第9話 隠された真実



 魔王城の病室。そこのベッドで仰向けに寝転がりながら、カケルはぼんやりと白い天井を眺めていた。

 ちなみに、ミランは既にここにはいない。カケルと長々と会話した後、もう目的は済ましたと言わんばかりに、食器だけ片付けて早々に退出してしまったのだ。

「今更、あんな事言われてもなあ……」

 電球が切れかけているのか、チカチカと点滅する電灯を見つめながら、溜め息混じりに呟く。

 いまだ脳裏に焼き付いたように鮮明に残る、あの時のミランとの会話。それはカケルが今まで抱いていた魔王への認識を180度変えるものだった。いやむしろ、カケルの勇者としての存在意義をも失いかねないほどの衝撃的な内容だったのではないだろうか。

「『だろうか』じゃなくて、そのものズバリ……か」

 そう独り言を呟いて、再度重い溜め息を吐く。ぐらつき始めている自分の立ち位置に、心なしか肩も重く感じる。ずっと寝そべってばかりいたせいで肩が凝っただけかもしれないが、精神的な負担が掛かっているのは確かだ。

 そしてその最たる原因は、勇者としての自分なのではなく────

「オレにどうしろってんだよ。ったく……」

 そこで思考を止めて、吐き捨てるように毒づいた後、カケルはゆっくり瞼を閉じた。

 瞼の裏に、数十分前までここにいた、あの不愉快な医者との会話を思い出しながら──。



 ◇◆◇◆◇



「なるほど。そういう事でしたカ……」

 カケルが話し終えたと同時に、脚を組み直しながら心底呆れたように唾棄するミラン。その表情はいつもの気怠い雰囲気と合わせて、長年溜まった疲弊感めいた何かを窺わせるものがあった。

「そりゃ、ニンゲン達が魔王城を襲うのをやめないわけデスね。勇者さんみたいな認識を持った輩がゴロゴロいるのかと思うと、頭痛を通り越して脳死すらしそうデスよ……」

 まあ、ゾンビなので元から脳みそなんて死んでますが。

 そんな冗談にもならない冗談を吐いて、「やれやれ」と肩を竦めるミラン。そんなミランを見て、

「オレ、そんなにおかしい事言ったか?」

 とカケルは眉根を寄せて訊ねた。

「ええ、まあ。正直、ここまで酷いものだとは思いもよりませんでしたヨ」

「……マジで?」

 自分の話した内容に、別段奇妙な点や矛盾する箇所などなかったハズである。ごくごくありふれた話を──この世界で常識として伝わっている事を、ありのままに喋っただけだ。

 それだけ、なのに。

 下らない夢物語を聞かされたようなミランの顔を見て、自分の話にだんだんと自信が揺らぎつつあった。

 確認の為にも、カケルは先ほどまで話していた自分の内容を思い出しながら、ミランとのやり取りも反芻して思索に耽る。

 自分が口にした内容は、以下の通りだ──



 その昔、人間と魔物が今のように争う事なく、それこそ血を血で洗うかのような凄惨な諍いが無かった時代が──時が移ろうと共に皆の記憶から風化しつつも、かつての歴史として確かに刻まれていた。

 互いに牽制はしつつも、相手方の生活圏を荒らす事だけは絶対にしない──そんな表向き平和と言える時代を──協定を結んだわけでもなく、ただ単に暗黙の了解として双方共に生きていた。

 しかしそんな平穏な日々も、唐突に終わりを告げる事となる。

 ある日の事だ。突如として魔王を名乗る魔族の男が姿を現し、何の前振りも無く人間達の住む国々を襲い始めたのだ。

 魔王軍の勢力は圧倒的で、その脅威を前に為すすべもなく、人間達は抵抗も虚しく蹂躙されるがまま──為されるがままに泣きを見るしか他なかった。

 そんな時だった。とある村民だった青年が剣を携えて颯爽と姿を現し、勇敢にもたった一人で魔王達に立ち向かったのだ。

 その青年の活躍はめざましいもので、一騎当千もかくやと言うほどの軽やかな剣裁きで次々と魔物達を薙ぎ払い、ついには暴虐の限りを尽くしていた魔王をも見事討ち取ってみせたのだ。

 後に伝説の勇者として崇められ、人々に語り継がれる事となる彼は、魔王を倒した後も各地でまだ暴れ回っている魔物達を駆逐しては、その時得た魔物の毛皮や角といった貴重品を人々に貢ぎ、潰れかけた国々の再建に大いに貢献したのである。

 こうして、徐々に魔物達もその姿を消していき、やがて世界に平和が訪れたのであった。

 が、それも永久にとは続かなかった。伝説の勇者が寿命でこの世を去った数年後、誰も立ち入った事が無いとされる闇の地にて、人知れず息を潜めていた魔王の子が、伝説の勇者が死んだのを見計らったようにその姿を現し、人間達に牙を剥き始めたのだ。

 たった一人の肉親であった父を討ち取られたその復讐を──全ての人間達を滅ぼすという父の悲願を果たす為に。

 こうして人間と魔物は、さながら神の悪戯の如く、長い混沌期へと再び突入する事になるのだった……。



 ──以上が、今までカケルが人づてに聞いてきた、先ほどミランにも聞かせた話である。

 何と言うか、テンプレートと言うのもアホらしくなってくるくらい、実に使い古された設定だと思う。これがゲームなら、今時の子供に鼻で笑われそうな内容である。

 が、このテンプレートな設定に、ミランは誤りがあるのだと言う。

 一体、どこがいけないと言うのだろうか。あるとすれば、せいぜい昔と違って魔物に対抗する為の知恵と力を身に付けた人間達が、ちょっとやそっとでは負けないようになった──と付け加えるのを忘れたぐらいか。だがそれぐらいの事、ミラン達魔物側も既に周知のハズだ。なら、わざわざ訂正する事とも思えない。

「勇者さんの疑問に答える前に、まず訊きたい事があるんデスが──」

 真実が掴めず、悶々と物思いに耽るカケルに、ミランが不意に口を開いた。その声に、カケルは「んあ?」と間抜けに答えて、ミランの言葉に黙って耳を傾ける。

「史実では、初代魔王様が突然乱心してニンゲン達を襲い始めたとありますが──それは何故だと思いますカ?」

「え、そんなの人間達を滅ぼす為に決まってんじゃんか」

「デスから、何故急にそんな事を考えたのか、その理由を勇者さんに訊いてるんデスよ」

「理由って、そりゃあお前……」

 そこまで口に出しかけて、カケルは唐突に押し黙った。初代魔王が人間達を襲った理由が──自分で言った人間達を滅ぼすという理由が、どうにも思い至らなかったのだ。

 これが昔のゲームやアニメみたいに、勧善懲悪がはっきりとしたものならば、悪とはそういうものなのだろうと大した根拠もなく決めつけているところなのだが、しかしここは現実──自分の世界ではない異世界ではあるが、れっきとした現実なのだ。いくら何でも現実とゲームをごっちゃにして考えるワケにもいかない。

「どうやら、何も思いつかないみたいデスね」

「いや何もってワケじゃないけど……例えば、世界征服とか?」

「世界征服、デスか。それが真の目的だったなら、ニンゲン達を根絶やしになんて手間暇を掛けず、ある程度数を残して奴隷にでも使った方が、何かと都合が良いように思えてなりませんけどネ」

 自分で言っておいて何だが、カケルもそう思う。カケルが元いた世界でも、そうして勢力を伸ばしていった国が数多く存在していたのだ。世界を全て自分の物にしようと考えるなら、侵略した他国の民を無闇に皆殺しにするより、奴隷や兵士として使った方が効率が良い。ゆえに先ほどの言葉も、反論出来ないのが悔しいあまりに言った、苦し紛れの戯言に過ぎない。

「大体にして、勇者さんの──もといニンゲン達の話は、色々と曖昧過ぎるんデスよ」

 そこで少し間を空けて一呼吸するように嘆息してみせた後、静かにミランは言葉を紡ぐ。

「特に初代魔王様がニンゲン達を襲った理由──それがあやふやになっている時点で疑問を抱かないもんデスかねぇ」

「そう言うからには、お前は知ってるんだよな? その理由ってヤツを」

「無論デス」

 むしろ、ニンゲン側ではないワタシ達魔物側だからこそ知っている事実とも言えますネ〜。

 コクリ、と頷いてそう言った後、ミランは足を組み直しつつ先を続ける。

「初代魔王様がニンゲン達を襲い始めた理由。それは──」

 スッと眼帯で塞がれていない側の眼を細め、周囲に緊張の糸を張り巡らせながら、ミランはこう言い放った。



「初代魔王様が生涯で最も愛した妻を──ニンゲン達の手によって殺されているからデス」



「…………え?」

 ミランの衝撃的な発言に、瞠目して固まるカケル。

 今この医者は何て言った? 殺された? 誰が? 誰によって?

「殺された、というのはちょっと語弊がありましたかネ。正確には、ニンゲン達によって負わされた傷が元で死に至った──と言う方が適切デスね。まあ、間接的に殺されたのに変わりはありませんが……」

「お、おい。ちょっと待ってくれよ」

 それまで呆然としているだけだったカケルが、そこで自我を取り戻したようにハッとした様子で話を遮った。

「殺されたって、魔王の奥さんがか? それも人間達に? どうやって? だって魔王の奥さんって事は魔物で、しかもそこそこ強いハズなんだろ?」

「見事に疑問文ばかりデスね。まあ、別にいいデスけども」

 ふう、とこれ見よがしに溜め息を吐いた後、白い前髪を少しだけ掻き上げてミランは答える。

「確かに、初代魔王様の奥方は魔物の中でも群を抜いてお強い方でしタ」

 デスが、とそこでわざとらしく間を入れるミラン。

「当時奥方は初代魔王様の子を孕んでおいでで、しかも出産も間近という臨月だったんデス。そんな状態ではさすがにいつも通りに力が使えず、命からがら逃げのびるだけで精一杯だったと聞いていまス」

「いや、それちょっとおかしくないか? だって昔は、人間も魔物も互いに不干渉を貫いてたんだろ? 何で人間達に襲われたりしたんだよ。どちらかがどっちかの生活圏に近づかない限りは、そんな事起きないハズだろ?」

「おや、よく気が付きましたネ。せいぜいアメーバくらいの脳しかないと思っていましたが」

 つまり、単細胞とでも言いたいのかこのヤロー。

「確かに勇者さんの言う通りデス。デスが当時奥方は変わった趣味をお持ちで、よくニンゲン達の住む村に行っては、そこで買った工芸品をコレクションにして楽しんでらしたんデス。奥方は見た目はワタシと変わらない同じ人型でしたから、周りにいたニンゲン達も特に疑念を抱かなかったのでしょうネ。初代魔王様はその事を快く思ってはいなかったようデスが、ニンゲン達の村で買った工芸品を楽しそうに話す奥方を見て、どうにも止める気になれなかったそうデス」

「つまり話を進めると、事件があった日も、人間達の村に行っている最中だったって事か?」

「正しくはその帰りだったんデスが、とりあえずご明察とでも言っておきましょウ」

 パチパチと皮肉混じりに拍手を送るミランに、カケルは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて閉口した。こんな事で拍手を送られても、ちっとも嬉しくなんかない。

「話を戻しまス。当時奥方は侍女と一緒に馬車でとあるニンゲン達の村へと行っていたのデスが、その帰り道に突然現れた野盗達に襲われてしまったんデス」

「野盗って……ただの人間だったんだろ? オレみたいに特別強いってワケじゃなくて」

「ええ。と言ってもただ単に襲われたワケではなく、岩を不意打ちで落とされて道を塞がれてしまったんデスよ。その際の衝撃で馬は逃げ出し、前は巨大な岩で、後ろは野盗達に阻まれ、まさに八方塞がりな状況に陥ってしまったんデス」

「いやでも、仮にも魔王の嫁だろ? 野盗ぐらい、どうにかできたんじゃないのか? それこそ魔法でグチャミドロにさ」

「恐ろしく生々しい擬音を使いますネ、アナタ……」

 まあ別に良いんデスが、とミラン。

「先ほど言ったばかりデスが、その時の奥方は子供を身ごもっていたんデスよ。だから、満足に魔法を使える状態じゃなかったんデス」

「あ、そっか」

 そういえば、そんな事も言っていたか。うっかり失念していた。

「ん? いや待てよ。だったら尚更、何でそんな状態で護衛も付けずに外へ出掛けたんだよ。そっちの方がよっぽど危ないじゃんか」

「奥方は団体で行動されるのをとても嫌う方で、事件があった日も護衛を付けようとしたらしいんデスが、『侍女だけで十分よ』と快活に笑って断ったそうデス。例え身ごもっていてもそんじょそこらの奴らには負けはしないと過信していたかどうかは定かではありませんが、そんなお転婆な奥方に、周りにいた方々も相当やきもきしていたらしいデス」

「話を聞く限りじゃ、相当自由奔放な人だったんだな……」

「ええまあ。そんなワケで、野盗達に襲われてしまった奥方ですが、侍女と一緒に野盗を牽制しつつ、どうにか命からがら逃げ延びる事には成功しましタ。そうして仲間達のいる所まで辿り着けたまでは良かったんデスが、侍女もろとも奥方も酷い重傷を負い、しかも運悪くそこで奥方が産気付いてしまったんデス」

 重傷を負ったままでの出産。それは考えるまでもなく、かなりリスキーなものだったに違いない。最悪、母子共に危険な状態に陥りかねないのは、その道に詳しい人でなくてもすぐに分かる。

 現に、ミランが先ほど話した中では──

「すぐに出産準備をしたおかげか、はたまた元から生命力が強かったおかげなのか、生まれてきた子供はこれと言った障害もなく、元気な姿で無事取り上げられましタ。しかし、最後の力をお腹の子の為に振り絞ったせいなのでしょウ、奥方は産声を上げる子供を見届けた後、ホッとしたように安らかな表情を浮かべて、静かに息を引き取ったそうデス」

 大いなる愛の結晶の誕生。

 そして、この世で最も愛した者の理不尽な死。

 無論、両者を天秤で計れるワケがなく、どちらかを選ぶなんて真似、そうそう容易に出来る事ではない。だがしかし、それでも夫妻共々真剣に話し合った末で、子供を産む事を決意したのだろう。それは子供のいない未成年のカケルと言えど、よほど苦渋の選択だった事は想像に難くない。何せ下手をすれば、母子共に死に至る可能性を秘めているのだから。

 それでも一縷の奇跡に希望を託して、母子共に元気に生存する方に賭けたのだろう。

 それこそ、神にも縋るような思いで。

 しかし悲しいかな、現実はどこぞのヒューマンドラマよろしく、子供を産んだ代わりに母親が犠牲になるという、何とも重い結果に終わってしまったワケなのだが。

 それは不幸中の幸いと呼べるものなのかもしれない。が当人達にしてみれば、不幸以外の何物でもなかったはずである。

 ここにきて、カケルはようやく悟った。

 ミランが少し前に言っていた『間接的なニンゲンによる死』と言うのは、きっとこの事だったのだと。

 なるほどな、とカケルはそこで一人納得し、次いで悄然と肩を下げて重苦しく息を吐いた。

 それはきっと、大切な者を失った事のないカケルには想像もできない──筆舌に尽くし難い絶望と苦痛を味わった事だろう。言わずもがな、子供が無事に生まれて嬉しく思わない親などいるはずもない。しかし妻の死の前では、それもどうしても霞んでしまうものではないだろうか。

 長年連れ添った最愛の妻ならば、なおのこと──。

「奥方の死を前にした初代様の姿は、それはもう直視できないほど痛々しいものだったそうデス。遺体となった奥方のそばを片時も離れず、三日三晩飲まず食わず、一睡もしないで奥方と一緒に居続けたとも聞いていまス。それだけ、奥方の死が受け入れ難かったのでしょウ」

「愛する人が死んじまったんだから、そりゃそうなるのも無理はないだろうな……」

「デスね。そしてその悲哀と絶望は、最悪の形となって世に表れる事となりまス」

 ここまで来たら、後に続く言葉は、鈍感なカケルと言えどさすがに分かる。

「それで人間達を滅ぼそうなんて考えたのか。奥さんが殺された、その報復として……」

 仰る通りデス、と頷くミラン。

「後は知っての通り、初代様は憎悪に動かさるがまま、大軍を引き連れてニンゲン達の国を次々と襲う事になりまス。その姿はまさに悪鬼羅刹──常に冷静沈着で物事を見据えていた初代様の姿は、影も形もありませんでしタ。それだけ、奥方を殺したニンゲン達の事が憎かったのでしょうネ」

「鶏肉なのか豚肉なのか、はたまた牛肉なのかが気になるところだな……」

「『肉買った』じゃねぇデスよどんな聞き違いしてんデスかアンタ」

 ていうか、話の腰を折らないでくださイ。

 そうジト目で言うミランに、「す、すまん」と語気を弱めて素直に頭を下げるカケル。あまりにシリアスな雰囲気に耐えきれなくなって、ついつい茶目っ気を出してしまったのだが、思いっきり逆効果だったらしい。どうしてこうなった。

 何はともあれ、ひとまずここは真面目に応対した方が無難そうだ。

「あー、まあ初代の魔王が人間達を襲った理由は分かったけどさ……」

 言葉を選ぶように視線を右へ左へと巡らせながら、カケルは先を紡ぐ。

「でもだからって、初代のやった事が許されるワケじゃないだろ? どんな理由があったにせよさ」

「そうデスね。勇者さんの言う事ももっともだと思いまス。デスが、初代様が狂気に溺れるだけのキッカケを作ったのがアナタ方ニンゲン達だと言う事も──ゆめゆめお忘れなきようお願いいたしまス」

「…………っ」

 ミランの鋭い眼光に圧されて、カケルはぐっと押し黙った。

 何も言い返す事ができなかった──否、有無を言わせないほどの気迫が、ミランから発せられていたのだ。

 いや、別段初代こそ諸悪の根源だとか今更本気で思って言ったワケでは無かったのだが、ミラン達魔族側にしてみれば譲れない事だったのだろう。今後、言い方には少し配慮した方が良いのかもしれない。

「……話が逸れましたネ。戻しましょうカ」

 自重するように軽く嘆息した後、ミランは気を先ほどより幾分緩めて続ける。

「先ほども言いましたが、初代様がニンゲン達を襲うようになったのは、そのキッカケをニンゲン達が与えたのがそもそもの原因でしタ。そして皮肉な事に、その戦争を終結させたのもまたニンゲンでしタ」

 正確には後に伝説の勇者と呼ばれる、とあるニンゲンの青年の手によってデスが、と一言添えるミラン。

「そうして、その伝説の勇者によって初代魔王様を討ち取られ、ニンゲン達の追撃を恐れた魔物達は、まだ幼かった初代様の子供を連れ、とある未開拓地へと逃げ込みまス。それがここ──アナタ方ニンゲンが“闇の地”と呼称する場所なのデス」

「それはここに来る時も色んな人にさんざん聞かされた話ではあるけど……。しかしよくこんな所に住もうなんて考えたよな。今はともかく、昔は生き物を寄せ付けないぐらい、劣悪な環境だったんだろ?」

「劣悪と言っても少々瘴気しょうきがキツかっただけで、ニンゲン達はともかく我々魔族には耐性がありましたからネ。植物もそこそこ生息していましたし」

 なるほど。つまりここは、人間に追われていた魔族達にとっては、身を隠す意味でも都合の良い場所でもあったという事か。いつも薄雲が広がっていて陰気くさいとしか思わなかったが、魔族達にしてみれば住み心地が良いのだろう。到底理解はできないが。

「そしてここからが、次の矛盾点に移るわけデスが……」

 次の矛盾点――と言うと、初代魔王の子供が現れる頃合いの話か。

「伝説の勇者の没後、初代様の子供が次なる魔王を名乗り出て再びニンゲン達を襲い始めたとありますが、何故そんな事をし始めたと勇者さんは思いますカ?」

「何故って……ニンゲン達を襲い始めた理由がか? そりゃ殺された父親の復讐なんじゃねぇの。親子二代渡って復讐に走るとか、悲しい話だとは思うけどさ」

「復讐だとしたら、何故伝説の勇者が死んだ後なんかに名乗り出たんデス? 父親を討ったのはあくまでその伝説の勇者さんなわけなんデスし、その方を殺せば良かっただけの話だったのでは?」

「あー……」

 言われてもみれば、ごもっともな意見だ。

 伝説の勇者と言えど、年齢には勝てないはずだ。年老いた彼を相手取るなど、自分達人間より遥かに長生きである魔族なら造作も無かったはずなのにも関わらず、だ。

 何故二代目は、伝説の勇者が寿命で死ぬのをわざわざ待ってから名乗り出た──?

「その方がニンゲン達を滅ぼしやすかったから……か? 父親の遺志を継ぐ事を何よりも優先したかったとか……」

「ならお訊ねしますが、二代目様が現れた後からルト様が魔王を任命された今日まで、自ら先導立ってアナタ方の国々を襲った姿を──初代様が引き起こしたほどの大規模な戦闘を、勇者さんは見聞きした事がありますカ?」

「えっと、待てよ。あー。あ? あれ……?」

 どうした事だろう。まるで思い当たらない。記憶の海を必死に泳いで探ってみるものの、それらしきモノはさっぱり見つからない。文字通り、皆目見当が付かない。

 魔物が人を襲ったとか各地で暴れ回ったという話は、今まで幾度となく聞いてきたのに、魔王本人が率先して人を襲ったとか、魔物の大群を連れて人の住む町や村に侵攻したなんて話、不思議な事に全く聞いた事がない。史実では──カケルが今まで聞いてきた話では、二代目魔王が人間達を再び襲い始めたとなっているのに、だ。

 これは、一体どういう──……?

「どうやら思い当たらないみたいデスね、勇者さん」

 何も言わないカケルを見てこれ以上待つのは無駄と判断したのか、不意にミランが沈黙を破った。



「それが真実デスよ」



「真、実……?」

「二代目から現魔王であるルト様を含め、人を襲った事なんてないんデス。ただの一度も……ネ」

「いやでもさ、今でも魔物達が人を襲ったりとか、大群で町を呑み込んだって話をよく聞くぞ。それこそ、魔王が指揮してやってる事じゃないのか?」

「あー、それは知能の低い獣型の魔物の仕業でしょうネ。多いんデスよ。魔物の中でも、特に獣型の比率が。なまじ知能が低いせいで、こちらの命令をろくに聞かない、ほとほと困った奴らなんデス。野生の狼や熊と基本は同じデスね」

「だけどお前らと同じ魔族……というか魔物の一種なんだろ? 魔王の力でどうにかできないのか?」

「それができたら苦労はしませんヨ。こっちだって被害を受けてるくらいなんデスから」

「え、そうなのか?」

「そうなんデスよ」

 思わず訊き返したカケルに、間髪入れず首肯するミラン。

 魔物が同族である魔物を襲う――そんなの初耳だ。正直信じられない。信じたくもない。しかしながら、ミランが嘘を言っているようにも見えない。

 認め難い事ではあるが、しかし、これがきっと真実なのだろう。

 真実。

 それじゃあ、自分がしてきた事は一体何だったのだろう。

 勇者なんて肩書きに、一体何の意味があったのだろう。



 自分は一体、何の為にこの異世界に喚ばれて来たのだろう──?



「お分かり頂けましタ?」

 自分の存在意義を無くし、焦燥感に駆り立たされるまま自問自答を繰り返すカケルに、ミランが追い討ちを掛けるように詰め寄る。

「つまりは、そういう事なんデスよ」

「いや待てよ。ちょっと待ってくれ」

 苛々しげに頭を掻きむしりながら、カケルは焦りを混ぜながら言う。

「それなら、何で魔王はその事を公表しないんだ? 自分達に戦闘の意思は無いって──今暴れているのは知能の低い獣型で、自分達は関与していないってさ。そしたら、オレみたいな勇者が魔王城に攻めて来る事なんてなくなるはずだろ?」

「ちゃんと公にしましたヨ。二代目様から先代様の時までずっと。デスが、『魔王の言う事なんて信じられるか』とはねのけたのは、アナタ達ニンゲンではないデスか」

 そんなの、カケルは知らない。聞いた覚えも無い。が、きっとミランの言う事は──あくまで直感でしかないが、おそらく間違ってはいないのだろう。

 という事は、今まで聞かされ続けた魔王の話は全部デタラメで、

 詰まるところ、人間側の勝手な思い込みに過ぎなくて、

 せいぜいルトは、そんな与太話を信じた勇者達を追い払う程度でしか、直接人間達に手を下したりはしていなかった。

 何もかも、そういう事だったとでも言うのか……?

「まあ初代様がやった悪行自体は、同情と弁解の余地はありますが紛れもなく許されざる事実デスし、それに知能の低い獣型とは言え、本質的には我々と同じ種族なのには変わりありませんから、信用できないのも無理からぬ事とは思いますけどネ」

「いやでも、しかし……」

「まあ、ワタシ的には、ぶっちゃけそれほど重要な事ではないんデスけどね」

 そう言って唐突に立ち上がったミランに、必死に反論しようと思考を巡らせていた事すらも忘却して、

「……は?」

 とカケルは露骨に呆けた。

「今までの話はあくまで前座で、本題はここからだという事デス」

「本題って……まだ何かあるのかよ? ぶっちゃけ、今でもかなりメンタルにきてるんだけどな。精神的に死にそうなくらい」

「お望みならば、薬を処方しますヨ? 『SANかれあ』という、身も心もゾンビ化できる薬がありますが、今から飲んでみまス? 言葉にもならない快感がアナタを包んでくれますヨ」

「やめとく」

 即座に断るカケル。そんないかにも正気を失いそうなヤバいネーミングの薬なぞ、死んでも飲んでたまるもんか。

「そうデスか。他にも『ヤバ草』とか心がハイになれる薬があるっちゃあるんデスが、如何せん飲んだ数時間後にハイな状態から死ぬまで灰な精神状態になるのが玉に瑕なんデスよね〜」

「それ玉に瑕ってレベルじゃねぇだろ」

 さっさと廃棄してしまえ。そんな麻薬まがいな危険物。

「ま、別にさほど重いって話じゃありませんから、安心して下さイ」

「安心、ね……」

 それは話す内容にもよるのではないだろうか。念の為、気を引き締めておいた方が良いかもしれない。

 これ以上ショックを受けるのは、精神衛生状良くないし。

「で? 本題って何さ」

「なに、簡単な質問デスよ。勇者としての意味や立場が瓦解した今──ルト様と敵対する理由を完全に無くした今のアナタに、一人の男として訊きたい事があるんデス」

 ミランはそう言って。

 今までに無いくらい真剣味を帯びた瞳で──それこそ死んだ眼から生気が漲ったかのごとく、カケルの意識を刈り取るような眼力で凄んで見せた後、こう真摯に問うた。



「アナタは、ルト様のお気持ちに──ひたむきなほどの恋心に、どう応えるおつもりなんデスか?」



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