第三章 人よ、呪われるべし 〜第二節〜
マッチもライターも使った素振りがないのに、小さく笑った弥生の指先のタバコには、いつの間にか火がついていた。
「それなのに、お嬢の護衛役をやってるんですか?」
「お嬢? ――ああ、霧華ちゃんのこと? まあ、ギャラがいいからね」
「ギャラ?」
「はづっちは違うの?」
「はづっちって――」
「あ、
悪びれずに笑った弥生は、白い煙を吐き出し、
「――わたしの“スキル”はね、そんなに強力じゃないの。少なくとも、手強いエローダーに対して積極的に攻撃するのには向いてないと思う。戦うこと自体怖いし。それでもまあ“機構”の一員だし、何よりわたしはどうにか食べていなかいといけないの」
弥生はそこを深く語らなかったが、もしかすると重信と同じように、事故か何かで両親を同時に亡くし、その時に彼女自身もリターナーになったのかもしれない。
「――ほら、すみれさんのやってる事務所、あるでしょ? 名前だけの法律事務所」
「ああ、はい」
「大学を出たら、わたしもそこではたらくことになってるの。戦力としては今ひとつ頼りないけど、そのぶん、今は霧華ちゃんの盾としてギャラをもらって、卒業後は一歩退いたところでお手伝いしてお給料をもらう。で、若いうちに金持ってるいい男を掴まえて結婚するの」
弥生はそこで葉月を見やった。
「カネのことしかいわないなって思った?」
「……いえ、別に。そういう人、ほかにも何人か見たことあるし」
葉月も“機構”のリターナーをすべて知っているわけではないが、偶然手に入れた力を金銭のために振るうといってはばからないメンバーは少なくない。この世界のために、何も知らない人々のためにという純粋な道義心から“機構”に加わっている者など、むしろ少数派だろう。ただ、金のためにエローダーと戦うというのは、動機としてはとても判りやすく、その意味では信用できるともいえる。
また一本、吸い殻を足元に落とし、弥生は葉月に尋ねた。
「はづっちはそのへんどうなの?」
「え? どうって?」
「何のために戦ってるの? いつまで戦うの? 戦いが終わったあとはどうする?」
「――――」
「……まあ、ふつうに家庭や家族がある女の子は、たぶんそこまで考えないか」
「何のためかってことなら……わたしは、お嬢のために戦ってるんで」
なぜかその時、葉月の脳裏をよぎったのは、“機構”を完全に信用することはできないといった時の重信の顔だった。
「いつまでとか、戦いが終わった時のことなんかは今は考えられないけど、わたしが戦うのはお嬢のためなんで」
「……霧華ちゃんのそばで護衛役やるなら、ギャラ目的のわたしより、はづっちみたいなほうがいいのかもね。でも、退き際を見極められなくなるリスクもあるから、そのへんはよく考えたほうがいいかもしれないわ」
「退き際?」
「そっちはすぐ退院して週明けにはふつうに学校行くんでしょ? 生活サイクル崩れないように、早くベッドに戻ったら?」
葉月の疑問の声を無視し、弥生は立ち上がった。
「――もしエローダーが近くに来ても、たぶんわたしたちより先に霧華ちゃんが気づくだろうし、不寝番の意味はないわよね」
「……はい」
「それじゃおやすみなさい」
弥生はガウンの裾をひるがえしてフェンスの上に飛び上がり、そのまま向こう側に姿を消した。彼女もまた、葉月と同じくどこかの窓を開けて屋上まで来たのだろう。
「…………」
ひとり屋上に残った葉月は、さっきまで弥生が座っていたあたりを見て、ふと眉をひそめた。少し前までそこにあったはずの吸い殻が真っ白な灰に変わり、その下のコンクリートの表面は、逆に黒く焼け焦げている。タバコの火でつくような焦げ跡ではない。
葉月は顔を上げ、冷ややかさの混じる夜気を大きく吸い込んだ。
☆
夜の雑木林で、彼はじっとどこかを凝視していた。
「……何か気になるものでもあったのかい、クロコリアスくん?」
下生えや立ち木が不自然に消失している一角を調べていたマスターは、微動だにしないクロコリアスに気づいて声をかけた。
「近くにリターナーがいる」
「まあ、これだけ人口の多い街なら、そのへんにリターナーがいないほうがおかしいんじゃないかな」
マスターの生まれた世界のすべての住人より、おそらくこの東京という大都市の住人のほうが多い。この世界に初めて来た時、マスターがもっとも驚かされたのは、文明、文化の違いよりも、まずその人間の多さだった。
「数人固まっている」
「……リターナーがかい?」
「ああ」
マスターは立ち上がり、スマホを取り出した。
「……このへんには住宅街はないけど、三キロほど行くとちょっとした病院があるね」
「リターナーたちの生活圏に近いわけか」
「そんなところに“
背後を振り返り、マスターは嘆息した。
「――瞬間的に四方に爆炎が広がったという感じかな。なかなか派手な“スキル”の持ち主だったみたいだけど」
「……この国には、死んだ子の年を数えるという格言がある」
「いや、そりゃあいまさらいっても無意味なのは判るけどね。――ただ、現実問題として、“
「この世界の住人が妨害してくることは当初から予想できていたことだ。……むしろ、“スキル”を持った人間がいないのはプラスだろう。この世界の機械文明では、まだ俺たちの正体を看破することはできないからな」
「それはそれ、これはこれだよ。……さっきいった泪ちゃんの話、クロコリアスくんはどう思う?」
「……マルギュータはどう考えている?」
「おいおい、その名前で呼ぶのはやめてくれないかな。人に聞かれたら怪しまれる」
確かにかつてはそういう名前で生きていたこともあった。だが、今この世界では
「というか、きみもそろそろこっちでの身の振り方をあらためたほうがいいよ? もっとふつうの名を名乗って、身なりも――」
「……俺はいいと思う」
クロコリアスをたしなめようとしたマスターの言葉を当の本人がばっさりとさえぎる。マスターは眉根を寄せ、
「……何がいいって?」
「ピオピオの策だ」
「ピオピオじゃなくて泪ちゃん」
「……とにかくあの娘の策、ためしてみてもいいと俺は思う」
「きみが賛成するとは意外だよ。あの子の才能の貴重さはクロコリアスくんだって理解していると思ったけどね」
水無瀬学園に潜入してリターナーたちの情報を探ろうという泪の策に、マスターはいまだに肯首しかねるところがあった。エローダーは誰でもリターナーの存在を感知することができるが、通常、それは半径一〇〇メートルにも満たないせまい範囲にかぎられる。だが、泪の“スニフ”はもっと広い範囲に存在するリターナーを感知できる上、まるで警察犬のようにリターナーの痕跡を追跡することも可能だった。これに類する“スキル”を持ったエローダーを、マスターはほかに知らない。
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