第二章 彼女の知らない彼女 〜第五節〜

「――ザキ、おまえちょっと様子見てこいよ」

「おれがですか? どうして?」

「みんなでぞろぞろ見舞いってのもアレだろ?」

「それには同意しますが」

「おまえならもう判ってるとは思うが、あのお嬢ちゃんたちには友達がいない。仲がいいことは悪いわけじゃないが、ふたりだけで完結しすぎてるのはちょっと気になる」

「だからおれに友達の代わりに見舞いに行けと?」

「いや、おまえにはそういうやさしさは求めてない。むしろおまえの彼女のほうに期待してる」

「田宮くんのことですか?」

「ああ。あの子はあくまでふつうの人間だろ? ふつうのバランス感覚を持ってる」

 妙な力を持ってしまったせいで、霧華は他人との接触に消極的になりすぎている。クラスでは病気療養のために周りの生徒たちより年上だし、それがなくとも大財閥の令嬢という立場は彼女を孤立させていた。一方の葉月も、霧華ほどではないにしても、自分の理解者だと目している霧華以外の人間とのチャンネルを閉ざしがちなところがある。

「リターナーとばかりつき合ってたんじゃ、知らず知らずのうちに平衡感覚を失いかねないからな。そこにおまえをぶっ込んだところで、結局はリターナーだエローダーだって話しかしないだろ? けど、田宮さんが入ればそうはならんし、こっちの事情もある程度は知ってもらえてるからそこで気を遣う必要もない」

“機構”にいるリターナーたちの中でも抜きん出た戦闘経験を持つ重信が、闘争とは縁遠いこの日本の社会に戻ってきて、特に大きなトラブルもなくすんなり日常生活に戻れたのは、重信のそばに田宮美咲という少女がいたからだろう。

 苦い煙を細長く吐き出し、石動は昼下がりの陽射しに目を細めた。

「田宮さんも戸隠たちとはそれなりに交流があるんだろ? おまえらがふたり揃って見舞いにきたとしても、関係性としちゃおかしくない」

「……一理ありますね」

 カフェオレを飲み干し、重信は小さくうなずいた。ただ、この若者が本当にこれで納得しているかどうかは判らない。淡々と受け答えすることの多い林崎重信は――異世界生活の長さがそうさせるのだろうが――自分の本心をなかなか他人に見せようとしない。石動の提案にうなずいたのも、胸中ではまったく別の思惑があってのことという可能性もある。

 タバコを半分ほど灰に変えたところで、石動はその吸いさしを空き缶にねじ込んだ。

「どんなやつが襲ってきたか、ちゃんと聞いてこいよ?」

「風丘さんたちが倒したんじゃないんですか?」

「だとしても、同じような能力を持ってる敵が複数いないとはかぎらんだろ?」

「……それも一理ありますね」

「じゃあ頼んだぞ」

 勤務中のささやかな楽しみであるタバコ休憩を切り上げ、石動は職員室へ戻った。

 二学期が始まってしばらくたち、生徒たちから夏休み気分がようやく抜けてきた頃に、今度は水無瀬祭の準備が始まって、また校内がざわつき出している。どこか浮ついたこの騒々しさは、石動にとっては遠い過去の記憶を呼び覚まさせるものだった。

「――――」

 ふと立ち止まり、石動は屋上へと続く階段のほうを振り返った。

 石動は異世界で四〇年以上戦い続けてきた。つまり、本来の自分の人生における学生時代の記憶は、四〇年ぶん余計に色褪せていることになる。

 なら、異世界で何人ぶんもの人生を送ってきた重信には、なおさらそう思えるのではないだろうか。あの醒めた少年は、子供たちのこの狂騒の日々を、どんな心持ちで見つめているのだろうか。


          ☆


 学校の図書室を出ていこうとした時、視界の隅に近代日本文学全集というハードカバーのシリーズの背表紙が入って、そのことでるいは大事なことを思い出した。

「――早石はやいしくん」

 きびすを返して図書室の中に戻った泪は、書架の前に立っておびただしい数の本を見上げていたクラスメイトに声をかけた。

「えっ? あ……た、高橋たかはしさん」

 軽く首をすくめて振り返った少年は、相手が泪と知って明らかに動揺していた。

「ど、な、僕に何か用……?」

 早石りく――泪と同じクラスで席も近い。強引に分類するなら、泪と同じ“ジャンル”にカテゴリーされるだろう。読書好き、内向的、トップではないが体育以外の成績はそれなりによく、それでいてクラスでは目立たない。その意味ではふたりは同類といえるだろう。

「早石くん、よく図書館を利用するよね?」

「え、ああ、うん」

 いったんは手に取った本を慌てて書架に戻し、陸はなぜか自分の両手をシャツの裾で拭いた。

「去年は図書委員だったし、ぼ、ぼく、本を読むのが好きだから――」

「夏目漱石が好きなの?」

「えっ?」

「誰かが早石くんのことを夏目漱石って呼んでたような覚えがあって――」

「あ、ああ……違うよ。僕が好きなのは泉鏡花とかで――ただほら、僕の名前がね……」

「名前?」

「小学校の時に、僕の名字がソーセキってよめるからって、一時期そういう渾名で呼ばれてたことがあって、それで学区が同じだったやつからは、今もときどきそう呼ばれることがあるってだけなんだ」

 そんな過去のいきさつのせいで、むしろ夏目漱石は授業以外では読む気が起きないと、陸はそういって苦笑した。

「そうだったんだ。わたしはてっきり、よっぽどの夏目漱石マニアなのかと思って……」

「ち、違うって。……あの、高橋さんは夏目漱石のファンなの?」

「ファンてことはないかな。ただ、わたしは特に好き嫌いなく何でも読むから――」

「そういえば、登下校のバスの中でもずっと本読んでるよね」

 そういってから、陸はあからさまにしくじったとでもいいたげな表情を見せた。これではまるで、いつもバスの中の泪に注目していたと告白したようなものである。

 もっとも、泪は以前から陸の視線には気づいていた。エローダーという泪の正体にさえ感づかれなければ、別に誰から見つめられていようと問題はない。むしろ、陸の場合はその視線の意味が明確なぶん、泪にとっては好都合だった。

「早石くんもそうでしょ」

 妙な指摘はせず、泪はそう返して小さく笑った。陸もつられてぎこちなく笑っている。

 これで基礎となる関係性はできた。今後は、行き帰りのバスの中でも自然と会話できるだろう。

 泪にはやや理解しがたいことだが、この世界には、ひとりでは行きにくい場所というものがある。そうした場所に行く時に、このソーセキくんは役に立ってくれるに違いない。


          ☆


 その日の放課後、重信は美咲を誘って霧華たちの見舞いに出かけた。

「――え? もらい事故って噂だったけど――」

「まあ、本当のことはいえないだろうからな」

 ふだん滅多に乗らない路線に揺られ、最寄り駅からは病院まで往復するシャトルバスに乗ってトータル約一時間、車内にほかに乗客の姿がまばらなのを見計らって、重信は美咲に、霧華たちの入院の原因がエローダーの襲撃だということを説明した。

「それで、ふたりとも大丈夫なの?」

「週明けにはふつうに登校できるという話だから、どうせピンピンしているだろう」

 見舞いの意義を揺るがしかねないことをいい放ってから、重信はいまさらのようにつけ足した。

「――しかしまあ、入院の最中に誰も見舞いにこないというのはかなりショックなことらしいからな」

「そういうもの?」

「そういえば、田宮くんはそこまで大きな病気や怪我をしたことはなかったな」

「物心ついてからは……うん、ないね」

「おれにもその感覚は判らないんだが、石動先生が行ってやれというから、すまないがつき合ってくれ」

「別にいいよ、わたしも葉月ちゃんや戸隠さんにはお世話になってるし」

 膝の上のフルーツバスケットを軽く叩き、美咲は笑った。正直、重信が霧華たちの病室に顔を出しても、重苦しい沈黙ばかりになるか、あるいはエローダーがどうのというような話題に終始するか、そのどちらかになるのは目に見えていたが、美咲がいっしょにいてくれれば、そんな事態だけは回避できるだろう。

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