこには満身創痍の勇者が、床に突き刺した剣に体重を預けながら佇んでいた。
「いや何でだー!? 貴様、私の攻撃を避けたハズではなかったのかっ!?」
「ふっ。その通りだ……」
全身傷だらけ──足元もふらふらと覚束ない状態で、勇者は微苦笑を浮かべながら、言葉を紡ぐ。
「確かにオレは、魔法アイテム『身代わりクン』を使ってお前の炎から見事逃れてみせた。だがしかし『身代わりクン』は、その代償に直撃した攻撃の約八割を持ち主が受け持たなければならないのさ。まさかここまでダメージを喰らうとは微塵も思わなかったがな……」
「……それは、一か八かその魔法アイテムを使わずに回避した方がまだ良かったんじゃないのか?」
使い所が微妙な謎アイテムだった。
一体何のメリットがあって、そんな物が作られたと言うのだろう。そしてそんな無意味なアイテムを使うこの勇者も、大概のバカヤローだった。
「そんなわけで、今のオレは一切戦えない状態だ。だから今回はちょっと見逃してくれると嬉しいなー、なんて……」
「私が、このまま貴様を見逃すと思うか?」
「デスヨネー」
死んだ魚みたいな目で微笑する勇者に、特大の魔法でフルボッコにしてやった。
これだけボコボコにしてやれば、いい加減アイツも来る事は無くなるだろう。
──だがその予想も結果的には外れる事となり、どころか、度々魔王城に侵入しては、臆面無くルトに勝負をふっかけるようになった。
無論ルトもその度に勇者を返り討ちにしては魔王城から追い出してはいるのだが、元が頑丈なのか、はたまた単に性根が腐っているだけなのか、勇者は懲りる事無く何度もルトに挑んで来たのだ。
さすがのルトも精神的に疲労してきて、もういっそ殺してしまおうかとか、そんな物騒な考えが頭を掠りはしたが、寸前の所でぐっと堪えた。
何故かあの勇者は毎回魔王城に攻めてきておきながら、不可思議な事に誰一人として死者を──負傷者は数多く出しつつも、部下達を殺しはしなかったのだ。後にそれは『いちいち殺すより、気絶させるか身動きが取れない程度に痛めつけた方が剣が長持ちするし楽だから』とか何とも物臭な理由からだったのが、その事をまだ知らなかった当時のルトは、ならばこちらも殺すのだけは勘弁してやろうと温情を掛けたのである。
それに、別に自分達は何も悪い事はしていないのだし、ムカつくとか邪魔だからとか、そんな愚の骨頂にも等しい真似を──それこそ奴ら人間達と同じ真似をするのだけは、どうしても躊躇われた。まあこちらは正当防衛なわけだし、同じ土台で考えるのもおかしな話かもしれないが。
閑話休題。何にしても幾度となく挑戦してくる勇者に、いつしかルトは疑問を抱くようになった。
──どうしてアイツは、ここまで必死になれるのだろう?
力の差は歴然なのに。
敵わない相手と分かっているなら、そのまま諦めて逃げるのが当然なのに。
それが何より自然なはずなのに。
それなのに、あの勇者は何の信念があって、あんなにボロボロになってまで戦う事が出来るのだろう?
そして一体何が、勇者をあそこまで駆り立てるというのだろう──?
分からない。分からない。分からない。
いくら考えても、答えは見えない。文字通り、皆目見当も付かない。
いつしかルトは、そればかり頭を占めるようになった。
「なあ、勇者」
場所はお馴染みの魔王城玉座の間だ。視線の先には、いつものようにルトに突っかかって、糸も容易く魔法でズタボロにされた勇者が、生まれたての小鹿よろしく両足をプルプル震わせて立ちすくしていた。というか、逆にあれだけ攻撃を喰らっておきながらよく立てるものだと感心すら覚える。
「んあ!? 何だよ! べ、別にあんたに負けただなんて全然思ってないんだからね! 今ちょっと一歩退いてたりするけど、決して怖いわけじゃないんだからね! その辺、勘違いしないでよねっ!」
「貴様は、一体何の為に戦っているんだ? どうして私と戦い続ける?」
何故かツンデレ口調で逆ギレする勇者にまったく意を介さず──むしろ無視する形で、ルトは真摯に詰問した。
ずっと気になっていたのだ。コイツの戦う理由が。意味が。価値が。
「一体何が、貴様をそこまでさせる?」
「はあ? 何だその質問?」
寝ぼけてんの? とでも言いたげに眉を傾かせつつも、「まあでも、そうだなあ」と勇者はこちらへと素直に言葉を投げ返す。
「やっぱ世界の平和の為? 腐っても勇者だし」
「世界平和、か」
勇者の言葉をそのままオウム返しに呟いて、ルトは落胆とも付かぬ溜め息を吐く。
今までルトに挑んできた奴も、大抵そんな雑音と変わらない奇麗事を吐露する者ばかりだった。後はせいぜい名声とか賞金目当ての俗物──もしくは誰かしらに命じられて嫌々来る消極的な者ぐらいだろうか。何にせよこの勇者も、前者と同じくだらない目的でこの魔王城までわざわざ足を運んだようだ。
──もう少し、面白味のある男かと思っていたが、とんだ見込み違いだったみたいだな……。
再度深い溜め息を零して、もう興味は失せたと踵を返しかけた所で──
「ま、あくまでもそれは建て前だけどな」
と、勇者が不意に続けた。
「建て前……?」
「おうよ! オレの目的はそんな安っぽい理由じゃないぜ。いや勿論世界の平和を願ってないワケじゃないけど、それより何より──」
てっきり話は終わったとばかり思っていたら、予想に反して紡がれた勇者の言葉に、ルトはゆっくり背後を振り向く。
「何か、その方がカッコいいから!」
「…………………………は?」
ズビシと人差し指を突き立ててドヤ顔する勇者に対し、ぽかんと大口を開くルト。一瞬、何を言われたか分からなかった。
「だって勇者に魔王だぜ? しかもマンガやRPGにありがちな王道ファンタジーと変わらない世界観ときたもんだ。こんだけ舞台は整ってんのに、これで燃えなかったら男じゃないぜ!」
言っている意味が半分近く分からなかったが、すごくしょーもない事を言っているというのだけは理解できた。
「それじゃあ、何か? お前はその方がカッコいいから、今まで私に挑んできたのか?」
「だいたい合ってる! あとそれに、女の子にもモテそうだしな!」
「モ、モテそうって……」
つまり、先ほどまでの話を統合すると、
ルトに挑戦し続けたのは、その方がカッコいいからで。
ついでに言うと、女の子にモテそうだからであって。
世界平和とか名声とか賞金目当てとか、まして誰かに無理やり命令されたワケではなくて。
むしろ、それらの理由が霞んでしまうくらいに──
至極どうでもよくて、あまりにバカバカしい自己中心的な事情だった。
「……あーはっはっはっはっはっはっ!!」
突然せきを切って爆笑するルト。他人の目を気にせず腹を抱えて笑い続けるルトに、勇者は呆気に取られた様子で声を無くしていた。
「カッコいいとか女の子にモテるからとか、アホだろお前! はははっ! そんな事の為に今まで命を張っていたと言うのか! あははははお腹が痛い〜っ!!」
「て、てめー何笑ってやがる! しかも泣くほど笑いやがって! 失礼過ぎるだろゴルァ!!」
ようやく我に返ったのか、終いには笑い転げるルトに勇者が両腕を振り回して声を荒げた。よほど頭にきたらしい。
勇者に言われて初めて、自分が瞳に涙を滲ませているのを自覚した。しかしそれを拭う事すらせず、以前腹の底から笑い声を上げ続ける。
それは本当に可笑しさから来るものなのか、それとも──……。
その時からルトは、勇者の事が少しずつ気になり始めていた。
今日はアイツは来るだろうか。今回はどんな登場の仕方をするのだろう。また変なセリフと共に扉を蹴破ったりするのだろうか。
そんな風に毎日毎日、何気ない日常の中でも、勇者の顔を思い浮かべるようになっていた。
結局のところ、あの勇者もルトを魔王としてでしか見ていなかったのだが、それでも愚直なまでに真っ直ぐ──それでいて何度も何度も正面切ってぶつかってきてくれたのは、彼が初めてだったから──
それが何よりも嬉しくて楽しかった。幸せだった。
いつしかルトは、勇者と会えるだけで胸が破裂しそうなほどの鼓動を感じ始めるようになり。
そして気が付いた時には、ルトは恋に落ちていた。
その恋の相手は、後に自分の事をカケルと名乗った──。
◇◆◇◆◇◆
「それだけ? たったそれだけの理由で、お前はオレを好きになったって言うのか?」
ルトの話を聞き終えて、カケルは面食らった表情でそんな言葉を漏らした。対するルトは未だカケルに跨りつつコクリと頷いて、しずしずと口を開く。
「お前にとっては些末な事でも、私にとっては暗闇の中で照らされた一筋の光だった」
ルトは一言一言に気持ちを込めるように胸へと手を添え、瞑目しながら言の葉を紡いでいく。
「自分を押し殺して、皆が望むまま──言われるがままに魔王をやっていた私には、自分に真っ直ぐに、言い訳なんて微塵もせずに自身の運命を受け入れて突き進む勇者の姿が、何よりも眩しく映って見えたんだ」
確かにカケルは、異世界に突然召喚されて、なおかつ勇者として世界の命運を半ば無理やり託された事に対しては、何の不満も漏らさなかった。むしろ当初は、オレが世界を救ってやるぜ! ぐらいの意気込みだった。まあ欲を言えば、ナイスバデーの美女戦士とか献身的な美少女僧侶と一緒に冒険したかったのだが。とは言え持ち前の悪運の強さと、異世界に召喚された時に発現した超人じみた身体能力のおかげもあって1人でもさほど困らなかったし、資金もどうにか調達できていたので、案外恵まれた境遇にいたのかもしれない。それに魔王を倒せば、一国の姫と結婚できるのだから。
そういう事情もあってか、決して自分に課せられた宿命を呪ったりはしなかった。
あくまでも自分の感情に従うまま、好き勝手に生きていたに過ぎない。
だからルトに、光だとか背中がむず痒くなるようなセリフを言われる覚えは、本来ならば無いはずなのだ。
「いやオレは、お前が思っているみたいな聖人ってわけじゃ──」
「そこまで思ってるわけじゃ決してない。お前は私に、自分の気持ちに素直になる事を教えてくれた。端的に言えば、ただそれだけの事でしかない。でもそんなお前の姿を見て、ようやく私は自分という殻から抜け出せる事が出来たんだ。勇者──お前が私を救ってくれたんだ」
他の誰かが違うと否定してきても、私は──私だけは否定させない。それが私の、何物にも代え難いたった1つの真実だから。
ルトはそこまで言って、カケルと視線を合わせながら破顔した。その魅力的な笑みに、図らずもドキリと胸を跳ねさせるカケル。
「だから私は今、この溢れんばかりの気持ちを正直に言葉に乗せて伝える事が出来る。私は勇者を──いや、」
一度口を噤み、少しだけ逡巡して視線を逸らした後、ルトは意を決したように真っ直ぐカケルを見つめ直して声を発した。
「私はカケルを、世界中の誰よりも愛しているって……」
穏やかな笑みと潤んだ瞳でそんな熱烈な愛の言葉を呟いたルトに──そして人生初体験となる美少女からの本気告白に、カケルは全身が発火するような感覚に襲われた。
熱い。体中がなまら熱い。まさか女の子に告白されるのが、こんなにも気恥ずかしい事だとは露ほども思わなかった。体温が上昇するあまり、頭から湯気でも出てるんじゃなかろうか。それより何より、自分は今どんな表情を浮かべているのだろう。それが気掛かりでならなかった。
「と、とりあえずお前が真剣にオレの事を想ってくれているのは分かった。でもだからって、その場で勢いで、その、そういう事を迫るのはどうかと思うんだ!」
どうにか発する事が出来た自分の言葉に、改めて現状を認識するカケル。今でも裸ワイシャツというあられもない姿のままこちらへと正面を向けるルトから顔を横に逸らし、カケルは狼狽しながらも必死に先を続ける。
「あの医者ゾンビにそそのかされて、そのまま場の雰囲気に流されるのも癪だし、それに女の子だったらこういうシチュエーションはもっと大事にしなきゃいけないと思うんだ! いや普段エロい事ばかり考えて──それこそこんな感じの妄想しまくってたオレが言うのも説得力無いかもしれないけど、つーかこの状況もぶっちゃけ超美味しかったりするわけなんだけども! でも無理にヤっちゃうのは、いくら据え膳食わぬは男の恥って言ってもさすがにどうかと思うんだよねっ! うん、きっとお前も半分はヤケになっていただけだろうし、後悔する前によ〜く考え直してだな……」
「──私は本気だよ」
ぷちぷち。
と、不意にボタンが解かれる音が耳朶を打った。
「カケルと、ずっとこうしていたかった」
連続して聞こえていたボタンの外れる音が止み、次いで絹が擦れる音を最後に、シンと周囲が静まり返える。今耳に届くのは、荒々しい息遣いと自分の激しく高鳴る心音のみだ。
訝しく思ったカケルは、何となく予想は付きながらも、思い切って真っ正面を振り向く。
そこには一糸纏わぬルトが──今度こそ何物にも隠されずに全身の肌を露わにした少女の姿があった。
その毛穴1つ無い瑞々しい肌も、滑らかな曲線を描く鎖骨も、形の良い胸も、いつもは不気味にしか見えなかった黒い両羽も、キュッと引き締まった腰のラインも、細長く整った足も──惜しむ事なく眼前に晒されていた。
それはまるで、偉大な芸術家が描いた作品のような──思わず目を釘付けにされるほどの神秘的な美しさがそこにあった。
「カケルは私の体なんて抱きたくないかもしれない。それでも私は、身勝手だと思われても愛する人と繋がっていたい……」
きっと恥ずかしてたまらないのだろう──真っ赤に染まった顔を若干伏せつつ、それでもカケルから視線は離さず、ルトは上目遣いで声を絞り出した。
「だから──だからどうか、私を抱いてください……っ」
瞬間、カケルの理性が一気に切れた。
荒れ狂う獣のごとく獰猛に瞳を凄ませて、ルトの両肩を掴んでそのまま一気に後ろへと押し倒した。
ドンとベッドが揺れ、「ひゃんっ!」というルトの嬌声が反響する。しかしそれに構う事なく、カケルは無理やりルトの唇へと自身の口を押し当て、強引に舌を口内に入れて蠢かせる。
無意識下に片手はルトの胸へと吸い込まれるように掴み、乳房を乱暴に揉みしだいていた。
いつまでそうしていただろうか──ふと何気なく間近で見たルトの泣き顔を直視して、カケルはそこで初めてハッと我に返った。
「ごめっ……! オレ、そんなつもりじゃ……!!」
──なんてとんでもない事をしてしまったんだオレは!
後悔の念が荒波となって襲う中、カケルは慌ててルトから唇を離し、すぐさま体をどかそうとした所で──
ぐっと、うっかり胸を掴んでいたままの片手を、ルトの両手で力強く押し込まれていた。
今更になって、程よく膨らんだ胸の柔い感触が直に伝わる。それは今までに触った事の無い、いつまでもこうしていたいほどの恍惚な感触だった。
「ま、おう……?」
「大丈夫だから。私は、大丈夫だから……」
息を荒くして両目から涙をポロポロと流しながら、ルトは気丈にも儚げに微笑んでカケルを見つめていた。
「怖く、ないのか?」
「正直言うと、少しだけ怖い。でも……」
そこで一旦間を空け、笑みを一層深めながら、ルトは嘘偽りの無い澄んだ瞳をカケルに向けながら囁いた。
「それ以上に、カケルとこうしていられる事の方が、何より嬉しい──」
「ルト……」
その時初めて、カケルはルトの名前を呟いた。その声にルトは一瞬驚いた表情を浮かべた後、すぐさま心底嬉しそうに目を細めた。
「カケル……」
「ルト……」
名前を呼び合い、互いの両手をゆっくり力強く絡める。今度は暴力的に攻めたりせず、そっと自分から唇を重ねた。
それは最初の時より幾分優しく、とても甘い口付けだった。
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