第228.5話 超集中
ゾーンへの入り方について、糸留は中谷や牛山に話を続ける。糸留の話を聞く部員達は全員が真剣な目で、糸留を見つめた。
「超集中、ゾーンへの入り方は人それぞれだが、私的に1番の方法を教えておく。方法自体は、凄く簡単だ。……打席に立った時、何も考えるな。これが出来る奴は、結果が出るはずだ」
糸留自身が、集中する時のコツとして活用していることは何も考えないことだった。それを聞いて、ピンと来る人と、よく分からない人の二手に分かれる。
中谷は、ピンと来る派だった。そんな中谷は糸留に対して、質問をする。
「それって要するに、頭の中を空っぽにして打てってことですよね?」
「よく言われているのは、それだな。頭を空っぽにして打つことが出来るなら、自然とゾーンにも入りやすくなるはずだ。勘違いして欲しくないのはただ突っ立って、ボーッとしている訳じゃないということだな」
人間は、何も考えていないという状態に簡単には至れない。何も考えないようにすると、何も考えないようにしようと考えてしまうからだ。本当に何も考えていない状態に至った時というのは、凄く集中している時か、寝ている時の2つになる。
ゾーンに入るためには、何も考えてはいけない。そのため、イメージという武器と一緒に使うことは難しい。身体の動きをイメージをするには、脳を働かせる必要があり、そのことに集中もしないといけないからだ。
「それと、イメージ組と一緒に集中力を鍛える訓練というものはする。ゾーンもイメージも、どちらも重要なのは、集中力だからな。それと普段の食生活も、見直すように。集中力が増す食材というのは、確かに存在するぞ」
糸留は結局どちらも集中力を鍛える必要があると言い、休憩時間にも集中力を鍛えるための遊びを導入する。湘東学園の合宿は身体と同時に、頭の方も酷使する合宿となった。
「というわけで私も、豆移しをすることになりました」
「……一応なかやんは、どっちにするかは決めたの?」
「どっちが自分に合っているか分からないし、両方頑張るよ。どっちも、集中力が大事っぽいし」
練習の合間に中谷は、炒り豆を箸で容器から容器に移す高谷の隣に移動する。中谷も自身の分の炒り豆と器を用意して、作業に取り掛かった。
「……これ、意味あるんだよね?」
「指先を使う以上、集中力は鍛えられそうだよ。あとわりと、苦戦している人達がいるからそういうことは言わない」
ひょいひょいと、お椀からお椀に炒り豆を移す中谷は、これに意味があるのかと口に出す。すると御影が近づき、中谷に声をかけた。
「簡単やったら、左でせい。炒り豆からピーナッツにも変えておくで」
「難易度調整あるの!?え、左では無理ですよ?」
「やれ。高谷もや」
「私も!?」
まるで連帯責任かのように、中谷と一緒に左手で箸を動かし、ピーナッツを移動させることになった高谷だが、高谷も右でなら簡単に炒り豆を移動させていた。監督命令により、2人は左手を使って黙々とピーナッツを移動させる。
休憩時間の間に、あちこちで豆を貪りながら炒り豆やピーナッツを移動させている光景は異様だった。実際に行なうと理解出来るが、利き腕の逆で箸を持ち、丸い物体を別の容器に移すという作業を繰り返すのはかなりの集中力を必要とする。
そして彼女らは集中力を摩耗した状態で、練習にも取り掛かる。酷使した頭や身体のために、食事は青魚や大豆が中心となった。
厳しい練習が続く合宿で、著しい成長が見られる部員は多い。
「ショート!あと5球!」
「はい!」
湘東学園の1軍で、1番レギュラー争いが激しいのはショートになる。外野のスタメンは現在、レフト高谷、センター勝本、ライト中谷で決まりかけている。一方でショートは、元から守備が買われていた熊川や、何事も器用にこなす関口がレギュラーを争い続けていた。
そのショートのレギュラー争いに加わった水江は、特に成長が著しい。元々、苦しいことに快感を覚える彼女は、純粋にこの合宿を楽しんでいた。加重ベストには何度か規定以上の量の重りを加え、ノックは誰よりも強欲に強請る。
めきめきと水江は成長し、それに応えるかのように矢城のノックも厳しいものになって行く。また打撃面でも糸留にフォームの確認をして貰っており、少しだけ構えが2軍時代とは変わっている。
シート打撃でもよくヒットを打つ彼女を見て、御影と矢城は合宿の最後に行なう最初の試合で水江をスタメン起用することを決めた。また、2軍でも目を見開くような成長を見せる部員が多く居るため、2軍監督の萩原は次に誰を1軍に推薦するか頭を悩ませる。
合宿は10日目に最後の練習時間の追加が行なわれ、12日目まで練習をこなした。残る2日は他校を呼んでの練習試合であり、その最初の相手は今年の甲子園で湘東学園と同じくベスト16まで残った三島東高校だった。
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