第7話 最古のカクテル

「最初のカクテルでございますか?」

「あぁ、マスターなら何と言うかと思ってな?」


 本日のお客様は、美優と並ぶ超常連客のシユウさん。国籍は中国だというが、何の仕事をしているのかも不明、ただマスターに並ぶくらいお酒の知識が豊富な年齢不詳の美人、いや麗人というべきかもしれない。本日はわざとらしいチャイナドレスに身を包み、既に何処かでお酒を飲んできたらしく上機嫌でマスターに面倒くさそうな質問を投げかけた。そんなシユウさんが今注文している物はライオン・スタウト。スリランカの黒ビールをやや冷やした物をちびちびと楽しんでいる。


「ふむ、そもそもカクテルの定義をどこにもってくるかにもよりますね。私達、バーテンダーが提供するカクテルは単品でも美味しいそれらをよりおいしく、楽しく飲んでいただくように洗練されています。それらの最初といえばいくつか考えつく物もありますが、元々。飲みにく物、質の悪い物をどうにか美味しくしようとした古代の人々の研鑽を考えるとやはり、古代エジプト、あるいはギリシャのビールに何かを加えて作られた物とお答えしますね。また美味しいカクテルといえばシユウさんの故郷である中国の唐時代には馬乳にワインを混ぜた物なんていうお酒も有名じゃないでしょうか?」

「明時代に紹興酒づくりに全振りした事で葡萄酒づくりがすたれちゃったって話だな。なのに最近中国はワインブームときた」

「中国ワインの評価は今は随分高いですね」


 紹興酒も美味しいんですけどねとマスターは思ったが、お客様の機嫌を損ねるわけにもいかないので微笑のままシユウの愚痴をきく。最初に店にやってきたシユウはことごとくマスターの知識試しをしてきた。お酒の神様を名乗るバーの名前がよほど気に入らなかったらしい。が、今やマスターの次くらいにこの店にいりびたる常連。


「あの泣き虫、今日は来てないのか?」

「美優さんは、本日配信だとかで昨日、思いっきり泣かれていました」

「へぇ、中身があーだとはリスナー連中は思いもしないだろうな」

「ふふ、ですね」


 超常連でもシユウと美優の大きな違いがあるとしたら、シユウは他のお客さんがいる時、いつもの端から三番目で一人キープしているボトルをちびちびと楽しむ節度ある飲み方をしているが、美優はマスターを独り占めしたがる困ったちゃん。本日はシユウしかいないので、いつもの席からマスターに話しかけて今にいたる。


「じゃあマスター、王道のカクテルってなんだい?」

「これまた難しい質問ですね。マルガリータ、マンハッタン、マティーニ他にも様々ありますが、やはり最初に出てくるこれら三種はカクテルを知らない人でも名前くらいは聞いた事があるんじゃないでしょうか? 特にマティーニなんてカクテルの王様だなんて言われていますからね。シユウさん、先ほどの最初のカクテルのお話に戻りますが、マティーニの原種、あるいは原型のカクテルならお出しする事ができますよ?」

「ジンイタリアンか?」

「えぇ、一般的にはジン&イットと言われていますね。こちらやウィスキーを使ったサゼラックあたりが一般的なカクテルのイメージとしては最古と言っていいんじゃないでしょうか?」

「ジン&イット作ってくれる?」

「かしこまりました」


 ふんふんとマスターが鼻歌を歌いながらジンを並べてあるリカーラックから1本のジンを用意する。普段、こんな姿のマスターを見る事は他の常連でもまずお目にかかれない。それだけシユウという超常連はマスターと並んだ酒マニアだという事だ。ドライマティーニというくらい辛口の物が多いマティーニに対して、


「製氷機がない時代のカクテルですからね。ジンは甘めの物、このオールド・トム・ジンが使われたと言いますね。マティーニ・エ・ロッシさんが考案したのがジン&イットというお話もありますし、歴史を感じるカクテルですね。源流はステアしないんですが、できればより美味しい物をと私は思っております。ジンと同量のスイート・ベルモットをステアさせていただきます」

「マスターのステアもシェイクも逸品だからね」

「恐縮です」


 トンと、ショートグラスに注がれた最古のカクテル、ジン&イットが用意され、「お待たせしました」と微笑のマスターに対してシユウも「いただきます」と一言、そしてグラスに口をつける。シユウは遠い目をする。日本人はどちらかというと冷えたお酒を飲む民族である。かたや、大陸から来たシユウは常温のお酒に慣れている。常温のカクテルのキレ味と風味をダイレクトに味わい、そして度数もこの上なく高い。


「ふぅ、美味い。がこれがマティーニの原型というのも頷けるね。主張が凄いな。私を見て、私を感じてってね。マティーニの私が癖になっただろう? という大人の女性になる前、さながら成長途中の少女のようだ」


 だなんて小洒落た事を言いながら飲むシユウにマスターもクスクスと笑う。時折彼女はこういったキザな言葉を使う。もう一口、熱い息を吐きながらさらにジン&イットを楽しもうかとしたところ、ガチャリと店内に来客。シユウはヤレヤレという顔を見せる。静かでそれでいてマスターと二人で会話する心躍る時間が終わったのだ。


「ますたー、ますたぁあー、ますたーぁ!」

「いらっしゃいませ美優さん、マスターです」


 シユウの横に座っていつも通り泣きわめく超常連、シユウとマスターは苦笑しているとそれを見て再び泣く。


「二人が私の知らないところで分かり合ってるぅ! のけものにされたー!」

「まぁ、美優さん、これでも飲んで落ち着いて」


 シユウに渡されたジン&イットに口をつけて美優が止まる。甘い、が中々にきついお酒。じんわりと回ってくる。美味しいが、これはちょっと自分にはきついと思って反応に困っていると、シユウが一言。


「どうやら最古のカクテルは大人の夜泣きにきくらしい」

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