第8話 敵対する理由



 魔王城で療養する事となってから数週間ほど経ったある日。

 それまで、水以外は口に含むのを頑なに止められていたカケルに、医者であるミランからようやく食事の許可が下りた。

 とは言え、さすがに肉や魚といった消化の悪い物ではなく、食べると言うより飲む方に近い流動食という形なのではあるが。ミラン曰わく、もうしばらくは様子見の意味も含めて、胃に負担を掛けない食べ物の方が無難なのだとか。

 そんなわけでカケルは今、数週間ぶりとなる食事にありつけていたりするのだが──……





「は、はい勇者っ。にゃ〜んっ」



 目の前の卵粥から、実に食欲をそそる香りがカケルの鼻腔を擽る。お椀のような丸い器に入った卵粥からは、ホクホクと白い湯気が昇っていた。

 その器から少量だけ掬われた、スプーンの上の卵粥をじーっと見つめつつ、カケルはちらっとだけ視線を外してルトを一瞥し、またスプーンに視線を戻した。

「ど、どうした勇者? 食べないのか? それとも、お腹が空いていないのか?」

「え? あ、いや…………」

 挙動不審なカケルに何か不安でも抱いたのか、いかにも心配げに表情を曇らせるルト。そんな彼女に対し反応が追いつかず、カケルはとっさに言葉を濁す事しかできなかった。

 所在なさげに頬を掻きながら、カケルは思う。

 何なんだろうか、この状況は。

 一体全体、どうしてこんな事態に陥ってしまったと言うのか。

 よし。ひとまず今朝までの事を振り返って、頭の中を整理してみよう。

 朝はいつも通りの時間に目を覚まし、それからそばに常備してある蒸れタオル(何か魔法でも使っているのか、いつでも蒸れた状態で小棚に入っている)で顔を拭いて、そんないつも通りの日課を済ましていた。

 それから少し経ってミランがカケルの元に訪れ、その時に心待ちにしていた食事解禁のお言葉を頂戴し。

 それでワクワクテカテカしながら昼の時間まで待っていると、卵粥を持ったルトがやけに堅い表情で医務室へと入って来て。

 現在、ベッドに腰掛けているカケルに、ルトが「あ〜ん」をさせているという次第なのである。

 念の為補足しておくと、別にカケルは誰かの手を借りなければ食事がままならないほど、重い状態というワケではない。まだ一人での歩行は難しいが、着替えぐらいなら他人の手を煩わずに済ませられるほどには既に回復している。

 ゆえに、こうして「あ〜ん」をしてもらう必要など、本来ならばどこにも無いハズなのだ。にも関わず、ルトに「あ〜ん」をしてもらっているのである。

 もう一度言おう。何なんだろうか、この状況は。

 そして何なんだろうか、この可愛い過ぎる生き物は。

 これは己の煩悩に打ち勝てと言う、神からの試練なのだろうか。

「ひょっとして、卵粥は嫌いだったか? それじゃあ、仕方ないな……」

「へ? いやいやいや! いただきます! いただかせていただきますともっ!」

 ショボーンとあからさまに肩を落とすルトに、カケルは罪悪感に苛まれて、慌てて差し出されたスプーンを口に含んだ。

「ど、どうだ? 味の方は」

「あ、うん。普通に美味しいな……」

 ルトに緊張した面持ちで訊かれ、カケルはそう淡白に返した。とは言っても、決して不味かったワケではない。むしろその逆で、案外しっかり味が付いていて美味だった。事前に流動食と聞いて、てっきりもっと味の薄い物なのだろうと思っていたのだが。

「そ、そうか。美味しいか。それは良かった……」

 カケルの反応がそんなに嬉しかったのか、ルトはパアァァァと表情を輝かせて微笑んだ。姫様という心に決めた人がいながら、うっかりトキメキそうになるほどの魅力的な笑顔だった。本当に魔王なのかコイツは。

「いや〜良かったデスね〜、ルト様」

 と、それまでルトとカケルのやり取りを終始端から眺めているだけだったミランが、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながらこちらへと近付いてきた。

「勇者さんの為に今日まで必死に料理の勉強をして、こうして手作りを振る舞った甲斐があったというものデスね〜」

「え? これって魔王の手作りだったのか?」

「なっ!? ミランよ! 余計な事を言うでないっ!」

 ミランの言葉に、顔を紅潮させて声を荒げるルト。別に手料理を振る舞うぐらいで、そこまで過敏に反応する事でもないと思うのだが。

「誤解するでないぞ勇者よ! これはだな、その、アレだ……。アレなんだぁぁぁぁぁぁ!!」

「ちょ! 魔王!? アレってどれ!?」

 カケルの制止の声も虚しく、ルトは絶叫を上げながら足早に医務室から出て行ってしまった。

 ドタバタと廊下を駆ける音と共に、ルトの「にゃああああぁぁぁ〜ッ!」という羞恥に満ちた叫び声が、次第にフェイドアウトしつつも医務室にまで響き渡る。一体いつまで叫び続けるつもりなのだろうか、あの娘は。

「行っちゃったよ……。急にどうしたんだアイツは。何か用事でも思い出したのか?」

「確か『あ、レイ』とか言ってましたよネ。ヒャオ!」

「いや南斗水鳥拳は関係ねぇだろ。そして似てもいねぇよ」

 あと、どうでもいい事ではあるが、なぜこちらの世界のサブカルチャーを知っているのだ。

 ここしばらく、ここで過ごすようになってから分かった事だが、どうやらこの医者はボケ側に立つタイプのキャラらしい。同じボケキャラに立つ者として、負けられない戦いがそこにあった。対抗意識を燃やしてどうする。

「アイツが言っていたのは『アレ』だろ。何の事なのかまでは分からんが……」

 言いつつ、カケルはルトが置いていった卵粥(あれだけ動揺を露わにしながら、律儀にも棚の上に置いてくれていた)を手に取り、中身をスプーンで掬って口に運んだ。うん。やっぱりまいうー。

「冗談デスよ冗談。それはともかく──」

 そう前置きした後、ミランはルトが使っていた丸椅子へと歩み寄り、

「勇者さんってば、本当に果報者デスよね~」

 と言の葉を紡ぎながら腰を落ち着けた。

「んあ? 何の事だ?」

 スプーンを口に含みながら、間の抜けた口調でカケルは訊き返す。

「何って、そりゃあルト様の事デスよ。あれだけ露骨なまでに好かれちゃって、見ているだけで胸焼けがしてくるようデスよ。一棟全焼くらい」

「え、オレって魔王に好かれてたの?」

「………………」

 何故か、汚物を見るかのような目をされた。

「いや、え? 何その今すぐオレを消毒したがっているような、侮蔑に満ちた目は」

「むしろ今すぐ消滅させてやりたいくらいデス」

 そう言うミランの目は、本気と書いてマジだった。

 なにそれこわい。

「はぁぁ。初めてデスよ。ワタシをここまで呆れさせてくれたお馬鹿さんは……」

 これ見よがしに盛大な溜め息を吐いてみせるミラン。なぜそこまで言われなきゃならないのか。

「だからさ、何でオレさっきから侮辱されてんの? だいたい、魔王がオレの事が好きなんて、それこそ何かの冗談だろ?」

「冗談なんかじゃありませんヨ。勇者さんこそ、今まで自覚が無かったんデスか? 全く、これっぽっちも?」

「いや、微塵もってワケじゃないけどさ。何か知らないけど良くしてもらってるな〜、ぐらいは思ってたよ?」

 現に、こうして魔王城の中で療養させてもらっているワケなんだし。

 カケルはそこまで言って、持っていたスプーンを器に戻した。まだ中身が残っているのだが、今は雰囲気的にも会話に身を置いた方が良さそうだ。

「そこまで思っていて、なぜ素直に好意を受け取れないんデスか。あれだけ態度に示しているというのに」

「そうは言われても、面と向かって好きって言われたワケじゃないし。そもそも、アイツは魔王でオレは勇者だろ? 普通にありえんと思うだろうよ」

 魔王が敵である勇者に好意を抱くなど、天と地がひっくり返るくらい考えられない事だった。今でもルトが自分の事を好きだという話を聞いて半信半疑でいるくらいである。むしろ一信九疑とまで言っても良い。

「それにアイツ、ゴツい羽生えてるし。よく見たら牙も生えてるし。そういう人間ぽくない部分を間近で見てると、なんつーか、あんまりその気になれんと言うか……」

「でもルト様、すごく可愛いじゃないデスか。内面も含めて」

「うん。それは認める」

 素直に首肯するカケル。それだけは動きようのない事実だった。無論、姫様には劣るが。

「じゃあ実際にルト様から表立って好意を向けられとしても、そんなに悪い気はしないんじゃないデスか?」

「それは、まあ…………」

 何せ向こうは超の付く美少女だ。そんな彼女に言い寄られて、健全たる男子として悪い気など起こり得るハズもない。ないのだが──

「でもなあ。やっぱりなあ〜」

「むぅ。煮え切らない反応デスねー」

 腕を組みながら「う〜ん」と瞑目して唸るカケルに、ミランが嘆息混じりに呟く。

「仕方ないデスね。そんなヘタレな勇者さんに、一つその気にさせる良い事を教えてさし上げましょウ」

 言って、ミランは内緒話でもするかのように、カケルの耳元へと口を寄せて来た。

 ミランの仄かに生暖かい吐息がカケルの耳をくすぐる。そんな妙にエロチックな気分を味わいつつ、「な、なんだよ?」と動揺を悟られないよう、平静を装ってミランに訊ねた。

「あのデスね。ルト様は、実は──……」

 焦らすように少し間を置いた後、わざとワンテンポずらして、ミランはこう囁いた。



「パ○パン──なんデスよ」



 ピク。

 その言葉に、体がいち早く反応した。

「なん……だと……?」

「だから彼女、パ○パンなんデスよ。ルト様が幼少の頃からよく一緒にお風呂に入ったりするんデスが、そりゃもう昔から見事なまでにツルツルでしたから」

「ツルッツルン……だと……?」

 ドドドドドド。

 背後にそんな文字が浮かび上がってきそうなほど、カケルは顔を渋面にしてミランの言葉を反復した。

 パ○パン。パイ○ン! パイパ○!!!! ――なんて甘美な響きであろうか。思わず伏せ字の意味も無くすくらい興奮してしまった。

 いや、別段カケルは毛の有る無しに拘る人間ではないのだが、でもどちらかと言えば、無い方が望ましいかな〜、というタイプでもある。何せ、よく見えるし。

 恥毛など所詮ただの飾りだ。エロい人にはそれが分かるのである。

「それにああ見えて、ルト様は心を許した人にはすごく従順デスよ? それこそ、どんなプレイでも応じてくれるんじゃないデスかねー?」

 そう宣ったミランは、既にカケルの耳元から離れて、ニヤリと口端を吊り上げて優雅に脚を組んでいた。

「正常位は勿論、騎乗位、立位、座位、背位、バック、エトセトラエトセトラ……もしかすると、それ以上のプレイも受け入れてくれるかもデスよ?」

「そ、それ以上のプレイ……っ」

 ミランの発言に、ゴクリと生唾を呑むカケル。

 湧き上がる妄想に駆られて、下心にまみれたご都合主義的なシチュエーションが、カケルの脳裏に映像となって鮮明に浮かび上がる。

 真っ白な絹のシートが敷かれた広大なベッド──その上で、一糸纏わぬ姿になって激しく絡み合う一組の男女。そこにいるのは、汗だくになって互いを求め合う、カケルとルト。

 二人共に息を荒々しく吐きながら、時に体を休ませ、時に体をまさぐって愛し合う。

 そうしてルトは、上気した頬と潤んだ瞳できっとこう喘ぐのだ。



『あンあンあン! カケルぅ! もっと突いてッ! 子宮の奥まで深く突いてぇ〜ッ!!』




 そこまで妄想を繰り広げて──無いな。さすがにこれは無いなと思い直した。

 いくら何でもルトのキャラが崩壊しまくっている。これでは単なる盛りの付いたメス犬みたいになっているではないか。エッチな女の子は大好物ではあるけども。

 ふう、と嘆息した後、頭を軽く振って欲にまみれた妄想を取り払った。そのおかげもあって、先ほどまでの高揚感が収まっていくらか冷静になれた。ぶっちゃけて言うと、カケルさんチのムスコさんが元気にテントを張り始めてようとしていたのが、すぐに崩れるのも時間の問題だろうと放置する事にした。すまんな、ムスコよ。お前の出番は当分まだのようだ。

「おや。さっきまであんなに鼻息を荒くしていたのに、すっかり平常心を取り戻しつつありますネ。一発抜いた後の賢者モードみたいデス」

「生々しい表現すんな」

 即座にツッコむカケル。もっとも、それ以上に生々しい妄想をしていた自分が言えたセリフではないが。

「つーかお前、何でそんなに魔王の背中を推すような真似をすんのよ? 仮にも魔王の配下であるお前が、敵であるオレに自分のボスをくっつかせる真似をするなんておかしいだろ。常識的に考えて」

「仰る通りではあるんデスが、まあ、こちらにもこちらの事情があったりするんデスよ」

 あまり詮索しないでくれると、ワタシとしては助かるんデスが。

 そう言って、ミランが流れるような動作で白衣の胸ポケットから棒付きキャンディを取り出し、包みを破って舐め始めた。ちなみにその包みには、口に出すのも憚れる世界的人気な某ネズミとよく似たキャラクターが描かれていた。何と言うか、版権とか色々大丈夫なのだろうか。場所が場所なので問題ないとは思うが。

 そんなカケルの胸中をよそに、ミランはしばらくキャンディを口内で遊ばせた後、

「それはそれとして──」

 と不意に口を開いた。

「どうして勇者さんはそこまでルト様を敵視するんデス? 今までだって何度か見舞いに来ては甲斐甲斐しく身の回りのお世話をしたり、今日だって、ああして食事を用意してくれたりしたじゃないデスか。それなりに好感を持ってもいいくらいだとワタシは思うんデスけども?」

「そりゃまあ、オレだってちょっとは感謝ぐらいはしてるよ? いくらオレに致命傷を負わせた相手とは言えな」

 そう言って、苦々しい笑みを浮かべるカケル。数週間経った今でも、あの時の光景がトラウマとして未だ心の隅に残っていたりするのである。

「それにちょっと前にも言ったけど、オレは勇者でアイツは魔王なんだぞ。それ以上に敵対する理由なんてあるのか?」

「それは確かに聞きましたが、ワタシが聞きたいのはそんな観念的なモノではなく……」

 と、ミランは口に含んでいたキャンディを取り出し、その先をカケルへと差して続けた。

「アナタ個人にルト様に対する恨みが──私怨があるのかどうかを聞いているんデス」

「私怨……」

「いえ、この際私怨でなくてもいイ──ルト様と戦う理由が、倒そうとするだけの確固たる理由が、アナタにはちゃんとあるんデスか?」

「…………」

 その問いに、カケルは閉口した。

 正直に言うと、あるにはある。が、それは魔王を倒せば姫様と結婚できるからと言う、そんな単純な理由でしかなかった。

 それ以上に、理由なんてなかった。

「今までのルト様と勇者さんの戦績は、それとなく小耳に挟んでいたりしたんデスが……」

 カケルの沈黙をどう受け取ったかは定かではないが、ミランは答えを聞かずに先を紡ぐ。

「何度も果敢に、文字通りに諦め悪くルト様に勝負をふっかけたと言う話を聞いて、最初は勇者さんの事を底意地の悪い人なんだろうナとか思っていたんデスが、それと同時にこうも思ったんデスよねー」

 瞬間、ミランの眠たげな目が少しだけ鋭利に細まり、カケルを射抜くように見つめた。



「その諦めの悪い誰かさんは、本当にルト様を倒そうとしていたのかって」



 カケルは何も答えなかった。口を開かないまま、視線を横へと逸らした。

 その仕草は、肯定しているも同然だった。

「何となく、そうなんじゃないかとは思ってたんデスよね〜」

 当事者であるルト様本人は、まるで気付いちゃいませんでしたが。

 ミランはそう言って、突き出したままだったキャンディを再び口内に戻し、舌を動かして舐め始めた。

「で、勇者さん。確認の為に聞いておきますが、今でもルト様を倒そうと──ああ、この場合の倒すとは勿論殺すという意味ではありますが──そんな風に考えてたりしてますカ?」

「……いんや」

 つい先ほどまでの剣呑な雰囲気を潜め、いつもの気怠い感じに戻ったミランを見て、カケルは素直に首を振った。

「そんなの端からねぇよ。つーか、初めてアイツに会った時から、そんな気とっくに失せてたよ」

 観念したように両手を広げて見せて、カケルは苦笑しながらそう言った。

「最初からデスか?」

「そう。最初から。だってあんな美少女を傷付けるなんて、いくら何でもできるワケ無いじゃん。まして殺すだなんて、いくら相手が魔王とは言っても良心が痛むっての」

「勇者さんに良心などという大層なモノがあるかどうかは知りませんが、それならどうして幾度となくルト様に挑んだりしたんデスか?」

「適当に屈服させて、それで二度と悪さなんてしないように言質され取れれば、それで良いかなって思ってた」

 微妙に失礼な事を言うミランに敢えてツッコまず、カケルは至って真面目に答えた。

「どっちみち、屈服させるだけの余裕も時間もなく、あっさり負かされ続けたワケなんだけどな。反則過ぎるだろ、アイツの強さは」

「ルト様の強さは頂点を貫いて天をもぶち抜いてますからネ。それでも懲りずに何回も勝負を挑み続けたんデスから、勇者さんもよっぽどルト様に負けたのが悔しかったんデスね」

「うっ。ま、まぁな……」

 後半尻すぼみになって、あからさまに目を泳がせるカケル。勝ちたかったと言うか、姫様と早く合体したかっただけなのだが、まあ訂正はしないでおこう。

 下心満載でもいいじゃない。だって男の子だもの。かける。

「それじゃあ、勇者さんはどうするつもりだったんデス? 仮にルト様を屈服させたとしても、『魔王が美少女で倒す気が起きなかったので、二度と悪さをしないように説教しておきました』だけでは、ニンゲン側は納得しないどころか、烈火のごとく激怒するんじゃないデスか?」

「あー。そのへんはまあ、なるようになるかな〜、とか?」

「どんだけ無計画なんデスか」

 阿呆デスかあんたは、とジト目で言い捨てるミラン。恥ずかしながら全くその通りだと思う。

「どっちみち今回の一件で、魔王を倒そうなんて気、さっぱり失せちまったけどもな。あ〜、王様と姫様になんて言ってごまかそう……」

「この期に及んで正直に事情を話すのではなく、どうにかごまかそうとする姑息さが、勇者さんの器の小ささを如実に表してますネ。小さイ。さすが勇者さん小さいデス」

「ちっちゃくないよ! いくら何でも小鳥の涙ぐらいの大きさはあるの!?」

「いや訊かれても……」

 それにどっちみち、小さい事には変わりないデスよね、と言葉を重ねるミラン。せめてそこは「そんな事ないデスよー」ぐらいは言ってほしかった。ぐすん。

「あ。そうそウ。先ほどまでの会話で『魔王が二度と悪さしないように説教する』とか聞き捨てならない事を言っていた気がするので、一応訂正させていただきますが……」

 一人密かに涙を拭うカケルを構う事なく、ミランははたと何かに気付いたように人差し指を立てて、



「別にルト様、何も悪い事なんてしてませんヨ?」



 と言った。

「…………は?」

「デスから、ルト様は今までニンゲン達に危害を加えた事なんて無いんデスよ。もちろん正当防衛ぐらいだったらありますけど」

 さも当然の事を話しているだけと言わんばかりのミランに、カケルはポカンと口を開けたまま硬直した。

 魔王は何も悪くない? 何だそれは。まるで猫はニャンと鳴くのではなくワンと鳴くのだと、物事の根底を覆すような事を言っているも同然ではないか。そんな荒唐無稽な話、無論信じられるワケがない。

「何わけの分からん事を言ってんだよお前は。魔王ってあれだろ? 人間を一人残さず滅ぼそうとしてたり、世界を支配しようとしてたりするんだろ? 十分に悪い事してんじゃねぇか」

 そりゃお前達魔族にしてみれば、悪い事でもなんでもないんだろうけどさ。

 そう言って一歩も引かないカケルに、

「だから違うんデスってば」

 と呆れ顔になってミランは否定する。

「ルト様はヒトを滅ぼそうだなんてしてませんし、ワタシが知る限りでは、そんな事を企てた事だって一度だってありゃしませんヨ」

「……まじで?」

 嘘を吹き込んでいるようには見えないミランの真摯な様子に、カケルは少し自信を無くしてそう訊ねた。

「まじデス。勇者さんこそ、一体誰からそんなデマを聞いたんデスか?」

「え? 誰って、王様とか姫様とか……今まで出会ってきた人達はみんな口を揃えてそう言ってたぞ」

「ニンゲン達は揃いも揃って、そんな阿呆な認識でワタシ達を見ていたんデスか……」

 道理で勇者さんがルト様を敵視するわけデス、と歎息するミラン。

「どうやら、ここで一計企てる前に、まず勇者さんの間違った認識を改める必要があるみたいデスね……」

「へ? 何か言ったか?」

「いえ、何でもありませんヨ。気にしないでくださイ」

 と言われても、何やら意味深な事を呟いたような気がしてならないのだが。

 どうにも疑念が拭えず、訝しげな視線を送るカケルに、「ひとまず」とミランは無理やり話を逸らして言葉を紡いだ。

「勇者さんの知っているルト様──ひいては我々魔族側の情報を包み隠さず話してくださイ。どうにも互いの認識に齟齬があるみたいデスから──」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る