第六章 陽炎の立つ夜 〜第三節〜

「……鬱陶しいな」

 赤い刃を抜き放ち、足首に絡みついていたものを切断した重信は、それが赤い髪の毛だということに気づいた。

「ちょっと!」

 腹立たしげな表情で遅れて屋上に姿を見せたのは、いかにも気の強そうな赤毛の女だった。バイク乗りのようないでたちをしているが、その髪は異様に長い。女の足元まで流れ落ち、驚くべきことに、今も重信のほうに向かってうねうねと延び続けている。

「――あれこれ小細工して釣れたのはひとりだけ? 期待ハズレもいいとこじゃないの。……てか、あれ?」

 そこで赤毛の女はふと目を細め、

「あんた……ああ、あんたか」

「……どこかで会ったか? 覚えがないが」

 女のセリフは、まるで以前から重信のことを知っていたかのようなにも聞こえる。重信は金髪の女に気を配りつつ、赤毛の女を見据えた。

「あんた、そこそこ有名だよ。……この世界に戻ってきてからわたしらの仲間を殺しまくってるじゃない? これまでに何人殺したわけ?」

「いちいち覚えていないな」

 同じ質問をぶつけられていたら、おそらく葉月は動揺して大きな隙を見せていたかもしれない。しかし、重信がその手の罪悪感に心を揺らされていたのははるか過去のことである。実際、この数か月の間に斬り捨ててきたエローダーの数など覚えていない。よほど強烈な印象を残した敵でもなければ、きのう倒した相手の顔さえすぐに忘れるだろう。

「……待て」

 この女たちが自分の記憶に残るほどの強敵かどうか――まずはそれを見極めようとしていた重信は、ふと聞き流しかけた女の言葉に食いついた。

「最初のエローダーに会った時から気になっていたんだが、やはりおまえたちは、おれたちが異世界から戻ってきた人間だと知っているんだな?」

「はぁ? 自分たちで“帰還者”なんて名乗っときながら、いまさら何いってるわけ? 馬鹿でしょ?」

「呼び方なんてどうでもいい。いずれにしてもおまえたちは、おれたちリターナーがどうやって誕生するかも知ってるんだろう?」

「だったら何?」

 重信たちがエローダーについて知っている情報は非常に少ない。そのほとんどは、戦闘の最中に敵と交わす会話の内容から推測したものだった。理由は不明だが、エローダーの多くはリターナーに対して強い敵意を持っており、戦闘中の興奮状態がそうさせるのか、こちらが考えている以上に饒舌である場合が多い。

 そして重信は、この赤毛の女もそういうタイプだと判断した。とりあえず会話を続けていれば、何か新しい情報が引き出せる可能性はある。

「……おれたちは七〇億人いる。リターナーになれる人間が一〇〇万人にひとりしかいなかったとしても、世界全体で見れば七〇〇〇人だ。おれの周りだけでも一〇人二〇人のリターナーがいることを考えれば、実際には一〇〇万人にひとりなんて低確率じゃないだろう」

「だから? だから何がいいたいわけ、青少年?」

 前髪の乱れを整えながら、赤毛の女は傲然と鼻を鳴らした。

「何が目的でこの世界に来ているのか知らないが、さっさと手を引け。たぶん、数の勝負ではそっちに勝ち目はない」

「……勝つとか負けるとかの話じゃないから」

 赤毛の女は吐き捨てるようにいった。

「あんたたちが生き残るか、あんたたち以外が生き残るか、これってそういう話でしょ」

「……何?」

「リリさんしゃべりすぎ! 余計なこというなって釘刺されてんじゃないんですか!?」

 重信の死角に回り込んでいた女が、甲高いわめき声と殺気を同時に放った。

「!」

 弾丸のような熱線が闇を裂いて走る。重信は身を沈めてそれをかわし、赤毛の女に接敵しようとした。しかし、その正面に赤い壁がそそり立つ。リリと呼ばれた赤毛の女の波打つ髪が隆起し、重信の行く手に立ちはだかったのである。

 それを斬り払う間にも、横から回り込んできた髪が重信の足首にふたたび絡みつこうとする。重信は舌打ちして横に飛び、素早く頭を回転させた。

 単純に数的不利な状況を打開するため、いったん退いて葉月たちと合流することも考えないではなかったが、あちらの状況が判らない以上、重信の一存では決められない。それに、重信がひとりだからこそ相手も姿を見せたのであって、逆に女たちのほうが数が少ないという状況になれば、一転して行方をくらます可能性もある。

「少しでもエローダーの数を減らすのが当面の……っ!?」

 四方から迫る髪を斬り払った重信の右手首に、ひと房の赤毛が絡みついた。と同時に、刀を持つ手をすさまじい力で引っ張られ、大きく体勢が崩れる。

「リリさん、そのままで!」

 後ろから狙撃されると察した瞬間、重信は左手で光の刀を抜き放ち、右手に巻きついた髪を切断した。

「……!」

 芝生の上に身を転がしてすぐさま立ち上がった重信のシャツの脇腹に、赤い染みが広がっていた。肩越しにかえりみると、金髪女がまたこちらを指さしている。女の指先から発せられる熱線は、人間の身体をほとんど何の抵抗も受けずにつらぬく貫通力を持っているようだった。

「待ちなって!」

 金髪女の狙いをはずすために跳躍した重信の足首にリリの髪が絡みつき、慣性を無視するいきおいで飛んだ方向とは逆に引っ張られ、そのまま芝生に叩きつけられる。

「ぐ……っあ、足首が、抜けるだろ――」

 背中に走った痛みを無視し、足首を締め上げる髪を斬った重信は、軽く頭を振って立ち上がった。

 リリの赤毛は自在に動かすことが可能な触手のようなものだった。女の腕ほどの太さに束ねたひと房だけでも重信の身体を振り回すほどのパワーを発揮し、それぞれが一〇メートル近くも延びる上に、斬ってもすぐに再生してくる。この赤毛に迂闊に絡みつかれて動きを封じられれば、金髪女の熱線をかわすのはまず不可能だろう。

「…………」

“賦活”で脇腹の出血を抑え、重信はまた走った。

「……無限に延ばせるものかどうか、気にはなるな」

 熱い吐息をもらした重信は、不規則に右手の赤刀でリリの髪を斬り払い、そっと左拳を握り締めた。


          ☆


 誰もが思っていたであろう疑問を最初に言葉にして口に出したのは、意外にも石動だった。

「人目を避けて戦うには都合がいいといえばいいんだが、そのためにこんなとこまで来るか? ……疑うわけじゃないんだが、本当にこっちでいいのか、戸隠?」

「はい」

 石動のすぐ後ろを歩いていた霧華は、小さく、しかしはっきりとうなずいた。この空間では、霧華の細い声もやけに反響して大きく聞こえる。

「まあ、おまえさんの“天耳通てんにつう”が信用できないならもう何も信用できないけどな。――ただ、やっぱり先に田宮を家に送り届けてから戻ってくるべきだったかもって思っちまったよ」

「は、はい?」

 急に名前を呼ばれたと思ったのか、物珍しそうに周りを見回していた美咲が慌てて駆け寄ってきた。

「いや、先におまえを送ってくべきだったかなって」

「ここまで来ちゃったんだからもういいですよ。そもそも先に確認したほうがいいっていい出したのもわたしですし。……というか、いまさらってことでいうなら、ここ、勝手に入っちゃっていいんですか?」

「さあ、どうだろうな」

 すみれのクルマのグローブボックスから持ち出してきたマグライトを片手に、一行の先頭を歩く石動は悪びもせずに笑った。

 霧華たちが歩いているのは、ほんのわずかに傾斜のついた暗いトンネルの中だった。数十メートル置きに小さな水銀灯が湾曲した壁面に埋め込まれているだけで、かなり薄暗い。トンネルの中央には二メートルほどの幅で溝が切られ、ちょろちょろと水が流れている。

「ところでここって何なんです?」

 クルマを降りた霧華たちは、近くにあった川の岸辺へと移動し、橋の下にもぐり込むような形で口を開いていたのがこのトンネルに入った。歩道から続いているものではないから、地下道のたぐいではない。そもそも、入口のところには頑丈な格子扉が設置されていた。

「ここは放水路よ」

 一番後ろを歩いていたすみれが、スマホをポケットにしまって口を開いた。

「――雨量が増えて川の水位が上がると、氾濫を防ぐために余分な水がこっちに流れ込むようになってるの」

「え!? こ、このトンネルに? どばーって?」

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