終章 祭りのあと 〜第一節〜
すでに母校では
本当なら、
「……
重信がむっつりと押し黙ったままりんごを剥いていると、ベッドの上の
「なぜそんなことをいう?」
「田宮さんのことを心配しているのかと思ったから……」
「心配しているという意味ならつねに心配している。ただ、きみのいうように
「……ごめんなさい」
肩からカーディガンをはおった霧華は、読みさしの本を閉じてうつむいた。脈絡のないその謝罪は、
それに、もし重信がそばについていたとしても、瞬間移動めいた“スキル”を持つ敵を相手に、美咲を守りきれたかどうかは疑わしかった。
「……結局、何があったのかは判らないままなのか?」
「ええ。――田宮さんはなんていっているの?」
「田宮くんも似たようなものだ。きみとふたりで
「わたしにもそれ以上のことは判らない。あの時に何が起こったのか――」
「風丘さんは、実に身勝手で楽観的な可能性を主張していたがな」
「葉月が?」
剥いたりんごを皿に乗せて霧華に差し出し、重信はうなずいた。
「絶体絶命の窮地に立たされた瞬間、きみのあらたな“スキル”が覚醒して、そのサングラスの男を影だけ残して消し飛ばしたんだろうと」
「……ありえないわ」
霧華は弱々しく笑って首を振った。
「だが、その状況でエローダーがきみにとどめを刺さない理由がほかに何かあるか? 誰かがその男からきみたちを助けたのは事実だ」
「ザキくんは、自分でも覚えのない“スキル”があとになってから発現するようなケースがあると思う?」
「……ないだろうな」
リターナーは、異世界に飛ばされた際、現地の住人の肉体を乗っ取るのと同時に、その住人が持つ“スキル”も手に入れる。霧華が“
ただ、だからこそ、自分が知らない“スキル”をいつの間にか修得していたというケースは――少なくとも重信は聞いたことがない。この世界で生まれた人間が“スキル”を身につける手段は、異世界に飛ばされる以外にないはずなのである。
「わたしにそんな新しい力が身についたなんて自覚はない……万が一とは思ったけど、田宮さんにもそんな力はなかった。彼女にそんな力が身についていれば、わたしにもそれが判るはずだから」
「……まあ、ここであれこれ考えても無意味だろう」
霧華は大事を取ってきょうは学校を休んだ。重信がこうして彼女の病室にいるのは、学校に行けないきょうの重信には、護衛役くらいしかすることがないからである。
一方、美咲は身体的にはもちろん、精神的にも特に弱った様子はなく、ゆうべは多少遅くはなったがふつうに帰宅し、きょうも当たり前のように登校していった。
「……田宮くんも、少し感覚が麻痺してしまっているのかもしれないな」
「え?」
「おれたちの感覚が、ふつうの人間とくらべて危険に対してやや麻痺しがちなのは仕方ない。毎日のようにエローダーたちを相手にしているんだからな。……ただ、そういうおれのすぐそばにいるせいで、田宮くんまで――いいことなのか悪いことなのか――精神的にかなり図太くなっている気がする」
「……彼女は、もともと気が強い子なの?」
「気が強いというより、気丈とか、芯が強いというタイプかな……基本的には控え目でおとなしいんだが、だからといって気弱でもない。かなりポジティブで――そうだな、昔は何かと後ろ向きなおれを引っ張ってくれていた。彼女がいなければ、おれは小中高とどこへ行ってもクラスで浮いていただろう」
別に重信も、美咲に恐怖に震えていてもらいたいわけではない。が、だからといって、あまり図太くなられても、今度は危険を危険と認識して回避する感覚が鈍る。重信たちのように身を守る“スキル”がない以上、ある程度の臆病さは維持していてもらいたかった。
「――それより、
「ええ。……わたしが捜しにいければいいんだけど」
しゃくりとりんごをかじり、霧華はうなずいた。
きのう一日だけで、重信も知らないメンツも含め、たくさんのリターナーが駆り出された。すみれは瀕死の重傷を負ったが、自力で治療できたおかげで一命は取り留め、
ただ、囮に使われたとおぼしい熊谷
「……その人、ご家族はいるのか?」
「いないわ。あなたと似たような境遇だから」
「おれと?」
「ご両親と妹さんを事故で同時に失って、本人もその時にリターナーになったの。そのせいでちょっと厭世的なところがあるのが気になってて……大学に復学しても、あまり友人づき合いとかはなかったみたいだから、その意味ではあまり騒ぐ人はいないのでしょうけど」
「それはそれでどうなんだろうな」
ふつうに考えれば、敵が霧華を釣り出すため、あるいはこちらの戦力を分断するために、捕らえた弥生を瀕死の状態のまま、囮として放水路のどこかに放置したのだろう。だとすれば、今はもう死んでいる可能性が高い。
「あしたの夜、つき合ってもらえる?」
「捜しにいくのか?」
「……ええ」
「もしきみにも反応が感じ取れなかったらどうする?」
「……それはそれで、わたしたちが見つけてあげないといけないと思う」
「そうか」
その時、重信のスマホが震えた。学園祭のほうは何の問題もないということを知らせる美咲からのメッセージだったが、重信はそれに対してすぐに返事をする気にはなれなかった。
☆
繁華街の喧騒から適度に離れた薄暗い路地裏で、シェルバイトはビールケースに腰を下ろしてタバコをふかしていた。知らず知らずのうちに眉間にしわを寄せてしまうのは、二の腕に残った傷の痛みのせいというより、一日にして三人もの仲間を失ったことへの怒り、そして焦りだった。
「…………」
無言のまま三本目のタバコを灰にしたところで、シェルバイトは顔を上げた。
「――シェルバイトさん?」
表通りから昼下がりの逆光を背負ってやってきた初老の男を見やり、シェルバイトは立ち上がった。
「やめてよ。店ではリリって名乗ってるんだから」
「源氏名ってことかな? どうも初めまして」
「あんたのことは何て呼べばいいの?」
「クロコリアスくんはふつうにマルギュータ呼びだったけど、私も店ではマスターって呼ばれてるよ」
「何よ? あんた喫茶店でもやってるの?」
「あまり客の来ないバーのマスターをやっていてね」
灰色の髭を撫でつけ、マスターは名刺を差し出した。バーの名前は「レッドライオン」、この男のここでの名前は
シェルバイトとマスターは、会うのはもちろん、言葉を交わしたのもきょうが初めてだった。ただ、クロコリアスを介してたがいの存在は以前から知っていた。何ごともなければ、今後も顔を合わせることはなかっただろう。
それがこうして対面することになったのは、肝心のクロコリアスが行方知れずになったからだった。
「――そっちには何か連絡は?」
「ないねえ。スマホもつながらないし。電源が入っていないだけなのか、もしかするとスマホそのものが壊れているのかもしれないけど」
マスターのその言葉に、シェルバイトは顔を上げた。
「……まさかあんた、あいつがやられたっていいたいわけ?」
「可能性の話だよ」
マスターは少し困ったような表情で肩をすくめた。自分がここまで苛ついているというのに、この男は焦った様子もなければさして深刻そうな顔もしていない。そのことが癪に障って、シェルバイトの眉間のしわがさらに深くなり、背中に垂らした赤毛が我知らずざわつき始めるのを抑えられなかった。
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