第10話 これがエロゲーならエンディングだった



 フクロウの鳴き声がする。ふと窓を見るとすっかり夜の帳が下りて、ただでさえ薄雲に覆われていつも暗い外が、より一層深い闇に包まれていた。どうやら思惟に没頭していた間に、だいぶ時間を浪費していたようだ。

 無い知恵を無理やり絞って考えていたせいか、ズキズキと痛む頭を軽く横に振って緩和させつつ、カケルはゆったりと上半身を起こした。そして自分でも驚くほどの長く重苦しい溜め息を吐き出す。もう就寝時間なのだが、始終一貫して悶々とし続けていたせいか、目がやたら冴えてしまってどうにも寝付けそうになかった。

 それもこれもあの医者ゾンビが、



『アナタは、ルト様のお気持ちに──ひたむきなほどの恋心に、どう応えるおつもりなんデスか?』



 などと、あらかじめ退路を塞ぐような事を自分に告げたせいだ。おかげであの時の言葉がしつこくリフレインしてきては、カケルの心に重荷となってのしかかるようになっていた。何も知らせず──何も知らずにいたら、こんなにも人知れず思い悩まずに済んだものを。

 そう、何も知らずにいたら。

 過去の戦争を引き起こしたのは──少なくともその引き金を引いたのは、魔物側ではなく人間側だったという事も。

 現魔王であるルトに何ら過失は無く、故に勇者であるカケルが彼女を倒す理由など微塵も無ければ、今まで勘違いも甚だしい愚行をしていたという事も。

 そしてそんなルトが、何故かこんな自分に恋慕の情を抱いてくれているという事も。

 何も知らずにいられたら──ここまで懊悩する事も無かったはずなのに。

「だからって、何も聞かなかった事にするわけにもいかないしな……」

 真実を知ってしまった以上、前と同じようにはいられない。何も知らなかった無知なあの頃みたいには振る舞えない。何より、己の心に嘘をついてまで自分を偽りたくなかった。

 それに、自分はルトに謝らなければならない事が──言わなければならない事が山ほどあるのだ。

 何度もルトに勝負を挑んでは有りもしない罪をなすりつけ、なおかつ正当防衛で返り討ちにしたカケルを邪険に扱うどころか、手厚く看病してくれた事も含めて。

 そして。



 ルトの好意に対する答えも──



「と言っても、どうしたもんかな……」

 いざルトを前に告白されたとしても、まだその気持ちに応えられるだけの余裕も言葉も今は持ち合わせていない。しかしながら、応えないワケにもいかないだろう。ミランに言われるまでもなく、自分にはその義務があるのだから。

 正直言って、困惑しかない心境なのだが。

「あ〜っ。何でこんなワケ分からん状況に追い込まれてんだよ〜!」

 頭を掻き回しながら、そんな悲鳴にも似た声を上げる。この精神状態だと、明け方近くまでずっと意識が覚醒したままかもしれない。この際ミランに睡眠薬でも貰って……いや、それだけはやめておこう。どうせ奴の事ながら『ハルシオン』ならぬ『ハルマゲドン』とか何とか危険極まりない薬を出すに決まっている。

 自分はここを出るまでに、無事SAN値を減らさず正気を保っていられるだろうか……?



 コンコン。



 とその時、そばの引き戸から控えめなノック音が響いてきた。

 こんな夜遅くに誰だろう、と小首を傾げつつ「はい?」とカケルは素直に応答して返事を待つ。

「ゆ、勇者? 起きてるか……?」

 果たしてノックの主は、魔王もといルトのものだった。

 何でおずおずとした調子で話し掛けるんだ? とさらに疑問符を浮かべつつも、カケルはルトに答える。

「うん。起きてるけど?」

「す、すまんっ。ひょっとして今から眠るところだったか?」

「いや、別にそんな事ないけど……」

「そ、そうか」

 と、妙に安堵感めいたものを含ませながら答えるルト。どのみち、お前の事をずっと考えてたせいで寝れそうに無かったしな、と続けようかとも思ったが、余計な事かと思ってそのまま言葉を呑み込んだ。

 そしてそのまま両者共に口を開かぬまま、何故か気まずい沈黙だけが下りる。夜風に吹かれてガタガタと震動する窓枠の音と野鳥の微かな鳴き声だけが、静寂とした病室に虚しく響き渡る。これがどこかの都会の街中だったら、雑踏の音に紛れて気も少しは違う方に逸れたのにな──などと詮無い事を考えてしまうのは、やはりミランとのやり取りが尾を引いているからなのだろうか。つくづく根の深い事だとカケルは嘆息した。

 そんな微妙に重苦しい雰囲気が続く中、

「…………何か、用か?」

 と、沈黙に耐えきれず、カケルの方から口火を切った。

「ふえっ? あ、いや。あの、その……」

 一瞬気の抜けたような声を発した後、歯切れの悪い口調で尻すぼみになっていくルト。また黙ってしまうのだろうか、と少し身構えてしまったが、

「ちょっとだけ……目を閉じてもらえないか?」

 と予想に反した言葉が返ってきた。

「へ? 目を? 何で?」

「い、いいから! 私がいいと言うまで目を閉じるのだ! でないと色々ねじ曲げるぞ!?」

「色々って何を!?」

 ひょっとして、腕とか足とかなんだろうか。間違えても頭だけは生死に関わるので絶対やめていただきたい限りだ。根性の方ならすでにねじ曲がっているので、何ら問題ないが。問題ないのかそれは?

「……まあいいや。何が何だか分かんねぇけど」

 真意は掴めないが、しぶしぶ言われた通りに瞼を閉じるカケル。逆らったら後が怖いし、ここは素直に従った方が無難だろう。

 そうこうしている内に、引き戸が開かれる音の後に、ペタペタと素足で歩いているかのような足音が聞こえてきた。これはつまり、ルトは今裸足でいるという事なのだろうか? 一体何故?

 そう疑問に思っている間にも、ペタペタという足音が次第にカケルの元へと近付いて来て、急にある地点の所でふっと音が途絶えた。それはちょうどベッドのそば──カケルの真横辺りからだった。

 全く状況が把握出来ないまま──それでも忠実に視界は閉じたままでいると、「よいしょ……」というルトの声と共に、ギシッというベッドが軋む音が鼓膜に届いた。

 そしてそのすぐ後に、ぷよんという何か柔らかく生温かい感触が、足の付け根辺りから伝わってきた。それは決して重くはなく、むしろカケルの感覚としては軽いぐらいなのだが、例えるならルト程度の体格の人間が乗っかったらちょうどこんな感じかな──と言った風な重量感があった。

 ──ていうかオレ、ひょっとしなくても乗っかられてる? 魔王にマウントポジション取られちゃってる!? ヤダ何それ超怖い! 助けてください! 助けてくださーいッ!

 と、胸中であいを叫んでいる間に、

「も、もう目を開けても、い、いいぞ……?」

 という、たどたどしいルトの声が不意に耳朶を打った。

 開けていいって言われても、正直判断に困る。目を開けたその瞬間『ざんねん。カケルのぼうけんはここでおわってしまった!』みたいな酷いオチになりそうでかなり怖いのだが。

 だが確かミランの話だと、ルトはカケルに懸想しているはずだ。なら問題ないか? と一瞬脳裏を掠めたが、よくよく考えてみると、ミランの勘違いという線もある。そもそも確証が未だに得られていない為、下手に刺激するのはどうにも躊躇うものがあった。

 とは言え、目を開けなかったら開けなかったで、何をされるか分かったものではない。どのみち、ずっとこのまま膠着状態というわけにもいかないのだ。何らかのアクションを取らない限り、状況は何も変わらない。

 決断を──迫られていた。

 ──ええい! もうどうにでもなれ!!

 殆どヤケ気味にそう決意して、カケルは頑なに閉じていた瞼を一気にこじ開け、そして──



 裸ワイシャツ姿のルトが、いきなり視界に飛び込んできた。



「ぶとぅーむ!?」

 ルトのあられもない姿に、思わず盛大に吹き出すカケル。幸い、大量の唾がルトに掛かる事はなかったが、それをも気にする余裕すら無くし、カケルはただ唖然としたままルトを凝視していた。

 雪のように白く瑞々しい素肌──その美しい全身を、今や上半身ワイシャツだけで包まれている。今まで大して無いと勝手に思っていたその胸は、惜しみなく第三ボタンまで外されたシャツの中でしっかりと谷間を作り、程良い膨らみと張りを帯びてこちらに向けられていた。おっぱい検定(非公式)AAAクラスの資格を持つカケルの目から見て、およそDカップと言ったところだろうか。実におっぱいがおっぱいしている良いおっぱいだ。

 そしてその先端は──生地が薄いせいなのか、桜色に彩られた綺麗な蕾が、うっすらとながら顔を覗かせていた。総合的に見ても、まず美乳と言っても申し分ない形状だった。そのおっぱい、ナイスです!

 何より注目すべきはその下半身だ。奇跡的にシャツで隠れて秘部は見えないが、下着を穿いているのなら当然足の付け根にあるはずの布のラインがどこにも見当たらなかった。

 つまり、何が言いたいのかと言うと──



 ノ ー パ ン だ っ た !



「なん……どすて……!?」

 あまりの衝撃的事実に、ゴゴゴゴゴゴと双眸を剥いて顔面を硬直させるカケル。

 あと些事かもしれないが、薄手のシャツの下から見る限り、この年頃の少女ならおそらく生えているはずの茂みが、全く見受けられなかった。

 これが何を示唆しているかと言うと、ミランのツルツル説が虚偽で無かったと言う事を如実に証明していた。だから何だと言われたら、それまでなのだが。まあ何と言うか、その…………………………パイ○ンって本当に良いものですよネっ!

 なんて、歓喜している場合ではなかった。生まれて初めて見た生身の女子の裸体に、つい頭がおっぱいおっぱい……じゃなかった。頭がいっぱいいっぱいになっていたが、今はそんな事に構っている時ではない。いや正直構いたくて仕方ないのだが、何故ルトが突然裸ワイシャツで自分の元へと──それも下半身に跨ってきたのか、それをまず問いただすべきだ。

「あの、魔王様? 何ゆえそのようなお姿でわたくしめの前に来られたのでせうか……?」

 相当テンパっているせいか、何故か丁寧な口調になりつつ、カケルは上に跨ったままのルトに訊ねる。

「こ、これはっ。その、えっと……」

 カケルの問いに、先ほどからずっと紅潮させていた頬をより真っ赤に上気させて、もじもじと言い淀むルト。その初々しいと言うか、ルトの乙女じみた反応に、より一層心臓が高鳴るのを感じる。こんなに胸がドキドキしたのなんて、一体いつ以来だろうか。むしろ生涯で初めての事かもしれない。

「い、以前……」

「以前?」

 やがてポツリと呟いたルトに、カケルはオウム返しに訊いて次の反応を待つ。

「以前読んだ書物に書いてあったのだ。怪我をした時は裸で温め合った方が治りが早いって。だから私も、勇者の傷が早く治るようにと思って……」

「いやそれ雪山で遭難した時の対応だから! そんなので傷が癒えたりしないからっ!」

 どこをどう解釈したら、そんなぶっ飛んだ結論にたどり着くのだ。

「お、落ち着け魔王! 何かお前とんでもない勘違いをしてんぞ!? だいたい、男の前でそんな裸同然の格好でいるとか、どうなるか分かってて──」



「分かっているッ!!」



 キンと耳鳴りがした。ルトが突然声を荒げて話を遮ったのだと理解するのに、少しばかり時間を有した。

 あまりの気迫に圧倒されて思わず思考が止まってしまったが、「ま、魔王?」とすぐさま正気を取り戻して、カケルはルトの顔色を窺った。

 見ると、ルトは顔を俯かせて自身の体をぎゅっと抱きしめていた。まるで己の中に湧き上がる衝動を必死に押さえ込んでいるような──そんな様相に見えた。

「分かっている。私は、ちゃんと分かった上でこうしている。さっきのは、ただの嘘だ……」

「嘘って──、」

 それじゃあ、裸で温め合うというのは単なる照れ隠しか何かで。

 最初からルトは、カケルに押し倒される覚悟で、こんな突拍子もない真似を──

 そう悟った瞬間、体中の血が沸騰するかの如く、カアと熱くなった。

「そ、それなら。なおさら何でオレなんかに……」

 じわじわと収まる事を知らずに熱くなっていく頬を感じながら、カケルは目線を逸らしてルトに言う。

「……少し前にミランから聞いたのだ。勇者にあの事を話したって」

 あの事──というのは、初代魔王が復讐に駆られて人間達に戦争を仕掛けた事を言っているのだろうか。だとしても、それが今この状況とどう関係するというのだろう──?

「そしてこうも言われた。勇者が私を倒す理由を無くした以上、怪我が完治してこの城を出た時、もう二度とここに来る事は無いだろうって」

 それはそうだ。元々カケルは、魔王が世界に災厄と混沌を振り撒く巨悪の存在と聞かされて、今まで徒労とも知らずに勝負をふっかけていたのだ。その魔王に──初代の方はともかく──現魔王であるルトには全く非は無いと知った今、彼女を倒す理由など微塵もありはしない。

「それで私は訊いたのだ。どうすれば勇者がずっとこのままこの城にいてくれるのかと。そしたらミランが『裸ワイシャツにでもなって勇者さんに押し倒してもらえばいいんデスよ。そんで既成事実の一つでも作りゃいいんデス。なあに、男なんて生き物は女の子の裸にシャバドゥビタッチしただけで、すぐ狼にヘンシーンしちゃうチョロい奴らデスし。何も心配する事はありませんヨ〜』って……」

「おのれの仕業かクソ医者ァァァァ!」

 今頃ニヤニヤとほくそ笑んでいるであろうミランの顔を想起しながら、カケルは大いにシャウトして突っ込んだ。

 よくよく思い返してみればあの医者、『一計企てる』だとか何とか口走っていた気がするが、それはつまりこの事態の事を言っていたのだ。改めてそうだと分かって、すぐさましてやられた気分になった。まったく、とんでもない事をしてくれたもんだ。

 いや、ミランのおかげでこうして美少女の裸も拝めたわけだし、ぶっちゃけグッジョブと言わざるを得ないのだが――とは言えしかし、本当に間違いを犯したらどうするつもりなのだ、あの医者は。

「って、ちょっと待て。うっかり聞き逃しそうになったけどお前、オレにいてほしいのか? この城に?」

 カケルの質問に、ルトは口を閉ざしたままコクンと頷いた。

「いや、うんって……。オレはお前を倒そうとしていた奴だぞ? それも勝手に有りもしない罪をなすりつけて。そりゃ、お前がオレにちょっとだけ好意を抱いてくれてるって事は分かるけども。でもだからってさ──」

「ちょっとじゃない」

 動揺を隠せずにいるカケルの言葉に割り込み、ルトはじっとこちらを直視しながら、はっきりとした口調でこう言い放った。



「私はお前の事が好きだ。自分でもどうしようもないくらい──勇者の事が大好きだ」



 潤んだ瞳で──思わず見惚れてしまうほど魅力的な笑みを浮かべるルトに、カケルははっと息を呑んだ。

「だから──だから。このまま離れ離れになるなんて嫌だ。もう二度と好きな人と会えなくなるなんて、絶対嫌だっ」

 先ほどまでの笑みが嘘のように跡形もなく消え去り、代わりに瞳からポロポロと涙の粒が次々に零れるのも厭わず、ルトは切なげに声を絞りながら呟いた。



「私は──お前とずっと一緒にいたい……」



「何でお前……そこまでオレの事を……」

 未だ流れ出る涙の奔流を拭う事すらせず、こちらをずっと見つめるルトに――それこそ絶対に見離さすまいと頑なに自分を見続ける彼女に、カケルは口からそんな言葉が無意識下に漏れていた。

 実際、不思議でならないのだ。フラグを立てた覚えもなければ──ここまで好かれるほどの事をした覚えも一切無いというのに。

 何故ルトは、これほどまでの感情をカケルに向けるのか──

「……それは」

 やがて。

「私が、カケルを気に留めるようになったのは……」

 ルトは。

 大切な宝物をそっと取り出すように胸に両手を添えながら、瞳を静かに閉じてポツポツと語り始めた。



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