第四章 弱虫の命懸け 〜第三節〜
「のぶくん」
また薄暗い暗幕の内側に戻ってクレープを焼き続ける苦行に取りかかろうとした重信を、教室に入ってきた美咲が呼び止めた。
「ご苦労さま、わたしが代わるから休憩に入っていいよ」
「別におれはまだ疲れていないんだが――」
そういいかけた重信に、美咲が耳打ちした。
「……のぶくんスマホ見てないでしょ?」
「ああ、電源を切っていたが、何かあったか?」
「さっき廊下で
「何?」
「わたしにはよく判らないけど、何かあったみたい。のぶくんを呼んでっていうことはそういうことなんじゃないかと思う。
「……判った」
美咲の表情は、にぎやかな文化祭の最中に似つかわしくない深刻そうなものだった。それが間接的に、葉月たちが浮かべていたであろう表情を重信に教えてくれている気がする。
「じゃああとは頼んだ」
「うん」
重信が自分のエプロンを美咲に渡すのを見て、美咲といっしょに戻ってきた夏帆が怪訝そうに首をかしげた。
「え? 美咲とザキくんが交代するの? 美咲はまだ休んでていいし、何ならザキくんといっしょにそのへん見てくればいいのに」
「いいのいいの」
エプロンをつけながら、美咲はしれっとして答えた。
「のぶくんはこれから一組の子と回ってくるんだって」
「一組? 誰と?」
「戸隠さん」
「は!?」
それを聞いてもっとも大きく反応したのは、教室から出ていこうとしていた京川だった。
「――ザキ! お、おまえというやつは……! この裏切り者が!」
京川は拳をふるふると震わせ、重信に詰め寄った。クレープやワッフルに舌鼓を打つ少年少女の視線を集めていることにも気づいていないらしい。重信は大きく嘆息し、
「……田宮くんの冗談をいちいち真に受けるな」
「じょ、え? 冗談……?」
「戸隠さんがわざわざおれを呼び出す理由があると思うか? 冗談に決まっているだろう」
「そ、そうか……いわれてみればそうだよな。おまえみたいに陰険そうで辛辣なことばかりいうやつに、あのお嬢さまがわざわざなあ――」
「そういうことだから、細かいことは気にせずおまえも文化祭を堪能するといい」
「いや、堪能しろっていわれても……なあザキ、何だったらいっしょに回らねえ?」
「おまえにはおれが美少女に見えるのか? おまえは女子と回りたいんだろう?」
「そりゃそうだけどさ、ない袖は振れないっていうか――実はそのへんの子にも声かけたんだけど、即座に拒絶されてよ」
いまさらのように周囲でスイーツを食べているほかのクラスの女子たちを一瞥し、京川は頭をかいた。京川が藤原さんに調理スペースを追い出されてからわずか数分ですでに玉砕していたとは、ある意味、女子に嫌われる稀有な才能の持ち主といえるのかもしれない。
「あいにくだが人を待たせてる。おまえはおまえで連れを捜すんだな」
京川の肩を軽く叩き、重信は教室を出た。
廊下では、不機嫌そうな表情を隠そうともしない
「ザキさあ――」
「スマホのことはすまなかった。クレープ作りに集中しすぎていた。……というか、きみたちは何をしてるんだ? 確かそっちはチュロス屋だろう?」
「見て判んないの?」
ぶっきらぼうなセリフとともに、葉月はかついでいたプラカードを重信にしめした。
「……わたしと葉月はPR担当らしいわ」
「まあ、よくも悪くもきみたちは目立つからな。適材適所かもしれない」
実際、特にアピールの声をあげているわけでもないのに、廊下を歩いていく生徒たちは、ひとりの例外もなくそのプラカードを――というより、葉月と霧華を一瞥していく。宣伝効果としては充分だろう。
「……それで、何が起こったんだ?」
三人で歩きながら重信が声をひそめて尋ねると、葉月が眉根を寄せて答えた。
「校内に能力者の反応があるって」
「――――」
重信が思わず霧華を見やると、少女はじっと自分の足元を見つめていた。
「……それは、おれたち以外のということか?」
「登校してきた時には、四人ぶんの反応があった。
「わたしとあんたと、あと
「それが、少し前にまったく別の誰かが近づいてきてるのが判った」
「外から来るのか?」
「もう校内にいる。でも、それがリターナーなのかエローダーなのか判らないの」
「その当人をじかに見て確認したのか?」
「まだ。これから捜しにいこうと思って、万が一を考えてあんたにも声をかけたの」
文化祭の人混みにまぎれ、エローダーが侵入してきたかもしれない――その時、重信が真っ先に考えたのは、美咲のそばを離れるのは危険だということだった。相手の位置は霧華がつねに把握しているとはいえ、何らかの“スキル”で攻撃された場合、美咲を守りきれないかもしれない。
が、反射的に自分のクラスのほうを振り返った重信は、意味ありげにこちらを見ながら二年二組の教室に入っていく石動に気づき、ひとまず安堵の吐息をもらした。重信が離れている間は、さりげなく石動が美咲のそばについていてくれるということなのだろう。
「……ウチの店には先生が好きそうなメニューはないんだが」
「何かいった、ザキ?」
「いや。……相手がひとりというのは間違いないんだな?」
「ええ」
「エローダーならもうこっちの存在には気づいていると思うんだが」
「だよね。こっちはお嬢も含めて校内に四人いる。それが判ってて堂々と乗り込んでくるのは、それだけ自分の強さに自信があるのか――」
「あるいはエローダーじゃない可能性もある。もしリターナーなら仲間を増やすチャンスだ。たとえ仲間になってくれなかったとしても、エローダーという敵の存在を――」
「……あんた、何してんの?」
一組の教室の前を通りすぎる際、咄嗟にチュロスを買ってそれを食べながら歩いていた重信に、葉月が不愉快そうな視線を送っていた。
「見ての通りカロリー補給だ。長いことクレープを焼かされていて、まだ昼食もすませていない。このくらいは見逃してくれ」
「……まあいいけど」
「正直、練習の時にさんざん食べたおかげで、クレープやワッフルはしばらく食べたくなかったんだが、チュロスはまた別のおいしさがあっていいな」
「そう? じゃあ一本ちょうだい。――はい、お嬢」
返事も待たず、葉月は重信の手もとからチュロスを一本かっさらうと、それを霧華と半分にして分け合った。
「…………」
あっという間にチュロスを口の中に放り込んだ葉月とは対象的に、霧華が物珍しそうにチュロスをためつすがめつしてから少しずつかじっていたのが、重信にはなぜか印象的に思えた。
「――で、その誰かさんは今どこにいるんだ?」
「……一階、昇降口をすぎて、西棟のほうに向かってるみたい」
「西棟? 特別教室ばかりで何も楽しいことなんかないと思うが」
「そうでもない。文化部系の展示とかあったと思う」
「そういうことに興味のある人間か……」
「…………」
先ほどから霧華の視線が下に向きがちなのは、階下にいるターゲットの気配を追いかけているからだろう。ただ、いつになく彼女が緊張していることが、重信には気になっていた。
周囲に無関係の生徒たちがいることを懸念しているのは事実だろう。この場での戦いは絶対に避けなければならない。しかし、霧華が表情をこわばらせているのはそれだけが理由とも思えなかった。
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