第四章 弱虫の命懸け 〜第六節〜

「お嬢さまの学校、きょうは文化祭でしたよね?」

「ああ。葉月ちゃんが、チュロス屋というのをやるといっていたけどねえ」

「それはあいにくでしたね」

「葉月ちゃんはともかく、お嬢さまは、そもそも文化祭というものがよく判っていないみたいな感じがするけどね。振り返ってみれば、去年はかなり欠席も多かったし、文化祭に参加するのは今年が初めてなんじゃないかな」

「わたしもそうですよ」

 車内に射した西日の中で、弥生がふっと小さく笑った。

「わたしも高校の文化祭がどんなものか知らないんですよ。なぜかうちは文化祭が隔年開催で、わたしは二年の時にしか体験できるチャンスがなかったのに、そのタイミングで家族旅行中に事故に遭って」

「それはまた……災難だったね」

「まあ、わたしだけでも生き延びられましたから、その意味ではラッキーでした。かなり長いこと意識不明で、結局そのせいで高校は卒業できなかったし、こっちに戻ってきてからのリハビリも含めてかなり長い時間を無駄にしましたけど」

 弥生は両親の死を淡々と語った。おそらく彼女の中ではその哀しみもすでに風化しているのだろう。家族を失った経緯といい、重信によく似ていると山内は思った。

「ザキくんと同じパターンか」

「ザキくん?」

「お嬢さまや葉月ちゃんと同じ学校に通ってるんだけど、熊谷さんと同じような境遇でリターナーになったと聞いているよ。とにかく強くて、お嬢さまも頼りにしてるみたいでね。それがまた――葉月ちゃんに会ったなら判るかもしれないけど、まあ、あの子としては胸中おだやかじゃないらしくて」

「あの子は……そうですね。わたしたちと違って、染まってないみたいですね」

「そうなんだよねえ」

 ちらりとナビを一瞥し、山内は嘆息した。

「……正直、私は思うんだよ。結局のところ、私たちはもう、本当の意味でのこの社会の一員には戻れないんじゃないかってね」

 人畜無害な一般市民のふりをすることだけはうまくなっているという自覚はある。だが、ひと皮剥けば、ここへ帰ってくる前の、異世界にいた時と同じ人殺しのままだった。

「私はもともと、妻に裏切られて絶望して、それで首を吊ったっていうのに、今じゃ死にたくないと思ってるんだ。自分が生き延びるためには他人を殺すことも躊躇しないし、それを当たり前だと考えている。これじゃとてもまっとうな人間とはいえないよね」

「……“機構”のリターナーの大部分はそういう人間だと思いますよ。わたしもそうだし。けど、あの子はそうじゃなさそうですね」

「そうだね。葉月ちゃんはリハビリがうまくいきそうなんだけど――」

 山内はハンドルを切り、水無瀬学園近くの地下駐車場へ向かった。地下駐車場といっても、一般には開放されていない。最近になって“機構”が用意した、無関係の人間を巻き込まずにエローダーと戦える“戦場”のひとつだった。

「山内さん、わたしはここで降ります」

「え?」

「敵がどこから来るのかは判りませんけど、さっきもいったように、わたしがいると山内さんの足を引っ張ってしまうので」

「けど、相手の数はかなり多いみたいだよ? もし複数のエローダーに襲われたら――」

「わたしのほうにそんなにたくさん引きつけられるなら、むしろ御の字じゃないですか? 最悪なのは校内に乗り込まれてそこで暴れられることですよ」

 そういいながら、すでに弥生はシートベルトをはずしている。仕方なく、山内は静かにブレーキを踏み込んだ。

「……無理だと思ったら応援を呼ぶなり逃げるなりしてね、熊谷さん? まだ若い身空なんだから、命は大事にするんだよ?」

「何いってるんです? わたしはもう一〇〇歳近いんですよ」

 リムジンを出た弥生は昼下がりの陽射しを避けるようにサングラスをかけ、山内に軽く手を振って歩き出した。

「…………」

 山内は弥生の“スキル”がどういうものなのかを知らない。山内自身もひとりで多くのエローダーを迎え撃てる力はないが、弥生もそうだとすれば、やはり不安が残る。

 予定通り、コンクリートの柱が林立するだけの地下空間にリムジンをすべり込ませた山内は、学園内にいる霧華たちに一報を入れると、手袋をはずして外に出た。

 エローダーたちはリターナーの居場所を感知できる。もし山内がここにいると察すれば――ほかに優先すべきターゲットがあるのでもないかぎり――ここにもいずれエローダーたちが現れるかもしれない。

「最近はハードな現場が多いねえ……」

 仕事用のジャケットを脱いでリムジンのルーフにかけ、ネクタイを少しゆるめて、山内はぼやいた。しかし、その口ぶりとは裏腹に、山内の腹の奥底では戦いを欲する衝動がうごめき始めている。死にたくないのは事実だが、それと同時に、戦うことも好きだった。

 だから余計に山内は、自分のリハビリがうまくいっていないと感じている。“機構”という枠からはみ出てしまえば、今の自分は老人の皮をかぶったただの戦闘狂であり、とてもこの世界の平凡な一市民になどなれはしない。


          ☆


 その教室の中に足を踏み入れようとしたところで、葉月が静止の声をかけた。

「ザキ、ちょっと――」

「?」

 教室内にいる人間をざっと見渡していた重信は、そのまま油断なくあとずさり、少し離れた場所にいた少女たちのもとへと戻った。

「どうした?」

「お嬢が――」

 葉月は霧華の肩に手を回し、声を低く落とした。

「……増えた」

「何?」

「数が……増えたの」

「エローダーのか?」

「たぶん――こっちへ向かってるみたい」

「数は?」

「六……いえ、七」

「七?」

 重信はあの教室を一瞥し、

「……あそこにもひとりいるはずだろう? それ以外に七人?」

「ええ……この学校を取り囲むように近づいてきてる」

「どうする?」

 重信にいっさいのしがらみがないのなら、適当に理由をつけて美咲を校内から連れ出し、危険を避けるためにそのまま逃亡するのがベストだろう。しかし、今の重信は“機構”のメンバーで、日常的に美咲を護衛してもらう代わりに霧華の指示にしたがう立場だった。

 重信から方針を問われ、霧華は少しの逡巡のあと、スマホを操作しながらいった。

「……わたしは二組に戻ってしばらく石動先生のそばにいるから、ザキくんと葉月には、少しの間、校外に出て警戒してもらっていていい?」

 霧華が重信のクラスに移動して石動とそこで待機するということは、同時にその場にいる美咲を守ることにもつながる。エローダーの接近を感知できる霧華と高い戦闘力を持つ石動がいるなら、美咲の安全は保証されているといえるだろう。

「おれはそれでいいが、あそこにいるやつはこのままでいいのか?」

「…………」

 あの教室では、文芸部の活動内容の発表物が展示されている。それを見ている外部からの来場者の中に、リターナーなのかエローダーなのか、いずれにしても明確な異能力を持つ者が交じっている。

 霧華はじっと教室のほうを見つめ、小さくうなずいた。

「正体は判らないけど……今は放置しておいたほうがいいと思う。監視だけは続けるけど。それでどう?」

 重信は大きくうなずき、シャツのボタンをひとつはずした。

「きみがリーダーだ。こうすると決めたらそれをやれと指示してくれればそれでいい」

「だーかーらー! あんたはどうしていちいちそういういい方するわけ? うん、判った、ってひと言いえばすむでしょ、ここは」

「そうだったな。もっとシンプルにいうべきだった」

 重信は唇の端を吊り上げて苦笑した。どうやら葉月にも緊張はあっても過度の気負いはないらしい。

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