第六章 陽炎の立つ夜 〜第二節〜
言葉は通じても対話はできない異世界からの侵蝕者に対して、今は戦う以外の選択肢がないのは判る。ただ、いかに日本有数の資産家だとはいえ、あくまで一般人にすぎない戸隠家の後継者が、なぜひそかに能力者を集めてその対処に動かなければならないのか、霧華には判らない。というより、釈然としない。
「それ、警察とか自衛隊の仕事じゃないんですか? 戸隠さんくらいのおうちなら、国会議員の知り合いとかたぶんいますよね? コネとかあるはずだし、そういうところにかけ合って――」
「本来ならお役所の仕事だってのは俺もそう思うけど、実際には警察じゃ対応できないだろ。物騒なたとえだが――俺は発砲許可の下りてる警官一〇〇人が相手だって余裕で全滅させられるぞ?」
「え?」
「それこそおまえの幼馴染みのザキくんだってご同様だ。逆にいうと、エローダーの中にそういうやつがいる可能性だって否定できない。警察で対処するのは無理だし、そもそもこんなことを公表できるわけがない」
ふつうの人間と見分けのつかない、超常的な能力を持つ殺人鬼がすぐそばにいるかもしれない――そんなことを政府が公式に発表したら、国民がパニックにおちいるのは目に見えている。下手をすれば魔女狩りが始まるだろう。
眉をひそめて押し黙った美咲に、石動は一転しておどけたようにいった。
「でもまあ、戸隠だってそのへんは考えていろいろ動いてるんだよ。おおやけには発表できないにしても、国のほうで動けないかとか、そういう……な? そうだろ?」
「……わたしは先生にそういう話をしたことがないはずなんですけど、どうしてご存じなんです? 純さんあたりから聞いたんですか?」
「あ? そうだったっけ? まだ俺が知ってちゃまずいことだったか?」
「えっ!? そ、それじゃわたしなんかもっと聞いちゃいけないことだったんじゃ――」
美咲が慌てて口もとを押さえると、霧華は小さく笑った。
「……具体的なことは何も伝わっていないし、別に気にしないでいい。ある意味、先生より田宮さんのほうが口は堅いと――」
霧華の微笑みが不意に凍りつく。
「ど、どうしたの、戸隠さん?」
「……近くに誰かいる。かなり弱いけど」
「いるって……その弥生さんて人が?」
「かもしれない。確証はないけど。とにかく、じっとしていてぜんぜん動いてない……」
「でもお嬢さま」
すみれは交通量の少ない横道へと入り、車を停めた。
「GPSの位置情報通りだと、弥生ちゃんがいるのはもっとずっと先のはずですけど……そもそもこのあたりに“機構”のリターナーはいないはずです」
「その子がスマホを落としたってことも考えられなくはないが……誰かしらいるのは間違いないんだな、戸隠?」
「はい」
「どうする? その子じゃなければ、その反応は未知のリターナーかエローダーってことになるが――」
「逆に、もし弥生ちゃんが負傷して動けないんだとしたら、かなり危険な状態かもしれません。……どうなさいます?」
石動とすみれの視線が霧華に向かう。美咲もまた、霧華の横顔を見つめたまま、彼女の回答を待った。
☆
「……本当にここなのか?」
すでにあたりの風景は住宅街に変わっている。週末の夜の喧騒からも縁遠く、さいわいにというべきか、人出もそう多くない。
重信はもう一度スマホを見やり、地図を確認した。
「……妙だな」
熊谷弥生のスマホのGPS信号はこのあたりから出ていることになっているが、霧華によれば、彼女が送ったメッセージにも一切の反応がないらしい。短文のメッセージすら返せない、音声通話すらできない状態となると、確かに最悪の状況を想定したほうがよさそうな気もしてくる。
「今夜はカレーか……焼肉のお宅もあるようだな」
もし弥生が出血でもしていれば、今の重信ならその血臭をすぐに嗅ぎつけることができる。しかし、週末の夜の団欒を想起させるさまざまな匂いを感じるだけで、今のところそうした物騒な臭いは感じられない。
「まあ、一滴の血も流さずに人を殺す方法なんていくらでもあるわけだが――」
もしそばに美咲が居たら眉間にしわを寄せてたしなめるであろう呟きをもらしていると、スマホが震えた。
『ザキ、今どこ?』
「どこと聞かれてもすぐには説明できない。おれも初めて足を運んだような住宅街だ」
『熊谷さんは?』
「見当たらない。そっちは大丈夫か?」
『山内さんといっしょにもうひとり倒して、回収しそこねた遺体の処理をしてたけど、それもすんだからわたしもそっちに行く』
「いや、こっちはいい」
このあたりで一番大きな真新しいマンションの前で足を止め、重信はいった。GPSの反応はこのマンションのどこかに弥生のスマホがあることをしめしている。しかし、敵を追ってきたにしろ、敵から逃げてきたにしろ、弥生がわざわざマンションに戦いの場を移すとは思えない。そもそも正面玄関がオートロックになっているマンションに、騒ぎも起こさずすんなり入れるはずもなかった。
「……どうも様子がおかしい」
『おかしいって? まさか罠とか?』
「そうだな。まだ敵の気配はないが……おびき出されたような気がしなくもない」
『どういうこと?』
「こっちの戦力を分散させるとか、そういう目的があるのかもしれない。万が一のことがあるとまずいから、ここはおれだけでいい。
『判った』
緊張気味の葉月の声が途切れると、重信はスマホをポケットに押し込み、マンションの裏手に回り込んでベランダの数を数えた。
「……ざっと見た感じ、一四階建てのよくある高層マンションか。さすがにもう就寝中というお宅はなさそうだが」
あたりに通行人が居ないことを確認した重信は、軽く助走をつけてカーテンが引かれている部屋のベランダへと飛んだ。手摺を蹴ってさらに上の階へと、ほんの数秒のうちに屋上へとたどり着く。
「…………」
芝生が植え込まれた広い屋上に、ぽつんとスマホが置かれていた。だが、持ち主であるはずの女子大生の姿はない。やはり弥生以外の何者かがスマホだけをここまで移動させたのだろう。
その時、重信はすぐ近くに明確な殺意を感じた。
「……エサに釣られたのがおれで本当によかったな」
重信は制服を脱いで弥生のスマホといっしょに屋上の片隅に置いた。一気に近づいてくる殺気はふたつ――もしここへ駆けつけたのが重信ではなく霧華たちだったら、石動は霧華と美咲、それにすみれを守りながら二対一のハンディキャップマッチを余儀なくされていただろう。
「さすがにそれはおれでもごめんだ」
ひとまず美咲がこの場にいなかったことにほっとしながら、重信は左の拳を握り締めた。
「!」
ふたつの殺気のうち、重信の後ろから近づいてきていた気配だけが動きが遅くなった――それを奇妙と思う間もなく、重信の視界に女が飛び込んできた。二〇代のなかばか後半くらい、高層マンションの住人にふさわしいのか不適格なのか、とにかく派手な、夜職を連想させるファッションの女が屋上まで飛び上がってきた。
正面から肉薄してくる女を見据え、重信は素早く“朔風赤光”を抜き放って斬りかかろうとした。
「――!?」
唐突に右足を引っ張られ、重信はバランスを崩した。見れば、足首に赤いものが絡みついている。そのせいで出足がワンテンポ遅れた。
「ぐ――!」
重信の肩口が熱くはじける。髪を綺麗に脱色した女の指先から、細く引き絞られた熱線が立て続けにほとばしった。
「そういう――くそ、何だこれは?」
目の前の女は、ありていにいえば判りやすい敵だった。まだほかにも攻撃手段を持っている可能性はあるが、基本的には相手との距離を取って戦うタイプ――地下駐車場で重信が相対した女と同じ手合いといえる。
だが、重信の足に絡みついていたものは――。
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