第4話



 砂藤は太郎にひんやりした聴診器を当てながら僕にいつも言った。


「超能力者君、僕がこうやって適当に太郎を診察するだけで、君の保護者から一回につきいったい何万円もらえるか知ってるか? 全くボロい商売だよ。なぜみんな獣医になろうとしないのか理解に苦しむね。例えばそのへんで開業している歯科医なんかを見てみるといい。いくら虫歯を治療したって所詮三十分で数千円稼げばいいとこだ。その点、外科医とかになると話は違ってくるが、大学出てからも色々勉強しなくちゃならなくて効率悪い上に、万が一手術でも失敗したら裁判やら慰謝料で、とんだ痛手だ。その点獣医は手術を失敗しても、死ぬのは人じゃなくて所詮犬猫だからたかが知れてるわけだし、それでいて外科医より今の僕の方が時給いいんだぜ」


 太郎は聴診器がくすぐったいのか、鼻を鳴らしていやいやをした。獣医は慣れた手つきで太郎の顎の下を撫で、太郎をたちまち大人しくさせる。


「なぜ僕がこうして稼げるかわかるか? 僕の腕がいいから? 違う。実のところ、僕が稼げる最大の理由は、僕以外に獣医がいないからなんだ。今のご時世、誰も獣医になんてなりたがらない。みんな犬なんて嫌いだからね。装置を外して歩かなければ散歩もできない非効率な生物。次々捨てられて大量発生した挙句、寂れた地域に住み着き、狂犬病の温床となって各地で人間を脅かす存在……まあそれでも犬を飼い続ける君のような物好きは一定数いるわけだ。そのおかげで僕たちのような獣医が金を稼げる。早い話がそういう奴らの需要を僕が独り占めできるんだからね。まあ、この仕事をしていると世間の評判は悪いが、そいつらの十倍稼いでいるから別段なんとも思わない。それこそ僕に言わせれば負け犬の遠吠えって感じだよ」


 つまらない話だ。


 砂藤は厭らしい笑みを浮かべながら、聴診器を救急バッグにしまう。さらにその救急バッグを、担いできたリュックサックにしまう。肩紐に付いた留め具を順番に留めて、リュックサックを体に密着させた。


「ドイツ製。普通に買ったら三百万する」


 砂藤はそばに停めてあった自分の走行能力強化装置を指して言った。地面から生えたエミューの脚のようなそれを、どうやって三百万円以下の値段で手に入れたか、砂藤が聞いてほしいことは見え透いているので、僕はセグウェイの上で沈黙していた。


「君は世の中の何にも興味がないって顔だな」


砂藤は嫌味に冷笑する。


「僕が君の立場なら、何もせずにただ日々を過ごすってことはまずしないだろうね。要は身の振り方次第だ。僕の知り合いに、産総研に勤める脳科学者がいるが、いつも君の脳波を自分の好きに調べたいと嘆いてるよ。世の中に溢れている衝撃吸収用のポリマーを無差別に爆破するという君の物騒な能力も、見る人が見ればダイヤの原石だ。まあこんな郊外の一軒家に押し込まれて朽ち果てるのが望みならそれでもいいが、なんだったら僕が紹介して君をここから連れ出す手助けをしてやってもいいんだぜ」


「結構です」


 僕が言うと砂藤は嫌味に冷笑し、


「まずその頑なな態度を改めることからだな。君の能力は莫大な金になる可能性を秘めている。だからこそ世間も君を群馬の山奥からここまで引きずり出してきたんだ。もっと勉強して賢く生きないと、すぐに食い物にされる」


 ふと、ピンクの障壁で囲まれていた研究所の庭が懐かしくなった。あそこでは僕の到達できる世界の限界が決まっていて、それ以上物事を考える必要がなかった。


 砂藤は去った。

 庭には僕と太郎だけだ。


 僕は考える。

 今、ピンク色をしたポリマーは、僕の周りを囲んではいない。

 直下の道路の制限速度を秒速Xmとし、5/98 X²(m)の高さで街中のビルに張り付けられているからだった。


 それは装置をつけて走る人間を建物への衝突事故から守るため。

 僕を一つの世界に閉じ込めておくためのものではもはやない。


 たまによからぬ想像をする。

 僕がセグウェイから抜け出して一度この街を走ればピンク色のポリマーたちは一度に爆散し街は徹底的に壊滅する。




3

    

 その日の朝、ヘルパーさんが家に来た時、僕は無言のまま家の門を開けた。彼はわずかに門の前で立ち止まったが、その後は普段通りだった。

 ヘルパーさんは名を赤間真司といい、筋肉質で寡黙な、見た目二十代後半くらいの青年だった。年中肌に密着するサイズのTシャツを好んで着ている。

 

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