第五章 這い寄る夕闇 〜第一節〜




 エローダーの動きが妙だという霧華きりかからの知らせで、山内やまうち弥生やよいをピックアップしに、すみれも美和子みわことともに水無瀬みなせ学園へと向かった。それから一時間以上が経過し、何人かのエローダーを倒したという報告が入ってくるにいたって、戸隠とがくし邸で待機していたじゅんのもとにも現場に出てほしいという霧華からの指示が届いた。

「わたしたちも出動ですよー、ギタンゴ〜」

「……準備はできてます」

 寡黙な大男は、警備会社の職員を思わせる濃紺のつなぎを着込み、バンのキーを持って歩き出した。実際、柳田やなぎた文吾ぶんごは戸隠グループ系列の警備会社の所属ということになっている。リターナーでこそないが、柔道と剣道の段持ちで、若い頃から戸隠家に世話になってきたという意味では純と同種の人間といえるのかもしれない。

「……学園に近すぎず、遠すぎず、狙ったようにばらけてますねー、みんな」

 純はタブレットの画面を見ながら、ポケットに入れた右手で芯のないシャーペンを規則正しくノックし続けている。表示されている地図の上には、“機構”のリターナーがエローダーと戦っている地点が表示されていた。

「学園からザキくんたちをおびき出すのが狙いでしょうか?」

「だとすると、敵は学園にザキくんたち――というか、リターナーが何人もいることを把握してるってことになりますねー」

「……まあ、梅雨の頃にすでに一度踏み込まれていますから」

「ですよねー。もうとっくにバレてましたよねー」

 純と柳田はふたり並んでガレージに向かい、黒塗りのバンに乗り込んだ。このバンも、警備会社所有のものとして登録されている。

 当たり前のように助手席に乗り込もうとする純に、柳田が静かにいった。

「……すいません、榎田えのきださんは後ろでお願いします」

「え?」

「警備会社のクルマの助手席に白衣の女性が乗ってるのはおかしくないですか?」

「…………」

 いわれてみれば、確かにそれは奇妙かもしれない。深夜の出動ならともかく、今はまだ夕刻で、不必要に人目を惹くことは避けるべきだった。

「……次からはわたしもギタンゴと同じ制服を用意してもらいますねー」

「無理です。無茶いわないでください。あと、ギタンゴ呼びも勘弁してください」

 にべもなくいい放ち、柳田が運転席に乗り込む。一方の純はぶつくさいいながら、運転席とは壁で仕切られた後部座席に陣取った。さらに後部のカーゴスペースには中身のない遺体袋がいくつか用意されている。純としては、せっかく現場に出向くのなら、ここに積み込めるだけのエローダーの死体を積んで持ち帰りたかった。

「……それにしても、こんなことなら、最初からすみすみたちといっしょに文化祭に行ってればよかったですねー」

 リターナーとなった霧華や葉月はづきたちとは違った意味で、純にはふつうの学生生活はなかった。そもそも高校にすら通わず、中学を卒業すると同時に海外の大学に入学したせいで、文化祭というものを経験していないのである。

 だが、だからといって純は、いまさら自分になかった高校生活をここで取り戻したいと考えているわけではない。今あの学園には、リターナーかエローダーか霧華にも判別のつかない能力者がいるという。純はただ、その能力者を自分の目で見てみたいのだった。

 静かに走り出したバンの中で、純はチョコボールを食べながら、自作のスマートグラスをいじり始めた。市販の商品よりもはるかに高い耐久性を追求し、スムーズな情報共有はもちろん、より多くの戦闘データを可能にするものとして、いずれは葉月や重信しげのぶたちにはこれを装着したまま戦ってもらいたいと考えている。

「……平時には目立たず、かといって戦いの時に邪魔にならず、しかもちょっとやそっとの衝撃でも壊れない眼鏡って、意外に――」

 度の入っていないスマートグラスをかけ、自分のスマホと接続しようとした純は、その時、画面に見覚えのある番号が表示されていることに気づいた。

「…………」

 純は運転席のほうを一瞥すると、シートをまたいでカーゴルームへと移動し、小声で電話に出た。

「……あなたですか。今ちょっと立て込んでるんですよね―」

『お忙しいところを申し訳ございません』

 スピーカーから聞こえてきた女の声は、その言葉とは裏腹にどこか事態を面白がっているようにも聞こえる。

『――それで、先日のお話、考えていただけました?』

「んー……でもあなた、日本で何番目のお金持ちなんですかー?」

『はい?』

 急に投げ込まれた純からの問いの意味を、女はすぐには理解できなかったらしい。純はスマートグラスを操作しながら会話を続けた。

「わたしのパトロンが誰なのか、あなたもご存じなんですよねー? たぶん日本でも有数のお金持ちなんですよー」

『それは存じておりますけど』

「よりよい待遇が約束されないのに移籍するプロ野球選手とかいますー? まあ、わたしはスポーツとかまったく興味ないですけど、でもそういうことですよねー?」

『そのあたりについては、一度お会いして詳しいお話をさせていただければと……』

「っていわれてもー」

『複数の出資者をつのり、今以上の資金を確保することは可能だと思います。……榎田先生が本当にやりたい研究のお手伝いも、いずれは可能になるのではないかと』

「…………」

 純はやや間を置き、液晶のバックライトだけの薄闇の中、静かに頷いた。

「……まあ、それが嘘じゃないなら、わたしだって心が動くかもしれないですけど」

『今すぐにご決断くださいとは申しません。ですが……榎田先生には、海外の大学や研究機関との個人的なつながりもございますでしょう?』

「まー、友人というほどではないですけどねー、それなりに知り合いはいますねー」

『わたしどもがもっとも恐れているのは、榎田先生の頭脳がご自身の研究成果とともに国外に流出してしまうことです。先生もお感じになられていることとは存じますが、何しろこの国では、先生の研究を掣肘するものが多いので……』

「そうですねー。一度どこかでお酒でも飲みますー?」

『ぜひ、お時間を取っていただけるのならどこへでもまいりますので』

「じゃあ、今度はわたしから連絡しますねー。これから現場にいかなきゃいけないんで」

『ありがとうございました。それでは失礼いたします』

 慇懃な女との通話を終えた純は、小箱の中のチョコボールを一気に口の中へ流し込み、ぼりぼりと咀嚼した。


          ☆


 少し前、いてもさほど役に立たないという理由で、クラスメイトの京川きょうかわがプラカードを持たされ、クラスから放逐された。夏帆かほいわく、騒がしいあいつにはお似合いの仕事っしょ、だそうである。

 美咲みさきもそれには同意見だった。来場者を呼び込むなら、よくも悪くも目立たなければいけない。

 そういう観点でいうと、戸隠霧華は完全に不合格だと思う。

「…………」

 隣のクラスのチュロス屋をPRするプラカードを持った霧華は、しかし声を出して呼び込みをするでもなく、それどころか廊下を練り歩くわけでもなく、じっと人混みの一角を見つめ続けている。

 作業の合間にそんな少女の姿を見ていた美咲に、なぜかずっと居座り続けている石動いするぎが声をかけてきた。

「なあ、田宮たみや

「はい?」

「何でもいいからクレープひとつと、あと、戸隠を呼んできてもらえるか?」

「戸隠さん? でも一組の仕事中なんじゃ――」

「教師に呼ばれたっていえば誰も文句はいわんだろ。……そもそもあいつ、ちゃんとはたらこうって意志がないだろ、あれは」

「……あとで文句いわれてもわたし知りませんからね?」

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