第174話 直視
野球を始めたきっかけなんて、人それぞれだと思う。俺の場合、周囲が野球をやっているのを見て、楽しそうだと思ったから始めた。実際に楽しかったし、努力して勝利に結びついた時は最高に嬉しかった。
だけど高校生になってから、強豪校でひたすら練習を重ねたにも関わらず、レギュラーにはなれなかった。日本で1番努力したとは口が裂けても言えないけど、少なくとも部員達の中では練習した方だと思う。それでも最後までスタメンでは使われず、最後に貰えた打席でも打てなかった。
最後の夏が終わった後、10日ぐらいは学校に行けなかった。この10日の引き籠りが夏休み期間中じゃ無かったら、完全に不登校児になっていただろう。俺が練習に顔を出せたのは、俺達に勝ったチームが甲子園で負けそうだという報告を野球部の友達から聞いてからだった。
結局、俺は大学まで野球を続ける道を選べなかった。そんな俺が、私になって、また野球を始めた理由なんて1つしかない。
女子野球なら、活躍できると思ったから。近所のバッティングセンターに行き、130キロのストレートを全球真芯に当てるだけで、凄いと言われるからだ。
認めよう。どんなに言い繕うとしても、私の野球に対する起点は評価されたかったからになる。レベル50台の中途半端な戦士でも、レベルの上限が30の世界では勇者になれる。要するに私は、目立ちたかったのだ。
ギリギリの勝負というのが無くなって、野球がつまらなくなりそうだという危惧をする前に私は、自分と向き合うべきだったね。女子野球の世界なら、無双出来ると思って野球を始めたこと。それを私は、いつの間にか汚い感情として押し込めていたんだと思う。
最後に詩野ちゃんは、自身のことを雄弁に語っていた。今までの野球人生を続けて来たのは、自身に才能があったからだと言い切った。
「私は、私以上に努力して来た同級生や先輩達を相手に、才能で勝って来た人間だからね。先輩を押し退けてでも試合には出たいと思うし、可能ならカノンに成り代わってバンバンホームランを打ちたいよ。今のカノンはガールズで、3連覇を達成した立役者とは思えないぐらいにブレてるよ?才能で勝って活躍して目立ちたいと思うのは、そんなに駄目なことなの?」
1試合毎に注目を浴びた中学時代。その功績を捨てて、弱小校に来たかったのは目立ちたかったのに目立ちたく無かったからだ。私が1年生から試合に出られる言い訳を作って、伯母が野球部を強くしたいというのを盾にして……結局は私は、カノンなら弱小校を強豪校に出来るという評価が欲しかったと言うべきか。
一晩、色々と考えてみるとだけ言い残して、詩野ちゃんの部屋を出る。そのまますぐに自室である101号室に戻ると、聖ちゃんのベッドで寝ている光月ちゃんと、壁に聴診器を当てている聖ちゃんと久美ちゃんを目撃した。
……流石にこれは、予想外過ぎて一瞬頭がフリーズした。このストーカー1号と2号は、どこからどこまで私を監視しているんだろう?いくら美少女とはいえ、流石に気持ち悪くなって来たよ?これでもまだ歓迎しちゃう辺り、私の男の部分の闇は深い。彼女とかとは、無縁の存在だったしね。
「……ねえ、どこまで聞いていたの?どこから聞いていたの?」
「ヤバいです。このトーンは練習中にカノン先輩を侮辱して機具を破壊した後輩を怒った時と同じトーンです。マジのキレです」
「詩野さんが盗聴器の類を全部破壊したから、私まで巻き込まれたじゃないですか。というかこうなるから、多少聞こえ辛くても103号室から聞いた方が良いと言ったんです」
「質問に答えて」
おそらく、2人の反応的に全部を聞いていた雰囲気だと思うけど、一応確認も兼ねて問いただすと、全部聞いてましたと白状した。いや、この2人は本当に……盗聴器で聞かれていたら、こうして盗み聞きが判明することも無かったことを考えると、詩野ちゃんグッジョブとしか言えない。
「そもそも、詩野先輩には私からカノン先輩の様子がおかしいと相談していましたので、私も聞く権利があると思いました!」
「私も、カノンさんの全てを知りたいので盗み聞きしてました!」
「……はあ。2人は私と詩野ちゃんの会話を聞いてさ、どう思ったの?」
「野球の始めるきっかけなんて、何でも良いと思いますし、目立ちたいと思うのは自然なことだと思いますよ?カノンさんだって街の不良達に絡まれた時、野球が上手ければお金になるよと言って勧めてたじゃないですか」
「……その話、久美ちゃんに話したっけ?今さらもう驚かないけどさ!」
せっかくなので、この際久美ちゃんにも聖ちゃんにも色々と聞いてみる。あまりさらけ出すべきでは無い本音と、その本心について。そして2人の本性に関して、聖ちゃんはともかく、久美ちゃんはかなり特殊な例だったけど、語り合えて良かったと思う。
誰だって、野球ゲームで一度ぐらいは自身の名前を付けて最強の野球選手を作製するだろう。無双する、夢を抱くだろう。肯定してしまえば簡単な話ではあるし、肯定してしまおうと私は思った。
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