第二章 彼女の知らない彼女 〜第六節〜
やがて到着したくだんの病院を見て、美咲は感嘆の吐息をもらしていた。
「……もしかして、お金に余裕のあるご老人とかが入るところだったりする?」
「かもな」
松仁会グループは、戸隠家とつながりが深い医療法人だという。もしかするとここも、戸隠家の肝煎りで作られた病院なのかもしれない。
院内を車椅子で移動している患者のほとんどは老人で、それが余計にこの場所の静謐さを際立たせている。病室も個室が大半で、それぞれがかなり広く作られているようだった。美咲が感じたように、確かに庶民が気軽にお世話になれる病院とは思えない。
「……やっぱり戸隠さんの場合は、ここの病院でも一番ランクが高そうな、特別な個室とかに入院してるのかな?」
「個室には違いないだろうが、たぶん風丘さんもいっしょのはずだ」
「……あのふたりって、以前からの知り合いじゃないんだよね?」
ふたりの病室へ向かう途中、美咲はふと思い出したようにいった。
「高校になってからだそうだが――何か気になるのか?」
「気になるっていうか、んー、のぶくんもそうなんだけど、リターナーっていう共通項がなかったら、たぶんおたがいに親しく話すことなんてなさそうなタイプかなって」
「どうだろうな……風丘さんはもともとああいう子だったんだろうが、戸隠さんのほうは、もとはああいう性格ではなかった可能性もあるし」
「そうなの?」
「風丘さんは異世界に飛ばされてもわりとすぐにこっちへ戻ってきたが、戸隠さんはそれなりに長い期間、向こうの世界で生きていたというからな」
「じゃ、中身は大人な戸隠さんが、葉月ちゃんに合わせてるってこと?」
「そこまでは判らないが、いくつになろうと人間関係というものは厄介だからな」
リターナーたちの誰よりも“人生経験”が豊富なはずの重信でもそう感じる。むしろ年を取れば取るほど、新しい人間関係を築くのが億劫になり、他人とのつき合いにエネルギーを使うのを避けるようになるのかもしれない。
「――そういえば」
「ん?」
「田宮くんは、いつから風丘さんのことを下の名前で呼ぶようになったんだ?」
「よく覚えてないけど、気づいたらいつの間にか……え? 何かおかしいかな?」
「おかしくはないが」
美咲は基本、誰にでも友好的に接する少女である。だから、彼女がこの短期間で葉月に対する心理的なハードルを一気に下げたのは判らなくもない。美咲にとっては、葉月には自分の窮地を救ってもらったというポジティブな面もある。
ただ、重信にとって少し意外だったのは、あの葉月が美咲のフレンドリーさを受け入れつつあるということだった。思い返せば、葉月も美咲のことをいつの間にか下の名前で呼んでいた気がする。
「――ここか」
ふたりが入院している病室のネームプレートには、聞いたことのない女性の名前が並んでいた。もしかすると、ここではたらく一般のナースたちにも、霧華たちの素性は伏せられているのかもしれない。
「失礼します」
何と声をかけるべきか判らず、重信は職員室に入る時のようなあいさつをしてから静かにドアをスライドさせた。もっとも、葉月はともかく、意識がある霧華なら、病院の敷地内に入る前から重信の接近に気づいていただろう。
「あ、ほんとに来た」
やはり霧華からそのことを聞かされていたのか、彼女のベッドの端に座っていた葉月は、重信たちが現れても特に驚いていなかった。
「ふたりとも予想以上に軽症だな」
「すみれさんにざっと治してもらってひと晩休めばこんなもんでしょ」
ベッドの上に身を起こしているパジャマ姿の霧華は、額や手首のあたりに包帯を巻いているものの、ふつうに本を広げて読書をしていたようだし、葉月にいたっては、頬に絆創膏が貼られているだけで、いつもと同じ学園の制服を着てエクレアを食べていた。
「察するに、それも滝川さんの見舞いか?」
葉月の膝の上には洋菓子店の箱が置かれている。葉月はぞんざいにうなずきながら、
「すみれさんもさっきまでいたんだけど」
「そうか」
特別個室というだけあって、その病室は、むしろどこかのホテルの一室かと思うような広さだった。奥にはさらに専用のトイレやバスルーム、キッチンまでついているらしい。
「――あ! あの、これ」
豪奢な室内をやっとした表情で眺めていた美咲は、はっと我に返ると、手にしていたバスケットを葉月に差し出した。
「へー、さすがに美咲ちゃんは気が利くね」
「おれが選んだんだが」
「あんたはそういうことつけ足す時点で全部帳消しだから」
小さく鼻を鳴らし、葉月は霧華にバスケットをしめした。
「わざわざありがとう、田宮さん」
本を閉じ、霧華がぺこりと頭を下げる。重信は眉をひそめ、
「……戸隠さんまでおれの気遣いをスルーするわけか」
「今のはわざわざここまで足を運んでくれたことへのお礼だから」
「まあ、はっきりいってしまえば」
重信は大仰にうなずきながらぶっちゃけた。
「――きみたちの容態が深刻なものであれば、すぐにでもおれのところにそういう知らせがあるだろう。それがなかった時点で、特に心配する必要もなければ、ましてや見舞いにくる必要もないとは思っていた。月曜には登校するという話も聞いたし」
「じゃあどうして来たわけ?」
「石動先生から、田宮くんを連れて見舞いにいけと指示があったんだ。二学期の成績を人質にされたから仕方なく、な」
霧華はともかく、葉月は重信に借りを作りたくないと考えるだろうし、ならばこういう悪びれたいい方をしておけば、彼女も変に気に病むことはないだろう。それは別段、葉月に対する思いやりではなく、他者に対する負い目が、しばしば厳しい戦いの中で足枷になりかねないと考えたからだった。
案の定、葉月はいつものように重信をひと睨みしただけで、ばつの悪そうな表情を見せたりはしなかった。
「買ってきてから聞くのも何だけど、戸隠さんも葉月ちゃんも、アレルギーとかある?」
「アレルギー?」
「うん。メロンとかマンゴーとかキウイとか、果物でもアレルギー出ることあるでしょ? 花粉症の人とかわりと出やすいって」
「……わたしはないわ」
「わたしもそういうので何か反応出たことはないかな」
「じゃあ大丈夫だね。わたし、テキトーに切ってくるから。こういうところのキッチンとか、ちょっと興味あるし」
どこかうきうきした様子で、美咲は渡したばかりのバスケットをさっと取り返し、奥のキッチンへと消えていった。美咲はああいっていたが、おそらく、自分がいては話しづらい話題もあるだろうと気を回してくれたに違いない。
「……ホントに気が利くわね」
静かに閉まったスライドドアを見やり、葉月が嘆息した。「おれもそう思うよ。――それで、どういう相手だったんだ?」
重信のその問いに、少女たちは顔を見合わせ、それから何か含みのある表情で揃ってうつむいた。
「どうした?」
「……子供だった」
「何?」
「子供だったの。もちろん見た目がって意味で」
ぼそりともれた霧華の呟きを葉月がおぎない、当時の状況を重信に説明してくれた。
「こっちに対する敵意がないから、リターナーなのかエローダーなのかはっきりしなくて、それで、わたしたち三人で確認しようってことになって」
「…………」
霧華の身の安全を思うならわざわざ近づくべきではなかったし、近づくにしても、あと何人か仲間を呼ぶべきだったのかもしれない。だが、その時の霧華はすぐに確認するべきだと判断したのだろう。もしそれがエローダーなら、放置しておくことで一般人たちに被害が出ることは容易に予想できるからである。
「――で、実際に見にいってみたら、相手が子供だったと?」
「そう」
「外見が子供でもエローダーには違いないんだろう? どんな能力を持つやつだった?」
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