第3話 魔王梅酒(白玉醸造、彩煌の梅酒)
不定期に開店する“Bar Bacchus“
ホームページがあるわけじゃない。シャッター街が多くなった商店街の一角で手書きの看板が出ている時、開店を意味する。たまに有名イラストレーターのイラストが看板に描かれている時なんかがある。
そんな時は常連客の中にそのイラストレーターがいるのだろう。
本日“Bar Bacchus“にやってきたのはこんな場末のバーには似つかわしくない輝かしい世界に住まう男性俳優、
一度俳優仲間に連れられてやってきた記憶を頼りにここに来た。
確かここにはボーイッシュハンサムショート、桃色の髪にカラコンなのか縦割れしたパープルアイ。そしていつもミステリアスな微笑で出迎えてくれるマスターがいる。
「いらっしゃいませ千羽様」
「覚えていてくれたんですか?」
「一度いらしたお客様の事は忘れませんので、確かあの時はお連れの方々とベルギーのビールを楽しまれておりましたね? 本日も同じ物にされますか?」
よく冷えた瓶をポンと取り出してくれるマスター。そのビールを見て千羽は「じゃ、じゃあそれを」と言った時、微笑のマスターはそのベルギービールの瓶を引っ込めた。店内にはスケッチブックを取り出してロンドンドライジン・タンカレーNo.10を楽しみながら何かやら絵を描いている常連の女性、リナ先生ただ一人。マスターと千羽の会話には興味がなさそうに時折、ショットグラスをひょいと口元に持っていく。
この店の常連客の一人なんだろうと千羽は思う。
「千羽様は、何かご相談があって当店に来られたのではないでしょうか?」
ふふふとマスターはミステリアスな表情から人懐っこい表情に変わる。人気俳優の仲間が食事に誘おうとする程度にはマスターは美しい。
そして不思議と相談事を話したくなるのだ。
「あの、俺。ビールとかそんなに好きじゃなくて、あの時もみんなとビール飲んでいる横でマスター達が果実酒飲んでるのを羨ましそうに見てたんです」
「おや、という事は千羽様は本日果実酒を?」
「……女子供の飲み物だなんて言われるのであんまり公言していないんですけど。俺、梅酒が好きで……でも市販の梅酒って不味くはないんですけど、コクが足りなくて……バーであるここに来るのはおかしいかもしれませんが、ここなら美味しい梅酒が飲めるかなって、今までクールなキャラで売ってきたんですけど、今度撮るドラマで三枚目を演じる事になって、その前に一度ここに来て……」
ふぅーむとマスターは少し考える。
それは千羽に出すお酒を考えていたというよりは、
「梅酒は女子供のお酒ですか……江戸時代頃、かつて梅酒とみりんはお子様のお飲み物だったそうですが、今となってはお子様の飲酒は法律で禁じられていますし、それは少し残念な考えですね。お酒に男性も女性もありません。梅酒の度数は5〜18%。物によってはビールどころかワインよりもきつい物があります。ただその甘さ故に飲みやすいお酒ですからね。どんなお酒が好きでも恥ずかしい事はないです。そんな千羽様には特別に私が漬けた梅酒をご馳走いたしましょう」
ドンと地球儀の形をしたドリンクサーバーを取り出すマスター。
琥珀色の液体からそれが梅酒なんだろう。
「リナ先生も飲まれますか?」
「えっ、自分もいんすかぁ〜」
と離れたところでジンを煽っていた二十代後半くらいの女性が寄ってくる。簡単にマスターは千羽にリナ先生と呼んだ常連客を紹介。
「こちらイラストレーターのリナ先生です。こちらは、リナ先生もご存知かもしれません。CMやドラマなどでご活躍の千羽様です」
どうも。
あ、どうも!
というぎこちない挨拶を二人は交わした後、マスターが漬けたという梅酒が振る舞われた。それを一口飲んで、すっと入ってくる梅の香り、そして甘みが広がり、ゆっくりと身体がポカポカ温まってくる。
「うめーっすね! この梅酒」
「美味しいです」
自信満々な表情でマスターはふふんと微笑み、次にドンと一升瓶を取り出した。それは商品としての梅酒。
その名前を千羽は呼んだ。
「梅酒……なんて読むんですか?」
「彩煌と書いて、さいこうです。彩煌の梅酒。別名を魔王梅酒と言います」
「魔王梅酒っすか?」
マスターはオンザロックで二人にその彩煌の梅酒を出す。二人はそれを口につけると、
「これもうめーっす」
「はい、これはマスターが漬けたのより少し軽いというか」
うんうんとマスターは頷く。
そして語る。
「魔王という焼酎はご存知かと思います。プレミア焼酎のこちらですね」
魔王の一升瓶もポンと取り出すマスター、それは誰かのボトルキープらしく名前のプレートがかけられてあった。流石にお酒を飲まない人でも名前くらいは聞いたことがあるプレミアム焼酎・魔王。
今回、マスターが出した彩煌の梅酒は魔王を作っている白玉酒造が作ったプレミアム梅酒なのだ。
「一時期は魔王よりも不安定な入手難度でしたが最近はそれらのブームも去ったので比較的簡単に手に入るようになりました。各種メーカー、酒造様が梅酒は作られており、どれも甲乙つけ難い美味しさです。そんな中でも私が千羽様にこちらをご提案したのは、非常に自家製の梅酒に近い味わいがありつつも独特の芳香が癖になります。梅酒も奥が深いですが、入門から上級者まで楽しめるのではと選ばせていただきました。ソーダ割りも美味しいですよ」
くるくるとステアして千羽の手元に梅酒のソーダ割りを置く、それを千羽は頂きますと一口。これも美味い。千羽はマスターのおすすめの梅酒を見て、
「マスター、この梅酒。キープとかできますか?」
「えぇ、それは構いませんが」
他にもお勧めできる梅酒がありますよ。
と言おうとした時、千羽は一万円札を二枚置き。
「まずはこの梅酒をじっくり楽しんでから次を紹介してもらいます」
「それはいいですね。私も次にご紹介するお酒を考えるのが今から楽しみです」
ご馳走様と店を出た千羽が今後、三枚目役の演技で大ヒット、梅酒が大好きであることをカミングアウトし、いくつか有名な梅酒のCMの仕事も行う事になり、それからしばらく彼が“Bar Bacchus“に立ち寄る事は無くなったが、千羽がプレートにサインをしたボトルキープの彩煌の梅酒は主人を待つ様に、リカーラックで一際輝いていた。
そんな千羽のファンだったこのお店のアルバイト、
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