第三章 人よ、呪われるべし 〜第四節〜
「…………」
優等生は右手をこちらに差し向け、じっと重信を見据えている。重信はぬかるむコンクリートから右足を抜こうとしたが、今度は左足までが沈み始めた。
「これがおまえの“スキル”か――」
重信は引き抜いた赤い光の刃をコンクリートタイルに突き立て、それを杖代わりとして沈みゆく右足を引き抜こうとしたが、そこにまた小太りが迫ってきた。
「固まるまでもう少し待ってろよ!」
「……!」
かきんと甲高い音がして、両者の刃がかち合った。瞬間、闇を押しのけて小さな光の飛沫が飛び散る。重信が振るう光の居合刀に刃毀れはなかったが、小太りの刃は見事に砕け散っていた。
「ちっ……癪に
重信の一撃ではじき飛ばされた小太りは、重信の頭上を飛び越え、その背後へと着地した。重信もそれを追って振り返ろうとしたが、すでにその時には、重信の両足はコンクリートの“沼”に足首までどっぷりと浸かってしまっていた。しかも、泥土のようにゆるくなっていたコンクリートが、今度は逆に一気に硬化を始めていたのである。
「動きが鈍くなるどころの話じゃないな、これは――」
「この状態で死体が見つかったら騒ぎになるが、多少の騒動は仕方ない」
優等生は眼鏡越しに重信を見据えたまま、左手を高くかかげた。そこに、細長い光の槍が出現する。
「……なるほどな」
おそらくこの優等生は、一定範囲内の地面を短時間で軟化させたり硬化させたりする“スキル”を持っている。それによって敵の動きを封じ、離れたところからあの槍のような飛び道具で仕留めるのだろう。ただ、地面を軟化させるのも硬化させるのも、一瞬で可能というわけではない。そして、そこをフォローするのが小太りの役目だった。現に重信は、不規則に動く小太りに意識を向けている間にぬかるみにはまり、そこから脱出する前に動きを封じられている。
「へっ……かなり戦い慣れしてやがるようだが、どうやら俺らは捨て石にはならずにすみそうだぜ」
首をねじって背後を見やると、フェンスの上に器用にしゃがみ込んだ小太りが、またあらたな光の刃を右手に宿しているところだった。
「せっかく生まれ故郷に戻ってきたのに悪いな」
完全な形をなした槍を優等生が掴む。それとほぼ同時に、小太りが重信の背後から襲いかかってきた。
「……ま、どうにかなるだろ」
正面から槍が飛んでくるより小太りが突きかかってくるほうが早いと判断した重信は、すさまじい速さの後ろ回し蹴りを繰り出した。
「ぇあ!? 嘘、てめっ、どうし――んごっ!?」
細かいコンクリートの破片をまき散らし、小太りの身体が吹っ飛んでいく。
「単純な力技がもっとも効果的という局面は多々あるからな」
振り抜いた重信の右足にはコンクリートの塊が食いついていた。要するに重信は、コンクリートに埋まった両足の周りに深く切り込みを入れ、強引に引っこ抜いたのである。もし足首ではなく膝まで埋まっていたら、さすがにこんな真似はできなかっただろう。
「これまで誰ひとりとしてこういうやり方で脱出しようとしなかったのは、おまえにとっては幸運だったんだろう。――それも今夜までだが」
「くっ――!」
優等生が慌てたように光の槍を投擲する。だが、重信は両足に巨大なコンクリートのブーツを履いたも同然の状態で、素早く抜刀の構えを取って赤光を一閃させた。その直後、細かな粒子を散らして光の槍が消滅する。
「えっ?」
優等生の驚きの声が、彼のこれまでの戦いがどういうものであったかを物語っているようだった。
「……よほど弱い奴としか戦ってこなかったんだな」
ごつごつと重くて硬い足音を引きずり、優等生との距離を詰めた重信は、優等生がふたたび作り出した光の槍を無慈悲に両断した。
「ぐ、う……!?」
優等生の肩口に朱の線が走る。が、傷は浅い。肩を押さえて逃げ出そうとする優等生にすぐさま追いすがった重信は、がら空きの背中にとびきり硬い飛び蹴りをお見舞いした。
「がっ、は――」
前のめりに倒れた直後に背中を両足で踏みつけられ、優等生は血を吐いて動かなくなった。背骨や肋骨が折れたのを感じる。折れた骨が、肺はもちろん、心臓まで傷つけたのだろう。明らかに致命傷だった。
「…………」
もはや立ち上がる気配のない優等生を放置し、重信はスニーカーを包み込んだコンクリートを赤い刃で削りながら、小太りの男のほうへ向かった。
「ぐ、で、めぇ――」
「買ったばかりの人のスニーカーをボロボロにしてくれたんだ、そっちもボロボロにされたって文句はないだろう?」
「ふざ、ふ、ぅ、ぐ、ぉ――」
下顎骨が粉砕されているのか、小太りの言葉は不明瞭にくぐもっていて、何をいっているのかよく判らない。ただ、怒りと憎しみは充分に伝わった。
よろめきながら立ち上がった小太りは、両手にひとつずつ光の刃を伸ばして重信に突っ込んできた。しかし、足元はふらついて、そこに最初ほどのスピードはない。重信は一瞬だけ考え込み、それから居合の構えを取った。
「……拘束して連れ帰るのは危険だな」
純からはたびたび、エローダーを生きたまま捕らえてほしいという要望が出ていたが、いまだにその願いがかなえられたことはない。その最大の理由は、エローダーの大半が、たとえ手足の自由を奪われていたとしても、その状態のまま、破壊的な“スキル”を使用できるからだった。そんな厄介な連中下手に調べようとすれば、まず真っ先に純が殺害されかねないし、場合によっては霧華にまで危険がおよぶ可能性も高い。
「――――」
一瞬のうちに三度、しかし音はひとつにかさなって聞こえるほどの速さで、重信は迫る小太りに対して抜き打った。一の太刀、二の太刀で小太りが繰り出す諸手の刃を打ち砕き、三の太刀で小太りの胴を薙ぎ払う。と同時に素早く身を引き、派手に噴き上がる血飛沫をかわした重信は、すでにトレーナーのポケットからスマホを取り出していた。
「……もしもし、滝川さんですか?」
『ああ、ザキくん? すみれちゃんは運転中だけどいっしょに聞いてるから。そっちはどうだった?』
のんびりとした美和子の声がすぐに返ってくる。重信はエローダーたちの骸を振り返り、
「こっちも出くわしました。同時にふたりです。人目につかないところまでおびき寄せて返り討ちにしましたが、どうします? 山内さんはちょっと来られないですよね?」
『あー……どうしよう、すみれちゃん?』
『とりあえず遺体の回収には
「そうですね……」
重信はあらためてあたりを見回し、不自然にえぐられた屋上の一角を注視した。たとえ遺体を回収し、血痕をうまく処理したとしても、こればかりはごまかしようがないだろう。
「……頻繁に人が立ち寄るような場所ではないですけど、少し修繕が必要だと思います」
『そうなの? と、とりあえず、ザキくんは今その場にいるのね? GPSの信号を拾ってすぐに柳田さんたちに向かってもらうから!』
「お願いします」
通話を終え、重信は優等生のそばに歩み寄った。
「――まだ息があるはずだ。しゃべれるか?」
「…………」
身体をふたつに割られた相棒は完全に絶命しているが、優等生のほうはまだかろうじて生きている。どのみちそう長くはないが、その前に取れる情報があるなら取っておきたい。
「の、われ、ろ――」
優等生は自分が吐いた血の池に半面を浸したまま、かすかに唇を震わせていた。
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