第二章 彼女の知らない彼女 〜第四節〜

 だが、だとしたらこの少年は、どうやって瀕死の状態におちいって、そしてどうやって蘇生したのか。見たところ怪我らしい怪我はしていないし、それがどんなたぐいのものであっても、極限まで死に近づいた人間が、何の手当も受けずに蘇生するとは思えない。

 死からの生還という“通過儀礼”によって異質な能力を手にした者こそがリターナーであるなら、異質な能力を持ちながらも、死から生還してきたとは思えないこの少年は――。

「え……? いや、でも――」

 ふたたび右手に輝く鞭を出現させた葉月は、しかし、それを振るうことができなかった。

「お嬢! ど、どうなの? どうすればいい!?」

 葉月には目の前の少年がリターナーなのかエローダーなのか判別できない。いっそこちらに襲いかかってきてくれれば、反撃という形で戦うこともできるのに、葉月たちが困惑しているのとはまた別の意味で、少年もまた惑乱の中にあるらしく、仕掛けてくる様子はなかった。

「……!」

 霧華は顔を青ざめさせ、じっと少年を凝視していた。彼女にしても、敵味方を判別する基準は自分に対する敵意のあるなしでしかなく、この少年のようにただ怯えているだけの状態では、特異な能力を持っているということは判っても、エローダーか否かは断言できない。

 少年の姿をした能力者を前に、少女たちがためらいを隠せずにいると、山内がふたりの肩を叩いた。

「おふたりとも、ここは下がりましょう。躊躇があるなら戦うべきじゃありませんし、戦わないのなら――」

「……仕方ないんだ」

「!?」

「“神託評議会ネドハノール”がそう判断したのなら――仕方ないんだ」

 気づけば、少年はもう震えてはいなかった。体育座りのまま、顔を上げ、葉月たちをじっと見つめている。いや――葉月たちではなく、もっと別の、ここにはない遠くの何かをぼんやり眺めているかのようでもあった。

「……え?」

 少年は静かに涙を流していた。何かを達観したようなその表情は、とても幼い子供のそれとは思えない。

「失礼します、お嬢さま! ――葉月ちゃんも!」

 山内が霧華をかかえるようにして後ろに飛びすさった。葉月もそれにつられるように、一瞬遅れてそれに続く。その際、雷の鞭を束ねて盾に変化させていたのは、葉月の直感がさせたことだったのだろう。

 雷光の盾越しに、葉月は、少年が赤を通り越して真っ白に輝くのを見た。

「――――」


          ☆


 きのうはどこかピリピリしていた職員室の空気が、きょうは少しだけやわらいでいるのが判る。もちろん表情が硬いのは同じだが、それでもきのうのような切羽詰まった雰囲気はない。その理由は明白だった。

「まあ、お偉いさんたちにとっては大問題なんだろうな」

 飲みかけの缶コーヒーを片手に、石動恵一けいいちは屋上へと向かった。

「――よう、待たせたか?」

「いえ、それほどでも」

 自分で持ち込んだビーチベッドに腰掛けて菓子パンを食べていた林崎重信は、やってきた恵一を見て軽く頭を下げた。

「すみれさんあたりから連絡は?」

「ありましたけど、そこまで詳しいことは聞いてません。戸隠とがくしさんたちがエローダーに襲撃されたってことと、三人とも命に別条はないってことくらいで」

「そうか。ま、俺のほうにもすみれさんからはそれ以上の詳しい話は来てないんだけどな」

「戸隠さんも風丘かざおかさんも休んでますよね? 学校には何ていってるんです?」

「大雑把に事故に巻き込まれたってカンジだな。実際、病院帰りに負傷してるわけだし。――ちょっと詰めろよ」

 どこか不満そうな男子生徒を横に移動させ、石動は重信と横並びに座って缶コーヒーをすすった。

「……戸隠さん、どこか悪いんですか?」

「あ? あ、いや、病院てのは戸隠が診察を受けたってわけじゃなく、知り合いの見舞いだよ。その帰りにエローダーに出くわしたらしい。――ただ、校長たちは心中おだやかじゃなかっただろうな」

 水無瀬みなせ学園の運営には、戸隠家がかなり深いところまで関わっている。戸隠家にゆかりのある複数の人間が理事に名を連ねていることもあるが、さらに重要なのは、戸隠家からの莫大な寄付金の存在だろう。もし何らかの理由で霧華が学園を去ることになれば、当然、戸隠家が寄付する理由も失せる。

「とりあえず事故に遭ったといっても重傷じゃない、入院もしてない、週明けにはふつうに登校できるってことで、校長たちも人心地ついたみたいだ」

「そうですか。……それで、実際のところはどうなんです?」

「怪我の程度か?」

「ええ」

「俺も本人たちに会ってないから何ともいえんが、ま、大丈夫だろ」

 霧華たちは山内が運転するリムジンですぐに病院へ戻って治療を受けたという。加えてすみれもすぐに駆けつけたというから、三人とも大事にはいたらないはずだった。

 しかし、それを聞いても重信の表情は――この少年が底抜けに明るい表情をしているところなど一度たりとも見たことはないが――いまだに暗い。

「どうした、少年?」

「あらためて思ったんですが……“機構”は組織としては少し脆弱すぎますね」

「は? ああ……まあ、仕方ないだろうな。要するに、めっちゃ金持ってる個人が、周囲には内密のまま運営してるような組織だし」

 そもそも“戸隠機構”は、戸隠霧華がリターナーとして覚醒したからこそ誕生した組織であって、彼女が大財閥の後継者というポジションにいなければ存在しえなかった。少しずつ信頼の置ける仲間たちを増やしてきたとはいえ、公的機関とくらべれば、そこに組み込める人材の数は圧倒的に少ない。重信が指摘しているのは、つまりはそういうことだろう。

「もし戸隠さんが急死するようなことがあれば、“機構”は存続できませんよね」

「おいおい、不吉なこというなよ」

「でも事実じゃないですか?」

「……ま、そうだな」

 警視総監が急死したからといって警視庁という組織が瓦解することはない。組織としての機能を維持したまま、すぐに代わりの人間が空いたポジションを埋めるだろう。だが、今の“機構”には霧華の穴を埋める人間はいない。

「何だろうな……人徳はあるが後継ぎのいない有能な社長に、周りの社員がみんなついていきます! ってそれぞれがんばってどうにかうまく回ってる零細企業みたいな感じか? 社長が健在なうちはいいが、社長が死んだら空中分解、みたいな」

「先生のたとえ話も相当に不吉ですよ」

「でも事実だしなあ」

 霧華がほかのリターナーたちを束ねていけているのは、ひとつには戸隠家の財力があること、そして何より自分――さらには組織への敵意のあるなしを見抜き、あらたな能力者を発掘可能な“スキル”の持ち主だということが大きい。

「……正直、この段階で戸隠が死んだら、戸隠家は“機構”がどうのっていってられない状態になる。現当主の戸隠兵衛ひょうえ氏には、直系の後継ぎはあの子しかいないんだからな。実際、今だってろくに面識もない親戚たちがいろいろとうるさいって話だ」

「何がうるさいんです?」

「自分の家族をグループ企業の役員にしろとか、お屋敷が不用心だから誰それを置いてやってくれとか……中には自分の息子を戸隠の許嫁に、なんていってくる親戚もいるんだとさ」

「詳しいですね」

「戸隠が風丘に愚痴ったのを、さらに風丘が俺に愚痴ってくるんだよ。あいつも意外に口が軽いよな」

「……むしろおれには、戸隠さんが風丘さんに愚痴を吐くというのが驚きですよ。彼女は口数が多くないし、そういうことは胸のうちにしまっておくタイプかと思っていたので」

「けど、風丘みたいなのがそばにいるのはそう悪くないんじゃないか? 立場上、戸隠がいいたくてもいえない本音なんかを、風丘が代弁してくれてるように思えることもあるしな。もちろん、風丘だけがエキサイトしてるってことも多いがね。……特におまえに文句をいう時とか」

「でしょうね」

 缶コーヒーを飲み干した石動は、フェンスのそばまで移動してタバコに火をつけた。

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