第10話

 ドアが開く。


 そこは一面グリーンの床に囲まれた広い空間だ。白い光と緑のコントラストが僕の目に染みる。


 中は車が二十台以上も止まりそうな巨大なガレージになっていた。


 グリーンの樹脂で覆われた床。車を載せるための木材や、ビニールシートを被せられたソーラーカーの車体。スチールラックで区画された壁。工具の入ったプラスチックケース。ホイールやタイヤ。バッテリー。電流電圧計。機械油の缶。クリーナー。ケガキ針。緩衝ウレタンマット。パソコン。ジャッキ。巨大な二柱リフト。


「そいつか。お前らに目つけられた哀れな新人は」


 感心して見回していると、ガレージの奥でパソコンに向かい合っていた男が、ソーラーカーの間を近づいてきた。


 男は電動車椅子に乗っている。


「哀れなもんか」阿弥田が答える。「明君、こいつは儀保翔、俺と同学年でここの部長だ」


「挨拶はいいが、その犬が近づいてきて俺の脚をペロペロされると思うと嫌だな。そういう次どういった行動をとるか予測できないようなものは、この部屋のどこか端に繋いでおいてくれ」


 阿弥田が微笑しながら太郎のリードを僕から受け取った。


「悪いね、明君。こういう言い方をする奴だけど悪気はないんだ」


 結局、太郎そのまま阿弥田に連れられて行った。


「君のことは阿弥田から聞いてる。まあひとまずそこに座れよ」


 儀保が背もたれのついたオフィスチェアを指さして言う。僕はそこに座りながら儀保の外見に目を走らせた。

 

 儀保の上半身は細いながらも筋肉質。反対に脚部は極度に細い。その細い脚部が、太ももと踝のあたりで、ゴム製のベルトによって括られていた。


 儀保は僕の視線に気づき、じろりとこちらを睨む。


「生まれつきの筋弛緩性対麻痺なんだ。排泄は自分でできるが、歩いたり走ったりすることはできない」


 思わず儀保の脚から目を逸らす。


「別に気にすることはない。みんなじろじろ見るからいつも俺から説明してるんだ。きっと君にも似たような経験があるんだろ?」


「じろじろ見られることはあります。自分から説明したことはまだ無いけど。研究所の人以外と喋ったのもこれで三回目くらいだから」


「そうか。だから勘が鈍いのかな」


 儀保はにやりと笑った。


 その瞬間、僕の視界に縄状のものが映った。


 その頃には、僕はもう、腰かけたオフィスチェアにぐるぐると縛り付けられ、完全に拘束されている。


 なぜ来ていきなり拘束されなくてはならないのだろう。


「いやー、驚かせて済まない。大人しくしてれば危害を加えるつもりはないから安心して」


 すると、僕の後ろから、僕を縛った男の片割れが出てきて僕に笑いかけてきた。身長一七十センチくらいの天然パーマの男だ。

 そのあとからぞろぞろと知らない僕の面子が出てきて互いに声を掛け合う。


「そんな言い方すると余計怪しく聞こえますよ、山辺先輩」

「そうか。じゃ、脱出しようとしても無駄だから大人しくしててね」

「悪化してるじゃないですか」

「あれ? そんなつもりはないんだけど」

「そんなこといってるうちに副部長戻ってきましたよ」


「いやー君たちよくやってくれた。完璧だったよ。ナイスナイス」


 と言ってやってきたのは上機嫌の副部長阿弥田だ。


「すまないすまない。だが、これも君のためを思ってのことなんだ。といっても信じてもらえないだろうから今から説明するが、端的に言えば、今から僕たちは君の脚についているセグウェイを外そうと思っている」


 僕は耳を疑った。


「ほらな。厄介な連中に目をつけられただろ」


車椅子の上で、儀保がどこか嬉しそうに苦笑していた。




「もちろんはじめは君を説得して同意を得てから、セグウェイを分離する作業に入ろうと思ったんだ。でも話し合ううちに気づいた。無理やりセグウェイを外された方が、君にとって都合がいいんじゃないかってことにね。察するに君は何らかの超能力者なんだろ? そしておそらくその能力は走ることをトリガーに発動する。そのために生まれたときからセグウェイに縛り付けられ、現在も研究所の監視下での生活を強いられている。だが、類稀なる競歩の才能を持つであろう人間に対してそういう仕打ちが行われていることは僕たちにとって許せないことだんだ。ということで、部員達での協議の上、僕たちは君のセグウェイを外すことに決めた……心配しなくても君の脳波の干渉を受けるような最新鋭の機器はこの部屋から排除してあるから安心してくれ」


 と言う阿弥田は僕の脳波の干渉範囲が数キロメートルに及ぶことを知らないらしい。


 


 その後、部員が退出し、部室には僕と阿弥田と儀保が残った。


「歩美は今どこにいるんですか?」


 僕は阿弥田に聞いた。

 

 彼女はここのところ研究室に用が多いのだという。阿弥田が言うには、彼女は卒業後、パーソナルジムの経営に携わることを目標としており、現在はウォーキングと癌発生の相関関係についての卒業論文を執筆中らしい。


「さあ、僕は太郎の相手をして来よう。ここにはシャンティもよく来るから一通りのおもちゃやドッグフードは用意してあるんだ」


 そう言うと阿弥田は楽しそうに太郎の下へ去っていく。結局、広いガレージには僕と儀保の二人が取り残されることになった。


「特殊なネジ頭が使われてる。専用のドライバーでないと回せない」


 儀保は忙しなく動き回り、彼の操る電動車椅子は樹脂で覆われた床を何度も往復していく。そのたびに僕の足元には電動ドライバーや、接着剤、数々の工具類が、無造作に放り出されていった。


 電動ドライバーを手に取って、先端に金属製のペンのような器具を装着する。その後、車椅子から身を乗り出し、セグウェイのネジ穴に器具の先をあわせた。


「おかしなやつだろ。あいつら」

「多分そうだと思います」

「世間では変人っていうんだよ。ああいうやつらのこと」


 そんな風に言う儀保の表情は妙に満足げだ。


 聞くと、儀保と副部長の阿弥田は中学からの仲だと言う。




「俺の中学は、当時付近の学校がいくつも合併されて新設された最新鋭のマンモス校だった。


 どれくらい最新鋭かというと、昼休みに、生徒へ走行能力強化装置の貸し出しが行われていたくらいだ。


 当時爆発的に普及し始めて、未曾有の人身事故を引き起こしていた走行能力強化装置だが、若年時からその操作に慣れさせることが事故の防止につながるというずれた主張があった。俺たちの中学はその試験的導入先に選ばれていた。


 いずれにせよ弛緩性対麻痺で生まれつき車椅子の俺には無縁の話だった。だが、あの頃はクラスの全員が、最も運動に縁がなさそうな連中さえ、周囲の無言の圧力に促されて、毎昼休み外に出て何らかの運動を行っていた。


 その間俺は、一人で教室にいるしかない。だから、いつも誰もいない教室で、自作したラジコンを改造して遊んでいた。配線やモーターが丸出しの無残なラジコンだったが、教室内で走らせたりしてたんだ。

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