第二章 彼女の知らない彼女 〜第七節〜
さらに重信がそう尋ねても、霧華たちはまた顔を見合わせただけで、明確な答えは戻ってこない。葉月だけならまだしも、いつも冷静で理知的な霧華にしては珍しいと、重信はいぶかしげに目を細めた。
「倒したんだろう? 取り逃がしたとは聞いていないが」
「それは……うん、逃がしてはいないけど」
「なら何なんだ? ふたり揃って様子が変だぞ?」
「どんな能力っていうか……それ以前に、あれがエローダーだったっていう確証がね……」
「どういう意味だ?」
「エローダー……だったとは思う」
霧華が重い口を開いた。
「敵意はなかったけど、リターナーではなかった……と思う。ただ、わたしたちには理解できないようなことをぶつぶついっていて、それで――急に、何といったらいいか」
「お嬢が殺気を感じなかったのは、まあ……自爆みたいなもんだったからだと思うよ」
大袈裟な溜息をもらし、葉月はためらいがちな霧華のセリフのあとを引き取った。
「――山内さんが咄嗟に引っ張ってくれたからよかったけど、飛びのくのがもう少し遅かったら、こんな呑気におしゃべりできてなかったかも」
「自爆……?」
「うん。瞬間的に四方へすごい熱量を発して、本人はそのまま消滅したみたい」
葉月は頬に貼った絆創膏を撫で、
「――これみんな火傷だし、わたしもお嬢も、けっこう髪切るはめになったから」
「つまり、エローダーが特攻を仕掛けてきたということか?」
「……だと思う。あの時わたしが敵意を感じ取れなかったのは、あの子が――あのエローダーが、本気で混乱していて、同時に絶望していたからじゃないかと思う」
「絶望?」
「絶望というべきなのか、諦念といったらいいのか――いきなりあの状況に放り込まれて、完全に追い詰められている感じがした」
「その……子供が?」
「ええ」
「何かもう見た目は完全に子供なのに、まるでこの世の終わりが来たみたいな真っ青な顔して、しばらく独り言をいってたかと思ったら急に声もあげずに泣き始めてさ。――何だっけ?」
「ねどはのーる」
「何だそれは?」
「判らない。たぶん別の世界の言葉で、何かを表す名詞だと思う」
「そうそう、ねどはのーるが判断したならどうとかこうとか――そんなこと呟いてたっけ」
「そう判断したのなら仕方ない――だった気がする」
「何が仕方ないんだ?」
「さあ?」
肩をすくめ、葉月はかぶりを振った。こういっては怒るだろうが、もともと葉月は理性よりも感情で動くタイプの人間である。霧華に判らないことが彼女に判るとも思えない。
「みずから死を選ぶことが――」
少しの間を置いて、霧華がいった。
「仕方のない選択だったという意味だと思う」
「自死を選ぶことになるのも仕方がない? ……つまり、そのエローダーは、ねどはのーるという何者かに強制されて、仕方なく特攻を仕掛けてきたと?」
「確証はないけど――そういう解釈もありえると思って」
「まるで狂信者だな」
重信はそういって苦笑したが、存外、その指摘も大きくはずれてはいないのではないかとも思う。そもそもエローダーが何を目的としてどこからやってくるのか、そこからして不明なままだったが、ただ、彼らがこの世界でやっていることだけを見れば、単なる無差別殺人でしかない。生きて帰れる保証があるのかどうかも判らないこの“異世界”にやってきて、やることがただの殺戮行為なら、まさに自爆テロそのものだろう。
そこでふと、重信は少女たちに尋ねた。
「……深く考えたことはなかったが、連中はもといた世界に戻れるんだろうか?」
「はい?」
「おれたちは、異世界に“精神転移”して別の人生を送ることになっても、そこで死ねばもといたこの世界に戻ってこられるだろう? 肉体さえ残っていれば」
「まあ……うん」
「エローダーもまた別の世界から来た一種のリターナーなのだとすれば、連中もこの世界で死ねば、本来いた連中の故郷に戻れるものなのか?」
「それは何ともいえないけど――」
エローダーたちについてはいまだに謎の部分が多い。だが、彼らが口にしてきた断片的な情報からでも、エローダーたちがこの世界に彼ら独自のコミュニティを作って計画的に行動していることは明白だった。
「……だとすれば、彼らは能動的にこの世界に来ていることになる」
「その点は、偶発的な要因でリターナーになることが多いおれたちとは決定的に違うな」
「ねどはのーるってのがあいつらの指導者なのか、所属してる組織なのかは判らないけど、要は自爆テロを強要できるほどの権力があるってこと、か……」
「そこは今の段階で考えても答えは出ないだろう。それよりおれが気になるのは、そのエローダーが、戸隠さんを戸隠さんと認識した上で襲ったのかどうかということだ」
まひろの肉体を乗っ取ったエローダーを介して、霧華が“戸隠機構”を率いるリターナーたちのトップだという情報が、現時点でどれだけの敵に伝わっているのかは判らない。ただ、今後は最悪のケースをつねに想定しておくべきだろう。
「…………」
三人がそれぞれに神妙な表情で押し黙っていると、キッチンに通じるドアが開いて、素人作とは思えないフルーツの盛り合わせを持って美咲が戻ってきた。
「――冷蔵庫にアイスティーが入ってたけど、あれって飲んでいいのかな?」
「あ、遠慮しないでいいよ」
「それはきみが判断していいのか?」
「いいの! ――だよね、お嬢?」
「ええ」
「じゃあのぶくん、グラス持ってきて」
「ああ」
美咲の指示で、重信はテーブルの上に人数分のグラスやフォークを手早く用意していった。
「……あんた、美咲ちゃんのいうことには素直にしたがうんだ?」
「妙なことをいうんだな。何か問題でもあるのか?」
「いや、人のいうこととかぜんぜん聞かないのかと思って」
「きみは本当に人を見る目がないんだな、風丘さん」
「は!?」
「この数か月、きみはいったいおれの何を見て――」
「のぶくん!」
美咲の鋭い声と同時に、重信の心臓のあたりに軽い肘鉄が入った。
「今のいい方、葉月ちゃんに失礼! のぶくんはただでさえ誤解されやすいんだから、言動には配慮してって何度もいってるよね?」
「……そうだったか?」
「とぼけない!」
「はいはい。……文化祭当日もこんな調子でこき使われるわけか」
「あ、そういやそっちのクラスって喫茶店やるんだって?」
「喫茶店じゃなくてカフェね」
ベッドを出てテーブルに着いた霧華は、美咲の言葉に首を傾げた。
「……それはどう違うの?」
「わたしにもそのへんの差がよくわからないんですけどね」
学年は同じでもひとつ年上という意識があるせいか、美咲は今でも霧華に対してはやや砕けた感じの敬語で接している。彼女の前にアイスティーのグラスを置き、美咲は続けた。
「ウチのクラスの京川くんて子が、何か渋い喫茶店ていうコンセプトに妙なこだわりがあるらしくて、それでお店の名前を何か純喫茶ナントカ、みたいなのにしようぜって激しく主張したんですよ。でも、ドリンクといっしょに出すのがワッフルとかクレープなのに純喫茶はおかしいでしょ! って女子から総攻撃されて、それでもう喫茶店てフレーズ自体がNGになって」
「……ということは、うちのクラスも喫茶店じゃなくてカフェなの?」
「だからウチはチュロス屋だってば。ドリンクもなし、テイクアウトだけ。――ウチにも美咲ちゃんとこみたいにやる気のある生徒が多ければよかったんだけどさ」
マンゴーをフォークに刺して口もとへ運びながら、葉月がうんざり顔で答える。それを聞いた美咲は、アイスティーをそそぐ手を止めて呟いた。
「……チュロスって、生地はパンケーキとかのを流用できるのかな?」
「ちょっと! そっちでもチュロス売るとかやめてよ!?」
葉月が慌てて腰を浮かせかけたのを見て、重信は小さく笑った。
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