第五章 這い寄る夕闇 〜第二節〜
美咲は夏帆に頼んでいちごクレープを手配すると、教室を出て霧華に声をかけた。
「あのー……戸隠さん?」
「……何?」
「石動先生が呼んでるんだけど――」
「先生が?」
霧華は美咲の肩越しに教室の中を怪訝そうに覗き込んだ。
「でも、わたしは――」
「いいからいいから」
有無をいわせず、美咲は霧華を引っ張っていった。
「はい、ここ座って」
霧華を石動のテーブルまで案内し、美咲はその前にいちごクレープのお皿を置いた。
「オレのおごりだ、遠慮するな。オレも何個か食ったが素人が作ったもんとは思えんうまさだったぞ?」
「……何個も食べたんですか、先生?」
「無論だ」
「何が無論なのか判んないんですけど……」
のぶくんがいなくなったのと入れ替わるようにやってきた石動は、売上に貢献してくれるという意味では助かるけど、美咲たちが用意したフードメニューを端から端まですべて制覇して、それでもまだけろっとしている。リターナーになってからの重信が以前よりはるかに健啖家になったのを美咲も知っているから、石動の食べる量の多さには特に驚かないけど、さすがにこれだけ甘いものばかり食べているのを目の当たりにすると、見ているだけでこっちまで胸焼けしそうだった。
「戸隠さんは何飲む?」
「……あるなら紅茶を。ストレートで」
「アイスしかないけどいいよね? ――先生につけといていいんですよね?」
「おう、じゃんじゃんつけとけ」
景気のいいことをいう古典教師の笑顔に肩をすくめ、美咲は暗幕をめくって調理スペースに入った。
「夏帆ちゃん、アイスティーまだあるよね?」
「あるけど――え? 石動先生まだいるわけ? さっきのクレープもそうなんでしょ?」
「あれは戸隠さんのぶん。何だかクレープごちそうしながら面談始めた」
「冗談でしょ?」
ひょいと暗幕の向こうに顔を出した夏帆は、くだんのふたりをしばらく観察したあと、
「……まあいいけどね。先生のおかげで、初日は完売しそうないきおいだからさ。今夜あたり家で倒れて風評被害にさえならなきゃ」
「タバコ吸えないから甘いものでしのいでるんじゃない?」
氷を入れたグラスに無糖の紅茶をそそいでいた美咲は、ふと、石動がここにいる理由が判ったような気がした。
「――先生」
霧華のもとにアイスティーを運んだ美咲は、ふたりにだけ聞こえるような小さな声で尋ねた。
「もしかして今、戸隠さんの護衛とかしてます?」
「もしかしなくてもそうだぞ」
コーヒーをすすりながら、石動はしれっとうなずいた。
「ついでにいうならおまえの護衛も兼ねてる」
「えっ?」
美咲は空のトレイを胸にかかえ、慌ててあたりを見回した。
「ど、どういうことです、それ!?」
「……先生、田宮さんを脅かすようなことはいわないでください」
クレープを物珍しそうに食べながら霧華がいう。護衛がつくということは、すぐ近くにまで危険が迫っているのかと思ったんだけど、霧華のこの落ち着きぶりを見ると、そこまで深刻な事態ではないのかもしれない。
石動はごりごりと顎を撫で、悪びれずに笑った。
「ザキとの約束もあるからな。田宮にもある程度は事情を教えとかないとフェアじゃないだろ? ――まあ、そこまで差し迫った状況じゃないってのも事実だが」
「つまり……どういうことです? のぶくんと葉月ちゃんがいなくなったのって、要するにそういうことですよね?」
あの時は何も聞かなかったけど、重信が葉月といっしょにどこかに出かけたということは、たぶん、近くにエローダーが現れたんだろう。美咲のその予想に、石動は小さくうなずいた。
「万が一のことを考えて、あいつらには外を見回ってもらってる。生徒にはたらかせて教師の俺がスイーツ食ってるってのも申し訳ないんだが、そこは適材適所ってやつでな。その間、戸隠とおまえをここで護衛するのがおれの役目ってわけだ」
「じゃあ、そこまで慌てる必要は――」
「ないわね」
「もしそうなったらおまえらを連れて逃げるから安心しろ」
霧華と石動の言葉に、美咲はほっと安堵の吐息をもらした。
「――――」
クレープを半分ほど片づけたところで、霧華が顔を上げて廊下のほうを見やった。
「お待たせしました、お嬢さま」
軽く息を切らせてやってきたのは、ぴしっとしたスーツを着こなし、長い髪をふんわりと巻いた三十路手前くらいの美女だった。それこそ石動よりよほど教師らしい雰囲気があるけど、何となくどこかで見た覚えがあるような気がする。
「よう、すみれさん」
石動は気安げに美女に声をかけた。どうやらふたりは知り合いらしい。それにさっき、この女性は霧華に向かってお嬢さまと呼びかけていた。ということは、彼女もまた“機構”の関係者なのかもしれない。
呼吸を整えながら歩み寄ってきたすみれは、美咲を見てにっこりと笑った。
「お久しぶり、田宮さん」
「……どこかでお会いしたことありましたっけ?」
「以前、あなたがザキくんといっしょに帰ってきた時に、ご自宅の前で一度会ってるけど。ゴールデンウィークが終わったばかりの頃」
「あ……! 保険会社だか法律事務所だかの?」
「そういうことになってるわね。――滝川すみれよ」
「滝川さん……? もしかして、あなたも……?」
「ええ」
「まずは駆けつけ三杯……っていいたいとこだが、先に難しい話をすませちまおう」
石動は椅子を引いて立ち上がり、美咲にいった。
「――五分ほどすみれさんと楽しいおしゃべりをしてくるから、田宮、俺たちが戻ってくるまで戸隠の相手をしててくれ」
「はい? わたしが?」
美咲がきょとんとして聞き返すと、石動は苦笑交じりに耳打ちした。
「……おまえが仕事に戻っちまったら、戸隠がひとりぽつんとここでクレープ食ってる地獄みたいな絵面になるだろうが」
「あー……」
石動のいわんとするところは美咲にも判った。霧華はいろいろな意味で周囲から浮いているし、実際、今だって彼女を遠巻きに見ている生徒は周囲にたくさんいるけれど、彼らは決して彼女との距離を詰めようとはしない。それは霧華自身が望んでいるであろう孤高であって、たぶん彼女はひとりでいることを何とも思っていないんだろう。けど、逆にそれだと周りの空気がおかしくなるような気がする。少なくとも美咲は、霧華が選択ぼっちでいるのを見ているといたたまれない気持ちになると思う。
「判りました」
美咲はエプロンをはずし、教室を出ていく石動とすみれを見送った。
考えてみれば、石動は以前にも、入院した霧華たちを見舞ってやってくれと、重信と美咲に頼んできたことがある。もしかすると石動は、特殊すぎる生い立ちと環境の中にいる霧華に、少しでも当たり前の学生生活を経験させてやりたいと考えているのかもしれない。
「――すごい秘密だったらナイショにしてくれてもいいんだけど」
美咲は椅子を引き寄せ、霧華のすぐ隣に座った。
「あのすみれさんて人も、のぶくんや葉月ちゃんみたいに、その――」
「ザキくんは、すみれさんのことを僧侶役っていってる」
「僧侶?」
「わたしにはよく判らないけど、ゲームでたとえてるみたい。要するに傷を治す専門」
「あー……僧侶ってそっち? てっきりお寺の跡取りなのかと思っちゃった」
「見た通り、戦うなんてできないやさしい人よ」
「ふぅん……でも、それでいうなら戸隠さんも同じじゃない?」
「わたしは――」
空になった紙皿にフォークを置き、霧華は少しためらいのようなものを見せた、気がした。
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