第一章 浮ついた季節 〜第四節〜

「準備期間が二週間て短いかと思ったけど、去年より何か余裕ある感じするね」

「これが三年生ならもう少し思い入れが違ってくるんだろうがな。とにかく、ヘンに凝らずにトラブルなく終えられればおれは文句はない」

 クラス全員で喫茶店をやると意志決定した翌日の放課後、喫茶店のコンセプトについて細かいところまで決めるため、二年二組の実行委員たちが教室に残っていた。そこになぜ自分が選ばれているのか重信には今ひとつ理解できなかったが、夏帆に引っ張られる形で美咲がここに顔を出している以上、彼女のそばについていられるという意味では異存はない。

「……当日はガスは使えないのか?」

「去年と同じだとしたら、大火力で調理したいモンは家庭科室でやれってことになると思う」

 桐山が眼鏡を押し上げて答える。夏帆とはタイプは違うが、何となくこのクラスの男子のまとめ役は桐山になることが多い。クラス委員だからというより、生徒間のバランスを取るのがうまいのだろう。実際、桐山が当たりが強いのは京川に対してだけで、ほかの生徒には男女を問わずに気配りができ、先生への対応も如才がない。社会に出た時にうまく出世するタイプだろう。

「でもさ、あそこのガスコンロだって数はかぎられてたよね? 利用時間とかは――」

「ほかのクラスとの兼ね合いになるよな。上級生が優先とかあったら困るぜ」

「というか、そこまで本格的な料理を出すのか? やるのはあくまで喫茶店だろう?」

「何いってんだよ、ザキ! 渋い喫茶店といえばマスターの名物カレーだろ!? カレーを嫌いなやつはいない! コンセプトはカレーのおいしい喫茶店で決まりだ!」

 さっきまで教室のすみで膝をかかえていた京川が、急に元気を取り戻して暑苦しい主張を始める。だが、ほかの生徒たちの反応は鈍い。

「文化祭の喫茶店のどこが渋いんだ?」

「だいたいよ、そんなにカレーにばっかこだわってたら、ほかのメニューにまで手が回らなくなるんじゃねえ? カレーしか出せないだろうよ」

「だよな。そこまでカレーに力入れるんだったら、喫茶店じゃなくて最初からカレー屋ってことで話通すべきだったろ」

「てか、そもそもおまえ、どうしてここにいんの? おまえ実行委員じゃないだろ」

「いわれてみたらそうよね……女子は夏帆と美咲とわたし、男子は桐山くんとザキくんと高瀬たかせくんでしょ?」

「え? いや、オレはスーパーバイザーっていうか」

「は? 何バカなこといってんの?」

「そんなにカレー屋がやりたいなら三組行けよ。あいつらカレー屋やるってよ」

「ま、またおまえら、そうやってオレを非難しやがって――」

「とにかく今のおまえには発言権はない」

 桐山にぴしゃりといわれ、京川はすごすごとまた教室のすみに戻っていった。

「――コンロが争奪戦になると判っているなら、最初からコンロを使わず全部この教室で完結するようなメニューにしたほうがいいだろう」

 重信自身には何のこだわりもないが、無用のトラブルを避けるためには万事において極力シンプルを心がけるほうがいい。

「具体的には?」

「ホットプレートと……あと、確か田宮くんの家に、ワッフルを焼くヘンな機械があったと記憶しているが、あれはコンセントに挿せば使えるんだろう?」

「ヘンな機械って……ワッフルメーカーのことでしょ? うん、あったかも」

「ワッフルもクレープもパンケーキも、結局はみんな小麦粉を練って焼くだけなんだから、そのへんのものを何種類か用意すればフードメニュのラインナップは確保できると思うが」

「いやいやいや、それはさすがに暴論っしょ。――美咲ってさ、いつもザキくんに何食べさせてんの?」

「わ、わたしのせい!?」

「てか、ザキのいうこと何か間違ってんのか? ああいうのってホットケーキミックスで全部解決するんだろ?」

「そうだよな……何かあとは、チョコとかジャムとかでテキトーにデコっとけば、女子はみんな大喜びで食うだろ」

 重信たち男子がそんなことをいっているかたわらで、美咲と夏帆、それに藤原ふじわらさんは渋い顔をしている。

「……メニューは男子に決めさせちゃ駄目っぽいね」

「うん」

「あのね、のぶくん……パンケーキもワッフルもクレープも、大雑把にいえば確かにみんな小麦粉で作ってるけど、とれもふくらみやすさとか違うから、同じ材料の焼き方を変えるだけでオーケーってわけにはいかないんだよ?」

「そうなのか?」

「だよね、藤原さん?」

「うん」

 美咲が藤原さんに確認を求めたのは、彼女がお菓子作りが得意だかららしい。実際に喫茶店で調理を担当するのは、この藤原さんと、ふだんからまめに料理をしている美咲が中心になるだろう。

「簡単にいうと、クレープの生地は小麦粉に卵と牛乳、砂糖とバターで作れる。全部混ぜて薄く焼けばいいだけ。でもパンケーキはふっくらさせないといけないから、ベーキングパウダーが必要。ワッフルの場合は、本場っぽくしたいなら、ベーキングパウダーじゃなくイースト使って先に発酵させる」

「うわ……思ってたより面倒なんだな」

「しかしまあ、ホットケーキミックスで何種類かのメニューに強引にでも対応させるっていうのは、現実的かつ合理的だとは思うぜ? 予算の件もあるし」

「藤原ちゃん、そのへんどうにかなりそう?」

「業務用の粉の濃さを変えて対応するのでいけると思う。個人的にはホケミ味のワッフルがお店で出てきたら怒るけど、こっちは素人なんだし、儲けが出るような価格で出すわけでもないし。……ただ、基本的な粉の味が同じなわけだから、トッピングとかで差別化とかは大事かも」

「となると、あとはドリンクメニューだな。……当日もしまた暑くなったりしたら、ホットのコーヒー紅茶だけじゃそんな売れねえぞ、たぶん」

「誰が淹れても同じ味にならないと駄目だろうし――」

「…………」

 少年少女が机を並べ、額をつき合わせてあれこれ話し合っているさまを、重信は――心情的には――一歩引いたところからじっと見つめている。異世界に飛ばされる前の自分なら、おそらくこうしたイベントでもわくわくすることができたのだろうが、あいにく、今の重信が心躍らされることはない。今の彼らを見て冷ややかに笑うつもりはなく、むしろ重信としては、いちいち盛り上がれる彼らをうらやましいとさえ思う。それは、重信が数百年前に忘れ去ってしまった感動だからである。

 この社会にふたたびアジャストするためには、本来なら彼らに合わせてはしゃいで見せるべき場面なのかも知れないが、今の重信にはそれすらもまだハードルが高い。強く意識してそうしようとしないかぎり、ついついほかのことを考えてしまう。

「……どうしてクラスのグルメ王であるオレの意見を聞かねえんだよ、ったく――」

 教室の後ろの黒板のほうで、京川がまだ未練たらしくぼやいている。京川は桐山と家が近いから、おそらく話し合いが終わるのを待っていっしょに帰るつもりなのだろう。

 しかし、重信がふと気になったのは、空気の読めないクラスメイトのことではなく、夏休みに突入するまであのあたりに座っていた少女のことだった。 高梨まひろの失踪のニュースは、同じクラスの生徒たちはもちろん、この学園に在籍する生徒たち全員に小さくない衝撃をあたえたのだろう。ただ、ことがことだけに、あれこれと噂する者はいても、実際にまひろがどこへ行ったのか、今どこで何をしているのか、明確な答えを持っている者は皆無だった。

 そして二学期が始まってしばらくたった今となっては、もはや彼女の名前をこのクラスで聞くことはほとんどなくなっている。今回、文化祭で何をやるかという話し合いが予想外にスムーズに進行したのも、クラスに一定数存在していた自称“カースト上位者”たちが、中核となっていたまひろの消失により、めっきりおとなしくなっていたせいもあるのだろう。

「新しい刺激には敏感で、古い感傷は時間とともに薄れていく……そこはどの世界でも大差ないが、特にこの世界は新しい刺激が多いからな――」

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