第一章 浮ついた季節 〜第一節〜




 ふと、中学校の頃はどうだったかと記憶の糸を手繰り寄せてみたが、よく思い出せなかった。

「……田宮たみやくん、ウチの中学の文化祭はこんな時期にやっていたかな?」

「やってないっていうか、そもそもこういう文化祭なんかなかったよ」

「? そうだったっけか?」

「文化の日の前後で合唱コンクールがあったくらいで、お祭りみたいなことなんかやらなかったじゃん」

「……いわれてみればそうだった気もするな」

 朝のホームルーム直後、担任がいなくなったあとの教室内は、月末の文化祭の話題で盛り上がっていた。田宮美咲みさきの隣の席の結城ゆうき夏帆かほは、

「美咲たちの中学には学祭とかなかったんだ?」

「夏帆ちゃんのところにはあったの?」

「なかった。何か近くの公会堂みたいなところで書道とか絵とかの発表会やって、あとは合唱大会みたいなのやってたけど」

「そう、うちもそういう感じだった。わざわざ保護者呼んで、夏休みの自由研究とか貼り出されて――だから去年初めて文化祭らしい文化祭やった時には軽く感動しちゃった」

「よくよく考えてみたらさ、中学一年生って半年前まで小学生だったわけだし、そりゃあいきなり執事喫茶やれとかメイド喫茶やれとか無理っしょ」

「え? 執事とかメイドとかって何?」

「あっちで盛り上がってる」

 夏帆が指差すほうを見ると、クラスでもっとも空気を読むのが下手な京川きょうかわが、クラスの出し物を何にすべきか友人たちと熱心に話し込んでいる。夏帆はその姿に冷ややかなまなざしを向け、皮肉っぽく唇を吊り上げた。

「……メイド喫茶とか絶対にやらないけど。去年ウチのクラスでやろうとして大騒ぎになったの、あいつも知ってるはずなんだけど」

「なら結城さんは執事喫茶がいいのか?」

「つーか、そもそもどうしてその二択なのって話っしょ。ふつうに軽喫茶とかでよくない? コンカフェっぽいのなんて素人がやったってサムいだけだし」

「あー、わたしもそれには賛成。絶対ヘンな衣装とか着たくない」

「男子のコスプレにも期待してないけど」

 美咲と夏帆がそんなことをいっていると、それを聞きつけたのか、京川がこちらを振り返って大袈裟に肩をすくめた。

「やれやれ……おまえら女には男のロマンてのが判らねーらしいな」

「安いロマンだな」

「おま、ザキ!? おまえはこっち側の人間じゃねーのかよ!?」

「あいにくだが違う。いっしょにするな」

「つか、そういう店やるならどうせ俺たち裏方だろ? ロマンも何も、のんびり堪能してる暇ねえよ」

「あ」

「ホント馬鹿だよな、京川は」

「え? いや、さっきまではおまえらだって――」

「俺の通ってた中学だと、文化祭っぽいのは一一月だったけどなあ」

 愕然とする京川をよそに、長友ながともたちも集まってきた。

「――ヘタしたら九月下旬ってまだ暑いんじゃね? 去年どうだったっけ?」

「ヘタしなくても暑いっしょ。きょうの予想最高気温は三三度ってニュースでいってたし」

「まだ暑いさなかに教室の中で調理とか、考えただけでウンザリしてくんだけど」

「エアコンがあるだろ」

「どうかな……当日は一般客も来るからあちこち開けっぱだろ? 何か校内全体が薄ら暑かった記憶あんだけど」

 それなりに予算のあるこの水無瀬学園では、各教室に新しめのエアコンが設置されていて、快適に授業を受けることができるようになっている。が、多数の来場者で混み合うことが予想される文化祭当日、その神通力がどこまで通用するかは判らない。

「何も決まってないのに気が早いけど、教室で調理とかしていいのかな?」

「いやでもコーヒーとかなら電気ポットでどうにかなるっしょ?」

「ドリンクだけでフードメニューなしとか、わざわざ誰が来んだよ」

「それもそうだな」

 重信しげのぶは校舎内の階段近くに設置されている自販機のカフェオレが好きで、毎日かならず一本は飲んでいるが、高校生が文化祭で淹れるようなチープなコーヒーや紅茶を金を出して飲むくらいなら、自販機のカフェオレのほうがましだった。

「のぶくん、それはさすがに夢がないよ」

 重信の現実的すぎる発言に美咲が苦笑する。

「ちょ、ちょっと待て、おまえら! オレの話を――」

「去年も思ったけど、そもそもどうしてこの時期にやるんだよ? 文化の日って一一月じゃん」

「あー、ここは一一月になると英検とかの試験会場として使われるらしいから、そのせいじゃね? 三年生とかにも受験のために英検取れってってすごく勧めてくるし」

「マジ? でも、だったら一〇月にやってくれても……」

「夏帆ちゃん、一〇月は中間テストがあるんだよ?」

「あー……」

 まだどこか夏休み気分が抜けきっていなかった少年少女は、早くも来月に迫った大きな山の存在を思い出し、眉根を寄せてたがいに顔を見合わせた。

「おい、おまえら! わざとオレの存在をスルーしてるだろ!?」

「してねえよ。……だいたい、おまえはどうせろくなこといわないだろ? 空気も読めねえし、何かいったかと思えばたいていは誰かの神経逆撫でするようなことばっかでよ」

「え? そ、そんなことないだろ?」

桐山きりやまのいい方もたいがいキツいけど、まあ間違ってないな」

「うん、京川って空気読めないよな」

「は? 何だよおまえら、イジメだろ、もはやこれは!?」

「そうかぁ? 残酷ではあるけど事実を突きつけてるだけだろ」

「まあおまえがそう思うならイジメなのかもな」

「おい、そろそろ先生来るぞ」

 声を荒げる京川を軽くあしらい、クラスメイトたちは自分たちの席へ戻り始めた。「朝一番の数学とかだるすぎ……美咲、宿題やってきた?」

「うん」

「ザキくんは?」

「――――」

「……もしかしてやってないとか?」

「今から先生が来るまでに宿題を終わらせられる可能性はゼロじゃないから、やってないとはいいきれないな」

「つってもやる気ないっしょ?」

「ないともあるともいいきれない」

 しれっと答える重信に、美咲が低い声で、

「……きのう宿題やるっていって、ごはん食べてすぐに戻ってったよね?」

「…………」

「もしかしてまた夜に“お仕事”に出かけた?」

「出かけたとも出かけてないともいいきれない」

「のぶくん!」

「田宮くん、先生が来たぞ」

 そのまま小言に突入しそうだった少女の顔を強引に前に向かせ、重信は机の上に教科書を出した。

 美咲は重信がどういう立場にあるかを理解はしているが、だからといって、重信が戦いの日々を送っていることを歓迎しているわけではない。それが判るから、重信のほうでも、可能なかぎり戦いに向かうところを美咲には見せないよう気を配っていた。

 ただ、それがこうしてあとから発覚すると、言葉には出さないものの、美咲はとがめるようなまなざしをこちらに向けてくる。重信にとっては、エローダーとの戦いより美咲のこの視線のほうが厄介だった。

「……中間テストでは追試だけは回避したいが、問題は山積みだな」

 溜息交じりにひとりごち、重信はノートを開いた。


          ☆


 日中、るいが一度下見に来た時には、玄関のところに大手警備会社のステッカーが貼ってあった。このくらいの資産家の家なら、そういうサービスに加入していたとしてもおかしくはない。にもかかわらず、この猫背の男が二階の窓を無造作に開けても――そもそもどうやって解錠したのかも不明だが――何の反応もなかった。

「――大丈夫だ。住人は寝ている。起きることはない」

 しわがれ声で呟くクロコリアスの顔を見上げ、泪は頷いた。

「あ、でも」

 ベランダに面した掃き出し窓から屋内に入ろうとするクロコリアスに、泪は咄嗟に声をかけた。

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