第297話 過去

「お疲れー。楽勝だったね」

「初戦だからって、わざわざ私が投げる必要なかったんじゃない?」

「あはは、それ言えてるー」


私が根岸さんとそのチームメイトの会話を聞いたのは偶然だった。中学の3年間、公式戦で私の登板は一度もなかった。それはチームに良い投手がいたからなんだけど、それでも練習投球をしていたのに、マウンドに上がれなかったのは悔しいし、嫌な思い出だ。


「というかさ、見た?あのブルペンにいた子、100キロも出てなかったよ」

「見た見た。90キロぐらい?私なんて、6歳の頃にはあのぐらいの球速出てたよ」


私は球速が遅いことが、ずっとコンプレックスだった。だから色んな変化球を覚えようとしたけど、球速が遅いせいで変化すらしなかった。


「もし変化球があっても、あの球速だと底が知れるっていうか……何でピッチャーやってんの?って感じ」


打席に立つ彼女は、中学生の時とさほど顔つきが変わっていないように思える。彼女のインタビューやニュースは、よく私の耳に入った、同地区の天才野球少女。近所でも有名だったし、きっと彼女は、初戦で負かした相手校の2番手投手なんて覚えてないと思う。


……去年の夏は、私が根岸さんに打たれたせいで負けた試合と言っても過言じゃない。だから今年の春は、私が根岸さんを抑えたから勝った試合にしたい。


初球、詩野ちゃんはカットボールのサインをくれた。ナックルを完成させた後、この甲子園の期間中に試していた変化球だ。試合で要求してくれるってことは、合格点だったと考えても良いってことだよね。


そのカットボールを根岸さんのひざ元に投げると、フルスイングで捉える根岸さん。ちゃんと変化はしたのか、芯は外せたみたいで、打球はファールになる。


次の球は、去年の試合で唯一根岸さんに見せていない変化球のシンカーだ。その球も簡単にカットされたけど、これでツーストライク。ちゃんと、ナックルを使わずに追い込めた。


……私は根岸さんみたいに速い球を投げられないし、バッティングなんてダメダメだと思う。もちろん、努力はした。努力はしたけど、去年の夏から半年以上の時間を費やして、結局私に出来たのは、ナックルの回転数を半回転分減らしただけ。


どんなに変化球を磨いても、最速が125キロにも満たない投手の球なんて怖くないと思う。カノンなんて、この完成したナックルを一度見ただけで次の球からフェンス最上段まで飛ばしていた。凡人が、天才に勝つことなんて無理だと理解はしている。


でも、凡人が天才に勝つ夢ぐらいは見ても良いと思う。一度だけ、一度だけだけどあのカノンが私の球を空振ったんだ。だから私は自信を持って、詩野ちゃんのミットを目掛けて完成したナックルを投げる。


最速125キロにも満たない私のナックルの球速は、100キロ弱だ。あの芳田さんのナックルよりも、さらに遅いし変化量は少ない。連投なんて無理だしキレだって悪い。


でも、根岸さんのバットは空を切った。


三球三振。どうしても三球三振にしたいのって詩野ちゃんに言ったら自分勝手な我儘はダメだって注意してきたのに、詩野ちゃんは三球三振に出来るリードをしてくれた。この回が終わったら、ちゃんとお礼を言わないとね。


ナックルを解禁して、続くバッターも三振に打ち取ると、ツーアウトからヒット性の当たりが出るけど、カノンが処理してスリーアウト。まだ2回だけど、あの大阪桐正打線を相手に、私はパーフェクトピッチングをしている。




2回の攻防が終わって、調子が良さそうな優紀ちゃんに声をかけようとしたら鼻歌を歌っていた。普段から機嫌は良い優紀ちゃんだけど、鼻歌まで歌うってことは相当機嫌が良いね。まあこういう時、優紀ちゃんは決まって次の回で打たれているんだけど、その前に3回表は優紀ちゃんからの打順だね。


「今ならホームランを打てる気がする!」


強気な発言をしてベンチから打席に向かう優紀ちゃんだったけど、見事に三振してきた。なんでMAX137キロな上、変化球もコントロールも良い根岸さんの球をホームランに出来ると思ったんだろこの子。普段の打率、2割切ってる上に最近はカットボールの練習でほとんど打撃練習しなかったじゃん。


まあでも、根岸さんが優紀ちゃんに6球も使ったのはありがたいね。続く1番の高谷さんはショートゴロに倒れてツーアウトになるけど、ツーアウトからひじりんがセンター前ヒット、真凡ちゃんがサードの頭を超えるヒットを打ってツーアウトランナー1塁3塁に。


さて、ここで私の打席を迎えるわけだけど、2回の時とは違って今回はチャンスだし勝負してくれなさそう。敬遠かなぁと思っていると、キャッチャーがタイムを使ってマウンド上に内野陣が集まる。……微かにキャッチャーの声が聞こえたけど「根岸が勝負したいなら良いぞ」かな?


これはもしかしたら、2打席連続で勝負してくれるかもしれない。そう思ってバットを構えなおすと、タイムが終わったのか守備陣が定位置について……無事敬遠された。いやうん。ここで私を敬遠しないとか優勝放棄と一緒だよね。


ツーアウト満塁になって、5番の智賀ちゃんの打席。あれはもうゾーンに入ってそうだし、声はかけなくても良いかな。


高校から野球を始めた野球歴2年の智賀ちゃんが、野球歴15年、中学の頃からの有名人相手に雰囲気で圧倒している。初球、インハイにコントロールされた変化球を根岸さんは投げ込み、それを智賀ちゃんは捉える。


打球は、左中間に高く上がった。

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