第三章 人よ、呪われるべし 〜第六節〜

「――わたし、ふだんお屋敷に詰めてるから、たぶん倒してきた敵の数でいうと、ザキくんはもうわたしなんかよりずっと多いんじゃないかと思うのよね。だからわたしがこういうこといっても、ちょっと説得力に欠ける気がするんだけど」

「何です?」

「わたしが戦ってきた敵って、当たり前なんだけど初対面のはずなんだけどね、でもたいてい、こっちに対してすっごい敵意というか、憎しみというか、そういうのをぶつけてくる感じなんだけどさ」

「ああ……それはおれもよく感じます。おとといは呪われろとまでいわれましたからね」

「敵から? よっぽどひどいやっつけ方したんじゃないの?」

「そこは否定しませんけど、呪われろというのは、あれはおそらくおれに対してじゃないです。この世界、さもなければこの世界のすべての人間に対しての憎悪だったんじゃないかと」

「やっぱりねえ……山内さんも似たような感想持ったことあるらしいし」

「ちょっと美和子さん、そういう話が出たことあるならわたしにも教えてくださいよ。初耳なんですけど、その話」

「あー、だって、ねえ? 何かもう漠然としたっていうか、感覚的? っていうか……ほら、根拠とかぜんっぜんない話だし、わたしはともかく、山内さんはもうおじいちゃんだしさ」

「それ関係ないですから」

 すみれは溜息交じりにぼやいたが、実際、同じリターナーではあっても、すみれが重信や美和子、葉月たちとの一番の違いを感じるのはこういう時だった。戦闘的な“スキル”を持たないすみれは、滅多なことではエローダーと相対しない。すみれと同様に戦うことのできない霧華でさえ、エローダーを識別するために前線に出ることがたびたびあることを思えば、“機構”所属のリターナーの中で、もっとも安全な場所にいるのがすみれだといえる。

 だから、重信や美和子のように、現実の戦いの中でしか判らない感覚的なものが、すみれには今ひとつ掴めない。そのことがもどかしく、それ以上に申し訳なかった。

 空になったザッハトルテの皿を脇にどけ、重信はテーブルの上で手を組んだ。

「以前、おれが戦ったことのあるエローダーは、自分たちのことを正義の味方だと称していました」

「正義の味方? ジョーダンでしょ、それ?」

「おれも当時はそう思ってたんです。でもこうなると……何なんでしょうね? もしかすると、“転移”していったこの世界の人間が、よその異世界で極悪非道なおこないをしていたりするんですか?」

「ザキくんは身に覚えがあるわけ?」

「あるともないともいえないですね。おれとしては、どこへ行っても自分が生き延びることを第一に考えていただけで、その世界全体からヘイトを向けられるほどの大それた真似をした覚えはないです」

「そうよねえ。わたしだって、よそさまの縄張りで悪の大魔王みたいな真似をやらかした覚えはないし。――あ、でもひょっとして」

 かなりハイカロリーに見えるパフェをさっくり胃の中に落とし込んだ美和子は、スプーンを振りながらいった。

「排気ガスとか汚染水みたいなものがもれてるとか?」

「はい? それどういう意味、美和子さん?」

「だからねえ、わたしたちの知らないうちに、この世界から何かよくないものがあふれ出てて、それがほかの異世界にやたら迷惑かけてるとか――そういう可能性なぁい?」

「おれはかなりの数の異世界を経験してきたつもりですが、どこへ行ってもそんな影響を感じたことはないですよ。……そもそも異世界の住人たち自体、異世界の存在を知らなかった。どこの世界の住人も、自分が生きている世界が唯一無二の世界だと信じていました」

「だよねえ。うん、わたしの場合もそうだったそうだった。あっはっは!」

 ふと思いついた見当はずれな珍説を笑ってごまかし、美和子はふたたびメニューを開いた。

「え? 美和子さん、まさかまだ食べるつもりなんですか?」

「いやー、甘いものは別腹っていうか、いくらでも入るっていうか――」

「さすがにカロリー取りすぎじゃないですか?」

 いったい何がどうなってそうなったのか、あの純にも理由が判らないという話だったが、リターナーとして覚醒した美和子はなぜか重度の糖尿病を克服していた。ただ、だからといって二個目のパフェというのは食べすぎとしか思えない。

 すると美和子は、メニューのデザートのページを開いてすみれにしめした。

「これ見て。わたしがさっき食べたパフェのカロリー、だいたいカップラーメン一個と同じくらい。っていうか、ザキくんが食べたザッハトルテのほうがカロリー高いでしょ」

「あ……確かに思ってたよりカロリー低い」

「でしょ?」

「いやでもだからって――」

「いいのいいの、わたしらは何かとカロリー使うんだし」

「まったく……」

 美和子のセリフに苦笑しながら、すみれは立ち上がった。

「さっさと注文してさっさと食べちゃってくださいね。――わたし、ちょっとお化粧直してきますから」

 小さなポーチとスマホだけを持って、すみれはトイレに向かった。ディナータイムにはまだ時間がある店内は適度に空いていて、女性用トイレにはほかには誰もいない。

「……もしもし」

 一番奥の個室に入ったすみれは、静かに扉を締めて電話をかけた。

『もしもし?』

「ちゃんと見えてる、ちぇりちゃん?」

『ええ。レンズ越しですけど』

「わたしと並んで座ってた女の人が月城美和子さん。向かいの席にいたのが林崎重信くん。ふたりともお嬢さまが信頼しているメンバーなんだけど」

『なるほど……確かにぱっと見ただけじゃ判らないですね』

 スピーカー越しの後輩の言葉には笑みが含まれているようだった。

『いったい何の話をしてたんです?』

「どうもエローダーたちの動きが妙だっていう話。何のためにこの世界に来てるのか……とかそういう話題」

『ねえ先輩、ふたりの“スキル”とかをここで見せてもらうとかは――』

「それは無理」

 かすかな苛立ちを溜息に混ぜて吐き出し、すみれは意味もなく水洗レバーを回した。

「みんなこっちの世界に戻ってきて、どうにかふつうの人間として暮らしていけるように気を遣ってるんだから、人目につきそうな場所で意味もなく“スキル”なんか使えないの。使うとしたら戦いの時だけ。……次に誰かがエローダーと戦うって時に、ちぇりちゃん、こっそり現場まで来る? 命の保証とかできないけど、それなら見られるかも」

『それはさすがに遠慮します。――じゃ、わたしは仕事に戻りますから。引き続き情報収集、お願いしますね』

「はいはい」

 一方的で身勝手な後輩との会話を終えると、形ばかりルージュを引き直し、すみれは席に戻った。

「――――」

 テーブルの上にはまた要塞のようなパフェがあらたに到着していて、しかしそれもなかば近くまで攻略されていた。美和子はパフェを完全に陥落させるのに夢中のようだったが、一方の重信は、じっと窓の外を見つめている。

「どうしたの、ザキくん?」

「いえ……あそこに」

 店のすぐ外は片側二車線の道路になっている。重信は向こう側の歩道沿いにある標識を指さしたまま、

「――少し前まで、あのあたりに大型のセダンが停まってたんです。黒塗りでスモークガラスの、いかにも他人の目をはばかるような」

「え?」

 重信の言葉に、すみれはあやうく声をうわずらせてしまうところだった。

「……そのクルマがどうしたの? 何か気になった?」

「まあ、気になったといえばなりましたね」

「わたしはそんなクルマが停まってたことにさえ気づかなかったけどねえ」

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