第四章 弱虫の命懸け 〜第七節〜
「……現場での判断はこっちに任せてもらっていいのか?」
「ええ。今すみれさんたちにも連絡して、すぐに来られそうな人たちにも集まってもらうようにしたから。とにかく周囲の人間の安全を最優先に考えて行動して」
「判った。お嬢もあそこにいるリターナーかエローダーか判らないやつのことはひとまず忘れて、すぐに先生と合流しなよ?」
「ええ」
託されたプラカードをかかえた霧華は、小走りに歩き出した葉月の背をじっと見つめたまま、重信にいった。
「……ザキくん、葉月をお願い」
「判った。並んで戦うことがあれば気を懸けておく」
小さくうなずき、重信は葉月を追いかけた。
昇降口から校舎を出た葉月は、歩きながら重信に尋ねた。
「――あんたはどっちだと思う?」
「どっち? こっちへ向かってる連中のことか? それともさっきの教室にいたやつのことか?」
「近づいてくるやつらのほう。エローダーだと思う?」
「このタイミングでいっせいに足並み揃えてやってくる連中が、たまたま水無瀬祭に興味を持った無関係のリターナーだと考えるのは、さすがに楽観的すぎるだろう。というか、エローダーが来ると想定しておいたほうがいい」
「……まあ、最悪のケースを想定しろっていうのは判るけどね」
真ん中から黄色と青の二色に染め分けられた髪をいじりながら、葉月は嘆息した。
そもそも重信たちには敵を識別することができない。ふつうに考えれば、校外に出て周囲を警戒している重信たちに敵が先に気づき、何らかの形で仕掛けてくる可能性が高いだろう。複数のエローダーがここへ向かっているというからには、その目的は単なる学校見学とも思えない。
「堂々と校門を出ていっても目立たないのはいいが――このあたりで戦うとなると、絶対に人目につくな」
正門を出入りする来場者たちにまぎれて母校を出た重信は、周囲を見回して眉をひそめた。水無瀬学園は最寄りの私鉄の駅から徒歩五分、幹線道路からもそう遠くない。日中の人通りは多く、加えて今は文化祭での人の出入りでさらに人口密度が上がっている。
「人目につくのを承知で仕掛けてくるとは思いたくないが……そういえばきみは、敵から自分に向けられる殺意のようなものを感じられるようになったか?」
「は?」
出し抜けに聞かれた葉月は、目を丸くしてしばらく固まったあと、少し気まずそうに、やや口ごもりながら答えた。
「……ま、多少はね。この前の狼男みたいな連中と乱戦したあたりから、ちょっと意識するようになったし」
「殺意を感じ取ろうと意識して、それで本当に感じ取れるようになったのなら、きみはすじがいいんだろうな」
「いや、あんたにほめられても嬉しくないし」
葉月はむすっとしてそっぽを向いた。
「別にほめてはいない。単なる状況確認だ」
「何が現状確認なわけ?」
「きみひとりでも敵に不意をつかれずにすみそうだと判ったのは収穫だ」
「はい?」
「敵が真っ当に歩いてくるのだとすれば、この正門か、もしくは裏門を通るだろう。それ以外の通用門は、きょうは施錠されているからな」
人の流れに注視したまま、重信は続けた。
「――ここはきみに任せる。おれはあたりを見回りついでに裏門のほうへ回るから、もしエローダーの存在に気づいたら、どうにかここから誘導して周りに被害が出にくいところで始末をつけよう。おれもそうする」
「…………」
「どうした?」
「いや……何か結局、あんたのいった通りに動いてるじゃんて思っちゃってさ」
「どういう意味だ?」
葉月は長い溜息をもらし、カラフルな髪を大きく揺すった。それはまるで、まとわりつく苛立ちを振り払うかのようだった。
「わたしらにできるのは、自分たちをエサにしてエローダーを釣って、それを返り討ちにしてくことだってさ、あんた、前にみんなでお屋敷に集まった時にそういったじゃん」
「ああ……あの時はすまなかったな」
「は?」
「あの時はおれも少し苛々していた。だから真正面からきみを馬鹿呼ばわりしてしまった。すまない」
「そういうところもよ」
眉間にしわを寄せ、葉月は重信の胸を軽くついた。
「――あんたはそうやって自分の考えを遠慮なくまっすぐいうし、だいたいそれはいつも間違ってない。ベストかどうかは判らないけど、ほぼほぼベターなことをいう。その一方で、自分が悪いと思ったら素直にあやまる。誰が相手でも素直に礼がいえるし――」
「みなまでいわなくてもいい」
目を逸らしたままぼそぼそとしゃべる葉月をさえぎり、重信はあえて笑みを浮かべて答えた。そういう表情を見せるのが、ここでは正解だと思ったのである。
「要するにきみは、おれにそういうスタンスでいられると、相対的に自分が子供っぽく思えてきて仕方がないんだろう? だから、おれの意見が正しい、おれが正しかったと判っても、何となくそれを認めるのが悔しく思える。……そんなところだろう?」
「……ホント、ムカつく」
葉月は歯をきしらせ、それでいてどこか気が抜けたような苦笑も交えて、握り締めた拳で重信の二の腕を軽く叩いた。
☆
少年たちの“匂い”が遠のいていくのを感じ、泪は胸に溜め込んでいた息をゆっくりと静かに吐き出した。
「……!」
エアコンのおかげで、教室内の室温は汗ばむほどの暑さはない。ただ泪は、自分の額や頬に浮いた汗の珠が流れ落ちていくのをはっきりと感じていた。
泪は手にしていた文集を戻し、肩にかけていたバッグの中からハンカチを取り出してそっと汗をぬぐった。そんなことも知らぬげに、早石はスタンドスクリーンに貼られていた文芸部の研究を見て感嘆の声をあげている。
「……ウチに文芸部があっても絶対にこんな研究しないよなあ、たぶん」
「早石くん、のど乾かない?」
「え? あー……そうだね、何か飲む? 何が売ってるんだろ? 高橋さんて何が好きなの?」
「よく飲むのは紅茶だけど、タピオカじゃなければ何でもいい」
「え? 嫌いなの?」
「たぶんみんな思ってると思うけど、カエルの卵っぽいのがわたしにはちょっと……」
「みんなが映えるとかいって喜んで飲んでる横で、さすがにそれはいえないよね」
「それ」
スマホで模擬店の場所を確認し、泪は先に立って教室を出た。
ついさっきまで、ここに三人のリターナーがいた痕跡を感じる。そのうちふたりは昇降口のほうへ、もうひとりは階段を上がっていった。そのほかにももうひとり、上の階にいるのを感じる。四人のうちふたりは外へ行ったということだろう。
ここまで来たリターナーが、ついに泪に何のコンタクトもしなかったことで、泪は高梨まひろの言葉は真実だったという確信を強めた。やはり彼らは、強い敵意や殺意を放つことのないエローダーとリターナーを明確に区別できていない。
「あ、あそこでレモネード売ってるよ」
「ここちょっと暑いからちょうどいいかも」
いまだに早鐘を打ち続けている胸をそっと押さえ、泪は二階への階段を上がってすぐのところにある教室に入った。
「――――」
その瞬間、早石との会話に興じたまま前を見つめていた泪は、自分の横顔にそそがれる視線をはっきりと感じた。廊下の彼方にいる誰かが――おそらくこの階にいるであろうリターナーが――自分を凝視している。
だが、そうと知りながら、泪は相手の顔を確認せずに教室に入った。ここで迂闊な真似をすれば、泪がエローダーだと発覚しかねない。ここにいるのは同類の存在にすら気づいていないリターナー――泪が無事に生還するには、最後まで相手にそう思わせる必要があった。
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