第三章 人よ、呪われるべし 〜第五節〜

「……何? 何といった?」

 割れた眼鏡越しに、優等生の目がしゃがみ込んだ重信に向けられる。呼吸に合わせて上下する背中の動きが弱々しくなるのに反比例して、その眼光に宿る憎悪の輝きは激しさを増していた。

「永遠に、呪われ、ろ――この、世界、といっしょに……」

「おれ個人を恨むのは判るが、いったい何なんだ、おまえらのその、この世界? ここの人間たちに対してか? とにかくその憎悪は――この世界の人間が何かしたのか?」

「……教えて、やる義理、はない……」

 溜息をつくような小さな声で呟き、優等生は完全に動かなくなった。

「……本当に何なんだ、この連中は?」

 腰に手を当てて立ち上がり、重信は眉をひそめた。

 断片的な彼らの言葉から推測するなら、このエローダーたちは、何者かの指示を受け、捨て石になるのを覚悟の上でリターナーたちを襲撃していた。それは、仲間に自爆特攻を強制させる指導者的存在――“ねどはのーる”とやらが実在することを裏づけてもいる。

「――どっちにしろ、そいつらがこの世界にエローダーを送り込んでるんだとしたら、その目的は何なんだ?」

 この世界に来たエローダーのすることといえば――明確に判っているのは――殺人くらいのものである。それも、テロのような大々的なものではなく、ひそかに繰り返される連続殺人のようなものばかりだった。単なる死者数でくらべるなら、エローダーによって殺される人間の数は、交通事故の死亡者数より遥かに少ないだろう。

「だから見すごしていいってわけじゃないが、いったい何の意味がある? まして、少しでも目につけばおれたちに追い回され、こうして命を落とす――何のために連中は、懲りもせずにこの世界へやってくる?」

 エローダーたちとの戦いそのものは、重信にとってはすでに日常の一部であり、美咲の安全さえ確保できるなら、それこそ“仕事”としていくらでも続けていけるだろう。重信にはそれだけの強さ、経験や覚悟がある。

 ただ、今はエローダーたちの行動原理――この世界へ侵食してくる目的を知ることも、戦う理由のひとつになりつつあった。


          ☆


 泪と早石はやいしりくの通学路がかさなるのは、母校と最寄りの駅をつなぐ路線バス――時間にすれば一〇分ほどの道程だけだったが、泪は登校時間を調整し、帰りだけでなく朝も早石と同じバスに乗り合わせるようになっていた。

「……早石くん、来週の週末とか、暇?」

 登校時の混み合うバスの中、並んで吊り革に掴まっていた泪は、小さな声で隣の少年に尋ねた。

「来週? ううん、特に予定とかないけど」

 この少年に何かしらの用事がなさそうだということは、尋ねる前から予想できていた。泪がそうであるように、早石もまたクラスの中ではエントロピーの小さい――というのは妙ないい方だが、要するに、おとなしく目立たない生徒である。週末だからといって、友人たちと連れ立って遊び回るというタイプとは思えない。

 その確認をした上で、泪は自分のスマホの画面を少年にしめした。

「これ、行きたいんだけど……いっしょにどう?」

「えっ? ぼ、僕と?」

 早石は眼鏡を押し上げ、少し驚いたように画面を凝視した。

「水無瀬祭……水無瀬学園の文化祭?」

「知ってる?」

「うん」

 水無瀬学園は、保護者たちが自分の子供を通わせたい人気の高校として都下でも有名だった。それなりに成績のいい早石なら、高校受験の際の選択肢のひとつにここを含めていたかもしれない。

 泪は心持ち早石に身体を寄せ、

「興味あるんだけど、ひとりで行くのはちょっと気後れがするというか――」

「あ、う、うん、判るよ、何となく」

 早石の体温が少し上がったのが判った。

「いっしょに行ってもらえる?」

「う、うん、いいよ」

「ありがと」

 スマホをしまい、泪はうつむいた。

 ひとりでは入場禁止というルールがあるわけではないが、こうしたイベントは友達同士で回るのが“ふつう”だろう。ひとりで行動しているとかえって目立ちかねないし、なにより、くだんの高校にはエローダーの存在を感知できるリターナーがいるかもしれない。だが、もし泪の正体が看破されたとしても、隣につねに早石がいれば、彼らを牽制することも可能だろう。

 水無瀬学園に足を踏み入れれば、リターナー側に泪の面が割れる可能性は非常に高い。しかし、それと引き換えに、学園に在籍しているリターナーたちの情報を掴むことができる。危ない橋を渡るのに見合う成果を得られれば、ここまで仲間たちを失う一方だった泪の罪悪感も、多少は薄れるはずだった。


          ☆


 こういう場には可能なかぎり霧華に顔を出してもらいたかったが、入院で学校を休んだぶんを取り戻すということで、きょうは葉月ともども、文化祭の準備のために不在だった。確かに霧華は組織の長ではあるが、それ以前にひとりの高校生でもある。今しかできない経験もさせてやりたかった。

「ザキくんのクラスは準備とか大丈夫なの?」

「まあ、クラスのリーダーが非常にやる気のある子なので、特に問題はないですね」

「ザキくん自身は?」

「おれはクレープ係のバックアッパーだそうです。てっきりおれは前日までの力仕事担当で、当日はのんびりできると思っていたんですが」

「ザキくん器用だからそのくらいこなしそう」

「そうですか? おれにとってはエローダーと戦うほうがずっと楽なんですが」

 オーダーをすませ、ウェイトレスが離れていくのを見送った重信は、小さな苦笑とともにそういった。

「何か文化祭って面倒そうなのねえ」

 すみれに同行してやってきた美和子は、このファミレスで一番巨大な要塞のごときパフェを注文していた。とにかくこの女性は甘いものが好きで、ドリンクバーから持ってきたコーヒーにも大量のミルクとガムシロップを投入している。

「美和子さんの学校には文化祭はなかったんですか?」

「あー、駄目よ、ザキくん。聞いても無駄」

 ブラックのコーヒーをすすり、すみれもまた苦笑する。

「どうしてです?」

「この人はほら、もともと引き籠もりだから」

「ああ」

 美和子は少女時代から長く引き籠もり生活を続けていて、運動不足と最悪な食習慣のせいで糖尿病にかかり、その結果として引き起こされた昏睡状態をトリガーとしてリターナーになった過去を持つ。新顔のリターナーたちの過去の経歴を聞き取るのはすみれの仕事だから、美和子がろくに高校に顔を出していないことも把握ずみだった。

 美和子は軽くすみれを睨みつけ、さらにもうひとつガムシロップを追加した。

「別に文化祭とか経験しなくたって問題ないわよう? わたしがその実例なわけで」

「おれもほぼ同意見なんですが、まあ、それを楽しみにしている生徒が多いのも現実なんで」

 林崎はやしざき重信という少年は――すでに判りきっていることだが――少年なのは外見だけで、中身はもはや子供ではない。それこそすみれや美和子よりもよほど人生経験のある大人だった。こんな世間話での受け答えにも、そうした部分が垣間見える。それは、重信なりに今のこの社会にアジャストしようとした結果なのかもしれないが、逆に、一七歳の少年らしからぬという意味では浮いてしまっているようにも思えた。

 少ししてパフェやザッハトルテが運ばれてくると、すみれは表情をあらため、

「……それで、ザキくんはどう思う?」

「ねどはのーるとかいう連中の目的については、おれにも見当はつかないですね」

「そうよねえ。捨て石とか、特攻とか、まるで意味が判らないもんねえ」

「見方を変えれば、そこまでしてこの世界に侵食してこなければならない理由が、連中にはあるはずなんです」

「侵食してこなければならない理由、ね……」

「あのさあ」

 細長いスプーンでぱくぱくとあっという間にパフェを片づけていく美和子が、ふと思いついたようにいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る