第四章 弱虫の命懸け 〜第五節〜
リターナーたち――少なくとも“戸隠機構”のリターナーたちは、この世界では明らかに異端な“スキル”を持つ自分たちの存在を一般民衆には伏せたまま、ひそかにエローダーを排除しようとしている。これまでの彼らのやり方を見れば、それはもともと予測できていたことだし、高梨まひろという“裏切り者”の証言からも裏づけが取れた。
だとすれば、まったく無関係の人々が多く集まる場では、たとえ泪の存在に気づいたとしても、彼らは手を出すことはできない。それを確信しているからこそ、泪は落ち着いていられた。
泪が警戒すべきものがあるとすれば、それこそエローダーになる前の高梨まひろのような、組織の思惑より自分の欲求を優先させてエローダーと戦いたがる好戦的なリターナーの存在だった。ただ、くだんの高校に複数のリターナーが存在するなら、そんなリターナーがいたとしても、むしろほかのリターナーがその暴走を止めてくれるだろう。
華やかに飾り立てられた門をくぐり、泪たちは水無瀬学園に足を踏み入れた。都心近くにある学校としては珍しく、ささやかながらも校舎前に校庭があり、すでに多くの来場者でにぎわっている。
「――――」
泪は静かに深呼吸し、綺麗な校舎を見上げた。あちらが気づいているかどうかは判らないが、泪のほうでは、すでにこの学園に複数のリターナーの存在を感知している。場所としては三か所に分かれて、あまり動かずその場にとどまっているようだったが、正確な数はまだ判らない。それぞれの場所に複数のリターナーがいる可能性も否定できないが、現時点ではっきりしているのは、最低でも三人、ここにリターナーがいるということだった。
リターナーたちの痕跡を“匂い”を嗅ぎ分けるように識別して追跡するには、それこそ犬のように身を伏せて精神を集中させる必要があるが、さすがにこの場でそんな真似はできない。ただ、それでもこの至近距離であれば、リターナーが放つ“匂い”は嫌でも鼻につく。このまま人混みにまぎれて校舎内を移動していれば、本人を確認することもできるだろう。
「――どうしたの、高橋さん?」
「えっ?」
「いや、何かぼーっとしてるから……」
早石の言葉にはっと我に返り、泪はごまかすように眼鏡を押し上げた。
「ごめん、ウチの学校とくらべてあんまり綺麗なんで見とれちゃってて……で、な、何?」
「何から見ようか? それとも何か食べる?」
「あ、うん」
ここが文化祭なるものの場だということを思い出し、泪はスマホで表示させたパンフレットに見入った。
「へー、電子マネー使えるんだ。……あ、チュロス売ってる」
「好きなの?」
「うん、甘いもの好きなんだ。――サイズ判んないけど二本で二〇〇円なら安いのかな? 夢の国だと五〇〇円とかだし……」
ぶつぶつ呟きながら歩く少年を横目に、泪は心を落ち着かせた。この少年がすぐそばにいれば、周囲に無関係の人間がいれば、いきなり自分が殺されることはない――奇妙な話だが、泪は敵であるはずのリターナーたちの良識を信頼した上で、この賭けに出ているのである。
「とりあえず、この文芸部の研究発表っていうのを覗いていかない?」
「うん、いいね」
できるかぎり多くの来場者たちと同時に校舎内に入ると、泪はさりげなく周囲に視線を走らせた。しかし、まだ視界の中にリターナーはいない。もっと上、二階より上にその存在を感じる。
これだけの数の人間がいて、さらにさまざまな模擬店からただよってくるおいしそうな匂いが充満していても、リターナーの“匂い”がその中に埋もれることはない。そして泪の特殊な嗅覚――“スニフ”は、今この校舎内にいるリターナーの存在だけでなく、ふだんの彼らがここに残していったであろう痕跡までも嗅ぎつけていた。
ただし、それは三人ぶんではなく四人ぶんの“残り香”だった。
「!」
人知れず息を呑んでいた泪は、上のほうに感じていたリターナーの気配が移動を始めたのを感じて首をすくめた。三つあった気配のうちのひとつが別のひとつと合流し、おそらく階段の方に向かっている。二階にそのまま残っている気配はひとつ――ということは、ひとりを残して、ほかのリターナーたちが、おそらくは泪の存在に気づいて確認のために下りてくるということだろう。
泪は右肩から下げていたバッグを左肩に持ち替え、早石とともに近くの教室に入った。世界の著名な童話作家に関する研究がうまくまとめられ、壁やスタンドスクリーンに綺麗に貼り出されている。
「……へえ、けっこう本格的に研究してるんだね」
「でも、これって文芸部の活動なの? そもそも文芸部って何をするの?」
「いわれてみるとそうだね……考えたら、ウチには文芸部ないし」
さほど意味のない会話をしながら、泪は窓際の机の上に置かれていた部員たちお手製の文集を手に取った。もっとも、真剣に活字を読む気はない。廊下に背中を向けたまま、精神を集中する。
「…………」
すでにリターナーたちは一階に下りてきている。確実にこちらへ向かってきていたが、泪は平静をよそおい続け、ついに振り返ることはなかった。
☆
ルームミラー越しに、首をこきこき鳴らしている弥生と目が合った。
「――何です、山内さん?」
「いや、退院したばかりで大丈夫かなって思ってね」
「お嬢さまが気を利かせてくれてただけで、その気があれば、本当はもっと早く退院できてたんですよ。もう傷は完治してましたし」
「けど、すみれさんの“スキル”があまり効かないというのは困ったもんだね」
「そこはまあ善し悪しというか――純さんがいうには、わたしにはもうひとつ“スキル”があるみたいなんですよ」
「もうひとつ?」
弥生はシートに背を預け、深い溜息とともに目を閉じた。
「――わたしには、自分に向けられた“スキル”の効果を減衰させる“スキル”があるんじゃないかって」
「へえ、そんなのがあるのかい?」
「自覚はないんですよ。わたしの意志とは無関係に、勝手に発動しているんじゃないかっていうのが純さんの仮説で。実際、何人かのリターナーたちは、わたしのそばだと力が弱まるともいってますしね」
「じゃ、もしかして――」
「その“スキル”のせいで、すみれさんの“小夜啼鳥”の効果まで阻害されてる可能性があるんです」
「そういうことか……」
山内が知るかぎり、最近の熊谷弥生は霧華の護衛がおもな仕事で、エローダーとの戦いに駆り出される機会は減っていた。特に、ほかのリターナーと組むことはほとんどなくなっている。それはおそらく、彼女の能力が仲間の戦闘力をナーフする可能性を考慮してのものなのだろう。
「ですから、現場に行ったらわたしは単独行動します」
「……ひとりはさすがに危険じゃないかい? ほかに誰か――」
「わたし、自分が怪我をするより、自分のせいで誰かが怪我をするほうがずっと嫌なんですよ。そういう負い目を持ちたくないんで」
「…………」
弥生の“前世”については山内は何も聞かされていない。だが、彼女のそういうスタンスを生み出したのは、まず間違いなく異世界での経験だろう。山内もそれなりに異世界で過酷な経験を積んできたつもりだが、もしかすると弥生は、異世界での仲間か家族――とにかく大切な誰かを、少なからず亡くした経験があるのかもしれない。
弥生は窓の向こうを流れていく街並みを見つめ、不意に話題を変えた。
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