第296話 選抜13日目

大阪桐正の選手と私達湘東学園の選手が、並んで礼をする。春の選抜甲子園、その決勝戦が始まる。昨年、どれほど渇望しても立てなかった舞台に立っていると思うと、感慨深い。いや、渇望していたのはそのずっと前からかな……。


先攻になった湘東学園は、1番の高谷さんから。向こうの先発は根岸さんで、初球のストレートは136キロ。湘東学園打線は速球派の投手との相性自体は悪くないんだけど、根岸さんはコントロールも良いからね。真弘ちゃんよりコントロールが良くないのは唯一の救いかな。真弘ちゃんよりは、ボール球も多いし甘い球も来る。真弘ちゃんが高校生レベルのコントロールじゃないのが大きいけど。


高谷さんは、不運さえなければ次期キャプテン確定だったレベルで努力家だし実力は高いし人望もある。ただし運はない。カウント1-1から3球目。ストレートを打ち返して強烈なピッチャー返しになったけど、マウンドにあるプレートに当たって跳ね返り、キャッチャーの元に飛んでしまう。


「……高谷さんは、逆ミラクルの宝庫だね」

「あれでも一塁にセーフになりそうなところが高谷の凄いところよね……」

「1年生の中では一番速くなったんだっけ。まあ1番に固定したくなるバッターだよ」


高谷さんと同室の真凡ちゃんと話していると、寝る前にも下半身の筋トレをしていることを聞く。……努力家だし練習量も凄いんだけど、高谷さんが打席に立つと逆風が吹くようだし、あそこまで行くと呪われているんじゃない?


根岸さんは反応しきれてなかったから、プレートに当たらなければセンター前へのヒットだったのに、まさかのキャッチャーゴロに倒れた高谷さん。続くひじりんは良い当たりだったけどセンターの中口さんが追い付いてフライアウトに。真凡ちゃんは、センターゴロに倒れる。


根岸さんの全力ストレートを弾き返して、二遊間を抜くような打球にはなったけど、セカンドベースのすぐ後ろに待機していた中口さんが捕球してファーストへ矢のような送球をしていた。結果はギリギリアウトで、湘東学園の1回表の攻撃は3人で終わってしまう。宝徳学園の時とは違って三振が無いから2打席目以降はヒットにもなるだろうけど、出来れば初回で先制しておきたかったな。


1回裏のマウンドには、優紀ちゃんが立つ。気合いが入りすぎているのか、優紀ちゃんでも決勝の舞台は緊張するのか、少し表情が硬かったけど、1人目をセカンドゴロに打ち取ると大分落ち着いた表情になった。


続くバッターを三振にしてツーアウトにしたところで、優紀ちゃんはネクストにいる根岸さんを見てまた表情を強張らせる。優紀ちゃんと根岸さんの間に、何があったかは知らないけど、あの優紀ちゃんが「性格悪い」と言うなら相当なことがあったんだと思う。


大阪桐正の3番は、一昨日に大暴れして打順が上がった中口さん。その中口さんを、ボールからストライクになる変化球と、ストライクからボールになる変化球を駆使してファーストフライに打ち取る。優紀ちゃんは完成したナックルを含めれば、何球種あるのって相手から疑問を抱かれそうなほどの変化球投手に成長した。投手としての実力は、タイプこそ違えど根岸さんともう変わらないと思うよ。というか根岸さんより上だと思う。


0対0のまま2回表、4番の私の打順を迎えるけど、向こうのキャッチャーは座ったまま。1打席目で、敬遠されないことを意外だと思ってしまった私は相当敬遠に慣れてしまった。


ノーアウトだし、ここで敬遠しても1点が入る確率は高い。それなら勝負してしまおうという魂胆だろうね。投手の実力が高ければ、カノンは抑えられる存在だという認識もしてそうだし、それは事実だ。


昨年のU-18で、アメリカ代表の初見のピッチャー陣を相手に10割を維持しようとした時、どうしようもなくなって最後はバントヒットにすら頼った。別に私は、野球の神様でも何でもない。ただ、打てる球は打てるだけのどこにでもいる野球少女だ。


初球、ギアを上げたのかボールからストライクになる122キロのスライダーをインコース低めいっぱいに決めてきて、それを打った私の打球は高く上がってレフトポール際のファールになる。……今のはスライダーというより、カットボールかな?たぶん新球種だろうし、データにはなかった球だと思う。


ひやっとしただろう根岸さんは、それでも私を見据えて次の球を投げ込もうとする。若干慌てている他の大阪桐正の面子を見るに、もしかして根岸さんは独断で私との勝負に踏み切ったのかな?それはそれでアレだけど……それだけ私に、勝ちたかったんだ。


2球目、恐らく外角低めに外れているストレートを捉えてバックスクリーンにまで飛ばす。球速表示は、今日最速の137キロ。夏には140キロが見える球速だし、彼女も天才の1人なんだろうけど……対戦しているバッターは天才というよりバグキャラだから仕方ない。


1点を失った根岸さんは、智賀ちゃんにもセンターオーバーのツーベースを許すと、光月ちゃんがセカンドゴロに倒れるもこれが進塁打となってワンナウトランナー3塁。2点目のチャンスに、水江さんが応えてセンターへの外野フライを打つけど……これは帰れないかな。


「智賀ちゃん!ストップ!」


ベンチから大声で、ストップの指示を出す。何だかんだ言って、智賀ちゃんの短距離走は遅い方なんだよね。高校3年生の平均レベルはあると思うけど、逆に言えば平均レベルしかない。中口さんの肩を考えると、走らない方が無難だね。まあ智賀ちゃんは身体が大きい分体重が重たいし、特に上半身に大きな脂肪の塊が2つ付いているから仕方ないけど。


ツーアウトランナー3塁になって、続く詩野ちゃんがキャッチャーフライに倒れる。結局、2回の得点は私のソロホームランだけという結果に。試合は1対0で2回裏を迎えて、バッターボックスには根岸さんが立つ。たぶんこの打席で、優紀ちゃんはナックルを解禁するのかな。優紀ちゃんの根岸さんに対する思い入れが強すぎて、詩野ちゃんは嫉妬してそうな雰囲気だね。というか実際マスクの下で嫉妬してそうだよ。詩野ちゃんはここまでにもナックルを、相当使いたかっただろうしね。

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