第295.5話 入寮の日
選抜甲子園決勝戦の日。奏音が気合を入れて試合の準備をしている頃、湘東学園に入学する新1年生達の中で、野球部の寮に入る者達はグラウンドに集まっていた。そこで隣り合うようにして座った番匠と園城寺は、お互いのことを睨み合っていた。
この2人の出会いは、入寮の日の朝。番匠が寮の部屋を確認している時だった。
「あー……308ってことは木場(こば)は3階か。大変そうだな」
「そういう姉貴は、104号室っすね。やったじゃないですか!エースの西野先輩と同じ部屋ですよ!」
「……西野なら分かるけど、宮守って誰だよ。しかも部屋にいないし」
「宮守先輩も1軍のピッチャーですよ!背番号12!姉貴のライバルっす」
104号室の部屋の前で、番匠は中学時代のクラスメイトである木場(こば) 咲音(さきね)と会話をする。番匠は奏音以外のベンチ入りメンバーをほとんど知らないのに対し、木場は全員が頭に入っていた。
「ちょっと。まさかあなた、新入生?随分と下賤な女ね」
「ああ?誰だてめえ?」
ぼさぼさの髪に、人相が悪く、低い声。中学時代のユニフォームは、無名も無名。そんな番匠を見て、園城寺は一目で相容れない存在だと理解し声に出す。園城寺の部屋番号は103号室であり、番匠の隣の部屋だった。
「宮守先輩の名前も知らなかったみたいだけど、まさかそのおつむでここに入れたの?もしかして推薦組?」
「推薦じゃねえよ。そしててめえは、この俺に向かって喧嘩を売ってるってことで良いな?」
番匠は手を組み、バキゴキと骨を鳴らす音を立てるが、その様子を見て木場が抱き着いて止める。また園城寺の方も、塩野谷が園城寺の肩を叩いて止めた。
「ダメっすよ!姉貴はスポーツマンになったんでしょ!?いきなり喧嘩はダメっす!」
「美姫、そこまでにしときなよ。あの人、悪い人ではないから。
あ、ごめん。私の名前は塩野谷夢未。番匠留佳さんだよね?もしかしたらバッテリーを組むかもだから、よろしく」
塩野谷に名前をフルネームで言われ、少し驚いた番匠は、木場の必死な抱き着きにより手を止める。しかし番匠と園城寺は、互いに視線を合わせた後、こいつとだけは仲良くできないことを早々に悟った。
この2人は後に、湘東学園のエースの座を争うこととなる。
グラウンドに集まった一年生達は、前にいる女性から今日のスケジュールを言い渡された。
「私は2軍監督の萩原沙絵です。年は今年で28歳なので、そこまでみなさんと変わらないですかね。
今日は軽くランニングをしてもらった後、昼食を食べながら選抜甲子園の決勝戦を見ましょう。その後、2軍と練習試合をしてもらいます」
2軍と練習試合と聞き、入寮初日から野球が出来るのかとざわめきだした1年生達は、次の萩原監督の言葉で一気に気を引き締めることになる。
「といってもここにいる49人全員を、2軍との試合に出すことは出来ませんので、ベンチ入り出来る人数は20人だけです。
ですから午前中のランニングで、成績上位20人にベンチ入りの資格を与えましょう」
グラウンドに集まった後、軽く自己紹介をしただけの1年生達49人は、萩原監督の言葉を理解しようとする。しかし完全に理解する前に、萩原監督自身が説明を付け加えた。
「この午前中、今から12時まで。より多く走った人上位20人にベンチ入りの資格を与えるということです。では皆さん、立ち上がって準備運動を始めてください。準備運動の時間は5分です。その後、スタートの合図をしますね」
萩原監督の言葉に、番匠は時計を見る。今の時刻は10時10分であり、スタートの時間は10時15分。要するに、これから最大で1時間45分、走るということだった。
「2軍との試合のベンチ入りの枠のために1時間半以上も走るわけ?」
「いきなり走れって、前時代的って噂は本当だったんだ」
ネガティブな言葉を小声で言う1年生がいることを確認した萩原監督は、さらに言葉を付け足す。
「あ、走るか走らないかは自由ですよ。2軍との練習試合に出たくない人は、むしろ走らない方が良いですね。集計する側も面倒なので、走りたくない人は昼ご飯の時間まで部屋に戻っても大丈夫です。流石に昼ご飯は歓迎の意味も込めて豪華なので、食べてほしいですが、これも無理強いはしません」
しかし大半が走ってベンチ入りを目指そうとしている雰囲気の中、離脱までする人はいなかった。そして番匠としては、願ってもない選出方法だったためにアピールのチャンスだと考える。
5分の準備時間の後、一斉に1年生達がスタートをする。マネージャー組が分かりやすいように全員ゼッケンをつけており、番匠は1番を希望したために青色の1番のゼッケンを付けていた。萩原監督のスタートの言葉とともに、49人がぞろぞろと走り始めるが、すぐに番匠が抜け出した。
「しゃあ!体力馬鹿なめんなよ」
「うるさいですわね。先頭を走らないでくれる?」
その番匠のすぐ隣に、園城寺が並ぶ。また抜け出した2人を追いかけ、身体能力の高い選手たちが前に出ようとする。中には、世代最強のショートと目されている北条もいた。
「先は長そうだし、先頭は飛ばしてほしくないな」
「あ?誰だお前?」
「ちょ、あなたマジですの?」
「美姫、スタミナないんだから喋らない」
先方集団と後方集団が出来上がり、1時間以上が経過すると先方集団は後方集団を2周遅れ以上の差にする。その頃には後方集団の何人かは脱落しており、先頭集団の何人かは後方集団に下がっていた。
「意外と粘るなお嬢様」
「ぜえ、はあ……うるさいですわよ」
結局、最後まで先頭に立って走り続けていた番匠と、その後ろを走り続けた園城寺は、周回数1位と2位でフィニッシュする。12時になった瞬間に萩原監督が声をかけ、その時点で上位20人が2軍との練習試合に出ることとなる。
このランニングで北条は3位、木場は8位。塩野谷は19位という成績だった。昼食の時間となり、食堂に移動した新入生達の前には大きなお弁当と蕎麦、天ぷらに刺身の山が用意された。
「……は?これ1人前なのか?」
「そうみたいっすね。……弁当だけでお腹一杯になりそうっす」
その量は大柄で大食らいだと自覚のある番匠ですら面食らう量であり、とてつもなく多かった。番匠は箸で刺身の山を崩し、中に刺身のつまではなくマグロが何重にも折り重なっていることを確認すると「おう……」という声が漏らす。
1年生達が食事を始めると、大型のスクリーンに映像が映った。今日の選抜甲子園の決勝戦、湘東学園対大阪桐正の試合だ。
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