第六章 陽炎の立つ夜 〜第七節〜
☆
途中で足止めを食らって、予想していたより駆けつけるのが遅れてしまった。その放水路というトンネルにどこから入ればいいのか判りにくかったし、誰かにナビをしてもらおうにも、霧華たちからの返信がいっさいなくなってしまったのである。
照明の少ないトンネルの内部を山内とともに走っていた葉月は、前方に見えた小さな赤い光に気づいて足を止めた。
「!」
「どうしたの、葉月ちゃん?」
「あ、あれ――」
「ああ……大丈夫、石動先生だよ」
「え?」
「あれはたぶんタバコの火だよ。それに、いつも先生が吸っているタバコの臭いがするからね」
葉月はタバコの臭いが好きではないし、銘柄のこともよく知らないから気がつかなかったが、若い頃はヘビースモーカーだったという山内にはすぐに判ったのだろう。「先生!」
「……よう」
あらためて近寄ってみると、確かにそれは石動だった。激しい戦いを終えた直後なのか、いつも着ているくたびれたジャージはボロボロで、ところどころ高熱で溶けて肌に貼りついている。葉月がこれまで見たことがないほどの深手を負った石動がそこにいた。
しかし、葉月が本当に驚いたのは、想定外の石動の苦戦にではない。ぐったりとした石動が寄りかかっているもの――おそらく彼が死闘の末に倒したであろうドラゴンめいた怪物の骸を見たからである。
「な、何、これ……?」
「風丘は見たことないか? 山内さんはどうです?」
「いやぁ……羽根が生えてるのは私も初めてですねえ。私が見たことがあるのは、何ていうんですか、コモドオオトカゲ? あれをさらに倍くらいにした怪獣みたいなのに追い回された経験ならありますが――」
「そうですか。こいつはまあ、羽根はあっても飛べないらしいんですが、代わりに火を吐きやがるんで、ちょっと手間取りましたよ」
そういって苦笑する石動の手が細かく震えている。かなり出血量が多そうだった。
葉月はあたりを見回し、
「先生、お嬢たちは!?」
「奥に逃がした」
「無事なのね?」
「……判らん」
「は? 判んないって――」
石動はそこで激しく咳き込み、タバコを細い流れへと投げ込み、葉月たちにいった。
「……俺たちがここまで来た時、いきなり妙なエローダーが現れた。戸隠にもその接近が感知できなかったし、俺も殺気みたいなものをいっさい感じなかった。おそらく瞬間移動みたいな“スキル”を持ってるんだろう」
それを聞いた葉月と山内は、ほとんど同時に石動を間にはさんでトンネルの前後を見通せる位置を取った。
「このドラゴンちゃんも、そいつが呼び出したんだ。至近距離でこいつに炎を吐かれたら、俺はともかく、戸隠たちは高熱だけで火傷しかねない。だから奥へ逃がしたんだが……気づいたらその男もいなくてな」
「お嬢たちを追っていったってこと!?」
「俺としちゃあ、バリア張ってそいつもドラゴンちゃんも奥へ行かせないつもりで戦ってたんだが、もしホントにあいつが瞬間移動できるとすれば、無駄な努力だったかもな」
「そんな呑気な――」
「先生、動けますか?」
「“スキル”は使えますが、身軽に動くってのはちょっと――」
「じゃあ、私が背負っていきましょう。いざって時には私よりも戦力になるでしょうし」
「面目ないです」
「いやいや」
山内はかるがると石動を背負うと、葉月に目配せしてふたたび走り出した。
「――俺のスマホは途中でご臨終になっちまったからよく判らんが、ほかの連中はどうなってるんだ?」
「ザキは熊谷さんのスマホがある場所を確認してからこっちに向かうっていってたけど、それっきり連絡がないです。……罠だったのかも」
「ま、ザキくんならどうにかしてくれるでしょう。あとは、美和子さんと――それに藤尾くんだったかな? 仕事を切り上げて、榎田先生と合流してくれてます」
「そうですか……」
「…………」
今回のエローダーの構成は、タイミングや数、それに石動がここまで追い込まれるような敵が現れたことから考えても、これまでの散発的な行動とは明らかに違う。その目的はいまだに判然としないが、もしすべてが霧華を狙ってのことだというのなら、見事にしてやられたことになる。そう思うと、葉月は焦りの色を隠せなかった。
「……ザキがいってた通り、やっぱり組織としては脆弱すぎるんだよな」
老人に背負われていた石動がぼそりともらす。それを横目で睨みつけ、葉月はいった。
「……こんな時に不吉なこといわないでください」
「不吉ってか、現実的な話だろ。実際、戸隠と連絡がつかないだけで、俺たちはいちいち右往左往しなきゃならん。あいつは俺たちの司令官で、本当ならいつも安全圏に控えてなきゃならないのに、あいつしか持ってない“スキル”のおかげでこうして前に出るはめになる。そして、もしあいつに何かあれば俺たちの指揮系統はすぐに麻痺する」
「それは判りますけど……じゃあ、何かあった時には先生が代わりに指示を出してくれればいいんじゃないんですか?」
「無理だな。俺だって“機構”所属のリターナーを全員知ってるわけじゃない。そんなありさまで誰を動かすだの何だの指示できるわけがないだろ。――いつも屋敷に詰めてる山内さんだって、全員の顔は知らないでしょう?」
「そうですね……はっきりと確認したことはないですが、お嬢さまからすべてのリターナーを紹介されたという自信はないです。美和子さんもそうでしょう。実際、廃病院の一件で初めて存在を知ったお仲間もいましたし」
それは葉月にしてもそうだった。情報の漏洩をふせぐためという名目で、“機構”のリターナーたちの大半は、仲間のすべての情報を知りうることはできない――葉月の脳裏に、組織は自分たちをそこまで信じていないという重信の言葉がよみがえってきた。
そのことはもう吹っ切ったつもりだったし、だから重信にもあれこれと自分の考えを伝えた。だが、自分は何があっても霧華を信じてついていくと見栄を切ったはずなのに、もう彼女を守りきれない状況におちいっている。そのことが何よりも腹立たしい。
「――山内さん」
「ええ」
男たちのやり取りで葉月も気づいた。またあらたな血の臭いがする。最悪のケースを想像して、葉月は胸が苦しくなるのを感じた。
「すみれさん!?」
最初にスマホのライトに照らし出されたのはすみれだった。まるで最初からそんな色だったかのように、グレーだったはずのジャケットが真っ赤に染まっている。ただ、まだ息があるのは、彼女がぶつぶつと小声で何かいっていることからすぐに判った。
「すみれさん!? 大丈夫!?」
「……な、とか、ね――」
すみれは、即死をまぬがれて意識さえたもてれば、たいていの傷は自力で治せるといっていた。ただ、これだけ出血していると、その意識をたもつこと自体が困難かもしれない。
「お嬢は!?」
「わ、判らない……いきなり、後ろから誰かに――」
「すみれさんはまだ動かさないほうがいいな」
石動は山内の背中から下り、
「……戸隠たちが逃げるっていったって、この先に行く以外にないんだ。俺はここですみれさんについてるから、山内さん、風丘といっしょに行ってきてください」
「判ったよ。――行こう、葉月ちゃん」
「はい」
山内とふたりで先を急いだ葉月は、そこからさほど進むことなく、コンクリートの上に倒れ伏している少女たちを見つけた。
「お嬢!? 美咲ちゃん!?」
見たところ、ふたりとも外傷はない。ただ気を失っているだけのように見えた。
「お嬢! お嬢!」
「よく判らないけど、あまり動かさないほうがいいかもしれないよ」
「あ……」
霧華をかかえて揺さぶっていた葉月は、山内のおだやかな言葉に落ち着きを取り戻した。
「…………」
あらためて周囲を見回してみたが、敵の姿はない。ただ、少女たちが倒れていた場所から少し離れたところに、妙な染みのようなものが残っていた。
「葉月ちゃん、これって……」
「……何ですかね?」
コンクリートの上に炭か何かを擦りつけて描いたような――それはまるで、人間の影のようだった。
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